2009/01/09
『般若心経(3)』 9
この話は、1月1日から始まっていますので、初めての方は 最初からお読み下さい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『般若心経(3)』 9 だから般若心経の色は、色に非れども色に似たり、外に非ざれども外に似たり。 と、色に似た色を説いているのです。つまり精神から現れている色。唯識から現れてる 色形。 我々の心はそういう摩訶不思議なものだと、そういうのを悟るのを悟りというのです。 今の禅宗の坊さんがいう悟りと大分違いますね。 「法を観雑するを智と為す」と、法を観雑するこういうのを般若というのです。 如何が菩提、悟りですね。般若は即、悟りですからね。如何が菩提となれば、実の如く 自身を知る。心にはこういう分野があったんだなと。 知性とか理性とか感情とかそういうその無形のというか、抽象的なね。そういう働きば かりが我々は心だと言うてるわけです。 ところがあにはからんや、そういう無形の面もそうだけれども、有形の面があるという ことです。そういうものが現れてくる。消えたり現れたりする。 我々の客観世界だったら現れたらそれはもうつぶさないと無くなりませんね、家でもな んでもね。ところが禅定の世界では現れたり消えたりする。禅定から戻ったらもう消え てしまうんです。 「若存若亡」若しくは存在し、若しくは消えていくという意味です。 こういう世界が無数にあるわけで、深般若波羅蜜多に行くまでに無数にあるわけです。 然し、これに囚われてしまって執着すると、こんどはそれが煩悩になってしまうので す。 「三界唯一心 心外無別法」こういうお経があります。三界は、唯一つの心にある。 ひとつの心から現れてくるのだということです。地獄も餓鬼も、欲界も色界も無色界も ね。 この人間界は別ですがあの世にも三界があるのですからね。人間界もあれば畜生界もあ の世にもある。 このお経はあの世の三界ですね、物質を除いた三界です。それは全て一つの心から現れ てるんだと。心の外に別の法無しということです。これは華厳経というお経の文句で す。 だから外の法は問題じゃないんです仏教では。物質なんか、どうしたってこうしたって そんなものは悟りには関係無いんです。問題は心の中なんです。問答も心中だし、悟り も心の中なんですから、その心の中を整理しないと仏教を修行したということにはなら んのです。 こうしたお経の文句、論書の文句全て色というものは、物質も含まれるものもあるけれ ども、精神の心の世界にも色相というものはあるんだと。それはもう禅定に入らないと 体験できない。 ところが、心の世界は色も形があるので、色形ばかりだと思うてたらそうじゃない。 それが現れたり消えたりする、それが空の意味なんですよね。この現実の世界では物質 は消えたり現れたりということはしませんが、禅定の世界には、例えば目の前に机が現 れる。それがどうかの場合にその机がぱたっと消えてしまう。出たり入ったり出たり入 ったりする。消えてしまうということはそれは何も無い空だから消えるんです。 続く


