2009/12/06
渡部亮次郎の「頂門の一針」1746
■■□ ──────────────────────────── □■■ 渡部亮次郎の「頂門の一針」1746号 □■■□──────────────────────────□■■□ 平成21(2009)年12月6日(日) 岡田外相「日米関係の現状に危機感」:古澤 襄 友愛教・宇宙人総理のはた迷惑:平井修一 特養よりも刑務所:山堂コラム 295 茂吉から長崎の「やまなみ」へ:馬場伯明 現代漢字で歴史は語れない:上西 俊雄 話 の 福 袋 反 響 身 辺 雑 記 □■■□ ──────────────────────────□■■□ ━━━━━━━━━━━━━━━━━ 岡田外相「日米関係の現状に危機感」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━ 古澤 襄 予想されていたとはいえ、普天間移設の解決を来年に先延ばしした鳩山 首相に対する米国の風当たりは、予想以上に厳しい。このままでは普天 間に米軍は居座ることになる。 ルース駐日米大使と交渉に当たった岡田外相は日米合意が実行できない と、日米の信頼関係が危うくなると危機感を抱いている。問題の先送り は解決につながらないと那覇市での記者会見で強調した。 さらに「打開につながる決断が何か、首相を含めて協議している」と語 った。この日、小沢幹事長、輿石参院議員会長が鳩山首相と公邸で会う こともあった。 <岡田克也外相は5日、那覇市で記者会見し、米軍普天間飛行場(沖縄 県宜野湾市)の移設問題をめぐり、「日米合意が実現できない時に(日 米間の)信頼関係がどれだけ維持されるのか。今の日米関係の現状につ いて、私は非常に強い危機感を持っている」と述べた。年内決着の先送 りに強い懸念を示したものだ。 岡田氏は、連立を組む社民党が同県名護市辺野古への移設に反対してい ることなどを理由に、年内決着が「容易でない」との認識を表明した。 その上で、問題の先送りは解決につながらないと強調。「打開につなが る決断が何か、首相を含めて協議している」と語った。 岡田氏はこの後、那覇市内で仲井真弘多同県知事と会い、4日に東京で 開かれた日米間の協議内容などを説明した。また、5日午前の伊波洋一 宜野湾市長との会談では、「このままいくと、普天間飛行場の危険がな くならないという最も懸念するような事態になりかねない」と述べ、 2014年までに完了予定の移設計画が白紙に戻りかねないとの認識を示し た。 日米作業部会に出席した米政府当局者らと4日に会った民主党関係者に よると、当局者らは移設が進まなければ普天間飛行場の老朽化した施設 を更新する予算措置を取る可能性を伝えた。岡田氏の発言には、こうし た措置が取られれば、現状の固定化につながるとの懸念があるようだ。 一方、鳩山由紀夫首相は5日夕、首相公邸で北沢俊美防衛相と会い、普 天間問題で意見交換した。首相は記者団に「時間的問題も含めて幅広く 検討しなければいけない。日米関係は大事なので、そのことも含めて話 をした」と説明した。(朝日)> 2009.12.06 Sunday name : kajikablog ━━━━━━━━━━━━━━ 友愛教・宇宙人総理のはた迷惑 ━━━━━━━━━━━━━━ 平井 修一 1分は60秒、1日は8万6400秒、1年は3153万秒、人生80年として25億秒で ある。長いか短いか。 地球の年齢は45億年だから、人の一生は地球にとって80年÷ 4,500,000,000年=0.000000017で、一瞬どころか限りなく「無」である。 その存在が意味あるのかといえば、地球や宇宙全体にとってはまったく の無意味である。 人類という生命体が一瞬だけ地球に存在したということさえ、宇宙の規 模から言えばまったく与り知らぬことで、ましてや個々人の一生なんて 「無」というか「ゼロ」である。 それでも人間は25億秒を喜怒哀楽を重ねながら生きるのだが、その存在 意義はつきつめれば繁殖で、多くの動物同様に繁殖が終われば存在意義 はなくなり、死ぬのである。 「人は名を残す」というものの、これから100年後、1000年後に残ってい るのは、我々が100年前、1000年前から引き継いだものばかりで、そこに 新たに追加されるのは奇跡に近いことであり、孔子、キリスト、マホメッ ド、仏陀などに名を連ねることは凡夫のなせる業ではない。 それでも少なからぬ人は人生の意味を問い続け、多くの人はさまざまな ことに一喜一憂する。人生は他人事ではないから「所詮人生は無、空、 諸行無常」と言われても、なるほど、ごもっとも、しからば今日より食 を断ち成仏すべし、なんていう人はほとんどいない。 生きることに追われるのが普通の人生で、人類、社会のために生きると いう人は稀である。彼らは聖人、賢人、名人、ときには変人、宇宙人と 呼ばれる。 人生が所詮は虚しいのなら、難しいことや苦労を避けてひたすら楽しも うではないかという享楽・快楽・幸福主義というのもひとつの生き方で、 リゾートライフみたいに面白おかしく過ごすゆとりのある人も少なくな い。 それなのに一生をのんびりとリゾートライフで過ごす人は稀で、それな りに皆悩むのである。