2008/10/08
【お城ファン倶楽部 No.151】日本100名城(その23)金沢城
===お=し=ろ=ふ=ぁ=ん=く=ら=ぶ================== 【お城ファン倶楽部 No.151】日本100名城(その23)金沢城 2008/10/08(Wed) ==================お=し=ろ=ふ=ぁ=ん=く=ら=ぶ=== 石川県で100名城に選定されているのは、七尾城と金沢城である。このうち七尾 城についてはNo.93(2007/05/30)で紹介しているので、金沢城だけを取り上げる。 金沢城は城跡が今年6月に国史跡に指定されるとともに、鶴丸倉庫も国の重要文化 財に指定された。石川県と金沢市は金沢城や兼六園などを中心として、世界文化遺産 への登録も目指しているが、残念ながら今年の暫定リスト入りはならなかった。 以前は城内に金沢大学があって、見学にはいろいろと制約がありました。しかし、 金沢大学が移転し、平成13年(2001)には菱櫓、橋爪門と続櫓および五十間長屋が復元 されてからは、大変に見どころの多い城となった。また現在第2期復元整備事業が進 められており、平成22年(2010)には河北門が復元される予定である。 ▼七尾城(No.93:2007/05/30)については、下記をご覧下さい。 http://archive.mag2.com/0000168576/20070530030000000.html?start=40 ────────────────────────────────────── 金沢城 所 在 地:石川県金沢市 史跡区分:城跡は国指定史跡(平成20年6月17日指定) 石川門(昭和10年5月13日指定)、三十間長屋(昭和32年6月18日指定)お よび鶴丸倉庫(平成20年6月9日指定)は国の重要文化財 入 場 料:なし(開園時間 3/1〜10/15は7:00〜18:00、それ以外は8:00〜16:30) 菱櫓、五十間長屋および橋爪門続櫓は300円(9:00〜16:30) 上記有料施設は、年末年始(12/29〜1/3)は休館 交通機関:車の場合は、北陸自動車道金沢西ICで下りる。ICを出たら、国道 8号線を金沢市内方面に向かう。3kmあまり先の藤江交差点を左折し て、県道17号線に入る。そのまま3kmほど進むとむさし西のT字路と なるので、右折する。すぐ次のむさし交差点を右折すると1kmほどで 香林坊となるので、左折する。そのまま道なりに進むと、左手一帯が 金沢城、右手が兼六である。金沢城見学者のための駐車場は特にない ので、兼六園駐車場、丸の内駐車場あるいは香林坊地下駐車場などの 有料駐車場を利用することとなる。 公共交通機関の場合は、JR北陸本線金沢駅を利用する。駅東口3番 乗り場あるいは西口4番乗り場から兼六園下経由のバスに乗り、兼六 園下で下車する。ここから歩いて5分ほどで、石川門となる。香林坊 経由のバスで香林坊で下車してもよく、歩いて15分ほどでいもり坂口 となる。 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/ ←金沢城公式サイト http://shofu.pref.ishikawa.jp/inpaku/castle/index_j.htm ←CGで再現 http://kimassi.net/kanazawajou/index.html http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/gallery.htm http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kanazawa.htm 以下は金沢城調査研究所の公式サイトで、これまでの調査研究結果などを見ること ができます。 http://www.pref.ishikawa.jp/kyoiku/bunkazai/kanazawazyo/ 石川県や金沢市などが「城下町金沢の文化遺産と群と文化的景観」として世界文化 遺産暫定リスト掲載を提案していますが、その提案書全文を下記で見ることができ ます。 