2008/02/07
広原盛明のつれづれ日記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2008/2/7 広原盛明のつれづれ日記 vol.113 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ http://www.hirohara.com/ ◆目次◆ つれづれ日記 ・08年1月24日:日本建築学会シンポジウム 「西山夘三の計画学」での論点(その2) (慌ただしい新年の幕開け、その5) ・08年1月25日:アンドレアさんの博士学位論文 「西山夘三と1970年万博『未来都市のコアモデル』 その来歴と意味」の公聴会に臨んで、 (慌ただしい新年の幕開け、最終回) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 08年1月24日:日本建築学会シンポジウム 「西山夘三の計画学」での論点(その2) (慌ただしい新年の幕開け、その5) 冒頭の住田報告は、西山の研究活動の歴史的な特徴として、 (1)時代の転換期に応じた研究テーマの展開、(2)建築研 究を住宅・都市論へ発展させたゼネラリスト・啓蒙家、(3) 20世紀を駆け抜けた象徴的な「20世紀人」、(4)次代の 先頭に立って「近代化の大きな物語」を描き続けたモダニスト、 (5)体制を批判しつつ体制に参加して改革を図ろうとした 「改革主義者」、(6)卒論の序文に掲げた史的唯物論を生涯 の研究の倫理的規範とする、の6点を挙げた。いずれも西山の 全体像を包括的にとらえた見事な切り取り方である。 「西山夘三の住宅計画学と吉武・鈴木研究室の建築計画学の 展開」と題する内田報告は、東大の建築計画学との対比におい て西山理論の特質を解明したもので、とくに「西山の建築計画 学はシステム科学であり、方法論としてはシステム分析である。 システム分析がアメリカやヨーロッパで発展したのは第二次世 界大戦後であり、西山の住宅計画学は世界的にも評価される。 吉武・鈴木研究室の建築計画学は、システム分析を多くの公共 住宅・公共建築に適用して成果を挙げた」との指摘が注目され た。 これに対して私の報告は甚だ「キレ」が悪かった。西山の生 涯を通底するキーワードとして、マルクス主義、国家的思考、 大阪職人的感覚の3点を上げたまではよかったが、戦前戦時中 は「改良主義者としてのテクノクラート」、戦後は「体制批判 的な社会派研究者・大学知識人」と規定しただけで、余りにも 一般的すぎて何も言っていないのに等しかった。住田報告をな ぞった程度の内容となり、論点を提起するには程遠いものでし かなかったのである。 内心忸怩たる思いで原因を考えていたが、やはり最大の問題 点は「西山を鏡にして現代の計画学研究に何を提起するか」と いう明確な視点が欠如していることだった。歴史研究が往々に して陥りやすい過去の事実認識にこだわり、それを現代的視点 で再生する視点が決定的に弱いのである。「建築学会が巨大化 するあまり研究者の視点が内部化し、研究テーマの設定にして も方法論にしても行き詰っている」などといっても、具体的に どう行き詰っているかを指摘しなければ出口は見えてこない。 今回のシンポジウムの趣旨である「現代においても指標となる べき要素を再発見したい」という課題に対しては、ほとんど貢 献らしい貢献をできないままに終わったのが実態だった。 興味深かったのは、コメンテイターとして今をときめく40 歳代若手の建築論・建築史の研究者2人が参加したことだ。こ の1月から建築学会の機関誌、『建築雑誌』の編集長に就任し たばかりの五十嵐太郎氏(東北大学准教授)、そして中谷礼仁 氏(早稲田大学准教授)の2人である。実のところ、事前の参 加申込者数が少なくて学会の事務局ではヤキモキしていたとい うが、蓋をあけてみるとベテランと若手を含む百人を超える参 加者があり、学生や院生の姿も結構見られた。「人気若手の2 人を見に来た」ということなのだそうである。 ただこの人たちが生れたのは1960年代後半であり、大学 で建築の勉強を始めたのは1990年代に近くなってからだ。 だからもう西山の名前も丸きり知らない世代だと考えていいだ ろうし、研究成果や経歴に関する基礎知識がそれほどあるとも 思えない。またコメントや討論の時間も少なかったので、当初 から十分な意見交換が出来るとは想定されていなかったのであ ろう。3人の報告をめぐるコメンテイターの発言は散漫な意見 のやりとりに終わって、ほとんど見るべき論点の掘り下げはな かった。 にもかかわらず、私が自分の不出来を承知でこの企画を評価 するとすれば、それは20世紀を俯瞰できるだけの時間が経過 した現在、21世紀の計画学研究がいったいどこへ向かうべき なのかを、改めて考えてみる機会を建築学会に提供したと言う ことだろう。若い研究者が自分の座標軸を定める上でも、20 世紀の研究史を振り返ってみることは十分価値のあることだか らである。その意味で、この企画を立てた東大吉武研出身の布 野修司氏(建築計画委員会委員長、滋賀県立大学教授)の卓見 を称えたいと思う。 最後に、五十嵐太郎氏のことを知りたくてインターネットで 検索していたら、偶然にも彼のブログに行き当たった。そこに は1月15日の出来事として、「建築会館にて、「西山夘三の 計画学―西山理論を解剖するー」のシンポジウムに出席。