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仏教とは何? 仏様とは? 私たちが死んだら何処へ行くの? など、分からないことがいっぱいありますね。私が過去数十年の間に聞かせて戴いた和尚さんの法話の中から分かり易いお話を配信しています。

  • 発行周期 不定期
  • 最新号 2009/11/17
  • 部数 137部
  • メルマガID 0000173374
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2008/09/04

『臨終の一念』  4

この話は、9月1日から始まっていますので、初めての方は
最初からお読み下さい。



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『臨終の一念』    4







「精勤習心の者は終時悔恨無し」
一所懸命に努力して仏道に精進をする人は、臨終のときに後悔することはない。


「心意既に専ら至らば錯乱の念有る事無し。」
常に仏道に志す。或は人道に志すという善いほうへ善いほうへと心が精進する。
そういう人は死ぬときがきても錯乱が起こらない


「習心専至ならざる者は臨終に必ず散乱す」
一所懸命にならない者は、健康なときは浮かれてしまった人は臨終のときに心が散乱す
る。散ってしまって統一ができない。錯乱状態になってくるわけですね。





五、
「水火に入る苦みなのめならず。 其の志深からずば如何が堪え忍ばん。 苦患あれば
又心安すからず。 仏の助けよりほかには正念ならんこと極めて難し。」

                                ― 発心集 ―




なのめならず、というのは並々ではないという古い言葉です。
水火の苦しみとは並々ではない、大変な苦しみだということです。


「其の志深からずば如何が堪え忍ばん」その水火の苦しみをちゃんと理解できてた場合
ですね。
例えば、自分の身体に油をかけて燃やして死んでいきますね、その人にとってはひとつ
の信念に燃えてますから。

わかりやすくいえばそういう状態ですね。そういうふうに信念が深ければ耐え忍ぶこと
ができるが、ちょっとのことじゃ水火の苦しみとは、耐えられることじゃない。



「苦患あれば又心安すからず。」
それに付随した精神の錯乱とか、顛倒とか、そういう心理状態になってくるということ
です。

だからそういうことになってくるから、仏様のお助けによって正念にしてもらうわけで
す。私たちはいまのこの状態は失念、錯乱していないから正念ですね。

ところが臨終のときに必ずしも正念にいけるだろうな、と平素は思うているけれども、
そうはいかない。その苦しみによっては顛倒、錯乱、失念になってくる。心識混迷する
というそういう状態を迎えることになるから、そういうことにならないように日頃から
仏様のお助けを求めていかなければ、いざそのときに正念にはならないということで
す。



これは発心集という書物を書いた鴨長明ですが、あの方は詩人で有名ですが、浄土に非
常に帰依した方で、歌よりも西方浄土を願った人なんですね。そのために隠遁した人で
す。ここにご紹介をしましたのは、その発心集のなかの一説です。



先ほどの正念といいますのは、顛倒、錯乱、失念ということに対して、正念というので
す。そういう状態にならないことを、正念というのです。


従いまして、臨終の一念は平生百年の業に勝ると、この言葉を頼りにしているわけで
す。
臨終のときに正念にならなければ、後生の用意ができない。平生、悪行をしていても、
臨終の一念でもって極楽往生できるのです。臨終の一念を確かなものにしようと思え
ば、そのまえに正念でなければならないのです。



















 
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