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2008/10/22

【お城ファン倶楽部 No.152】日本100名城(その24)岐阜城

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【お城ファン倶楽部 No.152】日本100名城(その24)岐阜城
                              2008/10/22(Wed)
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 石川県の次は福井県で、丸岡城と一乗谷城(一乗谷朝倉氏遺跡)が選定されている。
いずれもすでに取り上げているので、今回は岐阜県となる。岐阜県では岩村城と岐阜
城の二城が選定されているが、岩村城もすでに取り上げたので岐阜城を紹介する。
 岐阜城は木下藤吉郎が攻めたことや織田信長が居城としたことで知られ、現在は麓
で信長居館跡の発掘調査積極的に進められ、その成果が期待されている。岐阜城は金
華山山頂にある壮大な山城であるが、現在はロープウェイで登ることが出来、山頂に
は模擬天守も作られているので完全な観光地となっている。

▼丸岡城(No.007:2005/10/05)については、下記をご覧下さい。
 http://archive.mag2.com/0000168576/20051005030000000.html?start=140

▼一乗谷朝倉氏遺跡(No.061:2006/10/18)については、下記をご覧下さい。
 http://archive.mag2.com/0000168576/20061018030000000.html?start=80

▼岩村城(No.042:2006/06/07)については、下記をご覧下さい。
 http://archive.mag2.com/0000168576/20060607030000000.html?start=100

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岐阜城
  所 在 地:岐阜県岐阜市金華山天守閣18
  史跡区分:岐阜市指定史跡
  入 場 料:模擬天守を除いて、すべて無料である。
       模擬天守は年中無休で、入場料は岐阜城資料館と共通で200円である。
       開館時間などの詳細は、下記サイトをご覧下さい。
       http://www.kinkazan.co.jp/0000.htm
  交通機関:車の場合は、東海北陸自動車道の岐阜各務原ICで下りる。ICを左
       に出て、国道21号線で岐阜方面に向かう。 2.5kmほど先の岐南ICを
       右折して国道156号線を北に向かい、4kmほど先の北一色一丁目交差点
       を左折して国道248号線を西に行く。2kmあまり先の神田町5丁目交差
       点を右折して、国道256号線を北に進む。道なりに2.5kmほど行くと、
       右手一帯が岐阜城のある岐阜公園である。少し先に岐阜公園堤外駐車
       場(1回300円)があるので、そこを利用する。山頂へは、金華山ロープ
       ウェイを利用する。約3分の乗車で、料金は片道600円、往復1,050円
       である。運行時間などの詳細は、下記公式サイトをご覧下さい。
       http://www.kinkazan.co.jp/0000.htm
       公共交通機関の場合は、JR東海道本線岐阜駅または名鉄名古屋本線
       新岐阜駅を利用する。いずれの駅からも行先番号N32〜N86の岐阜公園
       ・高富方面行きまたは市内ループ左回りのバスに乗り、約15分の岐阜
       公園・歴史博物館前で下車する。料金は、200円である。
 http://www.city.gifu.gifu.jp/kankou/rekishi_01.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/gifu.htm
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/toukai/gifu/gifu.htm
 http://kakutei.cside.com/photo/gifu.htm
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/gihu/gihusi.htm
──────────────────────────────────────


◆鎌倉時代初めに二階堂行政によって築城され、戦国期に斎藤道三が大改修

 岐阜市内でひときわ目立つのが金華山で、鎌倉時代初めの建仁元年(1201)に幕府の
別当を勤めた二階堂行政によって初めて城が築かれたという。娘婿である佐藤朝光が
あとを継ぎ、次いで子の伊賀光宗が城主となっている。さらに、その弟の光資が稲葉
氏と改称するとともに、稲葉山城と称した。続いて稲葉光房があとを継ぎ、二階堂行
政から数えて3代目となる二階堂行藤が13世紀中頃に城主となったが、のちに廃城と
なっている。

 室町時代となると、美濃守護であった土岐氏の守護代で斎藤利永が応永19年(1412)
頃に稲葉山城を修築して入ったという。また利永は、文安2年(1445)に加納城も築城
したといわれる。しかしながら、守護である土岐氏をも巻き込んだ同族争いにより、
斎藤氏は次第に勢力を失っていく。

