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2008/04/02

【お城ファン倶楽部 No.137】日本100名城(その9)水戸城

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【お城ファン倶楽部 No.137】日本100名城(その9)水戸城
                              2008/04/02(Wed)
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 茨城県で日本100名城に選定されているのは、水戸城だけである。ご存じ御三家
の城であるが、尾張や紀伊に比べると非常に地味である。石垣が一切使われていない
こともあって、近世城郭というよりも中世城郭の趣がかなり強い。それでも深い堀や
随所に残る土塁などに、往時の面影を多く見いだすことが出来る。


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 水戸城
  所 在 地:茨城県水戸市
  史跡区分:茨城県指定史跡、薬医門は茨城県指定有形文化財
       藩校弘道館は国の特別史跡、正庁・至善堂・正門は国の重要文化財
       偕楽園は国の史跡ならびに名勝に指定
  入 場 料:なし、弘道館は190円(9:00〜16:00、12月29日〜31日は休館)
  交通機関:車の場合は常磐自動車道水戸ICで下り、国道50号で水戸市内に向か
       う。水戸駅のちょっと手前の銀杏坂交差点を左折し、一方通行路を道
       なりに進むと弘道館に着く。この弘道館のあるあたりはすでに三の丸
       跡で、弘道館前を右折して大手橋を渡る。大手橋を渡った一帯が二の
       丸で、その先の本城橋を渡った先が本丸である。弘道館前には駐車場
       があるが、水戸城本丸や二の丸には特にないので、適当な場所に駐車
       する。
       公共交通機関の場合は、JR常磐線水戸駅で下車する。北口に出たら、
       少し先の銀杏坂交差点を右に曲がる。突き当たりを右に曲がって道な
       りに進むと、弘道館となる。その先は、上記車の場合と同じである。
       水戸駅から本丸跡まで約1kmちょっと、歩いて15分ほどである。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/mito.htm
 http://woodone3831.hp.infoseek.co.jp/c-1-3-4-6-siro-MITO.html
 http://www.siromegu.com/castle/ibaraki/mito/mito.htm
 http://www.h6.dion.ne.jp/~rekishi/mito/index.html
 http://www7a.biglobe.ne.jp/~ao36/ibarakikenou/mito.htm
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◆馬場(大掾)資幹が建久年間に初めて築城し、室町期に江戸道房が拡張

 水戸城の前身となる馬場城が築かれたのは非常に古く、平安末期から鎌倉初期の建
久年間(1190〜98)と言われている。建久4年(1193)に馬場(大掾)資幹が源頼朝からこ
の地を賜り、大掾に任じられたのに始まる。資幹は鎮守府将軍常陸大掾であった平国
香の子孫で、現在水戸一高のグラウンドとなっているあたりに居館を構え、馬場城と
した。国香は高望王の嫡男で武家平氏の実質的な始まりとされる一人で、その子貞盛
は平将門の乱で藤原秀郷とともに将門を討ったことで、常陸に多くの所領を得た。

 平貞盛の子孫は代々常陸大掾職に任じられたことから大掾氏と呼ばれ、宗家は筑波
郡多気に本拠を置く多気氏であった。建久4年(1193)に多気義幹が失脚すると、庶家
の吉田資幹が大掾職となって宗家を継いだ。これが初めて水戸城(馬場城)を築いた馬
場(大掾)氏で、その後9代約 240年にわたってこの地を支配した。室町時代に入った
応永23年(1416)に起こった上杉禅秀の乱で、満幹を中心とする大掾氏一族は前関東管
領である上杉氏憲(禅秀)方につく。しかし鎌倉公方足利持氏方に敗れ、水戸を中心と
した所領は持氏方の江戸道房に与えられる。満幹はこれに従わずに馬場城を出なかっ
たが、応永26年(1419)に留守にしている間に道房に攻め落とされてしまった。

 馬場城を落として名実ともに水戸地方を支配することとなった江戸氏は、以後7代
約 170年にわたって那珂川中下流域で勢力を誇った。ちなみに武蔵江戸氏とは別の一
族である。道房はそれまでの本城に加えて、現在の茨城大学付属小、水戸二中および
水戸三高のある地域に宿城を築くなど馬場城の拡張を行った。戦国末期となる天正18
年(1590)の豊臣秀吉による小田原征伐の際に、江戸重通は小田原北条氏方につく。こ
のため小田原開城後は小田原に参陣した常陸守護であった佐竹氏に、常陸一国54万石
が与えられた。