http://www4.city.kanazawa.ishikawa.jp/mpsdata/web/7535/zenbun.pdf ────────────────────────────────────── ◆始まりは一向宗の金沢御堂(金沢御坊) 15世紀の終わり頃から約百年間、加賀国は本願寺門徒による一向一揆によって「百 姓の持ちたる国」となった。本願寺第8世蓮如は文明3年(1471)に越前吉崎に赴き、 吉崎御坊を建立する。文明5年(1473)から翌年にかけて起こった文明の一揆では、門 徒衆を味方に付けた富樫政親が弟幸千代を破って、名実ともに加賀守護となる。しか し門徒衆の勢いを危惧した政親は、門徒衆の弾圧を行う。能登や越中の門徒衆の助力 を得た加賀の門徒は、長享2年(1488)に政親の高尾城を攻めて自害に追い込む。これ を、長享の一揆という。 翌延徳元年(1489)に蓮如は隠居して、五男実如が9世を継ぐ。この実如も大永5年 (1525)に亡くなると、孫の証如が10世となる。この間、大小一揆など門徒間での内紛 もあったが、天文15年(1546)には金沢御堂(金沢御坊)を築いて門徒の統制を図った。 この金沢御堂は、現在の金沢城本丸付近にあったとされる。天文23年(1554)に証如が 亡くなると、長子蓮如が11世となる。蓮如の時代には門徒衆の掌握を確実にするとと もに、管領細川家や公家衆とも姻戚関係を持って、石山本願寺を中心に大名にも匹敵 する力を持つようになった。 永禄11年(1568)に上洛を果たした織田信長は本願寺勢力を圧迫するようになり、蓮 如は信長と戦うことを決意する。元亀元年(1570)には石山本願寺に籠もった蓮如と、 交戦状態となる(石山合戦)。一時和解するものの越前の支配をめぐって再び交戦状態 となり、各地で信長軍と一向宗徒との戦いが起きる。天正3年(1575)に長篠の戦いで 武田勝頼を破った信長は、天正6年(1578)の第二次木津川口海戦で本願寺を応援する 毛利および村上水軍に勝利する。これにより、翌年ついに両者は講和する。 ◆一向宗徒を鎮圧した信長家臣の佐久間盛政が金沢城として城構えに 石山本願寺明け渡しの翌天正8年(1580)には、石山に次いで大きな一揆勢力であっ た加賀も佐久間盛政や前田利家らの織田軍に攻められて金沢御堂も陥落する。これに より加賀一国を与えられた佐久間盛政は、金沢御堂を縄張内に取り込んで金沢城とし て城主となった。このときの規模がどの程度のものであったかは定かではないが、ま だ一向宗の勢力が掃討されたわけではなく、あまり大々的な改修ではなかったと推察 される。 天正10年(1582)に織田信長が本能寺の変で斃れると、明智光秀を討った羽柴秀吉と 織田家の宿老であった柴田勝家との間で後継者争いが起こる。翌年の賤ヶ岳の戦いで 秀吉は勝家に勝利するが、佐久間盛政は勝家に従い、戦いののち京で処刑される。前 田利家は当初勝家軍に加わっていたが、合戦のさなかに突然戦線離脱する。利家は居 城の府中城に籠もるが、堀秀政の勧告に従って秀吉に降伏し、北ノ庄城攻めでは先鋒 となっている。これにより、秀吉から本領の能登を安堵されるとともに、盛政の遺領 のうち北加賀二郡を加増された。 ◆秀吉から能登・加賀を与えられた前田利家が利長に命じて本格的に築城開始 翌天正11年(1583)に利家は金沢城に入城するも、その翌年には秀吉による朝鮮出兵 によって肥前名古屋に出陣している。このとき利家は、盛政によって命名された金沢 城を尾山城に改称している。そのため、利家は嫡男である利長に金沢城の修築を命じ ている。利長は現在兼六園などのある小立野台地との間に、白鳥堀、蓮池堀(百間堀) および宮守(いもり)堀を掘削して備えを固めた。また重臣の篠原一孝に命じて、石垣 の構築を行わせている。また大手を尾坂口に改めるとともに、石川門を搦め手として いる。 この改修に大きな力を尽くしたのが、キリシタン大名として知られる高山右近であ る。バテレン追放令で信仰を取った右近は、利家に招かれて1万5千石の客将扱いで あった。築城術にもたけていた右近は、三の丸北側を城地に取り込んで新丸とし、そ の北側に大手堀を設けた。さらに、城内の南東端には天守台も築いたという。また、 この頃にはもとの金沢城という呼び方に戻ったようである。こうして、現在残る金沢 城の原形が形作られた。 