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2008/01/27

広原盛明のつれづれ日記

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2008/1/27 広原盛明のつれづれ日記 vol.111  
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http://www.hirohara.com/ 



◆目次◆

つれづれ日記


・08年1月23日:日本建築学会シンポジウム
         「西山夘三の計画学」での論点(その1)
         (慌ただしい新年の幕開け、その4)
・08年1月24日:日本建築学会シンポジウム
         「西山夘三の計画学」での論点(その2)
         (慌ただしい新年の幕開け、その5)

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08年1月23日:日本建築学会シンポジウム
         「西山夘三の計画学」での論点(その1)
         (慌ただしい新年の幕開け、その4)

 1月15日、東京の建築学会ホールで計画委員会主催の「西山
夘三の計画学〜西山理論を解剖する〜」と題するシンポジウム
があった。昨年、NPO法人西山文庫が出版した『西山夘三の
住宅・都市論〜その時代的検証〜』(日本経済評論社、2007年
5月、以下、西山本という)をめぐって、執筆者グループと計画
学系研究者との間で討論が企画されたのである。

 シンポジウムのポスターには、次のような開催趣旨が掲載さ
れている。
「現在、建築計画委員会において、計画学の歴史を変遷的に研
究する試みがされている。その節目として、計画学の原点であ
る西山夘三の理論を再考する。西山夘三没後14年になろうとし
ているが、未だ若手や学生をも引きつけるその魅力に迫るとと
もに、現代においても指標となるべき要素を再発見したい。」

 いうまでもなく西山夘三(京大名誉教授、1911〜94年、以下、
敬称略)は私の終生の恩師であり、建築計画学という学問領域
の創始者である。「勇将の下の弱卒」といわれるように、西山
は、数十人に達する門下生集団が束になっても叶わないほどの
巨星であり碩学だった。と同時に、住宅問題や都市問題など社
会問題の解決に対しても実践的にかかわり、時代と対峙しなが
ら学者としての良心を貫いた社会派研究者であり、市民活動家
であった。

 西山の足跡を教え子の手によって研究領域ごとに検証しよう
と考えたのは、西山が没してから漸く10年目のことである。当
初は門下生十数人に呼びかけ、研究会を組織して議論を開始し
た。だが西山が活躍した当時と現在の研究テーマのズレや「現
代的視点」で検証することの難しさなどで、最終的に執筆者は
6人になってしまった。いうも恥ずかしいが、実は編集責任者の
立場にあった私もかくいう「脱落者」のひとりなのである。

 本の目次構成を考えるなかで、住宅政策、農村住宅、都市計
画、景観問題など各専門分野の割り振りは比較的簡単だった。
問題は、誰が西山の研究者像・人物像を書くかだった。研究の
アウトプットである論文の評価はもちろん中心課題であるが、
膨大な研究成果を生み出した西山の人物像や時代背景を描かな
ければ、個々の研究成果の位置づけや総合的な評価もできない。
文学研究において作家論が重要な位置を占めるのと同じである。
そのようなことで、多くの門下生のなかでも研究室の助手とし
て比較的西山の近くにいた私が「人物論」を担当する破目になっ
た。

 建築家の評伝は比較的多い。社会的に注目される機会が多く、
スター建築家は間違いなく著名人として遇されるので出版して
も必ず売れるからだ。だから執筆に取り掛かるにあたって、前
川国男、丹下健三、吉坂隆正、黒川紀章などの類書を片っ端か
ら読んでみた。だが、西山は建築家ではない。スター建築家の
ように華々しい作品もなければエピソードも少ない。建築家の
ような評伝の対象としてはもともと不向き存在なのである。

 加えて、西山にはすでに6冊の自伝がある。幕末期の祖父の代
まで遡って出自を社会的に解き明かし、自らの数十年余にわた
る研究生活についてはあらゆる角度から詳細に描いている。も
はや「これ以上書くことがない」と思わずにはいられないほど
の周到に準備された生涯なのである。偉大な恩師を持つことは
「弟子泣かせ」につながると言うが、西山の生涯はまさにその
ような典型だった。

 絶体絶命の窮地に追い詰められて決意したのは、西山を「内
から」ではなく「外から」書くということだった。文学におけ
る作家論は内面的に掘り下げたものが多い。文学とは「人を描
く」ものである以上、作家論はなおそれを掘り下げることを要
求されるからだろう。しかし社会派研究者としての西山は、
「社会との関わり」を時代背景とともに描くことが可能なので
はないか。つまり西山を取り囲んでいた20世紀という時代が、
「外から」どのような形で彼を規定したのかを書いてみようと
思ったのである。

 だがこんな調子でチンタラ書いていると、見る見るうちに時
間が経過してしまう。また分量も途方もなく膨れ上がって、と
ても全体の目次のなかに収まらなくなった。これでは共同執筆
のマナーにも反しているし、なによりも出版時期を遅らせてし
まう懸念が大きい。「脱落」しなければ、他の執筆者に大変な
迷惑をかけてしまうことが明らかだったのである。

 話を元に戻そう。今回のシンポジウムは前述の西山本の論点
をめぐるものであった。編者であり主要な寄稿者である住田昌
二氏(大阪市大名誉教授)が問題提起者であるのは当然だとし
ても、脱落した私が報告者になったのは「筋違い」といえなく
もなかった。しかしもう一人の報告者である内田雄造氏(東洋
大学教授)が東大時代から西山研究室と交流関係にあった鈴木
成文氏(東大名誉教授)の研究室の出身であることから、当時
の交流の窓口であった私が昔の事情をよく知る者として起用さ
れたのであろう。

