世界の国々のぞき窓 THE WINDOW TO WORLD COUNTRIES RSSを登録する

私が代表している「世界の文化と言葉を知る会」では60カ国以上の人たちを招いて話を聞いています。直接見聞きしたこと、自分で調べたことで特徴的な事柄を国や民族別に発信します。同様の趣旨のメールを貰いましたら許可を得て載せたいと思います。

現在休刊中です    
解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。
2007/10/30

世界の国々のぞき窓 第27号

世界の国々のぞき窓 第27号                2007,10,30(火)

                 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
                       仏教と軍事政府の国ミャンマー
                 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
 先月、燃料の値上げを背景として僧侶集団が先導した大規模な反政府デモは、ミ
ャンマーの特徴的な二つの階層がくっきりと浮かび出た。緋色の簡素な僧衣を纏っ
た裸足の僧侶と、銃を持って民衆を迫害する政府の軍隊との対比である。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/98/img9f926170zikazj.jpeg
  (首都ヤンゴンのシュウェダゴン寺院[パゴダ]の前をデモ行進する僧侶たち)

 ミャンマーは軍政で鎖国状態だと聞いたのはかなり前だった気がする。調べてみ
ると、軍政になったのはネ・ウイン将軍による1962年の軍事クーデターからで、
1988年の大衆運動で一旦将軍は政権の座から降りたが同年再びクーデターで政権
を掌握した。そのとき国名をビルマからミャンマーに改めたが、その軍事政権を認
めていない人々は国名をビルマと呼んでいる。

 総選挙を公約したため数百の政党が結成され、1990年の選挙の結果アウン・サ
ン・スー・チーの率いる国民民主同盟(NLD)が圧勝した。しかし、議会は召集され
ず、民主化勢力の弾圧が強化され、アウン・サン・スー・チーは1989年から今ま
で自宅軟禁されている。(注:その間2回、計6年ほど軟禁を解かれていた)
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/32/imgfe612fe3zik1zj.jpeg
(軟禁中の自宅の庭で読書するスー・チーさん)

  どうしてこういう状況になったのか第二次大戦まで遡ってみよう。

 日本軍はビルマ、インドを領土にしていた英国とも戦っていた。アウン・サン・
スー・チーの父親アウン・サンはミャンマーで反英運動をしていた。イギリス官憲
の手を逃れ1940年に一時日本に滞在していた。翌年26歳のときミャンマーに戻り
独立義勇軍を作り、日本軍と協力し、1942年イギリス軍をミャンマーから駆逐し
た。

 1943年に日本の後押しでビルマが独立、アウン・サンは国防相になった。しか
し、それは真の独立でないことを感じ、また日本が劣勢に立ったこともあり、イギ
リス側に付いた。1945年連合国側や国軍と呼応してラングーン(現在のヤンゴン)
を日本軍から奪回した。

日本が敗れた後も、イギリスはビルマの独立を認めなかった。英領ビルマはでき
たが、アウン・サンは新の独立を求めて活動した。その結果1948年に連邦国家と
して独立したが、アウン・サンは独立を自分の目で見ぬまま、その前年32歳の若
さで暗殺された。彼は「独立の父」と呼ばれ国民から尊敬されている。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/43/imgb6a45dbbzikczj.jpeg   (アウン・サン将軍)

独立後、共産主義者や権益の確保を図る少数民族による内乱等を経て、初めに書
いたように、1962年からネ・ウィン将軍の軍事政権が続いた。現在の政権のトッ
プはタン・シェ国家平和発展評議会(SPDC)議長である。

 僧侶が先頭に立ってデモをし、民衆が後方でそれを支えているという光景は日本
では想像ができない。スリランカ、タイ、ラオス、カンボジアと同様ミャンマーも
上座部仏教(小乗仏教)である。日本や韓国の大乗仏教が大衆を救うことを掲げて
いるのと違い、上座部仏教は自己の悟りを求めることを掲げていると思ったが、現
実は反対ではないだろうか。

 日本の僧侶と違って、ミャンマーの僧侶は俗世間から離れて完全に出家する。僧
侶になると10の戎と227の律を守らなければならないそうだ。家を離れ、妻帯も、
経済活動も放棄する。食べ物は托鉢によって得たものしか食べられない。そういう
厳しい修行をしているのだから僧侶は格別に尊敬されている。デモで民衆の先頭に
立ったのもこういうことに関係があるのだろう。

在家の一般人からすれば、そういう僧侶に布施をすることは、自身が功徳を積む
ための積善行為とされる。一般人と視線を交えることもなく、黙々と歩む托鉢の僧
侶たちの姿は、町や村の毎朝の光景である。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/66/img36012a2czik7zj.jpeg  (朝の托鉢風景)

