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2008/05/01

広原盛明のつれづれ日記

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2008/5/1 広原盛明のつれづれ日記 vol.117  
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http://www.hirohara.com/ 



◆目次◆

つれづれ日記

・08年4月16日:目次構成から始める論文の書き方
         (新年度を迎えて、その3)

・08年4月23日:どこまで学生と親しくなるべきか
         (新年度を迎えて、最終回)


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08年4月16日:目次構成から始める論文の書き方
         (新年度を迎えて、その3)

 そんなことで、今年はどんな風に論文を書いてもらおうかと
先日議論したところ、関心のある分野も研究したいテーマも結
構多岐にわたることがわかった。何しろいままで手がけてきた
ことを「ライフワーク」的にまとめてみたいというのが希望ら
しい。

 社会人が定年後に改めて勉強をしたり、自分の仕事を振り返っ
てみるのは意義のあることだ。だから、「自分史」をまとめる
ような感覚で大学院に来る人も珍しくはない。勉強することは
「人生にとって最高の贅沢」であるから、当人にとっては如何
なる趣味も海外旅行も足元に及ばないほどの魅力ある選択なの
だろう。

 社会人大学院生が増えてくると、このような「人生の贅沢」
を研究を通して実現しようという人がひょっとすると将来は多
数派になるかもしれない。その場合、われわれ大学教員の役割
は、「カルチャーセンターの講師」といったものになっていく
のだろうか。

 実は、ここのところの見極めがかなり難しい。「自伝」を書
こうが、「自分史」をまとめようが、それはその人の選択の自
由の問題だ。自分の時間をどのように使うかは、その人のまさ
に人生設計の問題であり、ライフスタルの問題である。そのこ
とに我々が介入することは許されない。だが、このことと大学
院での研究をすることは必ずしも同じではないのである。

 それは、勉強するためには大学の研究室や図書館など数々の
サービスが必要とされるし、我々自身もそのための議論や指導
のための時間を割かねばならないからである。1日24時間、
1週7日間しかない限りある時間のなかで、その人の個人的な
趣味のために(だけ)議論をすることはなかなか辛い。もしそ
のようなことが現実になったら、むしろ精神的な苦痛さえ感じ
ることになるのではなかろうか。

 ということは、やはり研究テーマへの関心を学生と教員の双
方が共有でき、一緒に議論したり研究することが共通の目標に
なるような状況が望ましいといえる。個人的興味もライフスタ
イルも異なる学生と教員が、ある研究テーマについて共通した
関心を持つということは、そのテーマに社会性や歴史性・時代
性があるということだ。個人的な興味や関心の裏側に互いに共
通する普遍的な知的関心事が横たわっているということでもあ
る。

 そこで今年は一計を案じて、まず書きたい論文のテーマと目
次構成をつくってもらうことから始めることにした。いつもな
ら毎回テーマに関するレジュメを出してもらって、議論を重ね
ながら徐々にテーマを絞っていくのだが、今年は一挙に論文構
成にまで踏み込んでレジュメをつくってもらうことにしたので
ある。

 実際、これから書こうとする論文の目次を最初からつくるの
は難しい。最初から目次や構成がわかっているのであれば、わ
ざわざ論文を書く必要もないぐらいだ。でも、私はこの方法が
必ずしも無益だとは思わない。絵画に例えれば、何を描くのか、
人物画なのか、風景画なのか、抽象画なのかを決めるのがテー
マ選択であり、目次構成はその第一歩としての「デッサン」な
のだ。制作のモチーフをどう生かすのか、それをどんな全体構
図として表現するのか、そんなデッサンを繰り返すなかで、少
しずつ「輪郭」が浮かび上がってくるのである。

 テーマを決める側でも、目次を考えることはそれなりに有効
だ。そのテーマについて何を書くのかが、最初から書き手の側
に否応なく問われるからである。タイトルと研究の趣旨と目的
だけを書くだけでは、いくら議論してもなかなか煮詰まらない。
「どう攻めるのか」、「何を書くのか」という研究の道筋が明
らかにならない限り、論文は永久にできないからである。

 今年は面白いことに、学部学生の4年生にも同様のことを試
してみた。最初のゼミの時間に、卒業論文を書く4年生に一人
ずつ「どんなテーマを取り上げるのか」を聞いてみた。そうす
ると返ってきた返事は、みんな「まだ考えていません」という
ものだった。例年だったら、「それでは次のゼミまで考えてく
ること」になるのだが、今年は「いまこの場で考えろ」と退路
を断ったら、みんな結構いいテーマを出してきた。きっと頭の
中では考えているはずなのに、それをもう一段具体化する努力
をしていないので、「まだ考えていない」という返事になるの
だろう。

 そこで今年は、学部学生にも最初から卒業論文の目次構成を
だして議論することに決めた。みんな「えっ」というような顔
をしていたが、来週からのゼミの時間が楽しみだ。(続く)


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08年4月23日:どこまで学生と親しくなるべきか
         (新年度を迎えて、最終回)

 毎年、新年度を迎えて悩むことは、「どれほど学生と親しく
なるのか、また、なるべきなのか」ということだ。学生と親し
くなることを悩むなんて、教員としては失格だと思われるだろ
う。教育は、学生との親密な人間関係があってはじめて可能だ
とこれまでは思われてきたからである。