天守については明確な記録は残っていないが、天守築造のための材料を敦賀の豪商 高島屋から購入するとの利家の朱印状があることから、遅くとも慶長年間の初めには 出来ていたのではないかと推察されてる。実際、発掘調査によって金箔瓦が出土して いることから、多くの豊臣大名の天守と同様に金箔が輝いていたのではないかと考え られる。その規模は少なくとも五層はあり、毛利輝元の広島城や蒲生氏郷の会津若松 城に匹敵するものと考えられる。 ◆利家のあとを継いだ利長がほぼ完成させる 慶長4年(1599)に利家が亡くなると、利長はあとを継いで五大老の一人となるとと もに豊臣秀頼の守役ともなっている。しかし徳川家康から謀反の疑いをかけられ、母 芳春院を江戸に送るなどして何とか難を逃れている。不測の事態に対応するためか、 この年に利長は再び城の大改修を行っている。このときの改修は惣構を構築すること が中心とされ、城を取り囲むように内惣構堀を構えた。 慶長7年(1602)に落雷によって、天守が焼失してしまう。そのあとに代用として御 三階櫓が建てられたが、宝暦9年(1759)に城下で起きた大火により焼失してしまう。 慶長15年(1610)には、城の外側を大きく囲む外惣構堀を構築する。これにより、三重 に城を囲む金沢城が完成したこととなる。また、元和7年(1621)には幕府の許可を得 て、本丸の拡張を行っている。しかし前述の宝暦の大火により、城内の大半が焼失し てしまった。その後修築や再建を繰り返して、明治を迎えている。 明治6年(1873)のいわゆる廃城令では金沢城は存城となり、陸軍省の管轄となる。 同8年(1875)には陸軍第7連隊が置かれたが、同14年(1881)には石川門、三十間長屋 および鶴丸倉庫を残して火事ですべて焼失してしまった。さらに同31年(1898)には陸 軍第9師団司令部が置かれた。戦後の昭和24年(1949)になると、城内は新設の金沢大 学のキャンパスとして使われた。 平成7年(1995)には金沢大学が城外に移転し、翌年には石川県が国から譲り受けて 金沢城址公園として整備を開始する。平成11年(1999)から復元整備事業の第1期工事 が始まり、同13年(2001)に菱櫓、橋爪門・同続櫓および五十間長屋の復元が完成し、 名称も金沢城公園に変更された。さらに、昨年には河北門の復元工事が開始され、同 22年(2010)の完成が予定されている。またこれに加えて、石川門の保存修理、橋爪門 二の門の復元整備やいもり堀の段階復元なども計画されている。 ◆見どころの第一は現存する石川門、鶴の丸には重文指定の鶴丸倉庫 金沢城の入口は大手門、黒門、いもり坂口などがあるが、一般的なのは兼六園から 続く石川門であろう。その規模や姿形からここが大手門と思ってしまうが、前述のよ うに実は搦め手である。兼六園との間は現在コンクリート製の立派な端で結ばれてい るが、本来は土橋であった。また橋の下は広い道路となっているが、ここは百間堀の 跡である。百間堀は蓮池堀とも呼ばれる金沢城で最大規模の水堀であったが、明治44 年(1911)に埋められてしまった。 石川門は高麗門と櫓門とで升形を構成しているが、さらに左手に二重の隅櫓が建っ ており、過剰防衛とも言える感じである。この門や櫓も宝暦の大火で一度焼失してし まい、現在残っているものは天明7年(1787)に再建されたものである。石川門を入っ た一帯が三の丸で、ここだけでもかなりの広さである。正面には、復元された五十間 長屋や菱櫓などをみることが出来る。 三の丸の左手一帯が鶴の丸で、現存建物の一つである鶴丸倉庫がある。この倉庫の 建造時期については明治に入ってからではないかともみられていたが、近年の研究に より幕末の弘化5年(1848)建造と判明している。城内に残る倉庫としてはかなりの規 模で、文化的価値が高いということで今年6月に国の重要文化財に指定された。2階 建で、土台には戸室石が使われている。戸室石は東8kmほどの戸室山などから産出さ れる安山岩の一種で、金沢城の石垣はほとんどこの石から出来ている。藩政時代には 勝手に使うことが許されず、門外不出であった。 ◆東の丸の高石垣が見事で見応え十分 鶴の丸の南に接して、西に本丸が、そして東側に東の丸が配されている。東の丸は 城の南端で百間堀といもり堀に接しており、守りの要でもある。そのためか、堀に接 したところはかなりの高石垣である。