お城ファン倶楽部  RSSを登録する

お城好きな人たちのために、お城に関するあらゆることを話題にしたメールマガジンです。お城めぐりが楽しくなるような、役に立つ情報を発信します。

最新号をメルマガでお届けします    
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
2008/05/07

【お城ファン倶楽部 No.140】日本100名城(その12)八王子城

===お=し=ろ=ふ=ぁ=ん=く=ら=ぶ==================

【お城ファン倶楽部 No.140】日本100名城(その12)八王子城
                              2008/05/07(Wed)
==================お=し=ろ=ふ=ぁ=ん=く=ら=ぶ===


 東京都で日本100名城に選定されたのは、江戸城と八王子城である。江戸城が選
ばれたのは当然と言えますが、八王子城が選ばれたのはうれしい限りです。小田原北
条氏のナンバー2である氏照の居城で、全山を要塞化した壮大な山城です。遺構もよ
く残っており、是非とも訪れて欲しい城の一つです。豊臣秀吉による小田原攻めに際
して、北条方の諸城ではあまり大きな戦いがなされずに開城となったところが多いな
か、激しい攻城戦が行われたのが八王子城です。この八王子城が落城したことで小田
原開城にもつながったことから、「戦国の終わりを告げた城」とも言うべき城です。
 江戸城については第35号(2006/04/19)で取り上げていますので、下記バックナンバ
ーをご覧下さい。
 http://archive.mag2.com/0000168576/20060419030000000.html?start=100


──────────────────────────────────────
 八王子城
  所 在 地:東京都八王子市元八王子町・下恩方町
  史跡区分:国指定史跡(昭和26年6月9日に指定)
  入 場 料:な し
  交通機関:車の場合は東京方面からは国道20号(甲州街道)で西に向かい、JR高
       尾駅前を右折して都道46号線(高尾街道)に入る。1kmちょっと進むと
       Y字路となっているので、左の都道61号線に入る。中央高速の下をく
       ぐるとすぐに八王子城跡入口となるので、左折する。そのまま道なり
       に進んだ先に八王子城跡管理棟があり、ここから八王子城に登ること
       となる。近くには見学者用の駐車場があるので、利用できる。
       公共交通機関の場合は、JR中央線または京王線高尾駅で下車する。
       北口バス乗り場から多摩バスのグリーンタウン高尾(霊園正門経由)、
       宝生寺団地、恩方車庫あるいは高尾の森わくわくビレッジ行に乗り、
       10分ほどの乗車の霊園前で下車する。八王子城跡入口の交差点を左に
       曲がり、道なりに進む。バス停から約1.5km、徒歩20分程度である。
       多摩バスの路線図および時刻については、下記サイトをご覧下さい。
       http://www1.bus-navi.com/
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Tokyo/Hachiouji/
 http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/rekishibunkazai/004416.html
 http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/siseki/hachiojijou.htm
 http://www.siromegu.com/castle/tokyo/hatiouji/hatiouji.htm
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~msn/kojou/tama/siro_tama_hachiouji.htm
──────────────────────────────────────


◆北条氏照が滝山城の防御面の弱さから、壮大な山城・八王子城を築城

 八王子城は、小田原北条氏三代目氏康の三男氏照によって築かれた。築城時期につ
いては記録が残っていないために明確ではないが、天正12年(1584)から15年(1587)に
かけてというのが有力である。氏照は兄氏政(四代目)とは違って、聡明で武勇にも優
れていたと伝えられる。関東管領上杉氏の重臣であった武蔵国守護代の大石氏は、主
家の扇谷上杉氏が河越夜戦で北条氏康に大敗して没落すると小田原北条氏に従う。永
禄2年(1559)に娘の比佐の婿養子として氏照を迎え入れ、居城の滝山城と武蔵守護代
の職を譲った。

