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2008/02/27

【お城ファン倶楽部 No.132】日本100名城(その4)仙台城

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【お城ファン倶楽部 No.132】日本100名城(その4)仙台城
                              2008/02/27(Wed)
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 宮城県でもう一ヶ所選定されているのが、今回紹介する仙台城である。仙台城と言
うよりも、青葉城と言った方がしっくり来るかも知れない。ご存じのように伊達政宗
によって造られた城で、青葉山全体に縄張りされた大変に広い城である。観光で行く
と山頂部の本丸しか行かないが、むしろ中腹や麓に広がる二の丸や三の丸の方が見ど
ころが多い。


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 仙台城(別名:青葉城)
  所 在 地:宮城県仙台市青葉区青葉山・川内
  史跡区分:国指定史跡(平成15年5月16日に指定)
  入 場 料:なし、仙台城見聞館も無料(9:00〜17:00、年中無休)
  交通機関:車の場合は、仙台駅前から青葉通りをまっすぐ西に進む。大橋で広瀬
       川を渡り、そのまま坂道を登ると左側に復元された大手門が見える。
       この大手門のところを左折し、山道を登る。そのまま進むと、仙台城
       本丸となる。駐車場はそのまま進んで、ちょうど本丸の反対側に見学
       者用の駐車場がある。なお、二の丸や三の丸周辺を見るには、麓にあ
       る仙台市博物館の駐車場が便利である。仙台市博物館については、下
       記サイトをご覧下さい。
       http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/guide/index.html
       公共交通機関の場合は、仙台駅前から市バスの動物公園線、緑が丘線
       または西の平線を利用する。20〜25分ほど乗車し、仙台城跡南バス停
       で下車する。ここから仙台城本丸までは、徒歩数分である。
       バスの路線や時刻については、下記仙台市営バスのサイトをご覧下さ
       い。
       http://www.kotsu.city.sendai.jp/
       仙台城以外にも市内をバスでめぐるには、一日乗車券で乗り降り自由
       な「るーぷす仙台」が便利である。
       http://www.kotsu.city.sendai.jp/
 http://www.sendaijyo.com/
 http://joukan-tamashy.web.infoseek.co.jp/joukan/miyagi/sendai/sendai.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/sendai.htm
 http://www5d.biglobe.ne.jp/~DD2/oscilloscope/c-sendai/sendai.htm
 http://inoues.net/club2/aobajyo.html
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◆独眼竜政宗によって慶長年間に青葉山に築城

 青葉城恋歌のヒットなどにより、仙台城というよりも青葉城といった方がしっくり
来るという人も多いかも知れない。その仙台城は江戸時代初めの慶長年間に、独眼竜
と称された伊達政宗によって青葉山の山頂一帯に築かれた。青葉山にはそれ以前から
城が築かれており、初めは千体城といい、のちには千代城と呼ばれたようである。も
ともとの城がいつ頃築かれたかは定かではないが、鎌倉時代末期から室町時代中期に
かけて、薩摩の島津氏の分かれである奥州島津氏が陸奥守を称して居城したようであ
る。その後の室町時代末期から戦国時代にかけては、国分荘の国人であった国分氏が
居城したと伝わる。

 伊達氏は常陸国伊佐郡あるいは下野国中村荘の出自と伝えられ、源頼朝による奥州
合戦に従軍して戦功を挙げた常陸入道念西が現在の福島県伊達郡および伊達市にあた
る伊達郡を与えられて伊達朝宗を名乗ったことに始まる。その後次第に勢力を拡大し
て、居城も朝宗の高子館(伊達市保原町)から梁川城(同市梁川町)へ、さらに桑折西山
城(伊達郡桑折町)へと移った。そして天文17年(1548)に第15代晴宗は、居城を米沢城
に移した。晴宗の孫にあたる伊達政宗が生まれたのはこの米沢城で、永禄10年(1567)
のことであった。

