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仏教とは何? 仏様とは? 私たちが死んだら何処へ行くの? など、分からないことがいっぱいありますね。私が過去数十年の間に聞かせて戴いた和尚さんの法話の中から分かり易いお話を配信しています。

  • 発行周期 不定期
  • 最新号 2009/11/17
  • 部数 137部
  • メルマガID 0000173374
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2009/01/11

『般若心経(3)』  11

この話は、1月1日から始まっていますので、初めての方は
最初からお読み下さい。



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『般若心経(3)』    11







このへんがちょっと説くのが難しいのですが、空と無は違うんです。
「言亡慶絶」といって、言葉で言う事もできないし思慮分別で現すこともどうすること
もできないという境地があるのです。それを説明するのはできないのです。


如来様じゃないから真如の体験をしたことがないので想像するしかないのですが、こう
いう雰囲気である体験を足場にしてこれはこうだなと、こうなったらこうだなと、お経
にはこう説いてあるから、そうするとこれを進めていったらこういう境地になるのだな
と推測していくわけなんです。

科学もそうでしょ。ひとつの体験を基礎にして理論を編み出して、こうだったらこうな
ると、これができるのだったら、こうもなるだろうというふうに理論を推し進めていっ
て、原爆なんか作ったんでしょ。月のこともそうですしね。


だから悟りの境地もそうなんです。ちょっと入り口が体験できたら、これがこうなら次
はこうだろうと、幸い論書にはこういうことがでてきてたと、これをもう一歩進んだら
こういうことがわかるだろうと推測できるわけです。


ところが全然体験を持たない人にそれを説明するのが困るわけですね。
だから、禅宗の本当に悟った坊さんの問答は、わけが分からないというのはそういうこ
とです。



例えば、「日出でて樹に影無し」。普通だと日が出たら樹に影が出る。ところが日が出
ても樹に影が出ないというのは、これは三昧の境地をいうのですね。


禅定三昧に入って、あの世のことを言ってるわけなんです。
三昧を体験した人が言うことなんですね。


それから「鼓を打って声を聞かず」太鼓を叩いてるのにちっとも音がしないというので
す。「橋流れて水流れず」とかね。

これは禅定三昧の空の世界では、ちっとも不思議じゃないのです。これは禅定三昧を体
験した人なら、ああ、あそこへいってるんだなと分かるわけです。


その空というのは、単なる無ではなくて、有と無の中間ですね。有でもない、無でもな
い。有に非ず無に非ず。

だから有に対しては無なんですね。無に対したら有。だから空とはどういうことですか
というと、たとえば無と答えたとします。では単なる無ですかというと、無ではない有
なんだと。

だから有に対したら無なんだけど、無に対したら有なんだと、こういうのが空なんだと
いうことです。有に非ず無に非ず。だから有に対したら無と言うしかないのですね。



兎に角、禅定の世界には我々の知らないそういう世界があるんだということを信じて頂
きたい。

それを体験しようと思うなら禅定に入ってそういう境地を開く。というよりしようがな
いですね。

般若心経はそういう世界を説いたお経であって、けっして肉体とか物質を分析している
ようなものを説いているんじゃないんだということです。
















 
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