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2008/01/23

【お城ファン倶楽部 No.127】知られざる名城(その10)利神城

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【お城ファン倶楽部 No.127】知られざる名城(その10)利神城
                              2008/01/23(Wed)
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 利神城は平福駅から歩いていけるので、行ったことのある人も多いかと思います。
山上の石垣群は見応え十分ですが、最近はどうも石垣の崩壊が進んでいるようで、立
ち入り禁止となっているようです。この城は史跡などに指定されていないこともあっ
て、修復の措置なども取られていません。このまま行くと荒れ果ててしまうので、是
非とも何らかの処置を取って欲しいと思っています。

 今回の利神城でこれまで取り上げてきた「知られざる名城」は一旦終了として、次
回からはまた新しいシリーズでお送りしたいと考えています。

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 利神城
  所 在 地:兵庫県佐用郡佐用町平福
  史跡区分:な し
  入 場 料:な し
  交通機関:車の場合は中国自動車道を利用して、佐用ICで下りる。ICを出た
       ら左折して国道373号線に入り、北上して平福方面に向かう。2.5kmほ
       どで左手に道の駅宿場町ひらふくがあるので、ここに駐車する。すぐ
       前に平福駅があるので、そちらに向かう。駅前に案内板があるので、
       それにしたがって線路に沿って右手に向かう。線路を渡って少し行っ
       たところに利神城登山口の案内があるので、そこから15〜20分ほど登
       ると利神城となる。なお、道の駅の少し先を右折し1kmほど行ったと
       ころを右折して山道を登ると、利神城の裏側に着き、ここからは5分
       ほどで利神城へ行くことが出来る。ただ道が狭いのと駐車スペースも
       充分にないことから、お薦めできない。
       公共交通機関の場合は、智頭急行平福駅で下車する。駅前に案内板が
       あるので、上記のようにそれにしたがって登る。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/rikan.htm
 http://www.siromegu.com/castle/hyogo/rikan/rikan.htm
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/rikan.htm
 http://homepage3.nifty.com/gosiro/harima/rikan/rikan.htm
──────────────────────────────────────


◆通説では赤松一族の別所氏により築城され、池田由之が近世城郭に改修

 通説によると、利神城は貞和5年(1349)に赤松氏の一族であった別所五郎左衛門敦
範が、赤松氏の本城である白旗城の北の守りのために築城したとされる。この別所氏
は嘉吉元年(1441)のいわゆる嘉吉の乱で、赤松氏とともに滅亡した。そののちの応仁
元年(1467)に別所治定が別所家を再興し、以後利神城を本拠としたという。天正6年
(1578)に織田信長に中国攻略を命じられた羽柴秀吉が侵攻を始めると、ときの当主別
所定道は恭順の意を示した。

 三木城にいた主筋にあたる別所長治が秀吉に反旗を翻すと、病弱だった定道に代わ
って利神城主となっていた弟の林治も秀吉に背く。利神城の南方約6kmのところにあ
る上月城城代の山中鹿之助が利神城を攻め、落城する。秀吉の中国侵攻に対して毛利
氏は3万の大軍で上月城を包囲するが、三木城攻めを優先する信長の命で上月城の尼
子勝久は見捨てられる。これにより上月城は落城し、利神城も毛利のものとなった。
利神城は毛利氏に従っていた宇喜多直家に与えられたが、その後宇喜多氏は秀吉に従
ったために利神城はそのまま宇喜多氏が所有した。

 宇喜多直家の跡を継いだ秀家は関ヶ原の戦いで西軍の主力として参戦したために、
その領地は没収される。戦後は池田輝政が播磨52万石を与えられ、輝政は甥の由之に
平福2万2千石を分け与えた。平福に入った由之は5年の歳月をかけて慶長10年(1605)
頃に総石垣の城に大改修し、三層の天守を上げたという。この壮大な城を見た輝政は
幕府に配慮して、破却を命じたという。由之も慶長12年(1607)に米子に移され、利神
城には輝政の弟長政が入った。

 日本城郭大系によると、長政は3年で輝政の妻良正尼に譲ったとされる。長政は慶
長12年(1607)に伊勢で亡くなったとされるので、矛盾がある。なお、女城主というの
は非常に珍しいが、良正尼は徳川家康の娘で夫の池田輝政が慶長18年(1613)に亡くな
ったあとに佐用郡を化粧料として領有していたことによるという。同大系では4年も
城主でいたとされるが、これも年代が合わない。

