2009/10/10
『俱舎論の改作問題』― 唯識に関連して ― 10
この話は、10月1日から始まっていますので、初めての方は 最初からお読み下さい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『俱舎論の改作問題』―唯識に関連して ― 10 そういうふうに新しく現れた対象を捕らえるためには、前に捕ら えてる心が消えなければ、完全に消えてしまわなければ確実な認 識にはならない。その消えるということは次に現れる条件になる わけです。それを増上縁に対して等無間縁(とうむけんねん)と 言うのですが、この辺が難しいのです。 等無間縁の一つの識が消えなければ次の識が出てこない。その消 えた識を次に現れた識の等無間縁の役割をしている。こういうこ とです。 例えば、椅子に腰をかけますね、そして何方かが、その椅子に腰 をかけようと思うたら、私が椅子に座ってる間は絶対に腰をかけ ることが出来ないですね。腰をかけようと思うたら私が椅子をの かなければならない。のいたら次の人は誰でもその椅子に腰を掛 けられますね。 そのときに私は、次に座る人の等無間縁になるわけです。そうい う関係を等無間縁といいます。次の人に代わる。座っている間は 現在ですよね、現在椅子に座っている。私がのいて次の人がここ へ座った。 其の人は現在その椅子に座ってる。私は過去に座っていたけれど もそのひとは現在座っている。だから等無間縁は過去になってい る。 次に新しい現在が現れる。その現在が次の人に代わると過去にな る。 そういうふうに現在から過去に代わって行くのを「落謝」(らく しゃ)という。現在から過去へ、現在から過去へと移っていくの を落謝といいます。 だから等無間縁はこの落謝の働きをしているわけですね。 「六識身の無間に滅するに由りて意と為す」。というのがあって、 これは説明をするのが非常に困難であって後でしますが、次に、 「論じて曰く、即ち六識身、無間に滅し已りて能く後識を生ずる」 と。 過去へ落謝して次の識が起こってくる。現在の六識が過去になって しまって、未来の六識が現在になってくるということですね。未来 が現在になり現在が過去になる。だから未来はおいといて、現在の ために今の現在は過去に移っていかんとね。これが等無間縁。どの 識もどの識もこういう働きをしているんです。どれも次から次から と落謝しながら代わって行くんですね。仏教ではそういう説明をす るのです。 ところが、ここでは現在があったらもう次の識のために場を譲って 過去に消えていくと。つまり等無間縁。その識を意根ととってるん です。 意根というのは等無間縁で過去へ消えたものを仮に意根と名付けよ うとしているんですこれは。これはおかしいのです。過去に消えた らもう現在は無いんです。 続く。。