特に南端の辰巳櫓跡近辺の石垣は特に見事で、 一見の価値のある場所である。城内でももっと古い時代の石垣で、典型的な野面積み である。高石垣と言っても熊本城のように一気に積み上げるのではなく、三段となっ ている。だが、見応え十分である。 本丸は一段高いところにあり、ここからは城内をよく見渡すことが出来る。この本 丸は金沢御堂のあった場所とされ、いわば一向門徒衆にとっては聖域であったところ と言える。ここを本丸にした佐久間盛政の意図も、もう時代が違うということを示し たかったのかも知れない。この本丸には初期には天守があったとされるが、すぐに火 事で焼失し御三階櫓が北の隅に建てられた。金沢市立玉川図書館蔵の「加賀国金沢之 図」を見ると、確かに三階櫓が描かれている。また東側には、二層の戌亥櫓も建てら れていた。現在は、櫓台と井戸が残っている。また本丸御殿もあったが、いずれも寛 永の大火で焼失してしまった。 本丸東側の一段低い付壇には、現存の三十間長屋がある。金沢城で現存の建物は、 あとは石川門と鶴丸倉庫のみであるので貴重な存在である。ここも宝暦の大火で焼失 後しばらく再建されなかったが、幕末の安政5年(1858)になってようやく再建されて いる。二層の倉庫で、武器や弾薬庫として使われたと考えられる。この付壇と二の丸 の間は空堀となっており、極楽橋という名の橋で結ばれている。この名は、死者の棺 を橋の下から葬送したことによるという。 ◆二の丸に再建された菱櫓、橋爪門、五十間長屋はハイライト 二の丸には橋爪門、同続櫓、五十間長屋と菱櫓が再建されており、大きな見どころ となっている。特に菱櫓はその名のとおり平面が菱形の櫓で、こうした櫓は城内に数 ヵ所あったという。中に入ったら、ぜひ菱形であることを確認して下さい。特に、柱 も菱形となっていることは要チェックです。二の丸では最も高い建物で、御三階櫓が 焼失したあとはシンボル的な建物となったと思われる。千鳥破風や唐破風様の大きな 石落としの存在も特異で、海鼠壁ともうまくマッチしている。 五十間長屋はいわゆる多聞櫓であるが、その名のとおり大変に規模の大きなもので 菱櫓とともに美しい景観を作り出している。また内部では木の枠組みなどを間近にみ ることが出来、建物に興味のある人にとってはうれしいところである。続く橋爪門は 三の丸から二の丸へ向かう人を監視する重要な場所で、もともとは石川門同様に升形 となっていた。ここも二層の櫓が隣接し、金沢城独特の雰囲気を醸し出している。 二の丸は現在広場となっているが、かつては壮大な二の丸御殿があった。本丸御殿 焼失後は藩主の居館となり、金沢城の中心であるとともに政庁として機能した。明治 になってからも残っていたが、惜しいことに明治14年(1881)に焼失してしまった。こ の二の丸御殿の復元も計画されているが、現時点では資料不足ということで目処は立 っていない。 ◆土橋門の亀甲石もお見逃しのないように 二の丸および鶴の丸と三の丸との間には水堀があるが、金沢城の場合は残っている 内堀はこの部分だけである。三の丸と新丸との間にも水堀があったが、現在は湿生園 にその面影を残すのみである。二の丸を左に見ながら内堀に沿って進むと、管理事務 所の先に土橋門の石垣が残っている。土橋で二の丸と北の丸をつなぐところにあるこ とからその名が付けられ、重要な門であったために残っている石垣も立派なものであ る。この土橋門の石垣には六角形をした亀甲石が組み込まれており、防火の願いが込 められている。二の丸側には裏口門があり、ここも石垣だけが残っている。 土橋門の向かいにある切手門を入ると、旧第6師団司令部の建物が残っている。こ こは数寄屋敷と呼ばれ、藩主の側室たちの住まいがあった。ここに残っている石垣も 見事で、特に右側の部分は寛永8年(1631)頃の石垣で創建当時に近いもので刻印も多 く残されている。 三の丸と新丸を結ぶ門は河北門と呼ばれ、明治14年(1881)に焼失するまでは多聞櫓 を従えた立派な門が残っていた。この門は実質的な大手門にあたり、金沢市では平成 22年(2010)の完成を目指して復元工事を行っている。そのまま新丸を横切って進んだ ところにあるのが大手門で、利家が入城してそれまでの西丁口(現在の黒門口)からこ こに大手を付け替えた。見事な櫓台が残っており、とりわけ大きな鏡石が印象的であ る。