◆佐竹氏が拡張したあとに、徳川頼房によって現在の形に大改修

 江戸重通は豊臣秀吉の命に従わずに馬場城に籠城して抵抗したため、佐竹義重・義
宣父子は馬場城を攻め落とす。佐竹氏はそれまで居城としていた常陸太田城から本拠
を水戸に移すとともに、城の大改修を行う。それまで内城と呼ばれていた部分を古実
城と称して本丸とし、宿城を二の丸として整備した。さらにそれまで東側にあった大
手を西に移し、橋詰門を建て、二の丸には大手門を建てるなど多くの建物を建てた。
そして、それまで馬場城と呼ばれていたのを、水戸城と改称した。

 佐竹氏が水戸にいたのはわずか十二三年で、会津の上杉景勝攻めや関ヶ原の戦いで
はっきりした態度を示さなかったために、慶長7年(1602)に徳川家康によって秋田に
国替えとなってしまった。家康は自身の五男武田信吉を奥州に睨みを効かせるために
15万石で入れたが、翌年に後継ぎがないまま亡くなってしまった。その跡に入ったの
はやはり家康の十男であった徳川頼宣(のちの紀伊徳川家の祖)で、20万石の所領であ
った。

 慶長14年(1609)にはその頼宣も駿府に50万石で移り、替わって下妻城より家康の末
子で十一男の徳川頼房が25万石で水戸城に入った。徳川御三家の一つ水戸家の始まり
で、以後代々続いて明治を迎えている。寛永2年(1625)から、頼房は城の大改修と城
下町の拡充を行う。佐竹氏時代の二の丸を実質的な本丸として表御殿、奥向御殿や奥
御殿などを建てて政治の中心とし、さらに隣接して三層五階の御三階櫓を建てた。水
戸城には天守はなかったが、この御三階櫓が実質的な天守であった。さらに二の丸の
西側に三の丸を造り、外堀の拡張などを行って、寛永15年(1638)にほぼ完成した。明
和元年(1764)に起きた火災のため、御三階櫓をはじめとして水戸城の建物のほとんど
が焼失してしまった。ときの当主5代宗翰は早速再建を行い、同6年(1769)には御三
階櫓も再建されている。

 天保12年(1841)に第9代当主の斉昭は、それまで重臣の屋敷地であった三の丸内に
藩校弘道館を創設する。現在でも政庁、至善堂や正門が残って国の重要文化財に、さ
らに一帯は国の特別史跡にも指定されている。斉昭は翌年には千波湖に臨む七面山を
切り開いて偕楽園を造園した。これは弘道館で学ぶ家臣たちの休養の場とするととも
に、領民と偕(とも)に楽しむ場にするという意味である。実際、毎月三と八の付く日
には領民に開放されていた。この偕楽園は金沢の兼六園および岡山の後楽園とともに
日本三名園となっているが、その精神が引き継がれているためか偕楽園のみが無料で
開放されている。

 幕末には改革派の天狗党と保守派の諸生党とに藩論が二分され、この争いは慶応4
年(1868)には水戸城下での戦闘に発展して、城内の多くの建物が焼失した。明治4年
(1871)の廃藩置県によって廃城となり、さらに翌年には放火によってほとんどの建物
が焼失してしまった。天守代わりの御三階櫓などわずかな建物が残っていたが、これ
も太平洋戦争時に焼失している。


◆三の丸や二の丸には土塁がよく残り、三の丸の弘道館は必見

 水戸駅の方から歩いていくと最初に迎えてくれるのは、三の丸である。前述のよう
に幕末に弘道館が開設され、明治以降は県庁や小学校となっている。しかし西側には
堀と土塁が残り、かつての水戸城の名残りをよくとどめている。三の丸では、やはり
弘道館は必見である。水戸家では教育に力を注いだと言われ、学校奉行が弘道館の経
営にあたった。全国的に藩校は数多く設置されたが、その中でも規模が大きく、遺構
もよく残っている。学問は一生行うものであるとの考えから、特に卒業ということは
なく、若年者から高齢者まで同じ場で学んだという。

 弘道館の正面にあるのが二の丸とを区切る大きな堀で、現在は県道 232号線が走っ
ている。橋を渡ったところにかつては大手門があったが、その名残りで道路は鈎型と
なっている。この大手門跡の両側には、土塁がよく残っている。この先の広い一帯が
実質的な本丸であった二の丸だが、現在は茨城大学付属小、水戸三高や水戸二中とな
っていて一般には入ることができない。