 天正12年(1584)に父輝宗から家督を継いで17代当主となった政宗は、翌年には人取
橋の戦いで3倍の兵力を有する蘆名氏・佐竹氏連合軍と互角の戦いをする。そして、
天正16年(1588)の郡山合戦で蘆名氏・佐竹氏を中心とする反伊達連合に勝利し、翌年
の奥州南部の覇権をかけて行われた摺上原の戦いでも連合軍に勝利する。本城であっ
た黒川城を落とされた蘆名義広は常陸に逃がれ、ここに蘆名氏は滅びる。さらに須賀
川城の二階堂氏をも滅ぼして、政宗は奥州南部のほとんどを手に入れた。

 この頃中央では豊臣秀吉による天下統一が完成に近づいており、天正18年(1590)7
月には小田原北条氏を滅ぼした。政宗は小田原参陣が遅れたとの理由で一時苦境に立
つが、秀吉への臣従を誓って本領を安堵された。しかしながら蘆名氏から奪った会津
領などは秀吉の命に反した私闘であるとされて、没収されてしまった。これにより、
一時は 150万石あった所領は半分の72万石となった。翌年の葛西大崎一揆では秀吉か
ら派遣されていた蒲生氏郷とともに平定するが、一揆を扇動した疑いをかけられる。
政宗は上洛して秀吉に弁明して許されるが、米沢城から玉造郡岩出沢城へ移され、所
領も58万石に減らされた。政宗は岩出沢城を岩出山城と改名して、入った。

 豊臣政権下では五大老の一人として重きを置いたが、関ヶ原の合戦では東軍に与し
て上杉景勝と戦った。このとき徳川家康からいわゆる百万石のお墨付きをもらってい
たが、南部氏領内での和賀一揆を扇動した疑いで、実行されなかった。結果的に2万
石の加増にとどまったが、仙台開府の許可を得た。岩出山城では領内の西北に位置す
るために、仙台への築城・移転を考えたと思われる。こうして慶長5年(1600)12月か
ら、青葉山での築城が開始された。またその名も、これまでの千代を仙台と改めた。

▼高子館については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www7.plala.or.jp/t-aterui/fukushima/f-aunomatubara2.html
 http://www5d.biglobe.ne.jp/~hisaya/nakahokubu.htm#yanagawa1
 http://minkara.carview.co.jp/userid/157690/spot/186886/

▼梁川城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/iwasiroyanagawa.htm
 http://blogs.yahoo.co.jp/xym92373/36757831.html
 http://www7.plala.or.jp/oygd/yanagawaziyou.html

▼米沢城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www3.omn.ne.jp/~nishiki/yonezawajo.htm
 http://www1.ocn.ne.jp/~miyagino/yonezawajo.html
 http://www.siromegu.com/castle/yamagata/yonezawa/yonezawa.htm

▼岩出山城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://web1.aaacafe.ne.jp/~yataro/iwadeyamajo.htm
 http://www.miyatasan.com/~yagifau/fujinamiism/iwadeyamajo.htm
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~kamomax/iwadeyama.htm


◆山上の本丸は政宗によって、ふもとの二の丸と三の丸は二代忠宗によって築城

 築城開始からほぼ一年が経った慶長7年(1602)には、早くもそれまでの居城であっ
た岩出山から家臣や町人などを仙台に移している。その翌年には、ほぼ築城は完成す
る。政宗によって築城された仙台城は山上部の本丸と西の丸といわれ、天守台は築か
れたが天守は築かれなかった。なお天守台は現存するが、宮城県護国神社の神域にあ
って立ち入りは出来ない。その後も工事は継続され、中心的な建物である本丸大広間
が完成したのは慶長15年(1610)である。

 政宗は寛永4年(1627)から若林城の築城を開始し、翌年に完成するとそこに移り、
仙台城には嗣子の忠宗が入った。元和の一国一城令により領国内に二つ以上の城を持
てないために、幕府には屋敷として届け出た。寛永13年(1636)に江戸で政宗が亡くな
るとこの若林城は廃城となり、明治になって宮城集治監となり、現在は宮城刑務所に
なっている。宮城刑務所の建て替えにともなって平成16年(2004)から仙台市教育委員
会によって行われた発掘調査により、初めて若林城の遺構が発見された。現在も発掘
調査を続けられ、その全容の解明も近いと思われる。