その先に佐久間盛政時代に大手であった黒門口があるが、現在は明確な遺構はな い。なお、金沢御堂時代もここが入口だったといわれる。 ◆近くの尾山神社には移築された二の丸御殿正門(唐門)が現存 黒門口から左手の北の丸に沿ってしばらく進むと、尾山神社がある。この尾山神社 は藩祖である前田利家を祀る神社で、ここの東神門は二の丸御殿の正門を移築したも のである。優美な唐門で、文化5年(1808)の火災後に再建されたものといわれる。当 初は卯辰山の招魂社の神門として明治の初めに移築されたが、昭和38年(1963)に尾山 神社に再移築された。また尾山神社の見どころとしては、国の重要文化財にも指定さ れている神門がある。オランダ人ホルトマンの設計で、明治8年(1875)に津田吉之助 によって造られた。最上部の窓がステンドグラスとなっているのが特徴で、日本で初 めて避雷針が取り付けられたことでも知られる。 ▼尾山神社については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.genbu.net/data/kaga/oyama_title.htm http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/data/zatugaku05.htm http://www.joyphoto.com/japanese/travel/010211/oyama.html ◆隣接する兼六園ももちろん必見で、なかでも成巽閣はお薦め 金沢城だけでもゆっくり隅々まで見ていると、優に一日を費やしてしまう。しかし さすがに百万石のお膝元だけであって、ほかにも見どころが市内にたくさんある。そ の第一は、金沢城に隣接する兼六園であろう。水戸の偕楽園および岡山の後楽園とと もに、日本三名園の一つに数えられている。延宝4年(1976)に名君として知られた5 代綱紀によって造られた庭園で、蓮池亭を造ってその庭を蓮池庭と呼んだことに始ま るという。天保8年(1837)に第13代斉泰がほぼ現在の形に完成させ、松平定信が「宏 大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園」の意味で兼六園と名付 けたという。 兼六園の見どころとしては、日本で初めての噴水がある。これは落差をうまく利用 したもので、現在でも当時のままである。また、斉泰が母親である眞龍院の隠居所と して建てられた成巽閣も現存で、一階は書院造、二階は数寄屋造となっており、国の 重要文化財に指定されている。さらに、飛鶴庭と名付けられた庭園も国の名勝となっ ている。内部は歴史博物館ともなっており、ここもぜひとも訪れたいところである。 ▼兼六園については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kenrokuen/ http://www.joyphoto.com/japanese/travel/010211/kenroku.html http://po6.nsk.ne.jp/asuwataxi/h03kenrokuen.htm ▼成巽閣については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.seisonkaku.com/ http://po6.nsk.ne.jp/asuwataxi/0501seisonkaku.htm http://www.bekkoame.ne.jp/~uebasami/seison.htm ◆市内に見どころが多いが、長町武家屋敷と忍者寺(妙立寺)は秀逸 上記以外にも見どころはたくさんあるが、ぜひとも行って欲しいのは長町の武家屋 敷と忍者寺として知られる妙立寺である。両者ともに現在はほとんどの観光コースと なっているので、行ったことがある人も多いでしょう。長町の武家屋敷は香林坊の西 数百mほどのところにあって、金沢城や兼六園から歩いていける距離である。前田八 家の一つであった長氏の屋敷があったことから長町となり、同じく八家の一つ村井氏 などの上級武士のほかに中級や下級武士の屋敷もあった。現存するのは中級武士であ った野村家だけだが、土塀が見事でそぞろ歩くにはとても良いところである。