思い通りに行かないのが人生で、功成り名を遂げ ながら家庭生活が破綻しているケースなどはよくある。悲劇のタイガー ・ウッズ! 資産数百億円の良家のお坊ちゃまが政治に携わるのはノブレスオブリー ジュの義務感か、暇つぶしか。鳩山総理ほど煩悩が似つかわしくない人 は珍しいかもしれない。政治資金、経済、国防、外交・・・すべて他人 事で、先送りしても大したことはないと思っているかのようだ。 般若心経にはこうある。 空即是色 受想行識 亦復如是 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増 不減 是故空中 (人間には体感、知覚、自覚などいろいろあるが、己の実在は億劫年の 宇宙の時間の中で一瞬に過ぎず、誰が実在を証明できようか。煎じ詰め れば億劫年の宇宙の中で、一人の人間の生も死も意味はない、清濁も関 係ない、質量の増減もない。それならばすべては空である、としか言い ようがない) 生老病死、戦争、飢餓、怒り、憎悪、嫉妬、欲望・・・45億年の歴史の 中では今生のことはすべて一瞬で消える空である、夢幻である、かかず りあって悩む意味はない、それが悟り、解脱だと教えている。 この悟りに鳩山総理はかなり近いのではないか。名誉欲や金銭欲などの 俗臭とか、普通の人のもつ喜怒哀楽の感情、猜疑心、果ては責任感など もほとんど感じられない。友愛主義とはそういうことなのか。人間離れ しており、それが「宇宙人」と言われるゆえんなのか。 我々は類稀な友愛教・教祖を総理に戴いている。政教一致の政治が日本 丸をどこへ向かわせているのか、よく分からない。総理本人も分かって いないから当分、解脱できない大方の日本人は困惑するばかりだろう。 ━━━━━━━━ 特養よりも刑務所 ━━━━━━━━ 山堂コラム 295 いま日本では、刑期を終えて出てきた老人の再犯率が40%を越えるよ うになっているのだそうだ。特に窃盗犯の老人は、ほとんどがすぐ再犯。 刑務所から出たらすぐその日のうちにまた万引き。ハイ刑務所に逆戻り ―――と。 昔ガキだったころ、O・ヘンリーとかいうアメちゃんの作家。師走のN Yの街かどこかで、老人が一生懸命刑務所に入りたがるという話の小説 を読んだ( The Cop and The Anthem )。あ んな豊かな米国でねえ、ヘエ・・・と思ったことである。 しかし今になってみると、いまの日本はまさにそれ。貧富の差はギブミ ー・チョコレートのガキの時代よりひどくなってる。 ひと昔前なら、服役終えた親分衆。府中の建物鉄扉。その外では姐(あ ね)さんや、舎弟がずらりと待ち構える。「親分、ながのお勤め云々」 と直立不動、ベンツでお迎え。温泉直行、酒池肉林・・・なーんて光景。 せいぜい佐藤内閣のころまでで。 今じゃ舎弟ら皆逃散。一の代貸は姐さんを、寝取ってヒルズの六本木。 ハゲタカ・ムラカミ・ゴールドマン。出てきた親分に「あんたもムラカ ミ?知りまへんなあ。政権変わりましてんや」けんもほろろのマニフェ スト。普天間基地に仕分け人。 シャバ吹く風は木枯らしの、10年前のアロハシャツ、角店で美味(うま) そうに湯気立ててる、肉マン買うゼニこれなくて、えーいやったれ焼酎 5杯。昔の虫歯また疼く。無銭飲食で即「小菅」。 それでも小菅、府中とか、網走にもまだあるかは知らねども、風呂つき、 医者つき、3食つき。六本木ヒルズとはいかぬとも、冷暖房も完備して、 なによりヤバい成人病、それに罹らぬハト麦食。 入所希望者の倍率は、いまや駅弁大学の志望率、とっくの昔に追い越し て、東京都知事慎太郎、「築地跡地は刑務所」とか、言ったか言わぬか オラ知らぬ。CMのりピー採用すれば、希望者殺到五輪並み。 鳩山内閣のドン亀大臣。サツ官上がりのこの人は、なぜか死刑廃止論の 第一人者。死刑を止めて終身刑、これを採用しろと主張する。 元埼玉県警知能犯。その担当のサンズイは、やらずもっぱらトルコなら 西川口の歓楽街。その手入れに余念なく、「死刑・サンズイ」「終身・ トルコ」。 死刑を止めれば終身刑、あっという間に大増加。俺も俺もと日本列島津 々浦々。三食介護付きのスィートホーム。特養老人大刑務所。皆んな入 りたがるそうなれば、刑務所も刑務官も大増強。 終身刑だば老人の、ヨイヨイばかりのアンバリッド(廃兵院)。ボケの 世話からシモの世話、刑務官は大忙し。天下り役人だけがラクチンの、 左団扇(うちわ)の高額報酬。昼はゴルフに夜宴会。 政権交代しつれども、財源のあてがないままに、介護・福祉・年金の、 制度をいじればそのたびに、福祉の水準後退し、貧乏人だらけの日本国。 ホームレス、自殺者、犯罪者。日々増加するこの師走。(了) ━━━━━━━━━━━━━━ 茂吉から長崎の「やまなみ」へ ━━━━━━━━━━━━━━ 馬場 伯明 すっかり赤茶けた文庫本・斎藤茂吉の「赤光(しゃっこう)」を読み直 した。茂吉の第一歌集である。岩波書店の1953(昭和28)年版だから、 古めかしいのはあたりまえだ。 茂吉は伊藤左千夫に師事。「アララギ」の創刊に参加しアララギ派の中 心的な歌人となる。「赤光」は茂吉24~32歳の制作(数え年)。 