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2008/06/18

【お城ファン倶楽部 No.143】日本100名城(その15)甲府城

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【お城ファン倶楽部 No.143】日本100名城(その15)甲府城
                              2008/06/18(Wed)
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 歴史的な重要性は別にして、甲府城はこれまではどこにでもある城跡のひとつとい
う感じであった。しかしながら、山梨県では発掘調査と復元整備を積極的に行い、今
では見違えるほどの城となった。以前の甲府城しか知らない人は、是非再訪してみて
下さい。驚くほどの新しい発見に、出会えると思います。地元の商工会では天守の復
元を目論んでいるようですが、天守はともかくとして今後も復元整備は進められるよ
うで、目が離せません。


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 甲府城
  所 在 地:山梨県甲府市丸の内1丁目地内
  史跡区分:山梨県指定史跡
  入 場 料:な し
       稲荷櫓と山手御門も無料だが、月曜(祝日は除く)は休館
  交通機関:車の場合は東京方面からは中央高速道路を利用し、甲府昭和ICで下
       りる。ICを出たら国道20号線を一旦東京方面に戻り、荒川に架かる
       彩火橋を渡るとすぐに左折して国道 358号線に入る。そのまま北上し
       て甲府駅方向に向かい、3kmあまり先の甲府署前交差点を右折する。
       すぐ次の交差点を左折すると、右側一帯が甲府城である。南側にある
       公園駐車場はバスや体の不自由な方専用となっているので、JR甲府
       駅北側の県営北口駐車場など周辺の有料駐車場を利用する。
       公共交通機関の場合は、JR中央線甲府駅で下車する。南口に出て、
       そのまま駅にそって左に進んで陸橋をくぐると、右手一帯が甲府城で
       ある。
 http://www.pref.yamanashi.jp/barrier/html/maizou-bnk/40044172190.html
 http://www.city.kofu.yamanashi.jp/kanko/history/0104.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kofu.htm
 http://woodone3831.hp.infoseek.co.jp/c-1-3-4-3-siro-KOUFU.html
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/kosin/koufu.html
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◆家康の命で平岩親吉が築城し、浅野氏によって織豊系城郭としてほぼ完成

 前回の躑躅ヶ崎館(武田氏館)のところで述べたように、天正10年(1582)3月に天目
山で武田氏が織田信長によって滅ぼされると、家臣の川尻秀隆が22万石を与えられて
甲斐に入った。このとき、秀隆は躑躅ヶ崎館を使用したと考えられる。その信長もわ
ずか3ヶ月後に本能寺の変に斃れると、甲斐をめぐって徳川家康と北条氏直との間で
争いが起こる。天正壬午の乱であるが、10月には両者の間で講和が成立し、甲斐・信
濃は家康が支配することとなった。

 甲斐を手に入れた家康は翌年平岩親吉に命じて、当時一条小山にあった時宗寺院の
一蓮寺を移転させて、築城を開始させた。これが、甲府城の始まりである。天正18年
(1590)の小田原攻めによって小田原北条氏が滅亡すると、家康は豊臣秀吉によって関
東に移封される。これにともなって、甲斐には秀吉の甥で養子となっていた羽柴秀勝
が入ったが、翌年には岐阜へ転封となり、替わって加藤光泰が24万石を与えられて甲
府城に入った。その光泰も文禄2年(1593)に、朝鮮出兵中に釜山の陣中で病気で亡く
なってしまう。

 光泰のあとには浅野長政が22万石を与えられて、甲府城に入った。関ヶ原の戦いで
は浅野長政・幸長親子は東軍に与し、慶長6年(1601)にその功により幸長に紀伊和歌
山37万6千石が与えられた。なお、長政は関ヶ原の戦いのあとに隠居していたが、
別に隠居料として常陸真壁に5万石が与えられている。甲府城の発掘調査では、多く
の曲輪から浅野家の家紋の入った瓦をはじめ、金箔や朱を施された瓦に加えて、豊臣
家の家紋の入った瓦などが出土している。このことから、浅野長政・幸長の時代にい
わゆる織豊系城郭へと改修されたと思われる。


◆江戸時代は幕府直轄の城として城代、甲府勤番が置かれる

 浅野氏が移封されたあとは幕府の直轄地となり、平岩親吉が城代(6万3千石)で再び
甲府城を預かった。慶長8年(1603)になると、家康の九男義直が25万石で甲府城主と
なる。その義直も慶長12年(1607)に尾張清洲に移ると、再び幕府の直轄地となった。
甲府城は大久保長安のもとで、武川衆十二騎が城番として預かった。武川衆十二騎は
武田の遺臣で、山高親重、馬場信成、青木信安、米倉信継、入戸野門宗、山寺信光、
折井次吉、曲淵吉清、柳沢三左衛門、跡部胤信、小尾重正および蔦木盛之といった面
々である。なお、のちに甲府城主となる柳沢吉保は、この十二衆の出である。