 江戸で亡くなった政宗は仙台に移され、二代藩主忠宗によって造られた瑞鳳殿に葬
られた。戦前には国宝に指定されていたが、惜しくも戦災で焼失してしまった。現在
の瑞鳳殿は昭和54年(1979)に再建されたものであるが、一見の価値はあると思う。な
お、昭和49年(1974)に遺骨や副葬品の発掘調査が行われ、政宗は身長約 160cmで血液
型はB型であることが分かった。

 二代当主となった忠宗は政宗の次男で、長男秀宗は庶子のため当主とはならなかっ
た。しかし慶長19年(1614)の大坂冬の陣に参陣し、戦後政宗に与えられた伊予宇和島
10万石を別家として継いで初代藩主となっている。二代忠宗の時代となると世の中も
収まり、山上の城ではいろいろと不便なことが多くなった。そこで寛永14年(1637)に
山麓部分に二の丸と三の丸の造営を行い、翌年には完成している。二の丸は現在東北
大学文学部や法学部などがある川内キャンパス一帯で、藩主の住む屋敷や能舞台も備
えて、江戸時代を通じて藩政の中心であった。三の丸は現在仙台市博物館が建てられ
ている辺り一帯で、藩の米蔵が置かれた。

 正保3年(1646)に仙台地方を襲った大地震により、本丸城壁や櫓などがことごとく
倒壊してしまった。すぐに再建されたが、寛文8年(1668)には再び大地震によって倒
壊してしまった。さらに文化元年(1804)には落雷による火事で、二の丸中奥が全焼し
ている。5年後に二の丸は再建されたが、天保6年(1835)にはまた地震が起きて本丸
の城壁が崩れている。平成10年(1998)から行われた本丸石垣の調査および修復工事に
よって、三期にわたって石垣が存在していたことが明らかとなった。また、地震によ
る修復の跡も認められた。

 戊辰戦争においても仙台は戦場となることはなかったために、仙台城はほぼ無傷の
ままに明治を迎えた。明治4年(1871)になると陸軍の東北鎮台(のちの陸軍第二師団)
が仙台城内に置かれ、このときに本丸のかなりの部分が破壊されてしまった。明治15
年(1882)に二の丸や三の丸に隣接する追廻で開催された西南の役戦没者招魂祭で、不
発花火の落下による火災で二の丸遺構のほとんどは灰燼に帰してしまった。二の丸へ
の表門であった大手門と隅櫓は国宝に指定されていたが、昭和20年(1945)の仙台空襲
によって焼失した。この空襲で、二の丸に残っていた表舞台楽屋も焼失する。

 このように仙台城の建物はほとんどすべてが失われたが、いくつかの城門が移築さ
れて現存する。寅の門が知事公舎の正門として移築され、宮城県指定有形文化財とな
っている。ただし本来二階建ての楼門形式であったので、現存というのは正確ではな
いかも知れない。また、本丸搦手にあった辰ノ口門が市内泉区西田中にある満興寺の
山門として移築されているが、本来の萱葺が瓦葺に改変されている。さらに二の丸勘
定所の板倉が宮城県指定有形文化財として市内の民家に現存するほか、藩校養賢堂正
門が市内若林区の泰心院山門(仙台市指定有形文化財)として移築現存する。

▼若林城については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.stks.city.sendai.jp/citizen/WebPages/wakachu/joho/j001.html
 http://homepage2.nifty.com/nanbu_hachinohe/kojo_miyagi/wakabayasi.html
 http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/wakabayashi/1.html

▼仙台城の発掘調査の資料などは、下記仙台市教育委員会のサイトで入手できます。
 http://www.sendaijyo.com/


◆竜ノ口渓谷を見てから、本丸へ

 観光で行くと山上の本丸部しか見ないが、城郭ファンとしてはやはり二の丸や三の
丸なども含めてすべてをめぐりたい。そのためにはバスなどで山上の本丸にのぼり、
歩いて山を下りながらあちらこちらを見るのがよいと思われる。バスの場合本丸直下
の仙台城跡や搦め手の城跡南というバス停があるが、その先の八木山橋バス停で下り
たい。この八木山橋をわたりながら、眼下の竜ノ口渓谷の絶景を見たい。この部分は
絶壁になっており、仙台城の南は完全に守られていることが分かる。

