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仏教とは何? 仏様とは? 私たちが死んだら何処へ行くの? など、分からないことがいっぱいありますね。私が過去数十年の間に聞かせて戴いた和尚さんの法話の中から分かり易いお話を配信しています。

  • 発行周期 不定期
  • 最新号 2009/11/10
  • 部数 131部
  • メルマガID 0000173374
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2008/09/02

『臨終の一念』  2

この話は、9月1日から始まっていますので、初めての方は
最初からお読み下さい。



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『臨終の一念』    2






二、
「対名將(だいみょうまさ)に終わらんとして悔懼交々(くげこもごも)至る。 
あらかじめ善を修せずして極めるに臨みてまさに悔ゆるとも何ぞまさに及ばんや。」


                             ― 無量寿経 ―



「対名將(だいみょうまさ)に終わらんとして悔懼交々(くげこもごも)至る。」と
は、今これから死んで行くということに追い込まれたときに、いろんな後悔や懼(おそ
れ)が交互にあれも起こりこれも起こり、いろんなことが起こってくる。


「あらかじめ善を修せずして極めるに臨みてまさに悔ゆるとも何ぞまさに及ばんや。」

今までになにも善いことをしていない。後生というのも考えずに、この世はこれで終わ
りだというふうなことだけしか考えていないんですね。そして命が終わるとき、つまり
臨終を迎えるときに、そのときになって後悔しても遅い。


所謂これを「宿善」といいますが、宿とは先の世、前世のことです。前世の積んだ功徳
ですね。
所謂これが我々のこの世の運命ですね。宿善によって仏縁にも出遭える。宿善にも深い
浅いがございますがね。兎に角、仏法だけではなくて、日常のことの致すところという
ことですが、宿善があればよろしいのですが、宿善が何も無いということになると、死
が近付くと顛倒、錯乱が起こってくるわけです。と、お経には説いてあるわけなんで
す。



それからもうひとつ、これは他のお経から見つけた言葉なんですが、「閻浮提の衆生、
命終のときに臨んで神識昏昧」閻浮提というのは、この現在の地球です。この神識とい
うのは、心のことです。

我々の心ですが、仏教というのはひとつのことをいろんな表現をする場合があるのでで
すが、我々の霊魂のことです。それが昏昧、昏睡状態になってくるというのですね。

精神朦朧としてくる。つまり我々人間は、臨終のときになって神識昏昧になる。

そしてそのときになったら、なにが善いことでなにが悪いと言うことがわからない。

そうすると、枕元に善知識が居て諭したってこれはわからないわけです。悔いる事さえ
わからんということも、あるということです。




三、
「一切衆生臨終の時、刀風形を裂き死苦来たりしめ大恐畏を生ず。――― 又若し人、
臨終の時一念の邪見を生ずれば増上の悪心なるをもて即ち能く三界の福を傾けて即ち悪
道に入るなり。」



「一切衆生臨終の時、刀風形を裂き」
これは以前にも申したとうり、死ぬときに肉体と霊魂を刀で切り離される。心識が、肉
体からはなれていく。
そのときに肉体から離れるときにもの凄く痛い。

能かも刀でもって、魚やさんを見てたら魚を料理するときに骨の間を包丁でそいでいき
ますね、ああいうことですね。

それを風であるけど、まるで刀のような風で我々の精神と肉体とを切り離す。

そのときの痛みですが、その痛みは人によっては断末魔ということになるわけです。

が、これは人事ではないですね。


和尚さんは聞いたことがあるそうですが、それは大きな声を出すそうです。

今死んでいくという人が、うあああ・・・といって、大きな声を出すから何事かと思っ
て隣の部屋からとんでくるというのです。



「死苦来たりしめ大恐畏を生ず」
死の苦しみが襲ってきて大きな恐怖が起こってくる。













 
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