 山内上杉氏に仕えていた武蔵の豪族藤田廉邦の養子となって鉢形城主となった弟氏
邦とともに、氏照は兄氏政を支えていた。永禄10年(1567)に小山田信茂を中心とする
武田軍が、小仏峠を越えて北条領であった武蔵国に攻め入った。中山家範、横地吉信
らを中心とする氏照軍は高尾山麓の廿里で迎撃するが、敗退してしまう。勢いに乗っ
た武田軍は、氏照の居城滝山城にまで攻め込む。このときの武田軍の攻撃は鋭く、三
の丸は陥落し、氏照は二の丸で指揮を執ったと伝わる。落城寸前まで追い詰められた
が、師岡山城守将景らの奮戦で、何とか持ちこたえた。なお、この攻城戦で氏照と武
田勝頼とが槍を交えたとの話があるが、伝説であろう。

 滝山城は代々大石氏の居城で、あまり起伏のない丘陵地帯に築かれた城である。こ
れを氏照は改修して大城郭としていたが、武田軍に攻め入れられたことから防御面の
不安を感じた。そのため、防御に優れた山城を武蔵と相模の国境地帯に築くことを計
画し、現在の八王子市元八王子町の深沢山(現在の城山、標高466m、比高約240m)に
目を付けた。

 氏照はこの深沢山の山頂一帯に本丸、松木曲輪や小宮曲輪などを何段にも配して、
要害地区とした。実際に八王子城に登ってみるとよく分かるが、かなり険しい山城の
ため日常生活には大変に不便である。そこで、ふもとの城山川沿いに御主殿と呼ぶ居
館を建て、日常を送るとともに政治の中心とした。さらに、この城山川に沿ったさら
に低い地帯に城下町を形成した。

 氏照は武勇に優れるだけではなく、外交手腕にも優れていた。永禄12年(1569)には
上杉氏との越相同盟を実現し、伊達氏とも外交関係を築いていた。また織田信長とも
友好関係を臨んでいたが、家中の反対や本能寺の変によって実現しなかった。歴史に
もしはないが、信長との同盟関係が実現していたら戦国の歴史は大きく変わっていた
のではないかと想像される。

▼滝山城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Tokyo/Takiyama/index.htm
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/joukansonota/takiyama/takiyama.html
 http://joe.ifdef.jp/tokyo/015takiyama.htm


◆秀吉による小田原攻めで激戦の末に落城、事実上戦国に終わりを告げる

 小田原北条氏は関東に確固たる地位を築いていたが、中央では豊臣秀吉がほぼ戦国
を終わらせるところまで来ていた。永禄2年(1559)に氏康は隠居して、氏政が四代目
を継いでいた。その氏政も天正8年(1580)に隠居して子の氏直に五代目を継がせてい
たが、実質的には氏政が当主であった。天正17年(1589)に、武田氏滅亡後に独り立ち
した真田氏との間に領土争いが起きるが、秀吉の仲裁によって収まる。しかし、この
裁定で真田氏の持ち城となった名胡桃城を、沼田城の城代であった猪俣邦憲が奪って
しまう。

 この名胡桃城占拠は関東・奥惣無事令に違反すると秀吉の怒りを買い、ついに小田
原北条攻めが始まる。翌天正18年(1590)2月に徳川家康を先鋒として、小田原征伐軍
が駿府城を進発する。秀吉自身も3月には大坂城を出、早くも同月29日には箱根を守
る山中城がわずか半日で落城している。翌月3日からは小田原城を見下ろす石垣山に
陣城(石垣山一夜城)の築城を開始し、北条氏は小田原城籠城となった。氏照も横地監
物、狩野一庵や中山勘解由などに八王子城の守りを頼んで、前年の夏には精鋭5千と
ともに小田原城に入っていた。

 前田利家と上杉景勝を主将とする北国軍は3月に碓氷峠を越えて北条領に入り、松
井田城をはじめとして国峰城、厩橋城、箕輪城、石倉城などを相次いで落とした。さ
らに4月に入ると江戸城、川越城、松山城、岩槻城が落城し、6月にはついに氏邦の
守る鉢形城も開城する。こうして北条方は支城のほとんどを失い、残る有力な支城は
忍城、韮山城と八王子城だけとなった。