 八木山橋を渡って少し坂道を登っていくと、右に城内に入る道がある。ここを行く
と、搦め手になる埋門跡となる。東側には巽櫓跡があり、島崎藤村の「草枕の詩碑」
が建っている。本丸はどこからでも市内の眺めがよいが、この巽櫓跡もビューポイン
トのひとつである。なお、この本丸内には「荒城の月碑」と作詞した土井晩翠の胸像
も置かれている。「荒城の月碑」は瀧廉太郎の故郷竹田城のほか、会津若松城や福岡
城(岩手県二戸市)など各地に建てられている。仙台城に建てられているのは、晩翠が
晩年を過ごしたのは仙台であることと、「垣に残るは唯かづら 松に歌ふはたゞ嵐」
の歌詞が仙台城を詠んだものであるからである。

 本丸には青葉城資料展示館、本丸会館や社務所など多くの建物が建っており、往時
の姿にはほど遠い。また宮城県護国神社となっているあたりは、西の丸と呼ばれた部
分である。この裏手に天守台があるが、立入禁止となっている。本丸南側の土井晩翠
像があるあたりには、懸造(かけづくり)の建物があった。懸造とはいわゆる懸崖造り
のことで、清水寺の舞台を思い浮かべてもらえばよい。ただ城郭建造物としては大変
に珍しく、福山城に復元されている湯殿が現在見ることの出来る唯一のものと思われ
る。この懸造は風雅な建物ではあるが、いざ籠城となると、崖を登ってくる敵に上か
ら攻撃を仕掛けることが出来るものであった。

 本丸東側の伊達政宗騎馬像があるうしろ一帯には、本丸御殿大広間があった。現在
でも発掘調査が続けられており、次第にその全体像が明らかになりつつある。この大
広間には天皇や将軍専用の上々段の間があったが、使われることはなかった。仙台城
には天守は上げられてなかったが、その代わりの役割を果たしたのが北東隅に建てら
れた三重の艮櫓であった。この艮櫓については復元計画があったが、その下に政宗時
代の石垣が発見されたことなどによって中止となっている。

 本丸御殿大広間があった西側に、平成18年(2006)にガイダンス施設である「仙台城
見聞館」が開館した。伊達政宗による仙台城の築城と城下町の歴史がパネル展示され
ているほか、城内の遺構や発掘調査の成果、各種模型・レプリカが展示されている。
また、石垣修復工事などが映像で紹介されている。仙台城を見てまわる前に、ここで
まずは予習するのもよいかも知れない。

 本丸北側の鳥居が建っているあたりが詰門跡で、大手となる。この詰門の両側に築
かれている石垣は高さも非常に高く、見応え十分である。時間に余裕があれば二の丸
や三の丸へ下りる前に、御裏林にも寄りたい。詰門を左に出てしばらく歩き、石垣が
とぎれるあたりの右手に谷に下りる道がある。この道を下りていくと、仙台城の水源
となっていた御清水がある。さらにその奥へと進むと堀切跡などをみることが出来る
が、東北大学植物園となっているので案内なしでは止めた方が良いでしょう。

▼仙台城見聞館の詳細については、下記公式サイトをご覧下さい。
 http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/guidance/index.html


◆三の丸は清水門が見どころ、大手門の復元計画ははっきりせず

 本丸から右に出て坂道を下りると、しばらくして沢門跡となる。ここにも若干石垣
が残っており、ここを右に下りていくと三の丸へと通じる。ほぼ下りきったところに
あるのが清水門跡で、石垣がよく残っている。また、ここには「仙台藩御用酒発祥地
碑」も建っている。また門跡を出て右に進むと三の丸巽門跡であるが、このあたりに
は酒蔵が置かれていた。政宗が大和から招いた榧森又右衛門がここで酒造りを始め、
以後幕末まで12代にわたって榧森家は仙台藩の御用酒御酒屋を務めている。

 三の丸には現在仙台市博物館が建てられており、古代から幕末にかけての仙台の歴
史に関するものが展示されている。展示品としては特に仙台藩と伊達氏、慶長遣欧使
節に関連するものが充実しており、幅8mもある巨大な絵図「奥州仙台領絵図」も人
気がある。三の丸の東には長沼が、また北には五色沼と呼ばれるものがあるが、これ
らは三の丸を囲む堀の跡である。北側の五色沼から外へ出るところが子門跡で、石垣
が若干残っている。余談ながら、五色沼は日本でのフィギュアスケートの発祥地だっ
たようで、その碑も建てられている。