業績 を敗戦前後で切りわけるよりも、戦時下〜1970年までをひと続 きに考えたほうが、彼の計画学が理解しやすいと感じました。 しかし、その後の景観論、建築家批判、共同する運動体などの トピックも興味深い。」とあった。会場での発言にはなかった 感想で、彼の受け取り方がわかって面白かった。(続く) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 08年1月25日:アンドレアさんの博士学位論文 「西山夘三と1970年万博『未来都市のコアモデル』 その来歴と意味」の公聴会に臨んで、 (慌ただしい新年の幕開け、最終回) 偶然かどうか知らないが、東京での建築学会の西山計画学シン ポジウムの翌々日の1月17日には、京都大学(人間・環境学大 学院)で日系3世の女性、アンドレア・ユリ・フロレス・ウルシ マさんの学位論文の公聴会があった。主査の伊従勉教授の依頼に より、私は4人のうちの1人の論文調査委員として出席したので ある。 彼女の「西山夘三と1970年万博『未来都市のコアモデル』、 その来歴と意味」と題する博士論文は、二重三重の意味で私にとっ て大変な驚きだった。まず第1に西山夘三の研究活動を対象とす る若手研究者がついに現れたということ、第2はそれが西山門下 生ではなく外国人(南米の日系人)であったこと、第3に論文が 全て英語で書かれ、公聴会の質疑や討論もほとんどが英語で行な われるなど、私にとっては驚きの連続だった。 西山の没後、NPO法人を作って十数年にわたって段ボール箱60 0個分に達する膨大な研究資料を整理し続けてきた私たち門下生 一同は、長い間、私たちに代わる若手後継者の登場を切に待ち望 んできた。しかし西山の系譜を受け継ぐはずの研究室は、もはや 現在の京都大学建築学科には実質的に存在しないといってよい。 西山の定年後いくばくかして、直系の人脈は「ホロコースト」 (絶滅計画)といってよいほどにまで根絶やしにされ、当時研究 室に在籍していた助手・大学院生など若手研究者は、他大学にチ リジリバラバラに分散していかざるを得なくなったのである。 京都大学建築学科にとってこのことの学問的損失は計り知れな いものがあるが、もともと西山の学問的価値を理解しようとしな い(できない)グループが教室人事の権限を握ったことが原因で、 その後の建築学科では西山の遺志を受け継ぐ若手研究者が出なく なったのである。そして私たちのように定年間際の門下生が、研 究資料の整理を続けてもだれがその学灯を受け継いでくれるのか もわからぬままに、今日まで細々と努力を重ねてきたわけだ。 だが歴史とは偶然の連続のようにみえながら、その底流では絶 やすことのできないある種の必然の流れを生み出すものだ。建築 学会での西山計画学の再評価もそのひとつだし、また足元ではこ れまで建築学科の傍流とされてきた京都大学の人間・環境学大学 院(旧教養課程のスタッフが中心となってつくった大学院)にお いて、アンドレアさんのような論文を書く若手研究者があらわれ たこともその流れだとみなせよう。 中国はいま2008年北京オリンピックと2010年上海万博 を目前にして沸きに沸いているが、ちょうど40年前の日本にお いても1964年東京オリンピックと1970年大阪万博が何れ もアジアではじめて開催されることになり、開発ブームはピーク に達していた。そのときに会場基本計画(マスタープラン)の発 案者として万博協会・建設省から指名された西山は、「お祭り広 場」を「未来都市のコア」として提案し、それがもう一人の建築 設計統合者(マスターアーキテクト)である丹下健三氏(故人、 東大名誉教授)によって具体化されるという経過をたどった。 しかしその後のマスメディアの報道では、「お祭り広場」はもっ ぱら丹下氏のアイデアとされ、西山の業績は不問に付されている。 アンドレアさんの論文は、この経過を公式文書や関係者へのヒア リング調査を通して論証し、しかも万博会場基本計画のコンセプ トをそれまでの西山の都市計画思想との関連で、日本の都市に不 在であった「市民広場」を都市のコアとして位置づけるマスター プランであったことを評価するものであった。 アンドレアさんの研究はすでに何度となく国際学会で発表され ていることもあって、これまで英文ではほとんど紹介されなかっ た西山の業績を海外に周知する大きな切っ掛けとなっている。と りわけ海外では著名な建築家である丹下氏の代表作とされてきた 「お祭り広場」が、実は西山の計画コンセプトに基づくものであっ たことは大きな驚きの目で見られているという。 2011年は西山の生誕100周年である。この歴史的な年に ふさわしい記念行事を考えなければならない。そのことはまた、 西山が切り開いてきた20世紀の計画学を21世紀へ大きく飛躍 させる機会でもある。今回の連続する西山計画学の再評価をめぐ る2つの動きは、図らずもその前触れを告げる調べとなったので あろう。(終わり) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 本メールマガジンは、HP「広原盛明の市民フォーラム」にて 掲載された「つれづれ日記」をまとめて、 週1回配信しております。 発行:広原盛明 メールアドレス:hirohara@skyblue.ocn.co.jp URL:http://www.hirohara.com/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


