2006/04/27
山岳プロガイドによる『山歩き』からの『登山』入門 Vol.009-2
************************************************************************ 山岳プロガイドによる『山歩き』からの『登山』入門 【009-2】2006/4/26 ************************************************************************ <<今回のお題>> ※今号は2回に分けての配信です 【009-1】に掲載 ■山歩きの部■ ・実践山歩紀行−『白馬岳(2,932M)/長野県)』 ------------------------------------------------- 【009-2】に掲載 □登山の部□ ・アルピニズム的こころ−『ラインホルト=メスナー(Reinhold Messner/伊)』 ◇山登りなんでも相談掲示板◇ ・番外編『白馬岳崩落事故現場検証レポート』 ◇お知らせ◇ ・2006年山岳ガイドプラン公開・受付開始!(渋いプランを作りました) *PR********************************************************************* ↓SMAPの新曲「Dear Woman」、お勧めです。「心からありがとう」と言う歌 詞がいいですね。メロディも軽快でSMAPらしいいい曲ですよ。是非聞いて みて下さい。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000F7CKFQ/503-6986904-7179137 □登山の部□************************************************************ ◇◇アルピニズム的こころ◇◇ 『ラインホルト=メスナー(Reinhold Messner/伊)』 --------------------------------------------------------------------- ◎以下の記事(写真入)はこちらでもご覧頂けます → http://www.cbn-inc.com/yama/articles/03_20060426.htm 『孤独の鳥 一羽の孤独の鳥には 5つの条件がある 第一に 最高点まで飛ぶこと 第二に 嘴を天に向けること 第三に 一つの決まった色をしないこと 第四に 同類を欲しがらないこと 第五に ごくかすかな声で歌うこと』 −サン・ファン・デ・ラ・クルス− 私にとってメスナーという人は2つの大きな印象を与えてくれた登山家です。 その最初がラインホルト=メスナーをテレビではじめて見た高校生の時、NHK の『ヒマラヤ』特集みたいな番組でした。覚えているのはメスナーの顔、特に その眼でした。それは何かに取り付かれた人間に特有の、どこまでも澄み切っ た深みを持つ眼であったので、その人が何者かも分からず印象に残った記憶が あります。 《写真:70年代と80年代のメスナー》 http://www.cbn-inc.com/yama/articles/messner01.jpg http://www.cbn-inc.com/yama/articles/messner02.jpg 前回(http://www.cbn-inc.com/yama/articles/03_20041231.htm)」に書い たダグ=スコット(Doug=Scott)と比べると、メスナーの山登りは人間にとって のぎりぎりの限界を押し上げるような、当時としてはかなり常識やぶりの登り 方だったので、最もセンセーショナルでありながら、最も議論の対象となる登 山家でもありました。18歳頃からの東アルプス登攀、1966年に弱冠22歳でグラ ンド・ジョラス北壁(ウォーカー側稜)、1969年にアイガー北壁を当時の世界 最短記録で登攀。1974年にも同じアイガーで自身が持つ世界最短登頂記録を更 新。ヒマラヤでは、1970年のナンガ・パルバット登頂を初めとして、17年の歳 月をかけて1986年に人類史上初となる8000メートル峰全14座完全登頂を成し遂 げました。その間、1975年ガッシャーブルムI峰でハーベラーとともに初のアル パインスタイル、つまり中継キャンプを使わないワンプッシュでの登頂、1978 年エベレストで人類初の無酸素アルパインスタイル登頂、2年後の1980年には エベレストチベット側から無酸素・新ルート・単独登頂、などなど。 