2009/01/08
『般若心経(3)』 8
この話は、1月1日から始まっていますので、初めての方は 最初からお読み下さい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『般若心経(3)』 8 我々のこの世は、日本の国土も家も生まれる先からあるわけでしょ。客観的にはね。 ところが法界では、外のものは自分の心から出てくるわけです。「色等の相分は識より 生ず」ということです。色というのは、心と同じなんだという文句ですね。 般若心経は、この色というのが、般若心経に説いてる色というのが理解できたら般若心 経が分かってくるということです。 つまり物質ではないんだ。あくまでも物質じゃないんだと、禅定の世界に現れる色なん だと、それを言ってるんだということです。 物質だけが問題なら生きた人間だけの話でしょ。死んだ衆生はどうなるの。と、なって きますね。 だから色を物質だと解釈している人は死んだら終いだと思ってるからそういう解釈をす るんだと思うのです。 「或は色法にして色の名有りと雖体は非色なるもの有り」 色というけれども、色という名は有るけれども色とは精神ですから、実態は霊魂なん だ、物質じゃない、そういう色も有るということです。 だからお経とか諭書にあるように法と言ってもいいし、色といってもこの色は物質とし てとる色もありますが、ここでいう色というのは、物質である色を言ってるのか、非色 が体であるところの色をいってるのか、これを読み分けをしないと、前提が間違ってく ると全部が間違ってくる。 般若心経に説いてる色というのは、非色をいうわけです。肉体じゃないということを強 調しているわけです。 これは、大毘婆沙論という論書があるのですが、大勢の阿羅漢が集まって、集めた論書 なんですが、その中の一説をご紹介しました。 「色に非ずれども色に似たり、外に非ざれども外に似たり」これはつまり禅定三昧に入 って目の前に色や形のものが出てくる。それが能かもこの現実のものと変わらない。 現実のものじゃないのだろうかと思うほどの色相が現れるという、そういうことがある んですね。それは色から対非色なんですね。精神から出てきている色で、物質じゃない んです。 ところが物質に似ている。本来の物質じゃないんだけれども非常に物質に似ている。 この禅定三昧の境地があたかも、この現実の、例えば禅定に入ったとしますと、この部 屋とそっくりな部屋が禅定の世界に現れるとします。そうしますと、そこに現れている その部屋は自分が今まで居た部屋なのか禅定三昧の部屋だろうかと、我々の肉眼で見る 世界と同じなんです。 だから「色に非れども色に似たり、外に非ざれども外に似たり。」 禅定の世界はこの現状の世界とそっくり。これは外の世界だろうか、禅定の世界と違う のだろうかと疑うくらいに似ているんですね。 続く