 学生と親しくなるには、まずもってお互いをよく知らなけれ
ばならない。家庭の事情も本人の生育暦についてもである。だ
が、いまどきの学生はそんなことを話そうともしないし、聞か
れることも嫌がる。「プライバシー」とか「個人情報」とかい
うとてつもなく厚い壁があって、それを乗り越えることはそれ
ほど簡単なことではないのである。

 だから私は、彼・彼女たちがごく自然にそんなことを話せる
時がくるまで辛抱強く待っている。2年生の後半からゼミに入っ
てきた学生たちが卒業するまで3年近く付き合うのだが、その
間にそんなことを話し合えるのは、3分の1もあるだろうか。
ひょっとすると5人に1人、あるいはもっと少ないのかもしれない。

 「なんて水臭い間柄なのか」、「学生と教員の人間関係はそ
れほど希薄なのか」と読者の方はきっと思われるに違いない。
事実、私たちの学生時代それも理系の場合は、「何々研究室」
という教授や助教授の名前がついた学生や大学院生の溜まり場
があって、一旦ゼミに入ると24時間のほとんどをそこで過ごし
ていた。なかには研究室を下宿代わりにしている猛者もいて、
そこに寝袋があり、洗濯物を干す紐がぶら下がり、煮炊きをす
るための「カンテキ」(いまは死語になっている)までが転がっ
ていたのである。

 まるで「タコ部屋」のような環境のなかで学生たちが共同生
活を送る日々のなかから、誰それが仕送りがなくて昼飯を抜い
ているとか、奴は最近フラレタらしいとか、卒論がうまくいか
なくて悩んでいるとか、そんなことが互いに筒抜けになってい
て、それが大学院生や助手の口から先生たちにどことなく伝わっ
てくる仕組みが出来上がっていた。

 でも私学の文系学部には、そんな学生たちの溜まり場がない。
「研究室」というのは文字通り先生たちの研究室であって、学
生たちが自由気ままに簡単に入れる場所ではないのである。だ
から学生たちの溜まり場は「クラブ部室」や「同好会・サーク
ル室」しかないことになる。これでは教員が学生たちと日常的
に親密になることは難しい。

 そんなことでゼミ合宿やコンパが大切な交流の機会になる。
またそこで、思いもかけない彼・彼女らの素顔を発見して驚く
ことも多い。でも合宿やコンパは所詮は集団交流の場であって、
個人的なコミュニケーションが成立する場ではない。むしろそ
んな個人的な「ダサい話題」を極力避けるのが学生たちのマナー
なのである。

 とすると、残された機会は教員との個人的な会話になるが、
それは学生たちが個人的に研究室を訪れて話す以外に得られな
いことになる。だが、彼・彼女らは滅多に研究室に訪ねて来な
いのだ。「オフィスアワー」といって、学生が教員の研究室を
自由に訪れてよい時間を設定している大学も多いが、私の場合
は「いつでもオーケー」なのに、やはり来ないのである。

 学生が来ないのは、教員の側に問題がある場合も否定しない。
だが多分真相は、学生の側に「話すことがない」からなのでは
ないか。彼・彼女らはそれほど教員に多くを求めていないのだ
ろう。「話しても無駄だ」と最初から決め込んでいるのかもし
れない。どれほど生活に困っていても教員が助けてくれるわけ
でもないし、交友関係に悩んでいても適切なアドバイスが得ら
れるとは思えないし、単位が足りないことで相談しようとすれ
ば、お説教されるのが関の山だとなれば、「行く気がしない」
のは当然だろう。

 そんな学生の気質をよく知っているので、私は辛抱強く彼・
彼女らが勉強のことで相談しに来るのを待っている。学生との
数あるコミュニケーションのなかでもやはり一番大切なのは、
勉強や研究のことである。それが学生たちが最も話しやすい話
題であり、また大学の機能や使命にも叶っているからだ。だか
ら学生たちに勉強や研究に興味を持ってもらって、それを実現
するにはどうすればよいかを気軽に相談できるような機会をつ
くることが、私たち教員の一番大切な役目だと考えている。

 ゼミの時間はそれほど多くない。また議論することが苦手な
学生も多い。最終的にはみんなの前で堂々と議論できる能力を
身に付けることがゼミの目標なのだが、それができないのであ
る。そんな学生には個人的なアドバイスや指導が必要だ。でも
こちらから呼びつけても、学生たちにニーズがなければ空振り
になる。例えは悪いが、普段から学生たちの周辺に「知的な撒
き餌」をしておいて、「一本釣り」をするのが教育の極意とで
もいえようか。

 今年も新年度が始まった。心機一転して学生たちと向かい合
いたい。そうでなければ、彼・彼女らが背を向けてしまうだろ
うから。(終わり)
 

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本メールマガジンは、HP「広原盛明の市民フォーラム」にて
掲載された「つれづれ日記」をまとめて、
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発行:広原盛明
メールアドレス:hirohara@skyblue.ocn.co.jp
URL:http://www.hirohara.com/

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