《写真:1980年チョモランマ(エベレストチベット側)に無酸素・新ルート・ 単独登頂して中国人民解放軍が立てた頂上標識の前にへたりこむメスナー》 http://www.cbn-inc.com/yama/articles/messner03.jpg 【8000メートル峰14座登頂記録】 1970年 ナンガ・パルバット (8125m) 1972年 マナスル (8156m) 1975年 ガッシャーブルムI峰 (8068m) 1977年 ダウラギリ (8167m) 1978年 エベレスト(8848m) 1978年 ナンガ・パルバット(単独登頂) 1979年 K2 (8611m) 1980年 エベレスト(無酸素単独登頂) 1981年 シシャパンマ (8013m) 1982年 カンチェンジュンガ (8586m) 1982年 ガッシャーブルムII峰 (8035m) 1982年 ブロード・ピーク (8047m) 1983年 チョー・オユー (8201m) 1984年 ガッシャーブルムI峰 (8068m) 1982年 ガッシャーブルムII峰 (8035m) 1985年 アンナプルナ (8091m) 1985年 ダウラギリ (8167m) 1986年 マカルー (8462m) 1986年 ローツェ (8516m) 【その他の登頂(抜粋)】 1966年 グランド・ジョラス(4208m) 1969年 アイガー北壁 当時世界最短となる1日半で登頂 1972年 ノシャック (7492m) 1974年 アイガー北壁 5年前の記録を上回る10時間で登頂 1974年 アコンカグア (6959m) 1976年 マッキンリー (6194m) 南西壁 世界初登頂 1978年 キリマンジャロ (5895m) 1981年 チャムラン (7317m) 1986年 ヴィンソン・マシフ (4897m) 1994年 シヴリン (6543m) 何が凄かったかというと、当時はエベレスト等ヒマラヤの高峰は7000mオーバ ーくらいから酸素ボンベの助けを借りて呼吸しながら登るのが普通で、その酸 素ボンベの補給のためにも極地法(※)で数ヶ月かけて登頂する大遠征が主流 でしたが、それを酸素ボンベ無しで、2人だけで、1週間くらいで登ってしまっ たわけです。メスナーはこの方法を「古くて新しい方法」と説明し、装備を買 う資金がなかったし、極限まで荷物を減らしてゆくとこうなったんだと、照れ 隠しのようなことを言っています。 ※極地法はもともと南極や北極探検に使われた方法で、ヒマラヤ登山では標高 5000m付近に大きなベースキャンプを作って、10人前後の登山隊員と高所ポー ター(ネパールではシェルパ)が順番にルート開拓、荷揚げ、休養を繰り返し ながらルート最前線までの補給路を延ばし、その延びきったところに頂上を持 ってくるというやり方です。途中に第1キャンプ、第2キャンプと次々に設営 しながら前進していくわけです。そしてようやく最後になって、隊員やシェル パのうちの何人かが登頂する。私がガッシャーブルムI峰 (8068m)に行った時 も、無酸素・新ルートではありましたが、方法は極地法でした。 --------------------------------------------------------------------- メスナーにおける2つ目の印象は、これもドキュメンタリー番組で見たのです が、魔の山ナンガ・パルバット (8125m)のベースキャンプで泣きながら独白 する姿です。 メスナーは1970年にナンガ・パルバットのルパール壁(世界最大級の岩壁) から登頂に挑戦し、登頂後の下降で実弟ギュンターを失う経験をしています。 この時メスナー兄弟は登山隊の先頭に立って岩壁の雪の中で何週間も籠城をし ながら登攀を続けましたが、悪天候に阻まれ完登は断念せざるおえない状況に なっていました。結局、メスナー兄が最終キャンプから単独での登頂を試みる ことになった時、弟ギュンターが兄の後を追い、6月27日にルパール壁を完登し ています。 しかし、この時彼らの体力は限界に達しており、特に弟ギュンターは兄に追 い付くための無理な行動もあって、過度の疲労と高山病に冒されかかっていま した。単独登頂のつもりだったためザイルもなく、食料も水も無い彼らは、頂 上付近にて数日間天候の回復を待つことになり、その後メスナー兄弟は生死を かけルパール壁とは反対側のディアミール壁から降下することを決意し下山を 開始しました。 下山の途中メスナー兄は力尽き倒れ、およそ800mの崖を墜落。この時彼 は、自分の体から魂が離脱し抜け出たことを意識し、自分の体が山を転がり落 ちて行くところをはっきりと目撃しながら、もう一人の冷静な自分が存在して いることに気づいたと言っています。 その後、彼は、最後の力を振り絞り、自分より体力の消耗した弟をなんとし ても安全な場所に移動しなくてはと朦朧と起きあがりますが、弟ギュンターは 雪崩に呑まれ、帰らぬ人となり、生還したメスナー自身も、凍傷により足の指 6本と手の指先数本を失うことになりました。 このときの経験を、龍村仁監督映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第 一番」に出演した彼は、映画の中でこのように述懐しています。 「人間は実は2つの違う次元の中を生きている。――この体験が、私の人生の 最も重要な体験になったのです。」 「いつも死を意識しているというわけではないのですが、私は「死」こそ生 を充実させる最も重要な要素だと考えています。」 「死」そして「生きる」ことへの命題を目の当たりにしなければならない経 験だったのでしょう。 