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カール・ロジャースのカウンセリングと東洋思想を比較してみます。似ている面もあり、でも同じには論じられない面もある。こころや人間存在に対する考え方の東西比較をお楽しみください。

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2007/03/27

カウンセリングと東洋思想 第10号

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                      2007年3月27日
  カウンセリングと東洋思想

                     第10号 能の職制

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 カール・ロジャースのカウンセリングと東洋思想との接点を
求めて、いろいろ考察してみたいと思います。


             †††



■ はじめに ===============================================

 みなさん、お久しぶりです。まだこのメルマガは続いていた
んです。(^^; 書かねばなあと思いつつ、今回のテーマは能の
全体構造を規定するような内容になるので、なかなか思い切っ
た記事が書けなくて延び延びになっていました。今でもこの内
容でいいのかどうか確信がもてないのですが、とりあえず出し
てみないと先に進めないので敢えて提示してみます。

 今回は能の職制をカウンセリング場面と対比して、私がなぜ
能をネタにしてカウンセリングを語るのか、その理由の一端を
明らかにしたいと思います。






■ カウンセリングと東洋思想 ===============================


  (10)能の職制

 能は、さまざまな役割の人々で構成されている。能の演目ご
とに微妙に違っていてその構成を一括りにはできないのだが、
ここではとくにカウンセリングやサイコセラピーと親和性のあ
る典型的な舞台構成のパターンを提示しよう。

 まずは中心人物となる「シテ」がいる。そして、そのシテと
対話をする相手方として「ワキ」がいる。ワキは、最初に舞台
に登場して、そこがどのような場所であるのかを状況説明する。
そのあとシテが登場して、その土地の由来などをワキに向かっ
て昔語りしていく。そして、シテ自身がその因縁話の主人公そ
の人の亡霊だったりする。これが能という演劇を構成する中核
的な登場人物である。ときにはシテやワキが「ツレ」と呼ばれ
る人々を連れて登場する場合もあるが、ワキ側がシテ側の物語
に関わっていくという全体の構成としては同じである。また、
能の前半と後半の間に「アイ」と呼ばれる人が登場して舞台設
定を解説する場合もある。

 能において興味深いのは、「地謡」や「囃子方」と呼ばれる
役割の人々が存在することである。地謡は、シテの状況を謡に
よって描写していく。囃子方は、笛・小鼓・大鼓・太鼓から成
るリズムセクションで、シテの気分や情調などを表現して舞台
の雰囲気を作り出す。


           −◆−

 さて、これらをカウンセリング場面と対比してみよう。ワキ
がカウンセラーに対応し、シテがクライエントに対応するとい
うのはすぐに察しがつくだろう。しかし、ここでは以下の四つ
の場合に分けて、もうちょっと詳細に考察してみたいと思う。


1)舞台を、カウンセラーとクライエントとの出会いの場と見る:

 この場合は、ワキがカウンセラーに対応する。ワキの最初の
台詞は、カウンセラーが自分は何者でどこの相談室にいるのか、
あるいはこれからどんなクライエントに会うことになっている
のかを自己規定するようなものである。電話受付などの時点で
は、「〜について相談したい」という表面的な概略しかわから
ず、クライエントの本当の姿は見えていない。そこで、とりあ
えず最初はその周辺部分で出会うことになる。

 シテはクライエントに対応するが、とくに舞台前半がクライ
エントの意識(または前意識)、舞台後半が彼の無意識に対応
すると見てよかろう。話が展開するにつれて、いよいよ深まり
が出てくる。この意味で能の話の展開は、カウンセリングにお
いてクライエントの無意識が次第に明らかになってくる過程に
対応するのである。

 地謡は、その時点でクライエントが置かれている主観的状況
の解説に対応する。カウンセラーはクライエントの状況を直接
に知ることはできないのだから、それはクライエントが自らの
口で語った内面描写を意味するとも考えられる。しかし、それ
は単に語られたものではなく、その背後にあってクライエント
の語りを支えている彼自身の主観的状況そのものを指している
と言えるだろう。同じようなことをシテが語る場合と、地謡が
語る場合があるからである。

 囃子方は、カウンセラーの作り出す促進的雰囲気に対応する。
彼らの掛け声をよく聞いてみると、「ぃぃよぉ〜っ」「ほぅ」
「はぁ」「いやあ〜」と、まるでカウンセラーのような合いの
手を入れて(笑)、シテの舞を促進している。ときにはシテの気
分を煽って無理やり高めているかのようにも見える。カウンセ
リングにおいてそのような煽りを使うことは少ないだろうが、
クライエントがカウンセリング場面で自分の無意識から煽られ
ることはある。あのことを言わねばならないという内面からの
突き上げに遭遇することがある。そのようなクライエントの無
意識の気分を表現しているものとして囃子の流れを見ることも
できるだろう。カウンセラーは、クライエントの根本気分に合
わせた囃子を演じているのだとも言える。

 カウンセリングにはツレも時として登場する。ワキであるカ
ウンセラーのツレは、カウンセラーと共同でクライエントの援
助をする精神科医だったり、ケースワーカーだったりする。ま
た、シテであるクライエントの場合にも、学校の担任が彼を連
れてくるとか、親が彼を連れてくるなどという場合もあり、連
れもまた何らかの役割を果たす場合がある。はたまた、成人の
クライエントがひとりでくるのが不安なものだから子供を連れ
てくるなどの場合には、子役が登場することになろう。あくま
でもシテが主役だが、登場人物が多いと話は多少複雑になって
くる。


