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2008/02/20

【お城ファン倶楽部 No.131】日本100名城(その3)多賀城

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【お城ファン倶楽部 No.131】日本100名城(その3)多賀城
                              2008/02/20(Wed)
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 宮城県では、古代城柵の多賀城と近世城郭の仙台城が選定された。今回はそのうち
の多賀城を取り上げるが、こうした古代の城柵も選ばれている点が従来の名城選など
と違って、日本100名城の良いところである。

 多賀城は古代の国府であり、政庁があった。しかし東北に隠然たる勢力を持ってい
た蝦夷に備えるために、城郭としての機能も有していた。多賀城は仙台からも近く、
駅からも歩いて行けますので是非訪れて欲しいと思います。


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 多賀城
  所 在 地:宮城県多賀城市市川・浮島
  史跡区分:国の特別史跡
       (大正11年10月12日に史跡、昭和41年4月11日に特別史跡に指定)
  入 場 料:な し
       東北歴史博物館は入館料400円(9:30〜17:00、月曜・年末年始は休館)
  交通機関:車の場合は仙台市内から県道8号線を東北本線に沿って、岩切・利府
       方面へと進む。岩切駅近くの七北田川を渡ったら、右折して県道35号
       線へと入る。そのまま東に進んで陸前山王駅を過ぎ、三陸自動車道を
       くぐる。その先の砂押川を渡って 400mほど進むと左に入る道を案内
       板に従って行くと、正面が多賀城の中心部である政庁跡となる。見学
       者用の駐車場があるので、それを利用する。
       公共交通機関の場合は、JR東北本線国府多賀城駅で下車する。駅前
       の道を進むとすぐに斜め左に行く道があるので、そこを進むと比較的
       広い道にぶつかる。ここを左に曲がり 400mほど先の交差点を右に曲
       がる。すぐ先に、多賀城の南門跡や多賀城碑のある公園がある。公園
       の北を案内板にしたがって北進すると、政庁跡となる。駅から政庁跡
       まで約1km、徒歩で15分ほどである。
 http://www3.ocn.ne.jp/~tagakan/
 http://www.city.tagajo.miyagi.jp/monosiri/bunkazai/tokusi/index.html
 http://www.kcn.ne.jp/~eijun/taga/taga.htm
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingen/joukansonota/taga/taga.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/tagajo.html
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◆重文指定の「多賀城碑」によると大野東人によって神亀元年(724)に造営

 奈良時代の初めは律令制国家とは言え、現在の東北地方の大部分はまだその支配が
およんでいなかった。と言うよりも、外国であったと言った方が正確かも知れない。
奈良の畿内政権はこの東国に住む人たちを「蝦夷」と呼んで異民族視し、その人たち
を制圧するために軍事拠点を置いた。その一つであり、陸奥国府として中心的な存在
であったのが、多賀城である。多賀城がいつ造営されたかははっきりとは分からない
が、奈良時代初めの8世紀初頭には設置されたと考えられている。

 江戸時代初期の万治〜寛文年間(1658〜1672)に発見され、現在多賀城の南門近くに
建っている「多賀城碑」によると、按察使兼鎮守府将軍・従四位上・勲四等・大野朝
臣東人が神亀元年(724)に築城したという。この碑を建立したのは藤原仲麻呂(恵美押
勝)の四男であった藤原朝狩で、天平宝字6年(762)12月に朝狩自身によって多賀城の
修築記念として建立したと彫られている。

 この多賀城碑については明治時代に江戸時代の偽作ではないかという疑いが持たれ
て、大正時代にかけて論争が行われた。しかし昭和40年代以降に多賀城自体の発掘調
査が進み、碑文の内容と発掘調査の結果が矛盾しないことが分かり、碑についての再
検討が行われた。文字の彫刻方法、書風、書体など種々の角度から検討された結果、
現在では近世の偽作ではないと認識されている。また碑自体も建立当初からこの場所
にあった可能性が高くなったことなどにより、平成10年(1998)6月には国の重要文化
財に指定されている。

 大野東人は実在の人物で、碑に書かれている按察使(あぜち)は地方行政を監督する
令外官の官職であり、鎮守府将軍は治安の維持や城柵の造営・維持管理などの軍政を
主な任務とするものである。また鎮守府は奈良から平安時代の陸奥に置かれた軍政を
司る役所で、最初は多賀城に置かれたことが分かっている。