 寛文元年(1661)になると、3代将軍家光の四男徳川綱重が25万石を与えられて、甲
府城に入った。延宝6年(1668)に35歳の若さで綱重が亡くなると、嫡男綱豊が跡を継
ぐ。この綱重・綱豊時代に、甲府城の大規模な改修が行われたようである。その綱豊
は5代将軍綱吉の跡継ぎとして宝永元年(1704)に江戸城西の丸に入ったため、綱吉の
側用人だった柳沢吉保が15万石で甲府城主となった。柳沢氏は嫡男吉里ともに20年ほ
どにわたって甲府城に居たために、家臣団や家族などが甲府に移住した。そのため、
城内および城下ともに武家地を中心に整備が進んだ。

 享保9年(1724)に柳沢吉里が大和郡山に転封になると、再び幕府直轄地となった。
ときの8代将軍吉宗は享保の改革の一環として、甲斐国の直轄支配のために甲府勤番
職を創設した。甲府勤番は老中支配で、山手組と追手組の2名が旗本の中から3千石
で任命された。その下に勤番士 100人、与力10騎と同心50人が付けられ、甲府城およ
びその周辺の警護や政務・訴訟の取り扱いなどを行った。ただ平均着任年齢は50歳代
で、幕臣の素行不良の懲戒や仕事場を失った余剰幕臣の受け皿であり、旗本や御家人
にとっては改易一歩寸前の左遷にも等しい職務だったと言われた。なお、享保12年(1
727)に甲府城は大火に見舞われ、本丸御殿や銅門などが焼失している。


◆明治初めに廃城となり多くが失われるが、近年整備・復元事業が進む

 幕末の慶応2年(1866)に勤番制を廃止し、再び城代が置かれた。この城代も明治維
新までの一年半ほどの間に、松平輝照(上野高崎城主)、大久保忠礼(小田原城主)、真
田幸民(信濃松代城主)とめまぐるしく変わり、堀田正倫(下総佐倉城主)のときに新政
府軍に恭順して開城している。

 明治6年(1873)に新政府によっていわゆる廃城令が出されると、甲府城も廃城とな
った。廃城後は兵部省(のちの陸軍省)の管轄となり、勧業試験場が建てられるととも
に、明治30年(1897)に北側の清水曲輪に中央線甲府停車場が造られた。また、明治33
年(1900)には、西側の楽屋曲輪に県立甲府中学校が建てられてしまった。こうして、
明治37年(1904)になると、城内が舞鶴公園として開放された。

 大正6年(1917)には山梨県の所有となるが、昭和に入ると楽屋曲輪に県庁が建てら
れるなどして、西側部分は市街地となってしまった。昭和43年(1968)にようやく山梨
県の史跡に指定され、平成2年(1990)から山梨県は舞鶴城公園整備事業を開始した。
これにより石垣の改修、園路や広場の再整備、堀の浄化、占用物件の移転に加えて、
門(鍛冶曲輪門・内松陰門・稲荷曲輪門)や塀の復元を進めた。平成15年(2003)には稲
荷櫓が復元され、続いて平成19年(2007)には中央線の線路をはさんだ北側に山手御門
が復元され、一帯が歴史公園として整備された。


◆近年稲荷櫓や山手御門をはじめ、多くの城門などが復元された

 甲府城に行くには一般的には甲府駅から行くことが多いと思うが、その場合はまず
は北口に出て新しく復元された山手御門から見て行きたい。現在は歴史公園として整
備され、山手門および山手渡櫓門からなる山手御門や石垣などが復元されている。発
掘調査で発見された石垣を土台として、元禄年間(1700年頃)の絵図を基に柳沢吉保が
城主だった頃の姿にしている。渡櫓門内は展示場として開放されており、発掘調査の
出土品や江戸時代の歴史資料などが展示されている。また展望スペースからは線路越
しに稲荷櫓などの甲府城や、天気が良ければ富士山を綺麗に見ることが出来る。

 陸橋で中央線を渡ると、左側一帯が舞鶴公園となっている甲府城である。線路脇か
ら坂道を登ったところが、本丸の北から東に位置する稲荷曲輪である。入ってすぐの
ところに火薬庫である焔硝蔵が置かれ、奥に稲荷櫓がある。稲荷櫓も近年復元された
もので、城内の北西に位置することから艮櫓とも呼ばれていた二重櫓である。甲府勤
番時代には、武器庫として使用されていたことが分かっている。下から見ると、張り
出した石落としが特徴的である。