とりわ け、小雨が降るときの雰囲気は最高である。 ▼長町武家屋敷については、下記サイトを参考にしてください。 http://wwwr.kanazawa-it.ac.jp/~tsuchida/soundscape/cd-rom/nagamachi.htm http://www.awacho.co.jp/main/tour/0635tour.htm http://homepage.mac.com/uribouz/kanazawa/bukeyasiki/bukeyasiki.html 妙立寺は天正13年(1585)に前田利家が前田家の祈願所として金沢城付近に建立した ものだが、今では忍者寺という名の方で知られている。外から見ると4階だが、内部 に入ると実は7階となっている。多くの隠し部屋やいろいろなカラクリも施され、ま さに忍者寺の名にふさわしい。最上部には物見台ともいわれる望楼があり、金沢城へ と通じていると伝わる大井戸など、見どころ満載である。ただ完全予約制で、事前に 電話などで申し込んでおくか、市内観光バスなどを利用しなくてはならない。 ▼妙立寺(忍者寺)については、下記サイトを参考にしてください。 http://www.myouryuji.or.jp/ninzyadera.html http://www.kanazawa1.com/data.php?s=omise&l=ninjadera&d=ninjadera&k=11&t=02 ◆金沢城関係の参考書 金沢城を散策するにあたって参考となる書籍には、以下のようなものがあります。 また金沢については多くの観光ガイドブックが出されており、それらも参考になり ます。 ・歴史群像シリーズ「よみがえる日本の城8 金沢城・福井城」(学研) 730円 石川県の城については、郷土史家の高井勝己さんが「図説・石川県の城」をシリー ズで自費出版されています。これまでに下記の6冊が出されており、いずれも1冊 2千円程度です。石川県の城が網羅されており、特に山城を攻めるにはとても参考 となります。購入を希望される方は、下記に葉書でお問い合わせ下さい。 〒921-8034 金沢市泉野町4−16−8 高井勝己さん 図説・石川県の城1 能登奥郡の山城(平成9年) 同 2 能登口郡の山城(平成14年) 同 3 北加賀の山城 (平成13年) 同 4 南加賀の山城 (平成12年) 同 5 続・能登の山城(平成17年) 同 6 続・加賀の山城(平成19年) ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ お城に関する最近の話題、新刊書の案内、発掘情報、学会・セミナーや現地説明会 などの情報をお届けするメールマガジン『城郭ニュース』も、発行しています。お城 についての最新情報が得られるとともに、お城めぐりにも役に立つと思います。登録 は、下記からお願いいたします。 http://www.mag2.com/m/0000169418.html ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ************************************** * 「お城ファン倶楽部」ホームページ(http://www.castle7.org)では、城郭ニュ* *ース、国宝・重文一覧、史跡一覧、韓国に残る倭城などのお城に関する情報を発* *信しています。このメールマガジンと併せて、ホームページもご覧になっていた* *だけると幸いです。 * ************************************** ===お=し=ろ=ふ=ぁ=ん=く=ら=ぶ================== ◆発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/ ◆配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000168576.html ◆発行者:お城ファン倶楽部 ◆ご意見・ご感想は castle7@yahoo.co.jp ◆HP: http://www.castle7.org/ ==================お=し=ろ=ふ=ぁ=ん=く=ら=ぶ===