◆伊治呰麻呂の乱で焼失して再建されたが、後三年の役後に機能を失う

 多賀城は陸奥国だけではなく出羽国をも統括していたことから「遠の朝廷」とも呼
ばれ、畿内政権にとって東北経営の中枢であった。多賀城は軍事面での機能だけでは
なく、政庁として中央から守(長官)、介(次官)、椽(一般事務)、目(書記官)などの官
僚が派遣されて、政務を執るとともに重要な儀式などを行っていた。

 発掘調査などの結果から、創建当初の多賀城の建物や築地はすべて掘立式であった
が、主要な建物は瓦葺きであったようである。8世紀中頃になると創建当初の掘立式
の建物などがほとんどすべて撤去され、礎石を有する瓦葺きの建物や築地となった。
多賀城碑を建立した藤原朝狩は父である藤原仲麻呂(恵美押勝)とともに天平宝字8年
(764)9月朝廷に対して反旗を翻すが敗れ、一族ことごとく殺されてしまった。

 仲麻呂の死後に実権を握った道鏡もまた多賀城などの東北の城柵を修理し、神護景
雲元年(767)には伊治城(宮城県栗原市)を造営するなど東北地方の植民地化政策を進
めた。宝亀6年(780)になると、この伊治城を舞台に大事件が起きる。伊治呰麻呂(こ
れはりのあざまろ)の乱である。呰麻呂は陸奥按察使紀広純が伊治城を訪れたときに
殺害し、次いで多賀城まで攻めてこれを焼失させた。続日本紀にはその後の経過が記
載されていないので詳細は不明であるが、反乱によって伊治城とその周辺は何年か中
央政府の蝦夷経営の支配を脱したが、やがて再び制圧されたものと思われる。

 乱によって焼失した多賀城であったが、8世紀末から9世紀前半にかけて再建され
たようである。正殿、後殿および南門はもとと同じ位置に建てられたが、基壇は凝灰
岩を用いた切石積みとなった。伊治呰麻呂の乱以降、陸奥国では蝦夷との戦闘が激化
していた。延暦8年(789)にはアテルイの率いる蝦夷軍に畿内軍が大敗するが、延暦16
年(797)に征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂はアテルイを滅ぼす。同21年(802)に
は胆沢城(岩手県奥州市水沢区)を、同22年(803)には志波城(岩手県盛岡市)が田村麻
呂によって築かれた。

 胆沢城が築かれたことにより、多賀城に置かれていた鎮守府は胆沢城に移され、多
賀城は政庁としての機能だけになった。平安時代後期の前九年の役(1051〜62)とそれ
に続いて起きた後三年の役(1083〜87)では、朝廷側の鎮守府将軍源頼義や陸奥守源義
家軍の軍事拠点として使われた。清原(のち藤原)清衡は後三年の役で義家とともに本
家の家衡を滅ぼし、奥六郡(現在の岩手県奥州市から盛岡市にかけての地域)を領する
に至った。清衡は奥州藤原氏の祖となって勢力を伸ばし、多賀城にあった陸奥国府は
実質的に機能を失った。さらに源頼朝によって鎌倉幕府が開かれると、その役割は完
全に消滅した。


◆東北歴史博物館で予備知識を得て、南門跡、多賀城碑そして政庁跡へ

 多賀城に行く前に、JR東北本線国府多賀城駅に隣接して設置されている宮城県立
東北歴史博物館に寄りたい。ここには多賀城から出土した遺物をはじめとして、古代
から近世にかけての東北地方に関する展示がなされている。多賀城全体を概観すると
ともに、東北地方の歴史、特に中世の歴史をここでみていくことはとても役に立つと
思われる。

 国府多賀城駅を歴史博物館とは反対側に出ると、左手一帯の台地が館前遺跡と呼ば
れるところである。昭和54年(1979)に行われた発掘調査により、掘立柱建物の跡が6
棟や小柱穴建物跡25棟などが確認されている。中央に位置する四面の廂(ひさし)を持
つ建物を中心に整然と建物が配置され、建てられたのは9世紀前半と推定された。こ
れらの建物跡の規模は多賀城の政庁にある建物に匹敵するもので、その配置の仕方や
多賀城の城外にあることなどから、国府である多賀城に赴任した国司などの中央の上
級官僚の居館などと考えられた。

 アクセスのところで記したように進み、最初に右手の方に入っていくと土塁状のも
のが残っているが、南築地跡である。さらに進むと、南門跡がある。ここは多賀城の
外郭南部に位置し、正門にあたるところである。発掘調査の結果から両側には高さ4
〜5mの塀がめぐらされていた。この南門跡周辺は公園となっており、北側に最初の
ところで述べた「多賀城碑」がある。国宝那須国造碑(栃木県湯津上村)や特別史跡多
胡碑(群馬県吉井町)とともに、日本三古碑に数えられている。現在は覆堂に覆われて
彫られた字は見にくいが、前述の東北歴史博物館には復元模型があるのでそれをみる
とよい。