 戦国時代となると司馬遼太郎氏の「国盗り物語」でも知られる斎藤利政(道三)が、
僧侶、油売りから身を起こし、ついに美濃一国を手に入れる。北条早雲とともに、下
克上により戦国大名となった典型である。ただ、最近の研究により、美濃一国を手に
したのは利政一代ではなく、その父長井新左衛門尉からの二代にわたるもののようで
ある。天文7年(1538)に守護代斎藤利良が亡くなると、その名跡を継いで斎藤新九郎
利政と称した。さらにその翌年には、稲葉山城の大修築を行って入城している。利政
は当時井ノ口と呼ばれた岐阜に、城下町も整備している。

 天文23年(1554)に斎藤利政は家督を子の義龍へ譲り、道三と号して鷺山城に隠居し
た。しかし、義龍よりもその弟たちに愛情を注いだ道三との間は次第に不仲となり、
弘治元年(1555)に義龍は弟たちを毒殺して道三に対して挙兵する。義龍の兵力の方が
圧倒的で、娘婿となった織田信長が援軍を出したが間に合わず、長良川の戦いで戦死
する。

 道三の時代には戦いが続いて国内は疲弊していたが、義龍は土岐氏時代の体制をう
まく利用しながら戦国大名斎藤氏の礎を作っている。また、美濃進出を狙った織田信
長の再三にわたる侵攻も、退けている。義龍は13代将軍足利義輝からもその実力を評
価され、幕府相伴衆にも任じられている。永禄4年(1561)に35歳という若さで急死す
ると、子の龍興があとを継いだ。


◆美濃を奪った織田信長が大改修を行い、現在残る姿に

 父義龍とは異なり、龍興はあまり出来が良くなかったようで、家臣の信望を失って
いく。このため、再び信長の侵攻を受けることとなったが、何とか凌いでいた。こう
した戦いで有力家臣を失うこととなったが、行状が改まることはなかった。不信感を
募らせた西美濃三人衆の一人安藤守就や竹中重治らは、永禄7年(1564)に稲葉山城を
乗っ取って龍興を追放する。このときはすぐに城は開放されたために、龍興は美濃の
領主として復帰している。

 このように次第に弱体化していく斎藤氏に対して、織田信長は有力家臣の取り込み
を始める。永禄10年(1567)には西美濃三人衆の稲葉一鉄、氏家卜全、安藤守就らがつ
いに信長方につき、また有力な後ろ盾であった長井道利(龍興の大叔父)も亡くなって
しまう。この年、木下藤吉郎などの活躍により、ついに稲葉山城は落城し、龍興は伊
勢長島に逃亡する。

 美濃を手に入れた信長は、稲葉山城を大改修して岐阜城と改める。現在残る岐阜城
の誕生である。このときに信長はフロイスの日本史にも書かれているように、麓に壮
大な居館を築いている。最近の発掘調査により次第にその全貌が明らかになりつつあ
るが、これについては後述する。天正4年(1576)に信長は安土城を築城して移ると、
嫡男信忠に岐阜城を譲った。天正10年(1582)に本能寺の変で信長と信忠が斃れると、
三男の信孝が伊勢神戸城から入る。翌年柴田勝家とともに秀吉に対して挙兵するが、
秀吉に攻められて開城する。

 翌天正11年(1583)に池田恒興の長男元助が城主となるが、翌年の長久手の戦いで戦
死する。次いで恒興の次男輝政が大垣城から入ったが、同18年(1590)に三河吉田城に
移った。そのあとに入ったのは秀吉の養子となっていた羽柴秀勝であるが、翌年には
肥前名護屋出陣中に病没する。文禄元年(1592)に信長の嫡孫である織田秀信が、秀吉
から美濃13万石を与えられて城主となった。秀信は関ヶ原の戦いでは西軍につき、最
後は岐阜城に籠城したが、池田輝政の説得により降伏・開城している。関ヶ原の戦い
の翌慶長6年(1601)には徳川家康の命により廃城となり、美濃10万石を与えられた奥
平信昌は加納城を築城して、以後は加納城が中心となる。この加納城築城に際して、
山頂にあった天守や櫓などを移したといわれる。これらの建物は、享保13年(1728)に
落雷によって焼失してしまった。

 明治43年(1910)に、おそらく日本で初めてと思われる模擬天守が造られた。岐阜市
保勝会と岐阜建築業協会などが中心となって、初代長良橋の廃材を利用して木造・ト
タン葺きの3層3階であった。しかし昭和18年(1943)に、失火のために焼失してしま
った。戦後の昭和30年(1955)から、再び模擬天守建設が進められた。加納城御三階櫓
の図面や古文書などを参考に、城戸名古屋工大名誉教授が設計して、翌年に鉄筋コン
クリートで3層4階のものが完成した。この模擬天守建設に際しては、天守台内部に
大がかりな補強が行われている。さらに昭和50年(1975)には岐阜城資料館となる隅櫓
が、彦根城を参考にして建てられている。


