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2008/01/07

広原盛明のつれづれ日記

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2008/1/7 広原盛明のつれづれ日記 vol.107  
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http://www.hirohara.com/ 



◆目次◆

つれづれ日記


・12月21日:「ええまち堺をつくろう市民のつどい」に
         参加して(3)
               (最近の講演活動や研究報告から、その4)
・12月23日:太平洋戦争開戦記念日の「伏見学2007年秋の講座」
              (最近の講演活動や研究報告から、その5)




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12月21日:「ええまち堺をつくろう市民のつどい」に
       参加して(3)
             (最近の講演活動や研究報告から、その4)

 もちろん、今回の集会は「いいとこづくめ」ではない。午後の
分科会の目玉だと(勝手に)思った「政令市・堺と住民参加」の
分科会に参加したところ、市職労が問題提起した「都市内分権と
堺自治モデル」についての参加者の反応と理解度は、限りなく
“ゼロ”に近かった。市政の事情がよくわかった市幹部の元管理
職は別にして、市内各地域で活動している運動団体の活動家から
は、市職労の問題提起とはほとんど(あるいは全く)“無関係”
に地域の事情や住民生活の現状と課題がストレートに報告され、
市職労に「この課題に取り組んでほしい」あるいは「取り組むべ
きだ」との訴えや行動提起が相次いだからだ。

 「要求交流集会」であればこれでもよいが、事柄は、堺市政を
根本的に転換するために、その基盤となる「住民参加を現実のも
のとし、市民の手で持続可能なまちづくりをめざす新たな自治の
仕組み」を考えるための「都市内分権と堺自治モデル」を討論す
る分科会なのだ。具体的には、当面各区役所単位に「市民会議」
を創設し、それを「単なる諮問機関に終わらせることなく、地域
における事業の提案主体として位置づけ、市役所(本庁)各部局
に対して、市民会議で提案された事業や地域計画に対する検討義
務と予算化について説明責任を課す自治モデル」の提案なのであ
る。だが、その趣旨は参加者にほとんど伝わっていなかった。提
案者側の準備不足も決定的だった。

 このような「堺自治モデル」が分科会で提起されたのにはわけ
がある。2006年4月の政令市移行を目前にして、市職労が2005年8
月に開催した「堺の未来を拓く市民シンポジウム〜政令指定都市
と住民参加・分権のまちづくり〜」において、住民が行政に参加
できる身近な場を設けることで主権者意識を高め、無駄な大型開
発を抑制して身近なサービスを充実させることで行政と住民との
間に信頼関係を取戻すために、「市民会議を支所(区役所)ごと
に創設する」という方針が打ち出された。

 この提案は2005年10月に実施された市長選挙の大きな争点とな
り、当選した現市長(元大阪府企業局長)も2期目の政策の目玉
として、次のような施策を実施に移している。(1)7行政区の
うち南区をモデル区として全国初の公募による民間出身の区長を
任期付(3年)公務員として選任、(2)同区において、地域の課
題解決と行政と住民の協働の場として「区民まちづくり会議」を
設置して3部会で課題討議を開始、18名のまちづくり委員のうち団
体推薦6名、一般公募5名、区長推薦7名、(3)2008年3月末まで
に残りの6行政区にも「区民まちづくり会議」が設置するなどで
ある。

 事態は急ピッチで動いており、南区ではすでに「まちづくりビ
ジョン」なども討議されていると聞く。したがって現段階の情勢
は、「区民まちづくり会議(だけ)で都市内分権と住民参加は可
能か」といった戦略的課題の検討とともに、「区民会議をどのよ
うに運営するか」という実践的課題も同時にこなしていく段階に
さしかかっていると見なければなるまい。大阪市や神戸市のよう
に、市政に協力的な団体や市民(だけ)が「住民参加・市民参加」
の掛け声に合唱する形で集められ、翼賛的運営に統合されていく
ような事態を避けるためにも、である。

 私が講演で強調したことは、「まちづくりとは、必ずしもビジョ
ンやプランをつくること(だけ)ではなく、「まち」すなわち地
域環境や地域社会のことをいつも考えているような住民や市民が
集まって互いに交流し、自由に意見交換する場を恒常的に確保す
ることだ」というものだった。その意味では今回の集会はまさし
くその第一歩といえるし、またそれにふさわしい水準に到達して
いる分科会もあった。だが私の参加した分科会のように、主催者
側の問題提起の趣旨を「考えよう」とするのではなく、自分の言
いたいことだけを主張する場だと勘違いしている参加者も少なか
らずいた。

