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仏教とは何? 仏様とは? 私たちが死んだら何処へ行くの? など、分からないことがいっぱいありますね。私が過去数十年の間に聞かせて戴いた和尚さんの法話の中から分かり易いお話を配信しています。

  • 発行周期 不定期
  • 最新号 2009/11/17
  • 部数 132部
  • メルマガID 0000173374
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2009/10/19

『俱舎論の改作問題』― 唯識に関連して ―  19




この話は、10月1日から始まっていますので、初めての方は
最初からお読み下さい。



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『俱舎論の改作問題』―唯識に関連して ―   19







そして
「我本年、一大事有り、念ずること今秋なり」と私には一大事の
問題があるんだけれども、それはこの秋なんだと。第一座、汝は
分かるかと。聞くんですね。私は分からんと。それは秋に死ぬん
ですね。だからこの人は自分の死ぬ時期がわかってたんですね。
時宗にも三年後に、と言ったら三年後に死んだ。

これは今風に言えば超能力ですね。仏教で言うたら、その超能力
というものは、煩悩が希薄になっていけばいくほど超能力が濃厚
になるんです。だから仏様の超能力と、舎利弗、目連の超能力と
比べたら、これはまた上下があるわけなんです。舎利弗の超能力
と下の人の超能力も差がある。だから段階があるわけなんですね。


和尚さんは、このお経の中にあるこの言葉に出会って、このこと
だと思ったそうです。或いは、弘法大師が大日経を読んでてこの
言葉が出てきて、ああ、このことだと思ったということです。

和尚さんがこの言葉と出会ったときに、弘法大師がここだと思っ
たというのは、これだと思ったそうです。

「如何が菩提とならば実の如く自心を知る」この言葉ですが、自
分がちょっとでもなにかを体験してないとこれを読んだだけでは
分からないでしょうね。

たとえ浄土教の中にも摩訶不思議なことがいっぱいあるんですよ。
前にも言いましたけど、極楽に金襴楼閣があると、屋根があって、
その下の軒に楽器がいっぱいあってぶら下がってるというんです
よね、その楽器が、糸もなにも付いてないのに廻りにぐるっと取
り巻いてる。それが誰も奏でないのに音が鳴る。極楽の音楽です
ね。お経には、「縣所虚空不鼓自鳴」。虚空に縣所してというの
は、空間にひっかかってるというのですよ。そして奏でないのに
自然に鳴るというのです。これはこのまま公案ですね。極楽はそ
ういう所なんですね。

百味の御食事前にして前に現る。というのが公案にありますね。
そういうふうに神出鬼没で自由自在なんですね、極楽という所は。

そういう言葉がお経の中に出てきても、何らかの体験が無いと、
これは文学になってしまう。經典文学になる。こんなことがある
と思うたら間違いやぞ、と先生が言う。それは先生に体験が無い
からいうわけです。

和尚さんは直接その極楽を体験してるわけじゃないけれども、法
界というものをちょっとでも覗いたことがあるから、ここからこ
う行ったら蓮の池があるとかお経に有るような花が咲いてると、
ああっと思うんだと。だから体験ですね、仏教は。学問は体験し
た人ばっかりじゃないけど、こういうことを体験したらこういう
ことがあると、無寂世親の言葉は瑜伽というんですからね。

瑜伽唯識というのは禅定に入ってのこと。今の瑜伽はあれは体操
ですけどね。そうじゃなくて、瑜伽というのは禅定なんです。
冥加とかね。だから無寂世親の派を瑜伽派というんです。
禅定を重んじた派ですね。それにはもう体験です。

仏教には禅以外は無いんです、通仏教でいうとね。
そういうことなんです。


このお話はいったんここで終わらせて頂きますが、専門的ですの
で初めての方には難しいと思いますので、機会をみて続きを書き
たいと思います。



















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