ひむがしの空押し晴るし守らへる大和島根に春立てるかも(新年) (「死にたまふ母」より) 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる 山ゆゑに笹竹の子を食いにけりははそはの母よははそはの母よ 茂吉(1882~1953)は山形県に生まれ。神童と言われ、斎藤紀一の養子 となる。開成中学校、第一高等学校、東京帝国大学医科大学卒。 大正7(1917)年に、長崎医学専門学校教授、県立長崎病院精神科部長の 職に就き、長崎へ単身赴任。長崎を愛し、傍ら長崎歌壇を指導した。し かし、病み、温泉岳(雲仙岳)、唐津、古湯などに転地療養する。長崎 時代の歌は「あらたま」や「つゆじも」などに多い。 いつしかも寒くなりつつ長崎へわが行かむ日は近づきにけり あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺の甍にふる寒き雨 朝あけて船より鳴れる太笛のこだまはながし並みよろふ山 中学校の教科書にあった「並みよろふ山」は新鮮な記憶だ。次は(大正9 年7月26日。島木赤彦、土橋青村二君と共に温泉岳にのぼり、よろづ屋に やどる。予の病を治せむがためなり)とある。 草むらのかなしき花よわれ病みて生やしなふ山の草むら 千々石灘にむかひて低く幾つ谷息づくごとし山のうねりは 温泉が岳に十日こもれど我が咽のすがすがしからぬを一人さびしむ (大正10年、欧州留学のため長崎を去る) 長崎をわれ去りゆきて船笛の長きこだまを人聞くらむか 小浜の「夕日の広場公園」の入口に斎藤茂吉の歌碑がある。茂吉は大正9 年、病気療養のため小浜を訪れた。(小浜は現在の雲仙市小浜町) ここに来て落日(いりひ)を見るを常とせり海の落日も 忘れざるべし 小浜温泉の伊勢屋旅館は寛文9年(1669年)に創業し340年続く。茂吉が宿 泊したことにちなみ、最上階に「茂吉の湯」と名付けた露天風呂がある。 橘湾を一望する夕景が美しい。魚料理や酒も最高である。 ところで、長崎には茂吉らに連なる歌人がいた。秦美穂(はたよしほ)。 明治31年福岡県生まれ。昭和6年九州帝大(文)卒。昭和6年長崎活水女 専教諭、後、活水短大副学長。昭和46年退職。 大正7年「アララギ」に入会し島木赤彦に師事した。昭和12年「やまなみ 短歌会」へ入会。長くその代表であり、私の母(馬場ミスエ)にとって は「やまなみ短歌会」を通じご指導を受けた恩師である。 そばをまきそば粉にひきて血圧によしといふものぞ 食へと賜びたる 美穂 吾が蕎麦を好み食(を)します師の君の御歌うれしく 幾度も読む ミスエ(「蕎麦の花」より) 歌集「葡萄の枝にとほく」(秦美穂・1978/12/18・形象社・3800円)。 《「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」との言葉には、 およそ、ほど遠い人間、私の貧しい歌であるがゆえの名》とある。 葡萄棚に仰ぐむらさき所詮われは「葡萄の枝」というにはとほし 酸の湯を恋ほしみし茂吉思ほえて夜深き湯ぶねに下りゆきたり 沙羅双樹の枝ほそぼそともみだへり茂吉生国宝泉寺墓処 (赤彦先生墓参 信濃下諏訪柿山房) から松の残る黄葉がけぶらへり赤彦の墓浦山遠く 連翹(れんぎょう)の黄いの撓へが自在にて観世音寺の くらき昼すぎ 紅葉の終りし裸木茫々とほぶりてはやき普賢岳の冬 (秦美穂先生歌碑 昭和二十年原爆年 初冬浦上詠 長崎平和公園) 朝の日をさへぎらふ無き丘のうへ焼け立ちて白し大樹五六本 母は秦美穂先生からいただいた墨書の手紙を表装し掛け軸にしている。 母の宝物である。 母は師の後ろ姿を愚直に追いかけている。「やまなみ」vol.72 no.11 平成21年11月1日発行、より母の短歌を抜粋する。 月下美人の十個の蕾ゆらぎつぐ台風を避け軒下へやる 初年(きぞ)遣りしマユハケオモトこの秋も開きましたと 信子さんは言ふ 朝の門開くる頃おい白き芙蓉小雨降る昼ピンクに染まる 門閉ぢる夕べは紅く凋みをり朝(あした)小さく散る酔芙蓉 今月の「やまなみ」vol.72 no.12 平成21年12月1日発行、より。 電燈とエアコンのスイッチを使ひわけ秋の夜長をい寝がてに居り 十五夜の夜はい寝がてに唄ひをり声には出さず「十五夜」の歌 ねんごろに老人食を作りたり今吾がために作り思ほゆ 柚子しぼり和えし胡瓜の酢のものを久に来し息子(こ)は うましと食(た)うぶ たどれば、万葉の歌人・伊藤左千夫・斎藤茂吉・島木赤彦(アララギ) から、秦美穂(やまなみ)・・・へと連なる、かがやく短歌の巨人たち。 そこからずっと遠いところにおり、その細い一枝にぶら下がっている母 である。しかし、老いたわが母を、(この雑文で)歌人たちの末席にちょ いと据えてやるのも、まあ、親孝行の一つの所作かと。お許しを・・。 母は「やまなみ」の古参会員である。身の回りの事象を詠む自由詠。そ れが師に連なる(と思っている)。自然現象、動植物、親子・孫ら、年 中行事など。母の短歌は、いわば「日記短歌」なのである。 今、卆寿(90歳)となり、膝が痛く杖にも頼る。風呂とトイレの掃除は 週1回ヘルパーさんに頼む。しかし、炊事・洗濯は自分でやっている。 帰省した私が「台所の洗い物ば、手伝おかい」と言っても「台所は女の 場所ばい」と強がる。私は「はいはい」と二つ返事(!)で従う。二人 の夕食。掘り炬燵で向かい合い、とりとめもない話をする。 