◆上格子門、七間櫓や二の丸門跡などに織田時代の石垣が残る

 岐阜城のある金華山は標高329mで、比高も300mあまりある急峻な山城である。現
在はロープウェイで山頂近くまで登ることが出来るので、手軽に行くことが出来る。
しかしながら、この山城の壮大さを実感するには、やはり一度は歩いて登って欲しい
ものである。登山道はいくつかあるが、岐阜公園南の禅林時からの百曲り登山道、公
園北の伊奈波神社跡(丸山砦跡)からの馬の背登山道あるいは瞑想の小道(水手道)が一
般的である。なお、大手道は南側の尾根伝いに登る七曲り登山道である。ロープウェ
イが開通するまでは、やはりこちらがメインルートであった。

 実際に登ってみると分かるが、かなり急な山であまり広い曲輪を設けることは出来
ない。そのために、山頂部を中心に多くの小さな曲輪を配して、金華山全体を要塞化
していると考えられる。北には大きな長良川が流れて水運を担うこととなるが、ここ
を見張るには絶好の位置である。またこの長良川が外堀の役割を果たし、南側の尾根
続きを除くと非常に急峻で、守りやすく攻めにくい山城の典型と言える。

 ロープウェイを利用すると、長良川や岐阜市街の景色を楽しみながら、わずか3分
で山頂駅に到着する。なお、百曲り登山道を上ると、この山頂駅に出る。ロープウェ
イの駅近くには展望台があるので、まずはここで岐阜市街や長良川などの景色を楽し
みたい。この先には天下第一の門と名付けられた冠木門があるが、もちろん模擬であ
る。この辺り一帯が三の丸で、少し先には上格子門があった。関ヶ原の戦いで西軍に
与した織田信秀と攻め上る福島政則らの東軍との間で、激しい銃撃戦が行われたとこ
ろという。

 上格子門跡のところにも、多少石垣が残っている。また、ここから東に下がった尾
根上に松尾砦跡があり、石垣が残されている。さらに、帰り道に通ることになると思
うが、上格子門跡の上には七間櫓跡と七間土塀がある。櫓跡の西北隅と南側には、石
垣が残されている。古絵図によると二の丸から堀切を経て七間櫓まで土塀が記載され
ており、昭和61年(1986)の岐阜城再建30周年事業として土塀の一部が再建された。

 少し先に松風橋という橋が架かっているが、この下は堀切でこれを越えると二の丸
となる。この先に「千成瓢箪発祥の地」という案内板があり、永禄10年(1567)の信長
軍による岐阜城攻撃に際して、木下藤吉郎は蜂須賀小六や堀尾茂助らを従えて岩戸口
より進入して大いに奮戦したという。一説では空瓢箪を槍の穂先に結びつけて、城兵
数名を倒したという。これを「竿頭の一瓢」と言って、ここを千成瓢箪発祥の地とし
ている。


◆模擬天守の是非はともかくとして、最上階からの眺めは抜群

 そのまま進むと二の丸門となるが、この手前には古い石垣が残されている。この場
所は上格子門と本丸とのほぼ中間に位置し、関ヶ原の戦い時の攻城戦で激しい攻防が
行われたところである。また案内板によると、このあたりが山中で最も原形を残して
いるところという。ここから階段を上った一段上の曲輪には気象台の分室が建てられ
ているが、その裏側に金銘水という井戸がある。井戸というよりは、貯水池のような
ものであろう。なお、ここへ登らずにまっすぐ進んで竪堀を越えた先の左側に、本丸
井戸がある。こちらは完全な井戸の形だが、実際にどの程度水が出ていたかは分から
ない。

 金銘水の先で左から上ってくる道と合流するが、これが馬の背登山道である。この
あたりからみる天守は、なかなかに良いアングルである。この先が本丸で、3層4階
の模擬天守が建てられている。信長あるいは信忠時代の岐阜城に、このような天守が
あったかは疑問である。岐阜城の天守は加納城へ移築されて御三階櫓となったが、こ
れは池田輝政時代のものである。この御三階櫓の絵図が残されており、千鳥破風など
も設けられたいかにも天守に相応しい建物である。

