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私の毎週通っている教会での礼拝説教(聖書のお話し)のご紹介です。内容は信徒である私自身がまとめたメモで牧師自身の原稿ではありませんのでご了承下さい。

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2008/09/21

八幡西教会 礼拝レポート

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−−−− 2008年9月21日 −−−−−

救われる人

新約聖書 ルカによる福音書 13章22〜30節

イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。
すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。
「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。
家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、
『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返って
くるだけである。そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、
わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言いだすだろう。しかし主人は、『お前たちが
どこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう。あなたがたは、
アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分は外に
投げ出されることになり、そこで泣きわめいて歯ぎしりする。そして人々は、東から西から、
また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。そこでは、後の人で先になる者があり、
先の人で後になる者もある。」

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

誰が救いにあずかることが出来るのであろうか
主の厳しい教えに対して人々はこのような思いを抱くであろう

主の答えは直接それに答えない 「狭い戸口から入るように努めなさい」
努めるとは真剣に戦うこと 狭い戸口とは重大な決断を必要とする
主は「苦しんで戦え」とおっしゃる 信仰は自分自身のことである

自分自身は救いにあずかるに値しないと決めつける人は神の前に傲慢である
それは宿命論、運命論に傾いているにすぎない
過去に囚(とら)われず神の大きな愛に委(ゆだ)ねることこそ信仰的決断である

入ろうとしても入れない者 彼の問題点は遅れて戸口をたたくこと
主が心の戸口をたたいておられる今の重要性に気づかない
神の国の扉はピタリと閉じられる時がある 開いている今こそ狭い戸口から入れ

かつて主と時を共にしたことは問題ではない
今自分に語りかける主に応える決断こそ不可欠
今身をかがめて狭い戸口から入るよう努めることこそが大切だ
謙虚になり、身を小さくすることは私たちがなすことである
その時、主が救いの御手をさしのべてくださる
今こそが大切なその時である

問題は彼らの出所である 誰でも新しく生まれなければ神の国を見ることは出来ない
新しく生まれ変わることこそが神の国に入る条件である
それは聖霊のなせる業である 聖霊の助けと導きを求める者には必ず与えられる

これらのことは、道を求める求道者にのみならず、信仰者にも向けられた言葉である
救いの完成に向けて努力を怠ってはならない 自分の体を打ちたたいて服従させる
主が最後の日に問われること それは「あなたはどこから来たのか」
自分自身を高くして傲慢になってはならない 狭い戸口から入れ
自分自身の行いの根拠はどこから来ているのか
狭い戸口とはイエス・キリストその人である
主の十字架の死こそが狭い戸口である
十字架から入る狭い戸口 しかしそれは救われる者にとっては神の恵み神の力

主の十字架により頼み、自分の功績を誇らない
主の十字架を受け入れることこそが神の救いである

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