 その後、元和元年(1615)に良正尼の実子で輝政の六男輝興が2万5千石で入ったが、
寛永8年(1631)赤穂藩主であった兄の政綱が継嗣無くして死去したために赤穂藩を継
ぐこととなった。このあと、平福には5千石で旗本の松平康朗が入った。松平氏は平
福に陣屋を築き、利神城も廃城となったという。平福は代々松平氏が治め、明治維新
を迎えた。


◆築城は内海氏で、由之以前の織豊期にすでに総石垣の城に改修か

 以上の通説は諸書に書かれている内容で、安永8年(1779)に書かれた「播州佐用郡
平福古城山由来」にしたがったものである。近年城郭談話会有志による文献や現地調
査が行われ、これに対していくつかの疑問が呈されている。

 前述のように戦国期以前は別所氏が代々利神城主とされているが、「赤松家播備作
城記」では熱田神宮大宮司の末孫である内海修理が元弘年間に居城したとある。さら
に、別所日向守は再営のあとで居城したという。ここに出てくる内海修理は太平記に
出てくる内海十郎範秀や内海修理亮光範に近い人物と推定され、最初に利神城を築城
したのは別所氏ではなく内海氏とも考えられた。

 戦国期に宇喜多氏が領有していたときに、通説では家臣の服部勘助が在城したとさ
れている。ところが「浮田家分限帳」の宇喜多氏家臣団には服部勘助の名は見えず、
またこれに該当すると思われるものもいない。このようなことから、現存する利神城
の石垣は池田由之による大改修のときに構築されたと考えられてきた。しかし、城郭
談話会による現地調査によると、天守丸の構造や馬場の部分的な石垣の使用などは織
豊期のものとされ、ほかのところも天正年間のものと見受けられた。また、城内に認
められる瓦片にも、天正11年(1583)以前に製造されたものが多数含まれていた。以上
の点から、同談話会は池田由之による改修以前に石垣を用いた壮大な城が存在したと
結論づけている。

 さらに通説では由之による大改修に輝政が驚いて、利神城を破却するとともに由之
を米子に移している。これに対して岡山大学所蔵の池田家文庫所収の由之の業績を記
した奉公書によると、池田家中での由之の地位は非常に高く、また築城の名手とされ
ている。実際、池田家の下津井城や米子城などの重要な城の築城を担当しただけでは
なく、駿府城、篠山城や名古屋城の天下普請にも派遣されている。これらの点から、
由之による改修は輝政の命によるもので、関ヶ原戦後に宇喜多氏の領地を引き継いで
大きくなった隣国の小早川氏を牽制するものではなかったかという。慶長7年(1602)
に小早川秀秋が没して無嗣断絶となったため、その役目も終わったとされる。

 由之のときに利神城の改修が行われたことは間違いないが、上記の点からその内容
がどの程度のものだったかは不明である。ただ、山麓の城主屋敷と武家町を造り、街
道沿いに町人地を設けたことは確かである。平福駅のすぐ北側に智頭急行線の線路で
分断されているが、うわがみ門と呼ばれる巨大な桝形虎口が残っている。ここから山
上の三の丸に向けて竪堀とそれに沿った登城路が残っており、本来の大手だったと考
えられる。これらは、おそらくは由之の時代に造られたものと思われる。


◆本丸を中心に総石垣の3つの曲輪が囲む

 利神城は標高373mの利神山の山頂一帯に築城され、麓からの比高も250mとかなり
の山城である。平福は朝霧がよく発生することで知られ、その霧に浮かんだ情景から
雲突城とも呼ばれた。山頂部に天守丸と本丸が築かれ、三方に伸びる尾根に二の丸、
三の丸と鴉の丸が設けられたY字型の縄張りである。平福駅の南にある登城口からか
なり急な山道を登ると、南西に張り出した尾根上の三の丸となる。三の丸の北側中央
に虎口が設けられているが、ここが大手で山麓のうわがみ門へと続いている。

 三の丸の正面に見えるのが、山頂に築かれた天守丸と本丸である。山頂部の一番高
いところにほぼ五角形の形をした一段高い曲輪が天守丸で、その名のとおりここに天
守が上がっていたという。のちに平福を領した旗本松平氏の家臣であった都築四郎左
右衛門が慶安3年(1650)に描いたとされる利神城の絵図には「本丸の内、天守屋敷よ
り三間四尺低く段あり、横六間、竪十間、但し天守閣より当方なり」との記述がある
ことから、天守があったことは確かだという。これは日本城郭大系に書かれている内
容であるが、天守閣という言い方がされるようになったのは幕末から明治にかけてで
あり、ここにも疑問がある。

