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仏教とは何? 仏様とは? 私たちが死んだら何処へ行くの? など、分からないことがいっぱいありますね。私が過去数十年の間に聞かせて戴いた和尚さんの法話の中から分かり易いお話を配信しています。

  • 周期 不定期
  • 最新号 2008/09/10
  • 発行部数 158
  • マガジンID 0000173374
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2008/03/11

『高僧の言葉』  11

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この話は、3月1日から始まっていますので、初めての方は
最初からお読み下さい。



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『高僧の言葉』   11






因果の道理ということがこの世になかったら、諸仏は衆生済度のために仏法を説きにこ
の世に出てくる必要がないというのです。

因果の道理というものがあるから、それを知らせるために仏様は出てくる。


「祖師西来」というのは、達磨さんのことです。中国で一番禅の始まりは達磨さんから
始まってますので、達磨さんのことを祖師というのです。

西来というのは、インドからわざわざ中国へ法を説きに来たのです。

観光で遊びにきたんじゃないわけです。

なんのために来たのかというと、仏法を広めるために来たのです。衆生を済度するため
に来たのです。


因果の道理というものがなければ仏様の出世もなければ祖師の西来もないんだというこ
とです。


「澆季」というのは、末法のことです。

「澆季(ぎょうき)の学者は薄福にして」、末法の学者は法に縁が薄い。


無門関という書物が禅宗にあるのですが、あれを見ますと、ちょっとこれに背くような
ことが出てきますね。

野狐の公案というのがあるのですが、これは以前にもお話をしましたが、ある弟子さん
が、因果の道理というのがあるならば、まだ修行の足りていない一般の凡夫には通じて
も、いったん悟りを開いたら通じないのと違いますかと。

つまり悟ったら、物をとっても人を殺しても因果の道理に落ちないのとちがいますか、
どうですか落ちるのですかと聞いたんですね。


そうするとその坊さんは、因果に落ちんと答えたんです。

悟ってたらもう大丈夫だと。

落ちるというのはそれは凡夫のことだと。

悟りを開いてしまったらもう因果を超越してしまうんだと。こう答えたんです。



そうしてその師匠さんが死んだら、狐に生まれ変わったんです。

畜生道に落ちてしまったんです。

自分ではそう信じてたけど、嘘を教えたんですよね。本人もそうだし、多くの弟子を惑
わした。その報いによって畜生道、つまり狐に生まれたというそういう公案があるので
す。


その無門という人が、それはどっちでもいいと、不落不昧。不落因果不昧と。

因果に落ちず、因果を昧さずと、このふたつの説き方があって。

百丈という和尚さんは、不昧因果といいましたね、因果を昧したらいかんと。

悟っておろうが、迷っておろうが因果の道理は歴然として私無しと。

この百丈という和尚さんは、大勢の前で説法をしてたら何処からともなく一人の老人が
現れて、説法を一所懸命に聞いているんですね。

見慣れない老人だなあと、いつも思うてたんですね。

そして一番最後の日に皆が去ったあとへここへ来て、じつは私は前世にこの山へ住んで
いた僧侶です。

そのときに弟子からそういう質問をされたんです。

悟ったらもう因果の道理に落ちますか、落ちませんかと。

そのとき私は因果に落ちると答えたんです。悟ったらもう因果に落ちないと。

ところがそれが間違っていました。

それでなんとかして元の人間に生まれ変わりたいのです。













続く。。

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