2)舞台全体を、カウンセラーの演技場と見る:

 この場合は、クライエントに対応するシテもまたカウンセラ
ーが演じていると見なすことになる。しばしば“おうむ返し”
と揶揄される“reflection of feeling”だが、カウンセラー
の一つの役割は、クライエントにクライエント自身の姿を見せ
ることである。その演技はクライエント自身が演ずるより格段
にリアリズムがないだろうが、とくに本質的な部分を取り上げ
て表現することによって、まさにその核心部分をクライエント
自身に見させることになる。クライエントは自らの想像力によ
ってさまざまな感情をカウンセラーのひと言ふた言の中に投げ
入れ、それによって自らを再発見する。この意味ではクライエ
ントは自らの人生劇を見る観客なのである。


3)舞台全体を、クライエントの心の世界と見る:

 この場合は、クライエントの心の中にあるカウンセラー・イ
メージがワキとして登場する。シテであるクライエントの無意
識は、ワキであるカウンセラーの登場を待っている。一般の人
々はシテである幽霊が見えないのでそのまま通りすぎてしまう
のだが、ワキには(大抵は夢の中でではあるが)幽霊が見えて
しまうので交流が成立する。それは、カウンセラーがクライエ
ントの無意識に対する鋭い感受性を持っていることに対応する。

 だがそのほかに、クライエント自身の心の中にも外界と通じ
るための通路役としての人物イメージが存在するはずである。
「この人になら話せる」という直観は誰にでもあるように、カ
ウンセラーの経験や技量や力量とは無関係に、クライエント側
に心を開く要因となる人物イメージが存在する。ワキとしての
カウンセラーは、それにうってつけの人物として登場するので
ある。

 だが、カウンセラー側にも、そういう人物に近づくための要
因がある。それは、許容的雰囲気とか促進的雰囲気を醸しだし
ている態度であり、能で言えば、囃子方が舞台進行上いかに適
切な調子をととのえていけるかという問題になろう。


4)舞台はおろか観客までもカウンセラーと見る:

 これはかなり特殊な場合であるが、カウンセラーが自分のカ
ウンセリング実践を思い込みによって反省している時に当ては
まる。

 カウンセラーは、自分がシテまでも演じている時、その行為
は観客たるクライエントにどのように映っているのだろうか、
と自問自答するだろう。そして、能の演者が観客の反応をみて
自らの能を反省するように、カウンセラーもクライエントの反
応を見ながら自らのカウンセリングを反省するだろう。観客な
いしクライエントに気に入ってもらうというのが、演者側とし
ての努力目標である。

 だが、クライエントからどう見られているかは、時としてカ
ウンセラーが単にそう思っているだけの場合もある。そしてこ
の場合、観客はその向こう側で冷やかに見ていることになろう。
これが極端になると、実際の観客側から遊離して単なる自己満
足や自己嫌悪に終わってしまう。その結果、クライエントはこ
う感じているはず、こう見えているはずと思い込んで強引にカ
ウンセリングを進めてしまうことになる。



 さて、以上の長々とした説明は、このメルマガで世阿弥の著
作などを取り上げる場合に、どういう文脈でカウンセリングと
比較がなされているのか予め見当をつけてもらうためである。
このメルマガで能の作品を心理学的に解釈する場合には、1)の
文脈で語られる場合が多い。しかし、能の演者の心得などと関
連させてカウンセリングを論ずる場合には、2)の文脈が主にな
る。また、「離見の見」を論ずるときには、2)と4)の文脈を行
き来することで、見られながら行為する者の難しさを明らかに
していくことになろう。なお、3)の文脈でカウンセリングを論
じることはほとんどないと思う。





■ 参考文献 ================================================

『能のふるさと散歩』を読んで
http://www.janjan.jp/book_review/0611/0611070235/1.php
書評。代表的な演目に関して簡単な解説がある。

http://homepage2.nifty.com/sone5/osusume/touyoushisou.html
上記サイトに「カウンセリングと東洋思想」の参考文献として
東洋思想関連の本をリストアップしておくことにしました。





■ 編集後記 ================================================

 いざ書いてみると、正確に伝えたいという思いから長文にな
ってしまいます。比較的わかり易く書いているつもりですが、
途中で飽きられてしまうのではないかなどとおそれたりもしま
す。これは、カウンセリングや能に関するイメージがどれだけ
共有されているかの問題でもありますね。どんな状況のことに
言及しているのかがパッとイメージできると、私が言おうとし
ていることも結構おもしろく受け取れるのですが。このメール
マガジンの読者がどんな人々なのか私は知りませんが、読者の
レベルにではなく自分の興味や言いたいことに合わせて進めて
いきますので、無愛想なのはご容赦ください。こういうのは典
型的な内向的心性なのだなあ。(^^;


 では、次回をお楽しみに。


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◆『カウンセリングと東洋思想』(ID:0000179139)
◆発行者:曽根 剛
◆サイト:http://homepage2.nifty.com/sone5/
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