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仏教の根本思想とは何なのか?仏教の歴史的展開において、失われたもの、また、得たものは何なのか?現代において、仏教はいかに実践されるべきか?すらすら頭に入る仏教入門。

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2009/07/13

目からウロコの仏教入門 ── 自分のモノサシと仏のモノサシ ──

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□□□     目からウロコの仏教入門       □□
□□     ~ひとりで学ぶ歴史と思想~     □□□
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── 自分のモノサシと仏のモノサシ ──


無常という視点から考えますと、物事は常に変化流動しているわけですから、
何かを判断する基準というものもまた、絶対的なものは決してありません。

人は自分なりの判断基準というものを持っていて、
それがいつしか絶対的なものと思うようになりますが、
世は無常なのでありますから、
人間の頭でこさえた判断基準が、絶対などという事など決してないのです。

「自分のモノサシを捨て、仏のモノサシで判断せよ」

このような事をしばしば仏教の世界では言われます。

これは、自分の勝手な判断基準を捨て、仏教的な判断基準を持ちなさいという事です。

そして、仏教的判断基準とは、無常観に他なりません。

すなわち、固定した概念に執われてはならない。

これを「空」という言い方もします。


自分の判断基準に頑迷に執着し続けますと、
必ずいつしか自分の考えと現実との間に齟齬を来たします。

ですから、決して、考え方を固定してはならない。

柔軟でなければならないのです。


人が仏に手を合わせて祈る行為。

この行為とは何を意味するのでしょうか。

それは、仏から声ならぬ声で智慧を授かる行為です。

己の価値観を一度、完全に放棄して、仏の前に額づく。

そして、仏の智慧を受けようとする。

では、仏の智慧とは何か。

これこそが、無常に他ならないのです。

「固定概念を捨てて考えるべし」

これこそが、仏のメッセージ、仏の智慧です。


仏の前に座して、己の価値観を忘却する。

そして、真っ白になって考えを組み立てなおすのです。

その場が祈りなのです。


囲碁の世界では、「定石を覚えたら忘れよ」と言います。

定石とは、囲碁の手を、ある程度パターン化したものですが、
もちろん、囲碁の手は千変万化、ずなわち無常でありまして、
パターンにおさまりきれるものではありません。

ですから、定石を覚えるのは良いのですが、そこに執着してしまいますと、
相手に定石の裏をとられて敗北するという結果になります。

相手よりも一歩先んじて相手を打ち崩すということが勝負の肝要ですが、
パターンに執着しますと、一歩先んじるという事が出来ないのです。

自由自在、融通無碍の判断が出来てこそ、勝負には勝つ事が出来ます。

もちろん、定石という基本が出来ているからこそ、
自由自在、融通無碍の判断も生まれる。

ですから、「定石は覚えたら忘れよ」と言うのです。


「無心」という言葉は禅から生まれた言葉です。

もともと「無心」とか「無」というのは仏教の言葉ではありません。

「無」とは中国の道家思想の言葉です。

「無」とは、「ない」という意味ですが、そればかりではありません。
万物の根源、そこから物事が生じる源を「無」というのです。

宇宙の始まりは「無」である。

これが道家思想です。


道家思想の聖典「老子」では、徹底して「知識を捨てよ」と書いてあります。

知識を捨てて捨てて、どんどん捨てて行くと「無」になる。

宇宙の根本にたどりつく。

そうすると、今度は自由自在に智慧が出るのだ。

だから、知識を捨てる必要がある。

そういう思想です。


仏教においても、同様の考え方をしますので、
「無」という概念を中国の仏教者が取り入れたのです。

以来、特に禅の世界で、この用語が多く使われるようになります。


本当の智慧とは、自由自在、執われない事です。

この「執われない事」というのは、自分のエゴ、そのものにも向けられます。

「自分だけが可愛い」という思いに執われてはならない。

自分の利益だけを重んじてはならない。

そこまで行ってこそ、本当の無心です。


今、中国では漢民族とウィグル民族との対立が起こっております。

原因は漢民族がウィグルに大量に移住し、
それによって、さまざまなトラブルが発生したという事のようです。

昔、日本でも、和人がアイヌの地、北海道に大量移住し、
アイヌとの対立を引き起こしました。

結果としてアイヌは壊滅的な状態になってしまいましたが、
今のウィグルとアイヌは完全に重なって見えるのです。


原因は漢民族、中国共産党の覇権主義です。

漢民族、中国共産党のエゴこそが、さまざまな対立を引き起こしているのです。

ここでまったく何の声明も発表できない日本政府は腰抜けでありましょう。

アイヌの件もありますから、言う資格は無いのですが、
それでも、少しは何かアクションを起こさねば、
日本は人権問題に対し、無関心という事になります。

北京オリンピック時、長野の聖火リレーで、
日本人がチベット国旗を持っていただけで、周囲の中国人に暴行を受けた。

それでも日本の警察は中国人を逮捕せず、反撃した日本人のほうを逮捕した。

こんな事を命じる日本政府にはまったく期待出来ませんが、
心ある者も政府の中にはいるでしょうから、何とか声を上げて欲しいです。

欧米が動けなくても、日本は動いて欲しい。

それは同じアジアだからです。


仏教の「無常」「無心」という考え方は、このように個人個人の問題から、
平和問題というところまで通じて行きます。

この考え方を、できるだけ多くの人が共有し、実践できるようになれば、
より良い、平和な世界が実現するということになるのです。

「仏教」の看板を掲げながら、
かえって、自説に執着している宗派、教団が多いのですが、
これはまったく仏教精神に違えております。

「我が宗の教義こそが正しい」このように言う事自体が執着であります。

釈迦の精神に反しているのです。

個人でも、団体でも、「仏教」の看板を掲げる者は、
よくよく、反省すべきであると思います。


-【著者運営サイト】--------------------------------------------------------

まとめページ
http://www4.ocn.ne.jp/~buddhism/meuro.html

ひとり仏教の会
http://buddhism.fc2web.com/

幻住書店
http://blog.so-net.ne.jp/genju/

宗教被害者相談所
http://jbbs.livedoor.jp/study/8478/

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http://www.mag2.com/m/0000159892.html

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