 模擬天守のぜひはともかくとして、最上階からの眺めはすばらしい。真下には長良
川が流れ、その先には斎藤道三の隠居城となった鷺山も見える。天守台の石垣は素朴
な野面積みであるが、明治および昭和と二度にわたる模擬天守建設にともなって、か
なり積み直しが行われており、どこまでが当時のものかは判然としない。それでも、
これだけの山城の天守台としては、見事なもので見応え十分である。また夏休み期間
中は夜間営業もしているので、パノラマの夜景も楽しめる。

 本丸の一段下には、隅櫓を模した岐阜城資料館がある。模擬天守内にも歴史資料な
どが展示されているが、この資料館にも戦国時代から江戸時代にまつわる古文書、武
具、刀剣などの歴史資料が展示されている。年4回の企画展のほかにも、4月6日の
「城の日」にはイベントも行われる。本丸から北へ下りる道があるが、瞑想の小道と
名付けられた水手道である。幾筋もの沢を横切ることから、水手道と呼ばれた。いざ
というときの脱出路であったとされ、関ヶ原の戦いの時に池田輝政らが攻め上ったの
もこの登山道である。


◆フロイスが驚いた信長居館跡も見どころで、近年全容が徐々に明らかに

 岐阜城の魅力は、山頂の城塞群だけではない。信長は岐阜城を大改修した際に、麓
に壮大な居館を築いた。山城は守るには良いが、政治を行ったり、生活するには大変
に不便である。一般に山城には根小屋と呼ばれる政治や生活のための居館が設けられ
るが、それを発展させたのが信長の居館である。美濃を手に入れた信長は、それまで
の井ノ口を岐阜という名に改めるとともに新しい城下町造りに力を入れた。新しい岐
阜の街に楽市楽座の制札を掲げて、商工業活動を保証した。楽市楽座の制度が信長の
独創かどうかは別として、新しい街づくりに力を入れたことは確かであろう。このよ
うに新しい街の経営を行うために、麓に壮大な居館を設けたのである。

 永禄12年(1569)に岐阜の信長を訪ねたイエズス会司祭のポルトガル人ルイス・フロ
イスらは、岐阜の城下のにぎわいに驚き、バビロンの混雑を思わせたという。さらに
信長居館に招かれたフロイスは、信長自らに案内され、滞在を2日間延長している。
そしてこのときの様子を、「日本史」に記録している。岐阜市では昭和59年(1989)か
ら信長居館跡の発掘調査を行い、その全容の解明に力を入れている。現在までに岐阜
公園内から石垣、土塁や水路などが発見され、復元・整備を進めている。とりわけ、
千畳敷への通路の両側に並べられた巨石列は圧巻である。

 発掘調査は現在も精力的に進められ、今年になってからそれまで謎となっていた居
館そのものの存在に迫るようになった。ロープウェイ東側の奥にある槻(けやき)谷の
発掘調査を行っていた岐阜市教育委員会は、今月に石垣と溝を確認したと発表した。
溝に囲まれた部分に茶室があったと考えられ、昨年見つかった建物跡が居館である可
能性が高いとしている。今回発表されたのは三段になった部分の最上段で、南側から
石垣と西側から川原石を詰めた石組みの溝が確認された。

 フロイスの日本史には、「広間の廊下は15か20の座敷へと至る。2階は奥方と侍女
の部屋、3階から山側へ通じる茶の座敷がある。3、4階の見晴台から街の全体が見
える」と記載されており、同市教育委員会は上段の建物が「3階から山側へ通じる茶
の座敷」ではないかと推測している。今後の発掘調査の結果が、楽しみである。

▼信長居館跡の発掘調査結果については、下記の岐阜市の公式サイトをご覧下さい。
 http://www.city.gifu.lg.jp/c/40121330/40121330.html

▼発掘調査の進捗状況については、下記のブログで確認できます。
 http://www.nobunaga-kyokan.jp/blog/


◆岐阜城関係の参考書
 岐阜城を散策するにあたって参考となる書籍には、以下のようなものがあります。
・小学館ウィークリーブック「週刊名城をゆく第1号 岐阜城」       250円
・歴史群像シリーズ「よみがえる日本の城16 大垣城・岐阜城」(学研)    780円
・「東海道の城を歩く」(立風書房、泉秀樹著)             1,680円
 東は江戸城から、西は伏見城まで、東海道沿道にそびえる城の案内書である。全部
 で41の城を紹介しており、カラー写真が豊富なために見ているだけで行った気にな
 れる。ただ一つ一つの城の記述は必ずしも十分ではなく、どちらかというと初心者
 向きの本である。

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