 多賀城碑をみたあとで道を渡り、左に少し進んで案内にしたがって右に入る道を行
くと正面にあるのが多賀城の政庁跡である。階段を上ったところにあるのが政庁の南
門跡で、現在は基壇部分のみが復元表示されている。政庁は東西100m×南北120mの
長方形でかなり広く、周りは築地塀で囲まれていた。政庁の正面にあたる南門の両側
には翼廊があり、その柱跡が平面展示されている。

 中央の一段高くなっているところが、政庁の中心的な建物であった正殿のあった基
壇である。多賀城正殿は何度か建て替えられており、現在復元されているのは8世紀
後半の第二期の基壇である。基壇の正面には石が敷かれた広場があり、基壇上に建て
られていた正殿は礎石式の四面廂付の建物であった。


▼東北歴史博物館については、下記公式サイトをご覧ください。
 http://www.thm.pref.miyagi.jp/


◆政庁以外にも、周辺には国司館や国守館などが散在

 多賀城は中世や近世の城とは異なり、軍事的な基地であるとともに中央から役人が
来て政治を行う場でもあった。そのために、周囲には関連した遺跡が残されている。
駅前の館前遺跡(国司の居館跡)もそのひとつであるが、国府多賀城駅と西隣の陸前山
王駅のほぼ中間の東北本線南側から陸前山王駅にかけての一帯が山王遺跡である。こ
の遺跡は東西約2km×南北約1kmにわたる広いもので、平成2年(1990)に発掘調査が
行われた。その結果、多くの建物跡や井戸跡が確認されたほか、高級な陶磁器や木簡
なども出土した。ち建物跡では政庁正殿と同じような四面廂付建物があり、「右大臣
殿 餞馬收文」と書かれた木簡が出土したことにより、ここは国守の建物であった可
能性が高いと考えられた。

 多賀城市の東端部の大代五丁目にあるのが柏木遺跡で、小高い丘陵上に位置して太
平洋を一望できる。昭和62年(1987)から翌年にかけて発掘調査が行われ、製錬炉4基
と木炭竃6基に加えて、竪穴式住居4棟などが出土した。竪穴式住居のうちの3棟は
鍛冶工房の跡で、ここが製鉄所だったと推定された。ここで生産された鉄などがどこ
に運ばれ、どのように使われたかは不明である。ただ多賀城が築城されたのは蝦夷と
の戦いが厳しいときであったので、おそらくは多賀城で使われた武器に加工されたの
ではないかと推測される。

 東北歴史博物館のすぐ東側には、多賀城廃寺跡がある。多賀城と同じ時期に建立さ
れ、塔・金堂・講堂・経蔵・鐘楼・僧坊などの建物からなる壮大な寺院であった。長
らくこの寺の名は不明であったが、昭和58年(1983)に山王遺跡から「観音寺」と書か
れた木簡が出土したことにより観音寺であった可能性が高いと考えられた。九州の太
宰府には付属したお寺としてすぐ東に観世音寺があり、主な建物の配置が類似してい
る。このことから、太宰府の観世音寺を手本に建てられ、その名も観音寺であったと
思われる。

 多賀城は現在は多賀城市という市名にもなっていることからある程度知名度は高い
と思われるが、それ以外にも東北地方には多くの古代城柵が残されている。文中に出
てきた伊治城、胆沢城や志波城のほか、陸奥国には徳丹城や桃生城などの遺構が残っ
ている。また出羽国には、秋田城をはじめとして金沢柵や払田柵などがある。中世東
北の歴史とともに、これらの城柵ももっと知られてもよいのではと思う。


◆多賀城関係の参考書
 多賀城は陸奥国府だったこともあって研究が進められ、多くの書籍が出版されてい
 る。ただほとんどは専門書であったり絶版だったりするために、ちょっと手が届き
 にくい。東北歴史博物館のHPなど、はじめに紹介したサイトの方が見学には参考
 になると思われる。
 なお、多賀城に関する書籍を2冊ほど、以下に紹介する。
・「多賀城と古代東北」(青木和夫・岡田茂弘編、吉川弘文館) 3,150円
・「多賀城焼けた瓦の謎」(石森愛彦ほか著、文芸春秋社)   1,500円


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