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仏教とは何? 仏様とは? 私たちが死んだら何処へ行くの? など、分からないことがいっぱいありますね。私が過去数十年の間に聞かせて戴いた和尚さんの法話の中から分かり易いお話を配信しています。

  • 発行周期 不定期
  • 最新号 2009/11/09
  • 部数 131部
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2009/01/07

『般若心経(3)』  7

この話は、1月1日から始まっていますので、初めての方は
最初からお読み下さい。



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『般若心経(3)』    7










禅定の中に入って、現れるこの諸法は、意識の対象である。物質ではないんです。

「色の識を色と名付く」ということは、禅定の世界というのは心の世界ですから、心の
世界を識と言いますね、識といったり心といったりいろいろと表現は違いますが、ここ
では識といいます。心から現れてきている識(色)なんです。心から現れている色相を
識というんだといってるのです。


普通は色というと物質だけれども、心の世界もそういう色相があるんだと、その色相は
何処から出てくるんだと自分の心から出てくる。心を識といいますから。だから般若心
経のこの識も色の付いた精神ということです。対象として見えるんだから色形があるわ
けです。それを色だといってるんだと。

だから狭い意味の色というのは、精神の世界に現れる、色の対象として現れる。色とい
うと物質の色をいうのか精神の中に現れる識か分からないが、簡単にいいますと、色の
付いた識を色といってるんです。形のある識を色といってるんです。

悟りの世界というか禅定の世界はこういうふうにとる場合もあるといってるのです。
だから般若心経の色は識の色なんです。


だから般若心経の色は物質じゃなくて禅定の世界に現れてくつところの身体であり物質
的な具体的な現象。識の色なんです。それを色と簡単に言ってるんだということです。


厳密にいうと識の色なんです。そういう説明なんですね。

これは成唯識宝生論という論書です。インドの護法という人で、玄奘三蔵がインドへ行
ったときにこの人のお弟子さんに唯識を学んできたそうです。



護法の書いた論書の成唯識宝生論の中にこの「色等の事相は識の境なり。色の識を色と
名付く」と、こういう文句がある。



和尚さんはこれを読んだときになるほどと納得したそうです。
そういう色もあるんだ、物質ばかりが色とは言わないのだということです。


「色等の相分が識より生ず」。これも成唯識宝生論の一説です。
この相分というのは、相分に対して見分というのがありますね。相分、これは客体で
す。客観です。主観と客観。いろんな使い分けをしますのでややこしくなってきます
ね。



同じものを言ってるのに表現が変わってくるのは同じことを言うてたら芸が無いという
ことで言い方を変えたのか知りませんけれどもね。

だから禅定の世界に現れてくるところの色相というのは、対象は識より生ず。と、識、
精神から現れてくるのであって、外にあるのじゃないのだということです。如何にも外
にあるように見えるけれども、これは識から、つまり自分の方から現れたもの。客観は
主観から現れるのです。あの世というところはね。


心の世界があの世ですからね。死んだらもう自分の心を持って、あの世へ行くのですか
ら。自分の心がそのままあの世の世界なんです。だからあの世とこの世と逆なんです。












続く





 
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