 沢門のところで右に入らずにそのまま自動車道を下りると、すぐに中門跡となる。
近年発掘調査が行われ、規模の大きな門であったことが分かった。そのまま道を下っ
ていくと、右に隅櫓が見えてくる。ここは大手門のあったところで、政庁となってい
た二の丸への正門である。ここには大手門と隅櫓が残っていたが、残念ながら戦災で
焼けてしまった。現在の隅櫓は昭和39年(1964)に民間団体再建期成会によって仙台市
に寄付されたもので、期成会は続いて大手門の再建も目指したが資金や用地の問題な
どで実現に至らなかった。

 大手門の復元についてはこれまでもいろいろと話題に上ってきたが、現時点ではま
だ具体的な話はないようである。平成17年(2005)3月に「仙台城跡整備基本計画」が
仙台市によって策定されたが、ここには大手門の復元が入っている。ただ具体的な時
期は記載されておらず、その後も公の情報はないようである。一方地下鉄東西線建設
工事が始まったが、これが竣功する平成27年(2015)頃には復元を始めるという話も聞
くが詳細は不明である。大手門隅櫓の北西一帯の現在東北大学川内キャンパスとなっ
ているところが、二の丸のあったところである。現在はほとんどその遺構は残ってお
らず、大手門北側に残る石垣が唯一といってよいものである

▼仙台市博物館の詳細については、下記公式サイトをご覧下さい。
 http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/


◆仙台藩に独特な要害や所なども実質的な城

 最後に仙台藩における独特な支配体系について、見ておきたい。江戸幕藩体制下の
各藩では、家臣へは禄米を与えるのが一般的であった。仙台藩では主として藩士に知
行地を与える制度を取っており、多くの藩とはその支配体系が異なっていた。また元
和の一国一城令により領国内には原則としてひとつの城しか持てなかったが、仙台藩
で例外として認められたのが白石城である。白石城は政宗の股肱の臣と言ってよい片
倉小十郎景綱に始まる片倉家の居城で、幕府に対して功績があったことで例外とされ
た。

 仙台藩では仙台城と白石城が公式な城であったが、それ以外にも要害などの実質的
な城を多く持っていた。前述のように仙台藩では家臣に知行地を与えていたが、その
在郷居館は城、要害、所、在所と在郷の5つに区分されていた。このうち要害は「城
地之様ニ有之所」で、居館を中心に曲輪を配し、土塁や石垣、堀などで周囲を固めた
実質的な城であった。藩内21ヶ所にあり、亘理要害(亘理伊達氏、2万3千石)、涌谷
要害(涌谷伊達氏、2万2千石)や角田要害(石川氏、2万1千石)などがその代表であ
る。要害は中世城郭を転用したところが多く、訪れる価値のあるところである。

 所は一国一城令によって破却された中世城郭の二の丸付近やその山麓に居館を構え
たものや新規に方形館を構えたもので、幕末でも35ヶ所あった。在所も所と同じよう
なもので、多くは新たに平地に居館を構えた。このように正式の城が2つあることに
加えて、実質的な城も数多く領内に存在していたこととなる。いわば幕藩体制のミニ
版のような存在で、伊達四十八館とも呼ばれた。

▼白石城については、第14号(2005/11/23)をご覧下さい。
 http://archive.mag2.com/0000168576/20051123030000000.html?start=100

▼要害、所、在所や伊達四十八館については、下記サイトを参考にしてください。
 http://mec1.idac.tohoku.ac.jp/date.html
 http://www.city.sendai.jp/kikaku/kokusai/city/date/keihu.html


◆仙台城関係の参考書
 仙台城を散策するにあたって参考となる書籍には、以下のようなものがあります。
・小学館ウィークリーブック「週刊名城をゆく第19号 仙台城」       560円
・歴史街道スペシャル「名城を歩く21 仙台城」(学研)          540円
・歴史群像シリーズ「よみがえる日本の城17 仙台城・会津若松城」(学研) 780円


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