その後、「弟の死を克服するために、彼の死を僕の生命の一部であると考え るまでに、何年もの歳月を必要」(「生きた、還った」東京新聞出版局)とし た後で、再びナンガ・パルバットへ向かいます。ナンガへの挑戦は数回繰り返 されていますが、私が見たドキュメンタリーは敗退した時のもので、フィルム に残るメスナーは号泣しながら「家に帰りたい」と言い、「いままで母親にと ても心配ばかりさせてしまった」こと、そのあげくに弟を死なせてしまったこ とのショックからまだ立ち直れない自分自身に直面していたのでしょう。この 敗退についてメスナーは「不安に負けた」と後に語っています。 そんな経験を経て、1978年には人類初の無酸素単独でナンガ・パルバット頂 上に達しました。1970年の悪夢を払拭し、精神的にも勝利するための登山でし た。 「自分のアルピニストとしての生涯の最も大きな飛躍を敢行することができた」 (「生きた 還った」)と語っています。 《写真:78年ナンガ・パルバットのディアミール壁から “ディアミール”とは バルティ語で“山の王”と言う意味》 http://www.cbn-inc.com/yama/articles/messner05.jpg http://www.cbn-inc.com/yama/articles/messner06.jpg http://www.cbn-inc.com/yama/articles/messner07.jpg http://www.cbn-inc.com/yama/articles/messner08.jpg --------------------------------------------------------------------- メスナーが山で体験したことをそのまま理解はできませんが、メスナーの登 山は、9割までが技術で、あとの1割は、どうしても死を意識し、死に直面して ゆく人間の魔性であるように思えます。その魔性がどう昇華するかで、その行 為の意味が決まってしまうのでしょう。ここでいう魔性というものは、技術の ように普遍化して普及しがたいもの、言いかえれば人に教えてもらえるような 類の物ではなく、ちまちました合理精神に基づいて「そんなことせずに安全に 生きればいいじゃないか」という自我の反発を抑え、死に対する芳醇なロマン ティシズムを成立させねばなりません。その気分をもって自分を包み、技術を 包み、また登山の歴史そのものをも包み、最後に、熔けた自我を再結晶させて 宝石化する以外にない。メスナーの山は、そういう壮大な背景のあげくに、超 人的な行為として滴ったものなのでしょう。 --------------------------------------------------------------------- メスナーが山での臨死体験や絶頂体験(ピーク体験)を語るとき、その言葉 は宗教的にならざるをえません。それがまた数多くの批判を招く原因ともなり ます。メスナーを自己顕示欲と商業主義と神秘趣味の融合とする評価も根強い ものがあります。メスナー自身体験を語る時、"神"とか"宇宙"という言葉を持 ち出したくなくても、合理的な言葉で説明しきれない部分についてはそれを一 種の比喩として語るしかないのでしょう。「あなたは神でも宇宙でもないのに、 どうして神や宇宙の意思が分かるのか?」メスナーがそんな批判を受けるとき、 私は荘子と恵子の会話を思い出します。 「荘子(ソウジ)」の第17編「秋水」のなかで、荘子(ソウシ)が橋上から 魚の群れを見て、『ごらんよ、魚がおよいでいる。魚にとっておよぐことが楽 しみというものだ。』とつぶやくくだりがあります。同行していた友人の恵子 (ケイシ)が反論して『君は魚じゃない。魚の楽しみがわかるはずないじゃな いか。』と言います。恵子は博識かつ議論好きで、言うことは常に理路整然と しており、魚でもない荘子に魚の楽しみがわかるはずがない、とする。これに 対し、荘子は別次元から問題を展開して『だから橋上から見たとき、私には魚 の楽しみがわかったのだ』と言います。 「あなたは神ではないのに、どうして神の意思が分かるのか?」 「私はもちろん神ではない、だからあの山の上で、神の意思が分かったのだ。」 --------------------------------------------------------------------- 《写真:山から 極地へ 砂漠へ 》 http://www.cbn-inc.com/yama/articles/messner09.jpg http://www.cbn-inc.com/yama/articles/messner10.jpg http://www.cbn-inc.com/yama/articles/messner11.jpg あのワルテル=ボナッティが「偉大にして古典的な山登りの若き最後の希望」 とよんだメスナーは、8,000m峰全山登頂の後で本を書きました。そのタイトル は『登った』ではなく『生きた、還った』でした。