2009/06/22
日給8万円情報:時間平面理論
※この記事はフィクションです。 おずぃぢゃ。 今日は時間というものについて ひとつの考え方を話そう。 この考え方は少し特殊であり 信じ込む必要はない。 また、少々、難解なために おそらくほとんどの人間は理解ができない。 感覚的に分かる人もいるかもしれないが 真に理解するには、「素材」が少なすぎる。 これは、考え方である。 本当かどうか、事実はどうかは ここでは言わない。フィクションのもつ特権ぢゃ。 早速はじめよう。 時間とはなにか。 今、このメールが読まれる 時間上では、時間は連続し、 不可逆のものとして考えられている。 AがBに移動するには 時間が連続しているため、 その間を通って、移動していると考えられる。 ここで別の考え方を 紹介しよう。 時間は連続していない、 という考え方がある。 ひとつひとつの時間が平面であり パラパラマンガのようにめくられ(または点滅し) あたかも動いているかのような印象を受ける しかし、 実際は、それぞれの時間における ものの位置は永遠に変わらない。 過去にあった存在(または「記憶」)も 未来にあるはずの存在(または「記憶」)も もともと、そこにずっとまえからあったものであり これからもずっと存在し続ける。 人はその、動いていないものが点滅して差し替えられれているものを 観測し、動いていると思い、自分は時間とともに変化していると考える。 この考え方は 時間平面理論として とある日本のアニメーションのなかで 架空のものとして、表現された。 しかし、実はそれ以前からこの考え方は存在した。 湯川秀樹の「素領域理論」がそれであり 湯川秀樹もまた、それ以前にあった考えを より具体的にしたものである。 人により伝え伝えられて、伝わってきた。 そのもとのほうに インドにあるベーダという哲学書にいきつく。 ベーダにある 「継続した思念は実現する」 という記述は、 時間平面理論の基礎である。 時間の単位を最小単位まで区切ったとき これ以上、区切れないという単位にぶつかる。 その単位上において、連続性がみとめられない。 テレビは、光を動かして見せているわけではなく 点滅して見せている。 しかし、その点滅は人間には観測できる限界の速度を超えているため あたかも「動いて見える」。 蛍光灯の光が点滅していることが、 人間には分からないように。 人はそのように「錯覚」して生きている。 では、時間の概念において 過去の未来が連続しているのではなく 断絶しているとした場合、 点滅しているものは何か。 それは被写体、物ではなく、 意識そのものである。 点滅しているのは 見ている対象ではなく 意識そのものが点滅して認識している。 ここに問題をとく鍵がある。 人の意識そのものが点滅している。 故に、最小単位における時間平面の断絶を 人間は認識できない。 あたかも繋がっていると錯覚する。 意識の構造上、そうならざるを得ない。 したがって、 時間の謎を解き明かすには 人間の意識について、解き明かす必要がある。 なぜ、人の意識は点滅しているのか。 INPUTとOUTPUT。 その切り替えの際に生じる「点滅」。 人の意識は灯台に似ている。 ぐるぐると廻り、点滅する。 今、見えているこの視界(情報)が入っていく先。 「そこ」からわきでて、放たれる「思念」。 このふたつは決して無関係ではない。 「継続した思念が実現する」「時間は連続していない」 これらの一見、無関係に見える理論は ここでやっと、関係をもつ。 今日はここまで。 ※この記事はフィクションです。 ■特典情報と窓口 ・おず特典一覧 http://sites.google.com/site/ozutoku/ ・相談窓口 http://www.formpro.jp/form.php?fid=29024 ・過去記事検索 http://n8-2008.blogspot.com/ ・質問と回答 http://n8faq.blogspot.com/ ■発行者情報 発行者 OZ8株式会社 岡崎よしあき 連絡先 http://www.blogaffili8.com/hyouji.html アフィリ登録 https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=27987 写真ブログ http://oz-photo.blogspot.com/ 裏メルマガ https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=27988


