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国際結婚して17年。アラビア湾岸にあるアラブ首長国連邦に住んでいます。結婚前は自由奔放に世界を駆け巡っていたのに、ひょんなことから戒律の厳しいアラブの生活に。5人の子どもをアラブ流に育てながら、湾岸中東の風習・文化・生活をエッセイで紹介します。

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2009/10/17

アラブからこんにちは~Vol.182 ラマダーンについて考える(5)

◆━━☆アラブからこんにちは~中東アラブの未知なる主婦生活☆━━◆

マガジンID     0000158411
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Vol.182 ラマダーンについて考える(5)

そういえば、ラマダーン前日の新聞に、「初めての断食-First Fast」
というタイトルで、生まれて初めて断食に挑戦する子どもたちの
特集が組まれていました。
10歳前後の子どもたちは、一様に
「今年は学校がないから、断食することを許された」、
「30日間ずっとやってみる」
と喜びと意気込みを語っています。
同時に、その親たちが抱く期待や希望も表現され、信仰の大切さ、
神の定めた5行に対する一人一人の義務、子どもたちへの励ましなどが、
紙面に溢れていました。

夏の間、私は新学期が1ヶ月も延びたことに不満で、教育にもたらす
害ばかりを考えていました。この一年間で習うはずの内容が、
勝手に削られる不公平ばかりが見えていた。
けれどラマダーンが終わって、まったく考えが変わりました。
30日の学校教育が教えられるものと、ラマダーンの務めを正しく
理解・経験することから体得するものと、その間には
私たちの想像をはるかに超えるギャップがあると気付いたからです。

そもそも日本人としての私たちが考える教育とは、
つまり学校教育であり、1+1=2であり、ABCであり、
教科書が網羅している内容です。
十分な授業数で教科書の中味を教わる権利が子どもにはあり、
その環境を滞りなく与えるのが大人の義務だと考えていた。

しかし、そこには抜け落ちているものがたくさんあります。
義務として毎日毎日やらされ、初めて実体験できる行為も、
そのひとつです。
人間とは煩悩に弱い生き物ですから、実際に「食べない時間」
を持たなければ、この世界に何億人も現実にいる、
飢えた人々の気持ちは考えられない。
また、神に「食べることを許された瞬間」を味わわなければ、
それを感謝する気持ちも湧かない。
断食中に許されない多くの「禁止事項」を知り、それを我慢
することを覚え、失敗したら「罪滅ぼし」のために
やらなければならない行為がさらにあると知る。

また、実社会の環境がすべてが整っているからこそ
習えることも、そのひとつです。
例えば、どのUAE家庭でも、断食明けの食事の前に、
近所やモスクに食べ物を配りに行きます。
配りに行くのは、10歳前後の子どもたちの仕事です。
(他人のキッチンまで勝手に入り込めるのは、小さい子どもだけ。
遠い場所は父親かドライバーが行く。普段の日の夕方5時頃には、
近所のローカルの子どもたちが、お皿を持って右に左に
走り回っている。さらに高校生くらいの男の子になると、
人手が足りなくて、ドライバーの代わりに車を運転して、
モスクまで届けている。)
今年は学校の宿題などがないから、例年よりずっと多くの
子どもが道を歩いていました。
また、夜更かしできるから、家族と一緒に多くの家を訪ね歩く
ことができます。さらに、どの家でも女の子たちは
お菓子作りに励みました。

ラマダーンの最後には「喜捨」という義務もあります。
これは2通りあり、ザカートと呼ばれる義務の喜捨は、
年間の自分の固定資産から、約2.5%を貧しい人に与えるものです。
その金額は明確に数字で表され、一定期間内に
金銭あるいは家畜などで支払います。
反して、サダカは金額にかかわらない任意の喜捨です。
その中には、金銭はもちろん、人を助ける、訪ねる、
善行をする、挨拶するなど、多くの行為が含まれており、
クルアーンにも「ラマダーンの間はよくサダカに励むこと」
と書かれています。

しかし「任意」とは非常に難しく、心の余裕や時間の余裕が
大きく影響してきます。大人でさえそうなのに、
学校に通い、宿題や試験に追われている子どもたちが、
断食以外の任意の行為を行なうことは、実際には不可能に近い。

現代はハードな時代です。
何もかもをパーフェクトに行なえる事が最高の人格で、
そのためには寸分惜しまず努力をし、時間を無駄にせず、
チャンスを生かして立ち回ることが最善策だと思われている。
任意の行為などは、一番後回しにされがちです。
しかし、こうした任意の行為こそが、人間として生きるうえで
学ぶべき必要な知識であり、大切な行為である場合が多いのです。
人を助け、助けられ、気にかけられ、気遣い、時間と手間をかけて
敢えて人と関わり、交際していくことは、喜捨を支払うだけでは
機能しえない、人間同士の共生の基本なのです。

ラマダーン最後の週、夫は子どもたちを連れて銀行へ行き、
たくさんのお金をおろしてきました。
小さな単位の紙幣も含む大量の札束を、テーブルの上いっぱいに
並べて、午前中かけて、子どもたちに仕分けを教えています。
自分ひとりの収入で多くの家族を養っている人間は、
自分が養う人間の分までザカートを払わなければなりません。
夫の場合、父親の家族(父親、義母、その母親、妹、メイドも含む)、
母親の家(母とそのメイド一家12人分も含む)、私たち一家
(7人とメイド)という人数分まで、喜捨を払う事が
義務となります。
子どもたちはそれを宗教の時間に習っているから、
父親の年収を知らなくても、大量の紙幣の意味は
予想がつくでしょう。父親ほどの社会的立場の人間が、
どれくらいの金額をどう分配していくか、どの機関に託すのか、
目で見て学習します。
夫は手早く仕分けすると、ひとつひとつを封筒に入れて、
子どもたちを連れて、各家庭をまわってきます。
どの封筒が、親族の誰に、知り合いの誰に、あるいは
噂に聞いている不幸の続いた誰それに、どのように届けられるのか。
喜捨をする場合、自分の名前を名乗ってはいけなくて、
すばやく確実に、しかし事務的に渡してくることが奨励されます。
それをどう行なうのか。こうしたことは学校では決して習えず、
私のような人間では決して教えられず、
しかしムスリムとして生きる限り必ず知らなければならない
実生活の知識なのです。

新学期を遅らせる決定は、湾岸諸国のほとんど(クウェート、
サウジ、カタール、UAE、オマーンなど)が採用しました。
国家が、国を挙げて学校教育を後回しにして、
子どもたちに何を教えたいのか。当初の私には見えなかった。
しかし、今となっては「学校がなかったから出来たこと」は、
本当にクリアに見えています。
ムスリムとして生きるための知識を、(学校ではなく)
社会と家庭に預けて、子どもたちに教えようとする
イスラーム諸国の姿勢を、安易な自分の価値基準だけで
判断したことを私は反省しました。
そして、こうしたムスリムが世界に13億人おり、
同じような精神で生きていることを、世界の一員として
知らなければならないのだと、私は深く思いました。


ラマダーンについて考える(了)

ハムダなおこ


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