 こうして、天正18年(1590)6月23日を迎える。「北条氏照軍記」によると、この日
の未明に上杉軍が案下に火を放って攻め入ると、前田軍も大手から攻め入った。城主
氏照不在の八王子城であったが、留守部隊はよく戦った。しかし、圧倒的な大軍の前
にはまさに刀折れ矢が尽きた状態となり、夜が明ける頃には御主殿を守る山下曲輪が
落ちてしまった。そのまま御主殿に攻め込まれたため、多くの妻女が自刃して滝に身
を投じたという。このため、三日三晩城山川が赤く血に染まったという。

 山頂の曲輪群に攻め入るためには中腹にある柵門台を落とさなければならず、激戦
が行われたものと思われる。この柵門台を突破しても、次に待ち受けるのが中曲輪で
ある。この中曲輪は二段になっている上に、右は小宮曲輪が、左には松木曲輪が、そ
して正面は山頂曲輪と三方からの攻撃に晒される。この中曲輪を守るのが中山勘解由
で、小宮曲輪の狩野一庵や山頂曲輪の横地監物とが連携して前田軍を苦しめた。利家
の守将青木信照をはじめとして馬回り衆や小姓衆など30名以上がここで討ち死にして
いることが、その激しさを物語っている。

 氏照による縄張によって攻城軍は大変に苦しめられたが、その戦況を一変させたの
が搦め手攻めの上杉軍である。これに従っていた藤田信吉(藤田廉邦の次男)は八王子
城に詳しい平井無辺を使って、小宮曲輪を奇襲する。これにより、堅城を誇った八王
子城もすべてを奪われ、落城となった。この八王子城の落城を受けて、7月9日には
ついに小田原城も開城した。このあと奥羽仕置きなどが続くが、八王子城落城によっ
て事実上戦国が終わったと言える。

 北条氏照は兄氏政とともに主戦派と見なされて、秀吉によって切腹させられた。そ
の墓所は、八王子城の麓に営まれている。当主の氏直は助命されて高野山に流された
が、翌年に疱瘡で亡くなっている。韮山城を守っていた氏規(氏照の弟)は家康との親
交が厚かったこともあって、高野山に流されたあとに許されて河内狭山城主として大
名に復活している。また、忍城は城主の成田長氏は小田原城に入っていたものの、娘
の甲斐姫がよく守り抜いている。甲斐姫が秀吉の側室となったこともあって、長氏は
秀吉に取り立てられて、下野烏山城主として2万石の大名になっている。

 小田原北条氏滅亡ののちは関八州は徳川家康に与えられ、八王子城も徳川家のもの
となった。八王子城の攻城戦では多くの兵士が亡くなり、その遺体が各所に横たわっ
ていたという。そのようなこともあって、八王子城のあった深沢山は「忌み山」とな
って地元の人も近づかなかった。そのため遺構がよく残り、昭和26年(1951)には国の
史跡にも指定された。さらに昭和60年(1985)からは八王子市によって発掘調査と整備
が進められ、平成元年(1989)からは御主殿地区を中心に整備工事が実施されている。


◆安土城を意識したと見られる御主殿地区の石垣などは見どころの第一

 八王子城跡入口のY字路から八王子城に向かって歩いていくと、数百mで宗閑寺と
なる。このお寺は氏照の菩提寺となっているので、是非お参りしたい。この宗閑寺の
手前で道が屈折しており、両側には土塁も残っている。ここが八王子城の惣構えで、
ここからが八王子城の城下町となる。そのまま進むと氏照墓所の案内があるので、こ
こを右に入る。途中に八王子城址歴史資料館があるが、個人でやっている資料館で氏
照着用の兜や八王子城からの出土品などが展示してある。そのまま進むと、氏照の墓
所となる。

 戻って道を上ると、八王子城跡管理棟がある。ここに100名城のスタンプが置い
てあるが、それとともに八王子城のパンフレットなどもあるので入手しておきたい。
ここで道が二つに分かれ、右に行くと各曲輪群を経て柵門台に至る。管理棟のある一
帯は近藤曲輪があったあたりで、深い堀を隔てた向かいが山下曲輪である。上下二段
となっており、上段には観音堂、下段には大悲閣が建てられているが、土塁などが残
っている。この曲輪はかなり大きく、御主殿や柵門台へ至る登城路を守るための重要
な曲輪である。そのとなりにはアシダ(足駄?)曲輪があるが、昭和40年(1965)にブル
ドーザーによってかなり破壊されてしまった。