 率直にいって、従来の要求運動団体だけでこのような新しい課
題を討議することには大きな限界がある、といわなければならな
いだろう。長年にわたって形成されてきた“経験主義的思考様式”
を変えることはきわめて難しいのである。「旧い容器に新しい酒」
は盛れないとうに、「新しい酒は新しい容器」が必要だ。新しい
課題の討議は、「新しい参加者」の組織が必要なのである。

 この点で「まちづくり分科会」に参加した市民層には大いに期
待が持てる。この分科会に参加したまちづくりリーダーのほとん
どは団塊世代の人達だったが、現役時代の民間企業や役所からの
軛(くびき)や制約から解き放たれた自由な発想の持主が多かっ
た。またそうでなければ、このような集会に出てくるはずもない。

 問題はこの人たちのこれからの活かし方だろう。堺市には泉北
ニュータウンや郊外住宅地をはじめとして、多くの「まちづくり
人材」が市内に埋もれている。これまでは身も心も職場に吸収さ
れていた人たちが、退職後は初めて「市民」や「住民」に生まれ
変わって「まち」に帰ってこようとしているのである。この人達
を地域に受け入れる「受け皿」こそが「まちづくりの場」ではな
いのだろうか。

 すでに多くのまちづくりでは「地域のお宝探し」が始まってい
る。今回、市職労や革新団体と市民をつないだのも、役所や民間
の垣根を超えて活躍している「地域のお宝探し」のまちづくりの
専門家たちだった。しかし「地域のお宝探し」は、決して歴史遺
産や文化財にとどまるものではない。地域のお宝探しを通して結
ばれる「まちづくりの人材ネットワーク」こそが、まさに「地域
のお宝探し」の獲得目標なのだ、と私は考えている。

 地域にはゆたかな「まちづくりの地下水脈」が隠されている。
地表からは見えないけれども、それを発見するためには表層に滲
み出している小さな水脈をたどる他はない。「まちづくりの人材」
はこのようにして発見され、ネットワーク化されることによって、
はじめて地域を変える“奔流”として姿をあらわすのである。

 「まちづくりはひとづくり」というのが、私が40年前にまちづ
くりの研究を始めたときに、神戸の丸山地区(長田区)の住民リー
ダーから教わった「まちづくりのテーゼ」である。この「まちづ
くりテーゼ」が、いままさに本格的に展開する時代が訪れようと
している。そのことを力強く感じたのが、今回の「ええまち堺を
つくろう市民のつどい」への参加だった(終わり)。


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12月23日:太平洋戦争開戦記念日の「伏見学2007年秋の講座」
             (最近の講演活動や研究報告から、その5)


 12月8日の土曜日は多忙を極めた。なにしろ2つの講演が午
後に重なったのだ。しかも、会場は聖母女学院(伏見区深草)と
同志社大学(上京区新町)というように10数キロも離れている。
タクシーを待機させての講演だった。

 午後1時過ぎから始まった聖母女学院短大の「伏見学2007年秋
の講座」の方は、担当の先生にわざわざお願いして講演の日を12
月8日にしていただいた。なぜかというと、私のテーマが「軍都伏
見から学都伏見へ、そして21世紀のいま」というものだったから
である。(講演の内容は「最近の論考」に同時掲載したレジュメ
を参考にして下さい)

 いうまでもなく1941(昭和16)年12月8日は、大日本帝国がハワ
イ真珠湾攻撃を機にアメリカ・イギリスとの交戦状態に入った太平
洋戦争開戦の日だ。当日の朝7時の臨時ニュースで、日本国民は突
如、対米英宣戦布告の事態を知らされたのである。そして2007年
12月8日は、その66年目の開戦記念日に当たる。私はこの日に「軍
都伏見」について是非語りたいとかねがね思っていた。

 講演会場の聖母女学院は、かっての「軍都伏見」の中心に位置し
ている大学だ。他でもない。現在のクラッシックな煉瓦造の聖母女
学院の本館は、日露戦争後の軍備増強に伴って1907(明治40)年に
伏見深草に設置された第十六師団司令部の本館なのである。よく保
存された旧司令部本館は、明治期の近代建築としても軍の遺跡とし
ても貴重な存在だ。まさに「軍都伏見のへそ」ともいうべきその場
所で、しかも太平洋戦争の開戦記念日に「軍都伏見」について講演
できる機会を与えられたことは、私の生涯に残る思い出となるに違
いない。