 ビルマ仏教における僧侶は、日本のように、いわゆる仏事に関わる職業としての
僧侶ではなく、家を離れ生き方を求めている人である。在家に戻ることも可能であ
り、在家の一般人が人生の節目で1週間、1か月などの短期間、出家僧として過ご
すこともよく行われる。仏教徒の男子は一生に一度出家しなければならない。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/85/img97f3138czikezj.jpeg   (寺院で昼飯を受け取るために並んでいる僧侶)

 私の町に技術者としてきていたミャンマーの青年がいたが、話をしてみたり書い
たものを読んで見たりしたら、敬虔な仏教徒だということが分かった。何しろミャ
ンマーには仏教徒が90%もいる。日本は神道家と仏教徒を合わせて84%いるという
資料があるが、自分が信者だと思っている人はほとんどいないのではないだろうか。

 ビルマは、11世紀中ごろイラワジ川中流で興ったパガン王国からはじまった。ス
リランカから伝わった上座部仏教を広め、技を学んで寺塔を建て、ビルマ文字を制
定してビルマ文化の基礎を創った。この王朝は13世紀まで続き首都として栄えた
パガンには400万の仏塔と寺院が建てられたといわれている。

 現在、パガンは、カンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥー
ルと並んで世界の3大仏教遺跡に数えられている。2000とも3000ともいわれる仏
塔、寺院が広大な土地に林立している。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/71/imgbe918d24zikdzj.jpeg   (パガン遺跡)
 http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/39/img2437b4a3zik5zj.jpeg
(アーナンダ寺院<1105年建立>---パガンで最もよく保存されている最大の寺院)

 パガン王朝は元に攻め滅ぼされたが、16世紀に復活した王朝がタイを平定し、この
仏教はタイ、ラオス、カンボジアに広がった。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/87/img7abfedcezik6zj.gif
  (ミャンマーの地図---拡大できます)

 ビルマの僧侶といえば終戦後、竹山道雄が書いた小説「ビルマの竪琴」を思い出
す。ビルマで多くの日本の兵隊が死に、戦後一人の日本兵がビルマの僧侶となって
戦友の遺骨を拾い弔いの旅を続ける。生き残った戦友が日本へ帰るのに、「おれは
帰るわけにはいかない」と一人居残る。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/36/img9f8b6defzik6zj.jpeg
(「ビルマの竪琴」を映画化したもののDVD)

 ビルマというと泰緬鉄道が頭の中で結びつく。今はこういう文字を使わないが、
泰は「タイ」を緬は「ビルマ(緬甸)」を指している。1942年から1943年にかけ
て日本軍が完成させたタイからビルマに通じる全長訳400kmの鉄道である。今は
ミャンマー側は使用していない。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/48/img4205fdd7zikfzj.gif
  (泰緬鉄道の地図上での位置)

 日本軍がインドに進出するため、イギリス・オーストラリア・オランダの捕虜と、
ミャンマー・インドネシア・マレーシアなどの労働者を動員して突貫工事をおこな
って建設されたのが泰緬鉄道だ。捕虜に約13,000人、労務者に約33,000人の死者
を出したという。(全部で80,000人ともいう)
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/32/img936eaad3zikfzj.jpeg
 (鉄道建設に携わった日本人の著書「火焔木燃ゆ」。500ページ弱)

 50年前にイギリスで製作された映画「戦場に架ける橋」は、軽快な曲「クワイ河
マーチ」と共に日本で普及した。それは、日本軍の捕虜になったイギリス兵が、日
本軍の泰緬鉄道の過酷な建設作業に従事していた物語だ。
 
 私がメールで知り合ったオランダ人は小さい子どものときインドネシアに住ん
でいて、太平戦争勃発後収容所に入れられて辛い思いをした。父親は泰緬鉄道建設
に借り出され過酷な労働をさせられた。戦後その辛かったことを何も話さなかった
そうだ。
 
 ヤンゴンは人口推定350万の最大の都市。首都だったが、その300km北の軍用地
だった場所に新しい首都を作り、昨年発表した。新首都はネピドーと名付けられた。
これは軍部による独裁を強めるものだと批判されている。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/40/img33d6b2b6zikazj.jpeg  (ヤンゴン市街)
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/63/0000461063/52/img652695a9zikazj.jpeg  (ヤンゴンのスール・パゴダ)

*    5ヶ月間発行停止して申し訳ありませんでした

編集者  誠 
mako2050@hotmail.com
http://blogs.yahoo.co.jp/mako2050

現在休刊中です
解除

規約に同意して

登録した方には、まぐまぐの公式メルマガ(無料)をお届けします。

最近の記事

上へ戻る