その後ボナッティと同じよう に水平の冒険へと転向し、南極大陸の徒歩横断とか、最近ではゴビ砂漠にも行 ったそうです。昨年(2005年)は、ナンガで亡くなった弟ギュンター=メスナー の遺体が発見されたというので、パキスタンで記者会見(メスナーの横には私 もお世話になった旧友ナジール=サビール氏が座っていました)をしていました ね。まだまだ元気に活動しておられるようなので、早速ゴビ砂漠での記録『G obi』を買おうと思います。 《写真:最近のメスナー先生》 http://www.cbn-inc.com/yama/articles/messner13.jpg http://www.cbn-inc.com/yama/articles/messner14.jpg (^.^)/~~~メールはこちらまで→ mailto:yamahiro@cbn-inc.com ◇山登りなんでも相談掲示板◇********************************************* http://www.cbn-inc.com/treebbs2/3/index.html 山登りについてのいろんな疑問や不安について、たとえば...装備の選び方、 山の天候のこと、バテない登り方とか、何でも相談してください。 山岳プロガイド山崎、またはそれぞれのご相談に適した専門家が出来る限り (と言うことでお許しを...)お答えします。 --------------------------------------------------------------------- 【番外編:白馬岳崩落事故検証レポート】 ------------------------------------------------- 2005年の事故以来 依然として白馬大雪渓は危険! ------------------------------------------------- まず長野県危機管理・消防防災課による報告は以下の通り・・・ http://www.pref.nagano.jp/kikikan/higai/h17/hakuba/hakuba.htm この事故の4日前に現場を通過しました。その際に感じたのは、以前の記憶に 比べて大雪渓上部の岸壁の色合いが違っていて、なんとなく脆そうに見えたこ とです。大雪渓に関しては以前にも落石に遭遇(避けましたが)しているので、 ここは長時間かけて滞在するべき場所ではないと、つまりある程度のスピード で下降するには使えても、登高には使うべきではないというのが以前からの持 論ですので、常に我々の白馬岳登山は大雪渓を下りに使っています。その際に もガイド1名がパーティーの前方(つまり下方)100〜150mくらいの位置に先行 して、常に両サイドからの落石を観測し、何か異変があればすぐに警報を発す る体制で下降しています。これは我々の登ガイド登山に参加されたことのある 方なら印象に残っていると思います。 事故の4日前に通過したときは、そのような危機管理に加えて、大雪渓に進入 するルートを大きく変更し、今回崩落した斜面と反対側の斜面を相当距離降り てから、大雪渓に入りました。上り下りのルート規制もありましたが、これが なくても迂回ルートを取ったと思います。こういう状況でのいやな予感には、 私なりに実績と自信があるからです。 ですから崩落事故が起きたというニュースを聞いて「やはり」という感じが しましたし、犠牲者が出てしまったことがとても残念でした。 --------------------------------------------- 実は事故の1週間ほど後にも同じルートを通過しました。下の写真はその時に 撮影したものです。 http://www.cbn-inc.com/yama/articles/shirouma_houraku001.jpg 赤丸の部分から崩落が始まっています。この部分を拡大すると・・・ http://www.cbn-inc.com/yama/articles/shirouma_houraku002.jpg 風化した岩がパッカリと割れて崩落した三角形の跡が良く見えます。ここか ら大きな崩落が起こり、下部の土砂を巻き込んで崩落規模を増しながら落下し たものと思われます。 この崩落部分は風化も激しく、この冬(2005年〜2006年の冬)にも雪や氷結 による風化がさらに進んでいると思います。そろそろ雪解けとともに落ちるべ き岩が落ち始めると思います。そして梅雨明けまでには大部分の崩落や落石が ひと段落して、山開きとなるのだと思います。 が、結論をいうと危険は無くなっていません。私の意見では、今後10数年間 は観察をしながら、この大雪渓ルートは閉鎖するべきだと考えます。周辺の山 小屋やツアー登山の営業上の犠牲は出てしまいますが、人命には替えられませ ん。このルートはあまりに危険なコンディションになってしまい、今後も安全 を保証できるルートには戻りそうにありません。 http://www.cbn-inc.com/yama/articles/shirouma_houraku003.jpg ↑大雪渓への入り口、つまり崩落により土砂に埋められた場所の上部50mくら いからの写真です。