 城山川に沿った道を上り、橋を渡ったあたりが大手門跡である。ここまでの道は後
世のもので、本来の大手道は城山川の右岸にあったが、現在は大部分が埋もれたりし
ている。ここから復元された大手道を歩いていくと、右手に何段にも積まれた石垣と
大きな引(曳)橋が見える。この橋を渡ると石垣に囲まれた虎口があり、さらに御主殿
へと進む石段となる。このあたり、八王子城のハイライトである。

 引橋は現代工法によって復元されているが、実際にどのような橋があったかは不明
である。橋台部が存在することから橋があったことは確実だが、実際には簡単なもの
でいざというときには引いて渡れなくするようなものだったと推察される。虎口の石
垣の大部分も復元であるが、よく見ると築城当時の部分も残っている。また御主殿へ
と登る石段は上部へ行くほど広くなっており、下から見ると同じ幅に見えるように工
夫されている。

 この石段部分などを見ると、安土城を思い浮かべるが、実際に安土城を意識したと
考えられている。古くから氏照に仕えていた側近の間宮綱信は使者として安土城に赴
いており、その様子は氏照に詳しく伝えられたはずである。石垣を多用していること
や壮大な虎口に石段、さらに広くまっすぐな大手道は、いずれも安土城に通じるもの
がある。


◆御主殿上の四段石垣をはじめ、高丸など至る所に石垣が用いられている

 御主殿の奥に、山頂の曲輪群へ上る道がある。この道は初心者には勧められず、知
っている人と一緒に登るのが安全である。10分ほど登ると、四段石垣と呼ばれる石垣
群がある。安土城などのいわゆる穴太衆積みと比べると稚拙な積み方と言えるが、か
なりの規模の石垣群が残っているのは貴重である。まだ石垣積みの技術が十分に発達
していないためか、太田金山城に見られるような顎石が施されている。これは石垣の
下の段の石が少し手前に出っ張っているもので、石の重さを分散させる工夫である。

 そのまま登っていくと、山王台と呼ばれる山の斜面に突き出した曲輪に達する。こ
こを右に行くと、柵門台に出る。柵門台にはこの道のほかに、山上口から途中金子曲
輪を経て上る道や搦め手である滝沢川方面からの登り道などが集まるという非常に重
要な場所である。この柵門台からその上の高丸にかけては、規模は小さいものの至る
所に石垣が見受けられる。特に高丸の手前には、道の内側の曲線に沿って石垣が取り
巻いている。

 高丸からさらに登ると、激戦のあった中曲輪に達する。右手には小宮曲輪が、左手
には松木曲輪があり、正面の中曲輪上の段と本丸とを加えて、三方から攻撃を受ける
形となる。小宮曲輪から細い山道を登ると本丸に達するが、あまり大きな曲輪ではな
い。一方の松木曲輪からは都心方面が一望でき、ハイカー達の絶好の休憩場所となっ
ている。なお、これらの山頂曲輪群を取り囲むように、馬車道と呼ばれる周回路がほ
ぼ等高線に沿った形で設けられている。


◆二つの大きな堀切と、石塁が続く道を経た詰めの城が見どころ

 松木曲輪から馬場道へと下りる途中に、炊井の井戸がある。手押しポンプが付いて
いて、今でも水が出る。馬場道に出て西へと進むと、馬冷と呼ばれる大きな堀切とな
る。ここも柵門台同様にいくつかの道が合流しており、山頂の要害地区の西側を守る
重要な地点である。正面の登り道を進むと、大天守と呼ばれる詰めの城へと通じる。
だらだらとした道であるが、道の横には石塁が設けられていたと思える遺構がよく残
っている。

 石塁を横に見ながら登り切ると、大天守と呼ばれる小さな曲輪がある。なぜ大天守
という名前になったかはよく分からないが、実際に天守があったとは考えにくい。ま
た曲輪自体もかなり小さなもので、いわゆる詰めの城というにも規模が小さすぎる。
この曲輪のすぐ下には岩盤を切り取った大きな堀切が設けられており、ここが八王子
城の西の端となる。したがって、ここは西の尾根伝いに侵入する敵を見張るための、
物見台あるいは櫓台と考えるのが妥当と思える。

