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『年号を暗記させられたから歴史はきらい』な人にも聞いてほしい歴史です。年表や地図がなくてもわかる歴史です。あなたが知らない意外な日本史、中国史、これまで日本が避けてきた台湾という『国』の台湾史、モンゴルの歴史、ベトナムの歴史まで語ります。

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2008/04/16

■第374回 意識の近代化(その3)(台湾史入門その88)

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■第374回 意識の近代化(その3)(台湾史入門その88)

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  新しい台湾総督のもとで、台湾人の教育の充実が図られました。

 その目的が日本のためか、台湾のためか、議論が分かれる点です。


 第1回から第221回までのバックナンバー一覧は、下記をごらんください。
            http://blog.mag2.com/m/log/0000183170/108501028.html

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●第八代総督、明石元次郎

  1918年6月、台湾総督が安藤貞美から明石元ニ郎に変わりました。

 当時は第一次世界大戦の末期でした。

 明石元ニ郎は、日露戦争(1904年〜1905年)では、ヨーロッパで
ロシアの革命派を援助し、日本の勝利に貢献した人物です。

 その後の軍人には見られない国際的な視野を持っていました。


 当時の官制では、台湾総督に任命されるには軍人でなければなりませんで
した。

 この人選は、第一次世界大戦後の国際的変化を予測したものといってよい
でしょう。


●『民族自決』、台湾にも

 当時のヨーロッパでは、ロシア、オーストリアの支配下にあった民族の間
に『民族自決』の風潮が見え始めていました。

 その風潮が台湾にも及ぶことは必須です。

 事実、『西来庵(せいらいあん)事件』となって、台湾南部で武装抵抗事
件が発生しました。

 もし、明石元ニ郎でなく世界の変化に鈍感な人物であれば、弾圧のみに頼
り、事態を悪化させたでしょう。


 明石元ニ郎は、台湾人の心情を理解して、台湾の潜在的な資源、特に人的
資源の開発を促進しようとしました。

 それは、日本の南進基地としての台湾を重視する考えでした。


●『台湾教育令』発布

 1919年1月、第一段階として『台湾教育令』を発布しました。

 これまでの教育が日本語の習得が基本であったのに対して、さらなる基礎
の向上を図りました。

  これにもとづいて、台湾人向けの教育機関が作られました。

 その代表例を以下に記します。

    台北師範学校

    台南師範学校

    台北工業学校

    農林専門学校

    商業専門学校

 初等教育の普及にも力をいれました。

 日本統治末期の1943年、台湾人児童の就学率は男女平均で90%に達
しました。


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■ 歴史好きの素人が語る歴史(第374回)(2008年04月16日号)
                    (メールマガジンID:0000183170)

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・ 作者は、中澤勇二(台湾名 陳澤民)です。

・ 相互紹介は大歓迎です! 

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