大雪渓入り口は完全に埋まっていました。登山者は崩落現 場を恐る恐る見ながら、対岸の迂回ルートを通っていましたが、今度は逆に自 分が通っている側の上部からの落石に注意が回っていないようでした。迂回ル ートを通る限り、対岸の崩落現場から危険な落石などがくることはありません。 しかし多くの登山者は自分がいる斜面に背中を向けて、対岸の崩落現場ばかり 見ています。後ろから落石が来れば早々近い距離に接近するまで、落石音が耳 に入りません。我々のガイド登山では、全員が常に斜面に対して半身になるよ うに指導しています。ガイドは常時、上部の崩落に目を光らせて緊張している という状況です。 http://www.cbn-inc.com/yama/articles/shirouma_houraku004.jpg 白馬大雪渓。とても人気があり、登るのは簡単ですが、とても危険なルート です。長野県や白馬村からは警報が解除されましたが、私たち登山者はその危 険性を自分自身で吟味し、自分たちでコントロールできないリスクがあるなら ば、上り下りするべきではありません。今年は何も起きなければ嬉しいです。 私個人としては、山小屋の皆さんには申し訳ないのですが、誰も行ってほしく ないというのが正直な見解です。 (^.^)/~~~メールはこちらまで→ mailto:yamahiro@cbn-inc.com ◇お知らせ◇************************************************************ 2006年度個人・グループ向ガイドプラン(2006年4月〜2007年3月)を公開し ました。どちらかと言えば凝ったルートです。初心者よりは経験者の方、あり きたりの登山ツアーではない内容をお探しの方には良いと思います。決して楽 ちんルートではありませんが、ガイドと顧客がひとつのチームとなって、特別 な経験を共有するための少人数向ガイド山行プラン。今年は以下の4つの企画 のみ実施します。 ○黒部川源流・雲の平から黒部湖へ ○北アルプス表銀座“ゆっくり”縦走 ○蒜山三山テント泊縦走(冬期) ○伯耆大山・北壁バリエーションルートガイド(冬期) http://www.cbn-inc.com/yama/plan.htm ************************************************************************ ◇次号【010】掲載予定◇ ・『英彦山(ひこさん/福岡県)』 ・『アルピニズム的こころ−天気図を見ましょう・第3回』 ************************************************************************ ※図表が崩れて見える方は、 http://www.mag2.com/faq/mua.htm を参考に、 等幅フォントに設定してご覧ください。 ************************************************************************ 【発行者略歴】 山崎裕晶(やまざきひろあき)。1966.3.3兵庫県出身。山岳プロガイド。 アルピニスト。岡山大学山岳会会員。国内難ルート冬期登攀。ガッシャブルム 主峰(8,068m)西陵の初登攀などの海外遠征。ニュージーランドでの山岳ガイド を経て、国内山岳ガイド多数。過去5年間のガイド登山で述べ7,000名以 上をガイド。現在も毎月約120名をガイド。 アルバム=> http://www.cbn-inc.com/yama/history/01.htm Eメール => mailto:yamahiro@cbn-inc.com ************************************************************************ 【発行者】山崎裕晶(やまざきひろあき) 【発行者サイト】 http://www.cbn-inc.com/yama/ ************************************************************************ このメールマガジンは『まぐまぐ!』http://www.mag2.com/ を利用して 発行しています。 配信中止はこちら http://www.mag2.com/m/0000143198.htm ************************************************************************ ※許可無く転載することを禁じます。 ※受信者個人の責任においてご利用ください。 ************************************************************************ Copyrights Hiroaki Yamazaki 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