「中学生の頃、あんたは、猿んごて木に登って、柿ばちぎっとったね」。 還暦過ぎた私が「今でも登るっかも」と挑発すれば、「そりゃ、やめと かんね。猿も木から落ちる」と笑って心配してくれる。 また、「お母(か)さんも、短歌(うた)ば詠めるうちが花たい」と混 ぜ返せば、「90歳のばあさんに、今さら、花でもなかろが」と返ってく る。母と息子の掛け合い漫才で、温い夜は更ける。 幸い、母は両親から健康な体と丈夫な頭をもらった。この後どこまで歩 いて行くのだろうか。 「こん調子なら、百歳までは軽かばい」と私が言えば、まんざらでもな さそうな顔。お母さん、いつまでも、がまだして!(がんばって!) (了) (追記) 本文に掲載した斎藤茂吉ら歌人の短歌は、私の好みにより恣意的に選び ました。ご了解ください。(2009/12/6千葉市在住) ━━━━━━━━━━━━ 現代漢字で歴史は語れない ━━━━━━━━━━━━ 上西 俊雄 孫の學藝會に行った。會場の體育館に入ってみると舞臺袖のめくり札に 「休けい」とある。戰前の教師なら、「こんな書き方をしてはいけない。 もし字を知らないのなら辭書で調べて書きなさい」と教へたはずだ。 今なら假名漢字變換で休憩と簡單に入力できる。「休けい」と入力する のはかへって面倒だらう。しかし、以上はこの語を耳で聽いて判る程度 には知ってゐるとしての話。さうでなければ、假名の前の漢字は訓讀が 原則だからヤスケイと讀まれても仕方がないところだ。 今の教師はどうしてこのやうな表記を見過しにするのか。いや漢字制限 がある、このめくりは教師が書いたものかもしれない。文部省が漢字を 使用禁止にし、例外的に使用を許可したのが教育漢字だ。しかもこれに は學年配當といふものまである。だから教師たるもの油斷してはならな い。 使用禁止なのは、憩の字一字の問題なのだらうか。この字を教へなくて よいとしたのは、この字を用ゐるやうな言葉をつかふべきでないといふ ことだったのではないだらうか。だから「休けい」とすべきではなく 「休み」とすべきなのかもしれない。 これだと、送假名がある場合は訓讀するといふ原則にも叶ふ。しかし、 ついキウケイといふ語を使ってしまったわけだ。それでも、禁を犯さぬ やうに、語の前半だけしか教へない。あとは何時教へるのか。 學年配當の表をみてみると、どこにもない。結局、教育漢字でないから、 小學校では教へてはならない字といふことになる。かういふことを教師 はどうやって調べるのだらう。一々、學年配當まで明記した辭書がある とも思はれないが、實に御苦勞なことだと思ふ。 學力檢査といふのがあるが憩の字は知ってゐるのが學力ありとするのだ らうか。もしさうなら、その語を用ゐるときに、その語を書くときに教 へるのが一番だらう。 教育漢字とか學年配當とかいふものは變更になることはないのか。常用 漢字はよく變るから、これだって變るかもしれない。小學校教師がノイ ローゼにならないのが不思議だ。 國語教科書の編集をやってゐた友人に教はったことだが、小學校の教科 書の場合、學年配當は 2 段階になってゐて、3 年生の教科書であれば、 3 年配當のものの外に、既修つまり 1 年 2 年配當の漢字も使用可能、 それから 4 年配當のものはルビ附で使用可能であったさうだ。 教科書に掲載する作品はこの基準にそって書換へる。そのとき假名表記 の部分で配當漢字で表記できるところは漢字表記にする。著者から書換 への了解が得られなければ掲載しない。教科書編集者といふのがとてつ もない專門職だといふことが判る。 かういったことはすべて、「現代假名遣」「現代國語」といふ名稱に象 徴されるやうに、今といふ時點に於て便利であることが一番として定め られた戰後の表記改革に起因する。漢字も「現代漢字」と言った方が判 りやすい。 奈良縣橿原考古學研究所は 3 日、奈良時代の文人官僚として知られる石 上宅嗣の名前や位階、官職名を記した木簡が出土したと發表したと、本 日 4 日の新聞にでてゐた。 石上宅嗣の説明に「當時の貴族で政府高官。自宅を寺とし、書庫を芸亭 と名附けて云々」とある。石上宅嗣の「いそのかみ・やかつぐ」、芸亭 に「うんてい」と讀みが示してある。 「いそのかみのやかつぐ」としなかったのは、「の」に當る漢字がない と律義に考へたためかもしれない。芸亭の芸は藝の略字と同じ字形だが 別の字。とにかく現代漢字で歴史を語ることはできないことがよく判る。 ━━━━━━━ 話 の 福 袋 ━━━━━━━ ◎15年時効まで1か月、強盗致死容疑で逮捕 茨城県警竜ヶ崎署は5日、同県牛久市で1995年1月にホテル経営者の男 性が針金で手を縛られて見つかり、その後に死亡した事件で、いずれも 千葉県在住の70歳代の男3人を強盗致死容疑で逮捕した。 15年の時効が成立するまであと1か月に迫っていた。 当時の発表などによると、同年1月17日午後6時35分頃、牛久市南のホ テル経営松田行雄さん(当時68歳)が自宅の居間で針金で後ろ手に縛ら れ、ぐったりしているのを帰宅した妻が見つけた。 松田さんは翌18日に病院で死亡した。同署が捜査を開始したが、有力な 手がかりは得られず難航。強盗致死罪の時効が迫り、改めて捜査資料の 洗い直しを進めていた。 