 稲荷曲輪から坂道を登ると、本丸である。本丸には御殿が建てられていたが、享保
12年(1727)に起きた火災で焼失してしまった。西側には大きな天守台があり、金箔瓦
が出土していることなどから天守があったことは間違いないと考えられる。おそらく
は浅野長政・幸長親子時代に建てられたと思われ、出土した鯱瓦が 1.5mもあったこ
とから天守の高さは40mほどと推定されている。これは五層の天守規模であるが、残
念ながら詳細は不明である。地元の甲府商工会議所や青年会議所では何とか天守を再
建しようと、絵図や史料を求めている。

▼甲府城天守の復元をめざす動きは、下記サイトをご覧下さい。
 http://www.kofujyo.com/aboutus.html


◆東や北側に残る高石垣は見事で、南側の景観も城らしくなった

 本丸に入るには銅門、鉄門および稲荷門の3つがあるが、このうち稲荷門だけが整
備事業によって復元されている。西側にあるのが銅門で、石垣や門柱跡などが残って
いる。すぐ下の復元された内松陰門を抜けると、本丸西側の二の丸となる。二の丸南
側からさらに下の鍛冶曲輪へと下りるあたりには、古い時代の石垣を見ることが出来
る。この鍛冶曲輪は南側一帯を守る細長くて大きな曲輪で、南側は広い水堀となって
いる。このあたりの景観も従来に比べると城らしくなり、特に堀の浄化は大きな効果
を出している。

 鍛冶曲輪の西側には復元された鍛冶曲輪門があり、これを抜けると楽屋曲輪となる
が、現在は県庁となっている。また鍛冶曲輪門の南に大手門があったが、現在は失わ
れている。この鍛冶曲輪には、米蔵が建っていたことが分かっている。鍛冶曲輪の東
に一段高い曲輪があるが、数寄屋曲輪である。そのまま進むと、前述の稲荷曲輪へと
通じる。数寄屋曲輪手前の左手一帯は、石垣の石を切り出した石切場の跡である。

 石切場のあるあたりから坂道を登ると、途中水溜がある。この水溜は絵図には記載
されていないもので、石で四角形に固めており、雨水を溜めたものと思われる。この
上にあるのが稲荷曲輪と鍛冶曲輪をつなぐ稲荷門で、これも復元されている。稲荷門
を抜けると、本丸南側に設けられた細長い帯曲輪となる。ここから石段を上がったと
ころが鉄門跡で、本丸へと通じている。

 本丸東側には天守台が、ほぼ完全な形で残っている。台形を二つ合わせたような形
で、中央部は穴蔵となっている。現在残る天守台の大きさから、確かに五層の天守が
上がっていたとしても不思議のない大きさである。ここからは甲府市内を良く見渡す
ことが出来、特に冬の空気の澄んだときに見える真っ白な富士山は見事である。

 内松陰門あるいは最初に入ったところから一旦外に出て、北側や東側に残る見事な
高石垣を見たい。堀は埋められ、すぐ近くまで住宅地となっているが、野面積みの高
石垣は今でも見るものを圧倒する。現在舞鶴公園となっている甲府城跡は往時に比べ
ると面積で半分以下であるが、こうした石垣群はかつての勇姿を彷彿とさせるもので
ある。さらに整備事業により稲荷櫓や多くの城門などが復元されたことにより、見ど
ころが増しているのは城郭ファンにはありがたいことである。


◆100名城以外の山梨県でのお薦めの城

 山梨県で100名城に選定されたのは前回の武田氏館とこの甲府城の二城だけであ
るが、県内には城郭ファン必見とも言える城が多い。代表的なものとしては、武田氏
最後の城となった新府城、壮大な山城である岩殿城、戦国時代の館の姿を良くとどめ
ている勝沼氏館、天正壬午の乱の舞台となった谷戸城や獅子吼城などがある。武田氏
館や甲府城だけではなく、こうしたところにも是非足を伸ばして欲しいものである。

▼新府城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/joukanyamanasi/sinpu/sinpu.html
 http://www5d.biglobe.ne.jp/~hatabo/meijyou/siro3/shinpu/index.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/sinpu.htm

▼岩殿城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/joukanyamanasi/iwatono/iwatono.html
 http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/iwadono.htm
 http://homepage3.nifty.com/me-kun/001photo/022iwadono.html

▼勝沼氏館については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www5d.biglobe.ne.jp/~hatabo/meijyou/siro3/katsunuma/index.html
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/joukanyamanasi/katunuma/katunuma.html
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/yamanasi/katumumamati.htm

▼谷戸城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/yato.htm
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/joukanyamanasi/yato/yato.html
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/kosin/yato.html

▼獅子吼城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/joukanyamanasi/sisiku/sisiku.html
 http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/shishiku.htm
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~ture/sisikujoukai.htm


◆甲府城関係の参考書
 甲府城を散策するにあたって参考となる書籍には、以下のようなものがあります。
・歴史群像シリーズ「よみがえる日本の城11 駿府城・甲府城」(学研) 730円


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 ◆発行者:お城ファン倶楽部
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 ◆HP: http://www.castle7.org/
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