 この二の丸の南には天守代わりの御三階櫓が建っていたが、これは非常に珍しい形
態をとっていた。通常の天守や櫓は天守台や櫓台と呼ばれる石垣造りの台の上に建っ
ているが、御三階櫓は直接地面に置かれた礎石の上に乗っていた。さらに破風などの
装飾もなく、一重目は海鼠壁であった。ただ内部は五階と高さはかなりあり、現存の
伊予松山城や宇和島城の天守よりも高かったようで、御三家の格式がかいま見える。

▼御三階櫓の古写真は、下記のブログでみることが出来ます。
 彩色された絵葉書ですが、「2007/10/28/Sun」の項にあります。
 http://besankosyashin.blog56.fc2.com/blog-category-3.html

▼弘道館については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.mitokoumon.com/shisetsu/kankou/koudoukan.html
 http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kodokan03.html
 http://komonsan.on.arena.ne.jp/htm/koudo.htm


◆各曲輪を仕切る堀は壮大で見応え十分、本丸には唯一の建物遺構の薬医門

 二の丸内を走る水戸城跡通りを進むと、本丸とを仕切る深い堀に出る。現在は下を
JR水郡線が走っているが、三の丸との間の掘同様に壮大なものである。橋を渡ると
本丸となるが、渡ったところにあるのが唯一の現存建物遺構と言ってよい薬医門であ
る。本丸から二の丸に通じる橋詰御門と推定されているが、非常に大きく見栄えのす
るものである。明治の廃城後に市内の祇園寺に移築されていたが、昭和56年(1981)に
現在地に移された。その構造などから慶長年間のものと思われ、佐竹氏時代のものと
推定されている。本丸一帯は現在は水戸一高となっているが、見学は可能である。

 この水戸一高の表門となっている部分が本丸表口となる橋詰門があったところで、
桝形を構成する土塁がよく残っている。本丸はあまり広くなかったために、江戸時代
は倉庫的な使われた方をしていたようで、大規模な城米貯蔵庫が置かれていた。本丸
東側の一段低い部分は東二の丸あるいは下の丸と呼ばれた部分で、現在は水戸一高の
グラウンドとなっている。


◆足を伸ばして、偕楽園へも

 水戸城は西から三の丸、二の丸そして本丸と連なる、いわゆる連郭式の縄張りで、
北を流れる那珂川と南の千波湖を天然の堀としていた。東側は崖で守られていたが、
西は台地続きのために、堀と土塁で何重にか防備されていた。南側の千波湖に面する
形で作られたのが偕楽園で、公園であるとともに出城としての役割もあるという。こ
こは梅の名所として全国的に有名であるが、これは非常時の食料になることから植え
られたといわれている。ただ梅は、偕楽園を造った斉昭が好んだ花でもあった。

 梅の時期には全国から多くの観光客が訪れ、臨時の「偕楽園」駅も営業する。園内
には「好文亭」という名の二階建て(内部は三階)の休憩所が建てられているが、これ
は梅の木の異名である「好文木」から名付けられたものである。惜しくも戦災で焼失
してしまったが、昭和33年(1958)に復元された。しかし昭和44年(1969)には落雷で再
度焼失し、昭和47年(1972)に再々建された。内部には日本で初めてのエレベータとい
う荷物運搬用のリフトがあるが、愛嬌である。一階には御座の間や控の間などが設け
られ、二階には小部屋が一つあるだけである。三階は楽寿楼と呼ばれる当主の御座の
間があり、床柱には島津斉彬から送られた孟宗竹が使われている。

▼偕楽園については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.koen.pref.ibaraki.jp/park/kairakuen01.html
 http://www.kairakuen.u-888.com/
 http://www.mitokoumon.com/shisetsu/kankou/kairakuen.html


◆水戸城関係の参考書
 水戸城を散策するにあたって参考となる書籍には、以下のようなものがあります。
・小学館ウィークリーブック「週刊名城をゆく第50号 水戸城」       560円
・歴史群像シリーズ「よみがえる日本の城15 水戸城・川越城」(学研)    730円
・「図説 茨城の城郭」(茨城城郭研究会編、国書刊行会)        2,940円
 茨城の城郭には水戸城も載っていますが、それよりも茨城県内の城郭巡りには最適
 の書です。県内の中世城郭が 140ほども縄張図付きで紹介されており、買って損の
 ない本です。


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