捜査関係者によると、3人のうち1人は暴力団関係者。いずれも容疑を 否認しているという。 12月5日13時19分配信 読売新聞 ◎米兵家族の少年ら4人逮捕 ロープ転倒事件、殺人未遂容疑で 東京都武蔵村山市で8月、道路に張られたロープにミニバイクの女性が ぶつかり転倒し、重傷を負った事件で、警視庁組織犯罪対策2課は5日、 殺人未遂の疑いで、現場近くの米軍横田基地に所属する米兵の家族の少 年3人と少女1人=15~18歳=を逮捕した。 逮捕容疑は8月13日夜、同市伊奈平の市道で、道路を遮る形でロープを 張り、ミニバイクで走行してきた市内の女性会社員(23)に衝突させ、 女性に頭蓋骨(ずがいこつ)骨折の重傷を負わせたとしている。 捜査関係者によると、4人は現場で警察官に事情を聴かれた際、日本語 が理解できない態度を示して偽名を名乗ったが、事件直前に近くの防犯 カメラに記録された映像から身元が特定された。組対2課は目撃情報な どから、4人の犯行と断定した。12月5日12時16分配信 産経新聞 ◎新型インフル、流行の年齢層広がる 厚生労働省は4日、国立感染症研究所による全国約5000医療機関の定点 調査をもとに、これまで新型インフルエンザ流行の中心を占めていた5 ~ 14歳から、その前後の年齢層にも流行が広がっているとの分析を明ら かにした。 感染研によると、最新の1週間(11月23~29日)のインフルエンザの患 者数は推計で約189万人。ほとんどが新型インフルエンザ患者とみられる。 189万人の年齢分布を見ると、5~9歳が53万人、10~14歳が41万人で依 然として流行の中心を占めているが、前週からはそれぞれ2万人と1万 人の減。 一方、20歳代は18万人(前週12万人)、30歳代は15万人(同10万人)、 0~4歳は24万人(同20万人)で増加しており、他の年代に流行が広が っている。 12月5日0時35分配信 読売新聞 ◎国内たばこ首位の日本たばこ産業(JT)の木村宏社長は4日、 「いかなる増税についても反対だ。政府内では健康を旗印に乱暴な議論 が行われている」と、増税方針を牽制(けんせい)した。 たばこ税は10年以降に3回の増税が行われたが、いずれも上げ幅は1本 1円で1箱20円程度の値上げだった。今回の政府方針は過去に比べて 上げ幅が大きく、木村社長は「かつて経験したことのない上げ幅だ。需 要の縮小が一段と加速する」と不安をつのらせる。 国内3位のブリティッシュ・アメリカン・タバコ(BAT)ジャパンの ナレッシュ・セティ社長も同日、産経新聞の取材に対し、「当社が2年 前に『ケント』のキングサイズの販売価格を1箱290円から10円値上げし たところ、大きく販売を落とした経験がある。消費者は価格に敏感だ」 と懸念を示した。 日本たばこ協会によれば、20年度の国内たばこ販売数量は前年比4・9%減 の2458億本と、ピークから1千億本以上も減少した。2~4円の増税が 行われれば「国内需要は前年比15%程度減る可能性がある」とBATジ ャパンのセティ社長はみる。 海外から割安な密輸品など違法たばこが流入する可能性も高まる。実際、 8~12年に大幅な増税を行った英国では、違法たばこの販売比率が増税 後、11%から37%に急増した結果、約5千億円の税収減につながった。 日本の21年度のたばこ税の税収見通しは2兆795億円だが、「増税で逆に 税収が減る恐れもある」と木村社長は指摘した。 12月5日7時56分配信 産経新聞 ◎震災から15年 延焼防ぎ住民守ったクスノキ 長田ですくすく ■「今度は私たちが助ける番」 被災樹の“子”再生の証し 阪神大震災で家屋の約3割が全焼するなど壊滅的な被害を受けた神戸市 長田区の野田北部地区。火災の延焼を食い止めながらも、枯れたり、撤 去されたりした「被災樹」の苗木が、住民により大切に育てられている。 「私たちは木に救われた。今度は私たちが木を助ける番」。来年1月で 震災から15年。優しさを紡いではぐくまれた緑は、町の再生の証しと してすくすくと枝を広げている。 「この木は特別やね」。野田北部まちづくり協議会の会長、浅山三郎 さん(72)は豊かに茂るクスノキの葉をそっとなでた。震災で防火の役 割を果たした被災樹の「子供」だ。 JR鷹取駅近くにある大国公園のこのクスノキには今も焼け焦げたあと が残る。平成7年1月17日。当時自治会長だった浅山さんは、自宅を家 族に任せて火の手があがる現場へと飛び出した。 人命救助や住民の避難誘導に駆け回る間も火の勢いはやまない。浅山さ んは覚悟した。「町は完全に焼けつくされるだろう」。だが東側の商店 街を焼いた火は大国公園で止まった。広い空間があったこと、そして水 分が多いクスノキが「水の壁」になったことも影響したと思われる。 「当時は木が火を防いだなんて信じられへんかった。でも、今は確かに 木が助けてくれたんやと思う」 2年後の春。焼けただれ枯れたと思っていたクスノキに新しい芽が出た。 「あの時のうれしさといったらない。自然の脅威ではなく強さを感じた」。 翌年には同じ公園内のソテツにクスノキの種子が飛び、芽吹いているの も発見した。だが熱風にあおられた親クスノキは1本が枯れ、ソテツも 18年に撤去が決まった。