2009/10/15
『俱舎論の改作問題』― 唯識に関連して ― 15
この話は、10月1日から始まっていますので、初めての方は 最初からお読み下さい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『俱舎論の改作問題』―唯識に関連して ― 15 ところが、この六の文章は意根を認めていないんですよね。 五と六は認めていない。 第六意根は認めていない。 第六意識は別の所依無し。 といってるんですよね。第六根は無いんだといってるんですよ。 だからそれで納得いってるんですよ衆賢は。 ところが今言う、倶舎論の三のところでは、六根というものは 認めてる。意根を認めてるわけです。 同じ一つの倶舎論の中に世親は三のような文章も書いてあるん ですよね。六根を第六意根と書いてある。ところがこの六へき たら、第六意識は別の所依無し、とこういうことをいうわけで す世親は。 で、三のほうは意にはまらんから批判した、順正理論は。然ら ばとね。 ところが、五は自分の意にはまってるから批判してないわけで す。それはそうだけど、同じ根を説きながら、第六意根の話し を説きながら、倶舎論で、ですよ、世親がこれまだ別の論書だ ったら、またということも言うていえなくはないけれども、一 つの倶舎論という一冊の本の中に世親が、一方では第六意根を 認め、一方では第六意根を否定すると、こんなバカなことはな いですね。矛盾ですね。 だからこれも最前の一と二の例と同じように、これはおかしい と、同じ世親が言うていることに一方では意根を認めてるのに 一方では認めていない。これはおかしいと。こういう疑問を感 じているわけです。 この倶舎論を批判した順正理論があるわけですが、納得のいく 部分はただ書き写すだけで批判しない、とこう言ってるが、和 尚さんは、これは倶舎論の部分を順正理論の中へ引いたように なっているが、逆に順正理論のこの部分を倶舎論の中へ入れた んではないかと、誰かがね。つまりその改作者は誰が改作した かわかりませんが、改作者は順正理論と同じ考えを持った人だ と思うのです。意根を認めない人なんですよね。だからその順 正理論の中にある文章を倶舎論の中へ入れた。そうすると、上 っ面はすらーっと読んでいたらこれも世親の説だと思ってしま う。 七、若し経主の言にして理、教に順わば則ち印述し、非を求めず。 ― 蔵顕宗論 ― ということの文章を、改作者は利用したのではないかと思うの です。 この文章があるが為に、逆に順正理論の中から倶舎論へ入れて も順正理論の中ではこれを批判してないんだから。あたかも倶 舎論の理論を順正理論へ引き抜いて、そして批判してないよう な書き方をしているように、順正理論だけを見たらそういう気 になってくる。 続く。。。


