こころ生きいき!  RSSを登録する

仏教とは何? 仏様とは? 私たちが死んだら何処へ行くの? など、分からないことがいっぱいありますね。私が過去数十年の間に聞かせて戴いた和尚さんの法話の中から分かり易いお話を配信しています。

  • 発行周期 不定期
  • 最新号 2009/11/17
  • 部数 132部
  • メルマガID 0000173374
  • 個別ページ
最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
2009/10/11

『俱舎論の改作問題』― 唯識に関連して ―  11




この話は、10月1日から始まっていますので、初めての方は
最初からお読み下さい。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 




『俱舎論の改作問題』―唯識に関連して ―   11








ところが本来の意根は、三番のところで言ってる意根というものは、
そういう等無間縁ではない、増上縁ですから。増上縁というのは、現
在存在してるんですから。等無間縁はもう過去になってる。そういう
違いが、三番と五番に既に出てくるわけです。

それは、「即ち余の父と名くる如く、又此れ果なれども余の種を名く
る如し。―――」というのは、種が実って花が咲いて次の種が出来る。

その種がまた実って次の種を作ると、こういうふうになりますね、人
間でもなんでもね。人間でいうと、子が出来て子が親になりまた子が
出来ると、こうなってる。そういう説明をしているんですね。

だから等無間縁というのは前にあったけれども消えた。消えて次のも
のが生まれてると。そういう説明をしてるんですね。

「論じて曰く、五識身の如きは別に眼等の五界ありて依と為るも、第
六意識は別の所依無し。此の依を成ぜんが為の故に意界を説く。(誤
)」

五界というのは、これは増上縁のことですが、これも略された言葉で
所依止(しょえじ)。これに対しまして能依止。所依止というたらも
っとも丁寧ですが、所依ということもある。それから依止というよう
な言い方もある。それから単にここにあるように、依と言われること
もある。これもインドというところは略するのが習慣らしいのです。
それがひとつの問題になってると思うのですが。

依というのは、支える。大地が種を支えて成長させていく。育てていく。
そういうふうな働きを依というのです。だから依というのは即ち増上縁
になりますね。

だから、「眼等の五根があって増上縁と為る」。と言い換えてもいいわ
けです。


「第六意識は別の所依なし」と。第六意識は増上縁にならんと。過去へ
消えるんだと。
この依を成立させるにあたるが故に意根というものを説くんだと、お釈
迦様が六根、六識、六境と。六根ということをお説きになってあるのだ
から。
六根が無いんだというたらお釈迦様の説明に背くことになりますから、
なんとか根を成立させる説明をせないかん。然しながら事実に六根とい
うものは無いんだと。無いでは困るからどうするかというと、前の消え
た識を根にするわけですね。そこでその扶塵根、勝義根という問題が出
てくるわけなんですね、根というものを理解するためには。

扶塵根(ぶぢんこん)。それに対して勝義根(しょうぎこん)。
この二種の根が經典に説かれてるんです。








続く。。。




最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る