浅山さんは「町を守ってくれた木の子供」と 苗をとりわけ、近くの別の公園で育て始めた。 浅山さんだけではない。野田北部の住民の木への思いは深い。震災直後、 ボランティアグループが「焼け跡に花を咲かそう」と種や苗を持ってき てくれた。公園を中心に、住民が集まるようになった。きんもくせい通 り。カリン通り…。震災後に整備された細街路28本はすべて樹木の名。 住民自らが名付けたものだ。 焼けただれた親クスノキは樹医の治療によって、傷口も年々回復し、子 クスノキは2メートル以上にまで成長した。「より多くの人が集まる場 所に移す計画もある。植物によって救われた。今度は、私たちが植物の 命をはぐくんでいくんです」 12月5日15時25分配信 産経新聞 ━━━━━━━ 反 響 ━━━━━━━ 1)売る気で安くする物を、買う気でお客が来るファミリーフェアー 12月4日はこれまでに何度も取り上げてきた某商社の大安売り会場の東京 ビッグサイトまで、早朝から行ってきた。これまでに開始時刻の午前10 時前に到着したことがなかったが、今回はどれほど人が集まるかも知り たくて、バスに都営大江戸線さらにバスという具合にシルバーパス利用 で乗り継いでいった。 会場入り口の遙か手前で「ここが最後尾」のプラカードを持つ係員の止 められた時が9時55分。一般の招待券とショッピング・サービス会社発行 のクレディット・カード持参のお客は2組に分かれて、合計横に6列で約 50メートルほど。 それでも係員が気を利かせて並んでいるお客に入場券になるリボンを予 め配って歩いたので速やかに進み、当方が入場できたのが10時7分過ぎ。 出店者は280軒。それがビッグサイト西を埋め尽くした形で並んでいるの は壮観である。11時頃には場内の移動もままならぬ混み具合になる。特 にアパレル(この商社は所謂五綿の一社である)と前社長を出した食品 関連のところの混雑は凄い。あの広い会場を埋め尽くす人の数は1,000人 単位であろう。いや、1日通算すれば万の単位かも知れない等と思ってし まう凄さだ。 ここに来て何時も思うことは、来場者は最初から買いまくる気で来てお られているのであって、デパートに何気なく見てやろうかと思って入る のとは気構えが違う点だ。 それに、出店者の多くは小売業者ではなく問屋さんと商社の傘下の会社 で、それがこの際に在庫一掃の計画ももあるだろうし、現金獲得の狙い もあるだろうし、最低限の利益を取っただけと思われる価格で売ってい るのである。 より具体的に言えば、末端価格の20~50%で売られている物が圧倒的に多 いと感じている。中にはデパートから返品された物が80%引きで出ている ことなどもある。それが気にならなければ「これぞお買い得」である。 ここで良い買い物をするためには普段から市場価格に精通してなければ なるまい。さもないと、場内の異様な雰囲気に呑まれて、決して良い買 い物でもない物まで買ってしまう結果に終わることもあるだろう。 だが、私が見る重大なことは「消費者は経済的な値段であればまだまだ 買う気もあれば、買えるだけの財力もある点と、一般の大規模小売業者 のデパートやスーパーでは買わず、この機会を待っているのであろう」 なのである。 私はこの安売り会がこれほどの人気を得ているのは、ただ単にデフレ傾 向のためだけではないと考えている。消費者がそれだけ市場価格に精通 し、「この商品がこの価格では得だ」と判断されるか、ブランド品では 流行遅れや、型落ちや、サイズ不揃いとなった物を狙って来られる傾向 があると見ている。 このような形の売り方が人気を呼び、会員がこの調子で増加していけば、 従来の小売業が一層苦境に追い込まれて行かざるをえないだろう。私が 見る限り此処に来られる方は「安いから買う」のではなく「売る気で安 くしている物」に絞っておられるのだろう。 この会場でどれだけ売れるかは佐川急便の出店が大繁盛なことからも解 るし、主催者側が用意した無料の東京駅八重洲南口往復の大型観光バス もその勢いを示している。ビッグサイトでは両手に持ちきれない荷物を 抱え、大型のトローリー・ケースも引っ張る乗客の長蛇の列をなしてバ スを待っている。 私が出した結論は陳腐なものかも知れないが、第一は賢い消費者が大規 模小売業者を徐々に苦況に追い込んでいるに拘わらず、業者が一向にそ の大きな原因の一つに気が付いていないこと。第二はここでの出店者は デフレ対策だけで安く売っているのでく、売れる時に売って身軽になろ うとしていること。第三はそれが消費者の狙いと願望に合致しているこ とだ。(前田 正晶) 2)老婆心ながら、目についたところをご連絡しておきます。 12月5日号の 「略體は正字にするのが本來」(上西 俊雄氏)中、 「今月のものは鳩山秀夫法學博士「穗積老先生 不朽の功績を憶ふ」(大 正 15 年 5 月)。この表記は當り前のことながら原文通り、つまり正字 歴史的假名遣だ。」 歴史的假名遣 → 「歴」が新字体になっています。 もっとも、これが印刷された書籍だったら誤植ということになりますが、 ふつうのパソコンでは「歴」の旧字体は出てきませんから、不可抗力に よる誤植のようです。 ----- 以下は雑感です。 