 堀切を過ぎると尾根伝いに高尾山方面へと通じており、いざというときの脱出路だ
ったとも考えられる。大天守台から堀切の方へ下りずに、北の方に下りると尾根伝い
に小さな曲輪がいくつも並んでいる。またこれらの曲輪に対しても石垣が設けられて
いることから、八王子城がいかに規模の大きな山城であったかが分かる。曲輪群が途
切れたあたりから等高線に沿った道が付けられているので、これをたどると先ほどの
馬冷に戻ることが出来る。なお、この道は上下二段に造られており、ほかの城には見
られない八王子城の特徴の一つである。

 馬場道をめぐって、柵門台まで戻る。ここから少し下りた左側の小道を行くと、か
なり大規模な石垣が残っている。八王子城の石垣は地形に逆らわずに築かれていると
ころが多く、ここの石垣も弓状となっている。この石垣は城内随一のものと思われる
が、大雨の影響などで一部崩れているのが残念である。柵門台からの道を下りていく
と、比較的大きな曲輪である金子曲輪となる。ここは金子三郎右衛門家重が守ってい
たことからその名があり、八王子城が攻められたときの第一の防衛戦となるところで
ある。

 このように八王子城は非常に規模の大きな山城で、すべてを見てまわるには一日を
完全に費やしてしまう。またかなりきつい山登りともなるので、十分な準備をしてか
ら登城したい。また案内板などもほとんどないために、縄張図や案内図などを持って
行かないと、遺構などを見逃してしまうし、最悪どこにいるのかも分からなくなって
しまいます。出来れば、最初は知っている人とともに登るのが良いでしょう。八王子
城に行きたいが知っている人がいないという方にお薦めが、「八王子城とオオタカを
守る会」が毎冬に行っている「お城のガイド案内」です。今年はもう終わってしまい
ましたが、また11月頃から始まると思います。詳細については、下記の守る会のサイ
トをご覧下さい。

 http://www.e-sit.jp/~hachioujijyou/


◆八王子城関係の参考書
 八王子城を散策するにあたって参考となる書籍には、以下のようなものがあります。
・歴史群像シリーズ「よみがえる日本の城2 江戸城・小田原城」(学研)    780円
・「戦国の終わりを告げた城」(椚国男著、六興出版)           1,400円
 八王子城についてはこの本が第一であるが、残念ながら絶版となっており、古本屋
 でもほとんど入手できない。もし図書館などで見かけたら、是非一読して欲しい。
 なお、本稿で八王子城のことを「戦国に終わりを告げた城」と表現したのは、この
 椚先生の書名からである。
・「改定新版 八王子城 みる・きく・あるく」(峰岸純夫ほか編、揺籃社)  735円
 80ページほどの薄い本であるが、八王子城についてコンパクトにまとめてある。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 お城に関する最近の話題、新刊書の案内、発掘情報、学会・セミナーや現地説明会
などの情報をお届けするメールマガジン『城郭ニュース』も、発行しています。お城
についての最新情報が得られるとともに、お城めぐりにも役に立つと思います。登録
は、下記からお願いいたします。
 http://www.mag2.com/m/0000169418.html
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


**************************************
* 「お城ファン倶楽部」ホームページ(http://www.castle7.org)では、城郭ニュ*
*ース、国宝・重文一覧、史跡一覧、韓国に残る倭城などのお城に関する情報を発*
*信しています。このメールマガジンと併せて、ホームページもご覧になっていた*
*だけると幸いです。                           *
**************************************


===お=し=ろ=ふ=ぁ=ん=く=ら=ぶ==================
 ◆発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
 ◆配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000168576.html
 ◆発行者:お城ファン倶楽部
 ◆ご意見・ご感想は castle7@yahoo.co.jp
 ◆HP: http://www.castle7.org/
==================お=し=ろ=ふ=ぁ=ん=く=ら=ぶ===
最新号をメルマガでお届け
登録 解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る