2009/10/13
『俱舎論の改作問題』― 唯識に関連して ― 13
この話は、10月1日から始まっていますので、初めての方は 最初からお読み下さい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『俱舎論の改作問題』―唯識に関連して ― 13 十二、「是の如き六識は幾くの縁より生ずる所なりや。増上と所縁 と等無間縁となり。」(正) ― 摂大乗論 ― これは文章の中途ですが、自問自答の形で説明をしているんですね。 増上と省略してありますが、増上縁のことですね。所縁も所縁縁の ことです。そして等無間縁と、この三つが揃って識というものは六 識というものが起こるんだと。こういう規定があるんです。摂大乗 論の中で無寂がそう言ってるんです。 識が起こるのは増上縁と所縁縁と等無間縁と、この三つが働かなけれ ば、識というものは起こってこない。新しい識は起こり得ない。 だから先ほどの、六識の無間に滅したものを所依とすると言うんでし ょ、増上縁とすると。名前だけは所縁だけれども、それは等無間縁そ のもので、増上縁は事実では無いということになってるんですよね。 等無間縁を増上縁だと言ってるんですから増上縁じゃなくなってしまっ てる。そういうような説明の仕方をしているわけですね。それはおか しいですね。 この扶塵根だけ知って、勝義根を知っていない。これはもう仏教の教学 から言うと根本的な誤りですね。そこの経緯が分かっていない。 そこで、それが倶舎論にも同じような文章が出てくるのですが、それが 今の倶舎論の文章ですが、誤りですよね。 六、即ち六識身の無間に滅するに由りて意と為す。 論じて曰く、即ち六識身、無間に滅已りて能く後識を生ずるが故に意界 と名く。時分異るが故に別立するも失なし。猶し子果を立てて、父種と 為すが如し。――― 論じて曰く、五識身の如きは別に眼等の五界ありて依と為るも、第六意 識は別の所依なし。所縁を離れて識の起る義なき如く、依を離れても亦 識生ずることを得ず。此の依を成ぜんが為の故に意界を説く。 ― 順正理論 ― この終わりの句は多少違いますが、意味は同じことですよね。 「時分異るが故に」というのは、これは余分な言葉ですけれども。ほとん ど同じことを言ってるんですね。 「所縁を離れて識の起る義なき如く、依を離れても亦識生ずることを得ず。」 と、この部分は倶舎論には無い。 無いけれども、次はまたあるんですね「此の依を成ぜんが為の故に意界を説 く。」 と。これは内容としては同じことをいってるんです。こういうことが順正理 論の中に出てくるんです。 続く。。。


