2008/09/06
『臨終の一念』 6
この話は、9月1日から始まっていますので、初めての方は 最初からお読み下さい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『臨終の一念』 6 七、 「能く能く執心、忘念をば、わきまえて平生猶慎(へいぜいなおつつし)むべし。 況 や臨終には殊に用意有るべきものなり。 平生の心はゆるく、善悪共に勇猛なること少 なし。 臨終には執心も信心も烈しき心有りぬべし。 大論に「臨終の一念は平生百年 の業に優る」と伝えるは此の由なり。 されば能く能く臨終は心すべき事なり。」 ― 紗石集 ― これは禅宗の昔のお坊さんのあらわした書物の一説です。 執心というのは、物に対する執着ですね。物に心を奪われてしまう。 それから妄念、邪(よこしま)な心。をわきまえて、こうしたらいかん、こんなことに なったらいかんということを弁(わきま)えて、平生から慎まなければいかん。まして やその臨終がきたときには、いっそうのことである。臨終の一念があぶないのだからい っそうのことである。平生は良しにつけ悪しきにつけ、なんとなく生きていますね。 臨終には良しにつけ悪しきにつけ増上の心となって強くなってくる。100%ではありませ んが、そういうことが多いですね。 このことは、昔のお坊さんのほとんどのお坊さんがこの言葉を使った。 とにかく臨終ということを忘れたいかん。ここを正念場というのです。 今の世間の人は正念場といいますが、一番大事なときというときを正念場と使ってるの です。その正念場とは、いつかというと、臨終のときなんです。 これだけ臨終の正念場が大事なんだということが出てきますと、臨終が大事なんだとい うことを思わなければいけないですね。 兎に角、臨終には思いもよらないことが起こってくるというのです。 八、 「今の人も宿善有り心決定せば生ずべし。 但し、既に教に逢い知識にも逢い乍ら平生 の志薄く、臨終に若し苦患にも迫められ正念乱れなば三心も如何がとこそ覚ゆれ。 下 品下生の人は始めて逢い、勇猛なれば罪障も滅し日輪の迎いにも預かれり。 今の人は 逢い乍ら其の志薄からんは習い先よりおろそかなり。 臨終に初めて識有らん事極めて 希なり。 人の病重く正念乱れ臨終になりては日頃より仕なれ、思いなれ心にそみたる 事必ず現るものなり。」 ― 紗石集 ― 現在の人も、「今の人も宿善有り心決定せば生ずべし」というのだから、往生できるだ ろうというのですね。 宿善もあるし、それから決定の信心もある、ならば極楽往生できるであろうということ ですね。


