2009/12/09
『日々楽しく生きる』第1214回 神様の試練から学ぶこと
■神様の試練から学ぶこと
昨日の内容は尻切れトンボになっていました。すみません。
「軒下にきた人がほっとしたり、休める」
で終わっていましたが。
「軒下にきた人がほっとしたり、休める。そんな存在になりたい。」
です。
大変失礼しました。
さて、
神様が私に試練を与えるとしたら、
自分の身体を傷つけられる事より、自分の子供の身体が傷つく事。
映画でもよくありますよね。
自分が拷問受けても吐かないけど、恋人や家族を痛めつけようとしたら
「わかった。」って吐くやつと同じですね。
まあ、私は拷問受けたら、吐きそうですけども。。。(笑)
さて、拷問でないにしろ、上記の神様の試練を考えると、
自分が足を失っても、手があればなんとでもなる。
自分が手を失っても、片方でもあれば、なんとかなる。
仮に両方失っても、頭が残っていれば、なんとかなる。
と自分の思考、行動を変えることができる。
でも、子供が身体を失ったら、自分がやれることなんてたかが知れている。
子供が苦しんでいるのを一緒に苦しみ励ましてあげる事はできても、
根本的な対処は難しい。
自分に降りかかる事は、自分で対処すればいいけど、
他人に降りかかる事は、注意はできるけど、根本的に対処するのは
その本人しかいない。
別に見方をすれば、自分に降りかかる問題は、自分にしか対処できない
とも言える。
この原則は、そのまま仕事にも当てはまりますね。
基本的に「誰かやってくれないかな。」とか「誰か手伝ってくれないかな。」
って思っていても、何も解決しないわけで、
基本的に自分で対処するか、自分で協力を仰ぐ努力をする必要がありますね。
自分の事は、自分でやる。
母親に言われるような結論になってきましたね。
でも、大切ですね。
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