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2007/02/27

野球コラムNO.75『野球小説から、一文の紹介』

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2月24日付NO.75 『野球小説から、一文の紹介』

 前回は一冊の本を紹介しましたが、今回はその中の一部分を紹介します。
 野球好きの心に触れる…そんな「野球小説」中の一文を紹介してみます。

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【目次】

≪『サウスポー・キラー』より、プ野球選手の思い≫
≪『一塁手の生還』より、野球好きの思い≫

**********

≪『サウスポー・キラー』より、野球選手の思い≫

 前回紹介した第3回「このミステリーがすごい大賞」受賞作品。
『サウスポ・キラー』からの一文。
 主人公沢村投手が相手チームの強打者と対戦するシーン。
試合も終盤、打たれれば逆転され自身もチームも敗戦を背負ってしまう緊迫したシーン。
その場面での、主人公の独白的心情描写。

「これだ、この感覚だと私は思った。
自分の中に恐怖感と恍惚感が同居していた。
ずっと追い求めてきたものが今、ここにある。
このバッターを打ち取るには、自分の持てる最高度の力を出さなければならない。
こうした勝負をするために今、私はここにいるのだ。」

 恐怖感と恍惚感…
普通に生活していると、どちらもそんなに縁があるものではない。
恍惚感はともかく、恐怖感とはできるだけ縁遠くありたくも思う。
しかし、それらは「麻薬」のようなものでもあるのだろうか?
勝負師にとっては「追い求めてきたもの」にさえなりうる…。

 ただ、この「自分のもてる最高度の力を出さなければ…」という場面。
これは野球選手に限らず、一般人の人生においても、幾度となくそういう場面が訪れるのでは?
 ちょうど今、受験シーズンでもある。
受験生においては、まさに今現在、その瞬間で自分のもっている最高度の力を出すことが求められる。
その最高度の力を出すことが成功に結びつくと…次のチャレンジへの意欲も生まれる?
そうやって「成功」の味を知ってしまうと…。
いつか恐怖感と恍惚感が渾然となったものを、人は追い求めるようになるのかもしれない。

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≪『一塁手の生還』より、野球好きの思い≫

 続いては、ひょっとしたら中学生のときに読んだことがあるかも…。
光村図書や教育出版の中学生向け国語の教科書で紹介されていたのが
『一塁手の生還』(赤瀬川準:あかせがわしゅん)

 紹介するのは主人公の少年が兄とキャッチボールをするシーンから。

「範兄のおかげで野球が少し好きになったが、一番好きなのは、バットが硬球を打ち返す一瞬の、
カン! という乾いた響きである。」

 この一文には次の文が続く。
「あの音はほかのスポーツにはない。」

 野球を見るうえでの楽しみは人それぞれ。
テレビ観戦を楽しむ、あるいは球場での観戦を楽しむ。
雑談をしながら…ビールを飲みながら…メガホン片手に大声を出しながら…。
 最近の「応援席の日常風景」はマーチングと大声援。
球場ごとに、チームや選手の応援歌や踊りに合わせた応援が一つの「球場の個性」にもなりつつある…。

 しかし、野球そのものの魅力は「音」にあるとは少なくない人が思っている。
 赤瀬川氏も作中においてそのことに触れている。
この『一塁手の生還』は戦争中の学生野球が主な舞台。
それゆえに、一投一打の「音」もよく聞こえたのであろう。

 軟式のボールではなく、硬式のボール。
それがバットに当たったときの音。
打者側に視点をおいて良い当たりをしたときの「音」…。
 それは誰にでも出せるものではなく、それだからある意味、芸術的でもある。
金属バットの音ではなく、木製バットから生まれる乾いた響き。
それが球場に響き渡る…。
確かに、ほかの競技種目にはない魅力ではなかろうか。

 なおこの『一塁手の生還』では、主人公とその兄のキャッチボールシーンがクライマックスになっている。
キャッチボールを通して、心の交流を描く…。
野球映画『field of Dreams』にも通じていく「何か」がそこにはある。

 野球の魅力…キャッチボールも捨ててはおけない!?
 若者よ、書を捨てキャッチボールをしよう!!

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