 私のレジュメは、「西山夘三が目指したもの〜20世紀にお
ける計画学研究と社会の相克のなかで〜」というもので、西山
像の荒っぽいフレームを摘出しようとしたものだ(詳しくは
『最近の論考』欄に同時掲載したレジュメを読んでください)。
だが率直に言って、このフレームに関してはまだまだ視点が定
まっていない。とくに戦後は時期によって大きく西山像が変化
する可能性があるので、これは「未定稿中の未定稿」といえる
のかもしれない。(続く)


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08年1月24日:日本建築学会シンポジウム
         「西山夘三の計画学」での論点(その2)
         (慌ただしい新年の幕開け、その5)

 冒頭の住田報告は、西山の研究活動の歴史的な特徴として、
(1)時代の転換期に応じた研究テーマの展開、(2)建築研
究を住宅・都市論へ発展させたゼネラリスト・啓蒙家、(3)
20世紀を駆け抜けた象徴的な「20世紀人」、(4)次代の
先頭に立って「近代化の大きな物語」を描き続けたモダニスト、
(5)体制を批判しつつ体制に参加して改革を図ろうとした
「改革主義者」、(6)卒論の序文に掲げた史的唯物論を生涯
の研究の倫理的規範とする、の6点を挙げた。いずれも西山の
全体像を包括的にとらえた見事な切り取り方である。

 「西山夘三の住宅計画学と吉武・鈴木研究室の建築計画学の
展開」と題する内田報告は、東大の建築計画学との対比におい
て西山理論の特質を解明したもので、とくに「西山の建築計画
学はシステム科学であり、方法論としてはシステム分析である。
システム分析がアメリカやヨーロッパで発展したのは第二次世
界大戦後であり、西山の住宅計画学は世界的にも評価される。
吉武・鈴木研究室の建築計画学は、システム分析を多くの公共
住宅・公共建築に適用して成果を挙げた」との指摘が注目され
た。

 これに対して私の報告は甚だ「キレ」が悪かった。西山の生
涯を通底するキーワードとして、マルクス主義、国家的思考、
大阪職人的感覚の3点を上げたまではよかったが、戦前戦時中
は「改良主義者としてのテクノクラート」、戦後は「体制批判
的な社会派研究者・大学知識人」と規定しただけで、余りにも
一般的すぎて何も言っていないのに等しかった。住田報告をな
ぞった程度の内容となり、論点を提起するには程遠いものでし
かなかったのである。

 内心忸怩たる思いで原因を考えていたが、やはり最大の問題
点は「西山を鏡にして現代の計画学研究に何を提起するか」と
いう明確な視点が欠如していることだった。歴史研究が往々に
して陥りやすい過去の事実認識にこだわり、それを現代的視点
で再生する視点が決定的に弱いのである。「建築学会が巨大化
するあまり研究者の視点が内部化し、研究テーマの設定にして
も方法論にしても行き詰っている」などといっても、具体的に
どう行き詰っているかを指摘しなければ出口は見えてこない。
今回のシンポジウムの趣旨である「現代においても指標となる
べき要素を再発見したい」という課題に対しては、ほとんど貢
献らしい貢献をできないままに終わったのが実態だった。

 興味深かったのは、コメンテイターとして今をときめく40
歳代若手の建築論・建築史の研究者2人が参加したことだ。こ
の1月から建築学会の機関誌、『建築雑誌』の編集長に就任し
たばかりの五十嵐太郎氏(東北大学准教授)、そして中谷礼仁
氏(早稲田大学准教授)の2人である。実のところ、事前の参
加申込者数が少なくて学会の事務局ではヤキモキしていたとい
うが、蓋をあけてみるとベテランと若手を含む百人を超える参
加者があり、学生や院生の姿も結構見られた。「人気若手の2
人を見に来た」ということなのだそうである。

 ただこの人たちが生れたのは1960年代後半であり、大学
で建築の勉強を始めたのは1990年代に近くなってからだ。
だからもう西山の名前も丸きり知らない世代だと考えていいだ
ろうし、研究成果や経歴に関する基礎知識がそれほどあるとも
思えない。またコメントや討論の時間も少なかったので、当初
から十分な意見交換が出来るとは想定されていなかったのであ
ろう。3人の報告をめぐるコメンテイターの発言は散漫な意見
のやりとりに終わって、ほとんど見るべき論点の掘り下げはな
かった。

 にもかかわらず、私が自分の不出来を承知でこの企画を評価
するとすれば、それは20世紀を俯瞰できるだけの時間が経過
した現在、21世紀の計画学研究がいったいどこへ向かうべき
なのかを、改めて考えてみる機会を建築学会に提供したと言う
ことだろう。若い研究者が自分の座標軸を定める上でも、20
世紀の研究史を振り返ってみることは十分価値のあることだか
らである。その意味で、この企画を立てた東大吉武研出身の布
野修司氏(建築計画委員会委員長、滋賀県立大学教授)の卓見
を称えたいと思う。

 最後に、五十嵐太郎氏のことを知りたくてインターネットで
検索していたら、偶然にも彼のブログに行き当たった。そこに
は1月15日の出来事として、「建築会館にて、「西山夘三の
計画学―西山理論を解剖するー」のシンポジウムに出席。業績
を敗戦前後で切りわけるよりも、戦時下〜1970年までをひと続
きに考えたほうが、彼の計画学が理解しやすいと感じました。
しかし、その後の景観論、建築家批判、共同する運動体などの
トピックも興味深い。」とあった。会場での発言にはなかった
感想で、彼の受け取り方がわかって面白かった。(続く)


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本メールマガジンは、HP「広原盛明の市民フォーラム」にて
掲載された「つれづれ日記」をまとめて、
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メールアドレス:hirohara@skyblue.ocn.co.jp
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