 本丸は18m×28mの大きさであまり大きくはなく、高さ4mほどの石垣に囲まれて
いる。この本丸北側に虎口が設けられ、一段下の鴉の丸へ通じている。なお、「ひょ
うごの城紀行」の下巻では鵜(う)の丸と記載されているが、これは鴉(からす)の丸の
誤記と思われる。鴉の丸は本丸の倍以上の広さがあり、御殿に相当する建物があった
とすれば、ここに建てられていたのではないかと推測される。この鴉の丸の西側の一
段下の曲輪へと下りる幅の狭い虎口があるが、石段などは設けられておらず、緊急の
際の脱出口かも知れない。鴉の丸も石垣に囲まれているが、その高さは本丸よりも高
い。

 本丸から南東に伸びる尾根には、二の丸とその先に馬場と呼ばれる曲輪が設けられ
ている。これらの曲輪も石垣で囲まれており、山上部の曲輪は総石垣造りとなってい
る。二の丸北東部には利神城の中でも一番大きな桝形虎口が設けられているが、その
役割はよく分からない。馬場という名称の曲輪は実際に馬場があったのではなく、細
長い形から名付けられたのではないかと思う。利神城の北側はかなり急なために攻め
づらく、攻撃を受けるとしたら南側となる。その攻撃を三の丸とこの馬場とで受け止
め、両面から迎撃できるわけである。馬場の先は二重の堀切で遮断されているが、そ
の先の尾根上にも曲輪様の削平地がある。


◆陣屋門が現存、平福は江戸時代は宿場町として繁栄を極める

 利神城は麓の平福から見上げると石垣がよく見え、但馬竹田城や米子城などを思わ
せる。しかしながら、その石垣はかなり崩壊しており、現在はかなり危険な状況とな
っている。冒頭に書いたように利神城は史跡などに指定されていないこともあって、
現状は放置の状況である。このまま行くとそれほど経たないうちにかなりの石垣が崩
れ落ちてしまう可能性があるので、何とか補修して欲しいものである。

 道の駅宿場町ひらふくの北 200mほどのところに佐用町立平福郷土館があり、利神
城からの出土品や城の模型などが展示されている。ここに利神城天守の鯱があるとさ
れているが、確認してはいない。利神城に登城する前に、寄りたいところである。

 平福には寛永8年(1631)に、松平康朗が5千石で入った。松平氏は旗本であったた
めに、陣屋を設けて領地を治めた。陣屋は現在の郷土館のある場所に設けられ、移築
された陣屋表門が道の駅宿場町ひらふくの横に残る。ただ松平氏は江戸住まいのため
に、実質は代官所であった。天保6年(1835)のいわゆる仙石騒動に連座したことで領
地を没収されたが、文久3年(1863)に松平康直が旧領のうち2千5百石で復帰した。現
在残る陣屋門は、この旧領復帰に際して代官の佐々木平八郎が元治元年(1864)建てた
ものである。

 江戸時代初期を除くと平福は旗本の領地となったために、城下町ではなく因幡街道
随一の宿場町として発展した。現在でもその面影は、連子窓、格子戸の平入りの家々
や佐用川の石垣に並ぶ白壁の川屋敷、川座敷や土蔵群などに偲ぶことが出来る。この
平福には鳥取・池田家の本陣も置かれ、繁栄を極めた。その繁栄は、平福宿3百戸の
うちの8割が屋号を持つほどだった。この本陣は失われてしまったが、現在復元され
て観光地となっている。


▼平福郷土館については、下記サイトを参考にしてください。
 http://www.ozora-net.co.jp/odecal/hyogo/1895.html


◆利神城関係の参考書
 利神城を散策するにあたって参考となる書籍には、以下のようなものがあります。
・「ひょうごの城紀行(下)」(朽木史郎・橘川真一編著、神戸新聞総合出版センター)
                                1,575円
 兵庫県に存在する中世から近世にかけての城のうち、35の城と陣屋についてその
 現状や歴史を一つの城あたり数頁から十頁かけて詳しく紹介している。上巻も含め
 て、兵庫県の城歩きにはとても参考になる本です。


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