主義主張を掲げるとパソコンの文字コードのあり方まで弾劾しなければ ならなくなりますから、一つの主義を全うするということは、深い教養 と広い知識を必要としますので大変なことだと思います。 手書きならどんな文字でも書けますが、パソコンは、現時点では、使え る漢字に制約がありますから、大袈裟にいえば、日本人の発想を一定の 枠に封じ込めようとする国際陰謀だということになります。 お酒が好きな私が、本当に困っているのは、きき酒の「きく」(口偏に 利)が書けないことです。 さらに「酒母」をいう「もと」(酉に元)が書けないことです。うちの バソコンはお酒も知らない堅物だからと揶揄しています。まったく不自 由な文字コードだと思っています。 パソコンの性能がどんどんよくなっていますから、漢字の束縛から解放 される日がくることも夢ではないと思います。しかし、文字コードの変 更はいろいろ面倒なのでしょうから、うちのパソコンがお酒を嗜むよう になるのはいつの日になることかいう思いです。 人は最初に出会ったものがいちばん馴染みやすいようで、私には、「學 士會」も「学士会」と書いたほうがずっと読みやすいと思います。旧字 体は画数が多いので字面が重い(黒い)のが欠点(ちなみに「缺點」と 書くと目が痛い)です。 旧字体好きというのは、衒学趣味の一種なのじゃないのかとも思います。 実用上は、新字体のほうが読みやすいし、使い勝手がいいからです。も ちろん、その趣味(好み)を貶しているわけではなく、私も正統に憬れ る傾向があるのでその気持がよくわかるということです。 バソコンなら、旧字体を使うか、新字体を使うかは、簡単に選択できま すからどっちでもいいことですが、手書きの時に一々画数が多い旧字体 を使う(お馬鹿な)人はまずいないでしょう。 文語と口語の違いのように、印刷文字(正体)と手書き文字(略体)は 状況による使い分けだということです。 上西さんが書かれているご趣旨には同感です。古い文章の原文を新字体 や新仮名遣いに直されたのでは困ってしまいます。さらに、差別用語だ と称してそれを勝手にいじることも大いに困ります。その部分は軍国主 義調だといって、歌の歌詞を勝手に消してしまうのも同様ですが。 (むの字屋) 3)5日には小澤環境相が12チャンネルの田勢康弘氏の番組に出ていた のを途中から見た。田勢氏に「貴方は鳩山総理の側近中の側近だが、今 回の“9億円の子供手当”と揶揄されている件をどう思うか」と突っ込ま れていた。 その小澤環境相の対応を聞いて、総理大臣の支離滅裂な言動を何とかして ボロが出ないように支えていこうとして理屈にならない理屈を並べてい る民主党の閣僚や党の有力者が、気の毒に思えてならなかった。 小澤環境相はあの9億円が「脱税であるかも知れない」とまでは認めざる を得なかったのは解るが、その後の弁明は何とも頂けなくて、本当に気 の毒だった。 彼は「脱税にも良い脱税と悪い脱税と有り、総理の脱税は良い脱税だか ら良いのだ」と苦し紛れに言ってしまった。それを聞いた田勢氏は「脱 税に良いも悪いもない(犯罪)でしょう」と切り返して沈黙させた。 このように総理就任以来ぶれまくる言辞、支離滅裂な理屈、首尾一貫し ない主張が朝な夕なに繰り返されて来た。それをこれまた嘘ばかり言う 官房長官等が何とか正当化しようとするから、鳩山内閣が言うことは常 に不明確になる。 アメリカ政府を怒らせ、マスコミに揶揄される結果になる。この「総理 の失言、第三者の弁明と取り消し」の繰り返しである。 これは勿論鳩山総理の責任だが、閣僚も党幹部にも問題がある。総理に 「言動を慎め。整合性があることだけ言え」くらいは進言しても良いだ ろう。自分で言えなければ幹事長様にでも「ご指導願いたい」と陳情し ろ。 だが、もっと悪いのは、自民党が駄目だったからといって民主党に転向 した有権者と、民主党を支持した市民とその民度ではないか。民主主義 とは屡々こういう過ちを犯すものなのであると知れ。 私はこのような鳩山総理を善導するか、意見をする側近というか股肱の 臣が何故いないのか不思議でならない。何を怖れて忠告しないのだ。小 澤幹事長も党の内部の取り仕切りだけではなく、自分が任命した総理大 臣に対する任命責任をもうそろそろ取っても良い頃ではないのか。 (前田 正晶) 4)脱税にも良い脱税と悪い脱税と有り」というのは、本当だと思い ます。時の勢いで割る久美荒れるかもしれないが、時節が移れば自ずと 評価も変わるもの。米国の核はいけないがソ連の核はよいとか、誘拐は いけないが北朝鮮の拉致はかまわないとか、 全体主義はいけないが現中国の体制は鵜呑みにするとか、教師免許の更 新制はいいが日教組天下になれば取りやめるとか、そんなこと、いちい ち目くじらを立てていたのでは、人類の日進月歩はないと言いながらも、 不易流行を忘れずとか。 人間って、とても都合良く作られているんですね。性格には人間の頭の 内容がというべきなのでしょうけど、肉体的な苦痛ですら、そのいとに 忘れてしまったかのように、シベリヤ抑留について、終戦日後の北方領 土略奪にも文句を言わなくなった。人間は便利です、だから津々浦々ど こででも生きていけるのでしょうけど。(酒井 富雄) 5)明治時代の実業家で、大阪経済を立て直し、大阪をつくった男と も言われる、五代友厚を主人公にしたテレビドラマを、どこかのテレビ 局が制作してくれないかと思います。