 「軍都伏見」は、深草周辺地域だけで35万坪(116ヘクタール、甲
子園球場の約30個分)に上る第十六師団軍用地、および1912(明治
45)年に没した明治天皇の墓所(伏見桃山御陵、伏見城址)から構
成されていた。1師団が擁する人員は平均1万人という大規模なもの
で、深草には約6千人の軍人・軍属が駐屯していた。京都駅と深草を
つなぐ幹線道路として南北広幅員の「師団街道」と東西方向の「第一
軍道」「第二軍道」「第三軍道」が建設され、師団街道の両側に各
種軍事施設が配置された。現在もこれらの道路名称は当時のまま残
されている。また聖母女学院近くの銭湯は、いまなお「軍人湯」と
いう看板が堂々と掛かげて営業を続けている。

 現在伏見にある大学、学校・幼稚園・保育所などの教育施設は、
戦後そのほとんどが師団跡地に建設されたといってよい。また住宅
地の多くもそうである。私が勤務する龍谷大学も元の京都兵器支廠
跡地で、師団街道と第一軍道の角地一帯が深草キャンパスになって
いる。また自宅近くの京都教育大学のキャンパスは歩兵連隊跡地、
教養課程の学生時代を過ごした京都大学の宇治キャンパスは宇治火
薬製造所の跡地である。だから戦後になって、伏見はまさしく「軍
都」から「学都」へと変貌したのである。

 加えて、私自身も師団練兵場の跡地に住んでいる。戦後、練兵場
が農家の入植地に払い下げられ、それが土地区画整理されて住宅地
に生まれ変わった。自宅近所の公園は、射撃場と軍浄水場の跡地だ。
私は毎日3キロ有余歩いて大学に通っているが、その経路はすべて
師団跡地のなかにある。深草一帯の住宅地もまた「軍都」から生ま
れ変わったのである。大学と住宅地を合わせると「文教住宅地区」
になるが、伏見は戦後このように劇的な変化を遂げたのだった。

 会場の聴講生は百数十名、その多くは熟年の男性だった。退職後
の男性の関心は地域や郷土史に向けられると言うが、まさにそれを
裏打ちするような光景だった。しかし出された質問の一つに、「通
常、軍隊跡地は自衛隊などの用地になっているのに、なぜ伏見では
文教住宅地区になったのか」というのがあった。私自身もそのこと
に疑問を抱いていたが、準備不足で的確な返答が出来なかった。後
で聴講生の一人の方がメールで教えていただいたところによると、
教育大学の場合は、戦後アメリカ軍に接収され、その後、自衛隊用
地に払い下げられようとしたところ、周辺住民と大学関係者の運動
により大学キャンパスになったという。注目すべき情報だ。今後、
資料的にも裏づけなければならない。

 聖母女学院短大は、京都で最初に伏見地域の総合研究をめざす
「伏見学」を提唱し、共同研究を始めた大学である。1997年度に学
内と「大学コンソーシャム京都」(京都の各大学が参加して共同で
教育・研究に当たる財団法人)に「伏見学」を開講し、学内で伏見
学研究会を組織する6名の教員が日頃の研究成果を論じた。その講
義内容は、『伏見学ことはじめ』(思文閣出版、1999年)にまとめ
られている。

 この出版を機に、同大学は1999年度から一般市民を対象に「伏見
学講座」を毎秋開催して、「伏見の歴史と文化」、「伏見の自然と
環境」、「伏見の現代と未来」など多彩なテーマを展開するように
なった。公開講座には熱心な聴講生が多数詰めかけ、内外講師によ
る多彩な講義内容は、すでに『京・伏見学叢書』の3巻(清文堂、
2003〜05年)として刊行されている。「伏見学」は、聖母女学院短
大のたゆまぬ努力によって次第にその姿を整え、体系化されるよう
になってきたのである。

 今回の公開講座は9年目に当たるが、担当の久米直明教授からお
話しをいただいたのは、確か今年の夏ごろのことである。久米教授
は龍谷大学へも非常勤講師としてお見えになっていることもあって
以前から面識もあり、電話やメールで何度か意見交換をしたのち、
私のテーマと開講日が決まった。ところがその直後、大学からの連
絡で教授が急逝されたことを告げられた。久米教授は理学部出身で
環境問題に深い造詣のある真摯な研究者であり、伏見学研究会の中
核として活躍されてきた方であるだけに、志半ばにして急逝された
ことは悔やんでも悔やみきれるものではない。

 久米教授の遺志を受け継ぐべく、伏見学を「伏見・山科学会」へ
発展させ、伏見区と山科区の大学が共同で地域研究にあたることを
提案して講演を終えたが、会場におられた久米夫人がわざわざ正門
まで同行され、「夫もそのことを考えていた」との話をうかがった
ときは胸が詰まって言葉が出なかった。心から冥福をお祈りするば
かりである。


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本メールマガジンは、HP「広原盛明の市民フォーラム」にて
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発行:広原盛明
メールアドレス:hirohara@skyblue.ocn.co.jp
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