(まこと) 6)5日の12チャンネルにおける小澤環境相と田勢早大大学院教授の会 談中に興味ある数字を聞いた。それがこの1%である。 あれほどトヨタのプリウスや本田のインサイトの人気が高くとも、現在 国内の車に占める比率は1%で、ハイブリッド車がCO2の25%削減に本格的 に貢献するのは未だ先のことであると知り得た次第である。 25%という目標は崇高だが、この数字を聞いては「日暮れて道なお遠し」 の感は免れなかった。小澤環境相は各家庭が25%達成の暁に負担するとマ スコミが報じている数字は誤解を招きやすいと指摘していた。 だが、この解説とても鳩山総理への苦しい援護射撃に聞こえてしまう。 「民主党も大変だな」と同情したくなってしまった。(前田 正晶) ━━━━━━━ 身 辺 雑 記 ━━━━━━━ 5日午前4時台の「ラジオ深夜便」は流行歌手小畑実(故人)を秋田県生 まれの人と放送した(大阪、西橋正安泰)が、フリー百科事典『ウィキペ ディア(Wikipedia)』によれば、出生名 康永!)(カン・ヨンチョル) 出生 1923年4月30日、 出身地 朝鮮平壌 死没 1979年4月24日(満55歳没) が真実である。 小畑は秋田県北部に多い姓ではあるが、秋田県には小畑実の少年時代を 知る者はいない。 1937(昭和12)年、同胞のテノール歌手永田絃次郎(後に北朝鮮に行き、 行方不明)に憧れて日本に渡り、日本音楽学校に入学。苦学しながら声 楽を学ぶ。 このころ、秋田県大館出身の小畑イクに面倒を見てもらったのが小畑姓 と秋田出身を称した理由とされる。なお、イクの息子小畑達夫はいわゆ る共産党リンチ事件で死去している。 デビューは1941(昭和16)年2月、ポリドールレコードからで『成吉思汗』 であった。ただし、朝鮮半島出身を隠して出身地を秋田県としていた。 のちにビクターに移籍。1942(昭和17)年の『湯島の白梅』が出世作と なる。翌年に『勘太郎月夜唄』をヒットさせ新進気鋭の歌手として注目 を浴びるが、本格的な活躍は終戦後であった。 テイチク・キング・コロムビア・古巣のビクターと所属会社を転々とし ながらも、甘いクルーナー唱法で『小判鮫の唄』・『薔薇を召しませ』 ・『アメリカ通いの白い船』・『長崎のザボン売り』・『ロンドンの街 角で』・『高原の駅よさようなら』などのヒット曲を飛ばした。 特に『星影の小径』はフランスのシャンソンをベースにしたロマンチッ クな旋律と「アイ・ラブ・ユー」という英語を歌詞に用いた斬新さに加 え、彼の歌唱の特徴が生かされた傑作である。 NHK紅白歌合戦に3回出場している。 1957(昭和32)年、第8回NHK紅白歌合戦出場を最後に一度引退。一時期 実業界に移り、歌謡界から遠ざかっていたが、1969(昭和44)年頃、折 からの懐メロブームもあって『勘太郎いつ帰る』で復帰。韓国にもしば しば渡り、本名で活躍する。 1977(昭和52)年には『湯の町しぐれ』をヒットさせ気を吐いた。その 後、ステージ活動や刑務所の慰問、後進の指導にあたるなど精力的に活 動していた矢先、千葉県野田市のゴルフ場でプレイ中に倒れ、急性心不 全のため55歳で亡くなる。 永田 絃次郎(ながた げんじろう、1909年(明治42年)9月7日 - 1973年 (昭和48年))は、大韓帝国(現在の北朝鮮平壌)出身のテナー歌手。 本名は金 永吉。 陸軍戸山学校軍楽隊出身。昭和8年にキングレコードから声楽家としてデ ビュー。オペラ歌手の傍ら、戦時歌謡を多く吹き込む。昭和13年「愛国 行進曲」、昭和14年「愛馬進軍歌」「出征兵士を送る歌」が大ヒット。 その後もキングの看板歌手として「紀元二千六百年」「大政翼賛の歌」 「海行く日本」などを吹き込む。 戦後、朝鮮戦争で母親を失う。昭和35年、第6次船で祖国の北朝鮮に帰国 し、在日朝鮮人の帰国運動に影響を与えた。朝鮮労働党の幹部の前でイ タリア歌曲「オー・ソレ・ミオ」を歌い、資本主義者として批判され、 不自由な生活を強いられる。 その後、現在に至るまで詳細な消息は未詳。脱北者の証言などにより、 家族を日本へ帰そうなどとしたことから一家全員処刑された、或いは炭 坑や収容所で亡くなったなどの説が言われている。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) 5日は昼過ぎまで、東京湾岸は晴天だったが、午後3時ごろには、またま た雨になった。滅入る。夕方には向島の洋食屋で、ビーフフシチューを 肴に焼酎を少々(3合)。 ご投稿、ご感想をお待ちしています。下記。読者:4288人 ryochan@polka.plala.or.jp □■■□───────────────────────────□■■□ 御意見・御感想は:ryochan@polka.plala.or.jp HP: http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm ブログアドレスは http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/ □■■□───────────────────────────□■■□


