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オーストリアの食文化を日本に正しく紹介し、より良い食文化交流行うことを目的として、営利を目的とせず、オーストリアの食文化を愛し、日本に正しく紹介してその普及に務める団体として活動していくマガジンです。

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2008/07/01

ウィーンの街・食文化・徒然なるままに…

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☆☆☆━━━━━━━━日本・オーストリア食文化協会━━━━━━━☆☆☆
          ウイーンの街・食文化・徒然なるままに・・・・
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    Nr0061               2008年 7月 1日 (毎週発行)
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週刊発行です。毎週違った切り口でのオーストリア紹介です。
オーストリアの歴史や街々に興味のある方、これからオーストリアに行かれる
方々の水先案内人として一役買いたいと思っています。
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日本でオーストリアの料理・パン・菓子のプロフェッショナルとして活躍する
人たちが始めた団体です。オーストリアに興味のある人はどなたでも会員にな
れます。
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○ オーストリアの歴史?? 
○ 食育を考える・・・食・しょく・ショック
○ ウィーンからのニュース
○ 編集後記
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【オーストリアの歴史??】   コンスタンツェ・モーツァルトは悪妻か?

コンスタンツェ・(Constanze Mozart、1762年1月5日−1842年3月6日)は、ご
存知の通りモーツァルト奥様です。
巷間では、悪妻の代名詞として語られていますがほんとにそうでしょうか。
彼女の生存していた18世紀から19世紀ではどんな時代だったのでしょうね。
モーツァルトが1791年に亡くなっていて、翌年1792年にフランス革命戦争があ
った時代です。モーツァルトが子供時代、お嫁さんにしてあげると言ったアン
トワネットが処刑されました。オーストリアといわず、ヨーロッパ中が混乱し
ていた時代ですね。

コンスタンツェは本当に悪妻だったんだろうか。私が推測(当てにならない)
した所によると、これは後世のモーツァルトファンの憶測ではないだろうか。

その第一番目に、葬儀をないがしろにしたため共同墓地に葬られたからモーツ
ァルトの墓がどこにあるか未だに解らないからなのか。
第二番目に、コンスタンツェはモーツァルトが死んだ時、別荘で遊んでいたと
言う事ですが、もともと病弱でモーツァルトの死の前にコンスタンツェも病に
倒れており、モーツァルト自身が別荘での療養に行かせたようです。コンスタ
ンツェ自身は夫の死の前に帰宅していたようです。
第三番目は、コンスタンツェは浪費家だったと言う事実。ほんとにそうでしょ
うか。いまの有名芸能人もそうですが収入が多い分それなりの浪費をする人も
少なからずいます。
モーツァルトも当時の有名芸能人、晩年は収入もかなり有ったようで、それに
見合うような金額を消費していたから、「コンスタンツェは浪費家だ」的な噂
が流れたのかもしれません。

モーツァルトははじめ、コンスタンツェの姉アロイジアに夢中になっていたの
をコンスタンツェが惚れて結婚したものだからモーツァルトはコンスタンツェ
にはあまり興味が無いのではないかという噂。モーツァルトとコンスタンツェ
の間には病死した子供を含め6人が生まれ、成人した子供は二人います。
そして旅に出るとコンスタンツェ宛てのラブレターを出しそれが残っています。
モーツァルトの死後、コンスタンツェは再婚しているので当時の倫理観では不
貞だともいわれています。
いろいろ考えてみると、どうも悪妻説は後世の創作かも知れません。

晩年のコンスタンツェはサルツブルクのドームにほど近いミハエル広場に面し
た住居に暮らし、住居跡に「晩年のコンスタンツェの住居跡」という記述があ
りますのでサルツブルクへお出での際は是非探してみてください。

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【食育を考える・・・食・しょく・ショック】

「まー、このお肉柔らかいわー」「このお料理柔らかくて美味しー」という言
葉をよく聞きます。たしかに食べ物が柔らかくて美味しい事はいい事でしょう。
でも待ってください、こんな食事がほんとに体にいいのでしょうか。
前回もお話したように人間の歯は32本あって口の中にすっきりと収まってい
ますが最近良く耳にするのが「歯列矯正」です。乱くい歯に悩み歯医者にお世
話になる人が多いようです。
歯並びが凸凹になっている乱くい歯の原因の1つは、進化の過程にあるそうで
す。人類は猿人とか呼ばれた古代では、頭が小さくてあごが大きく、あごに合
う大きな歯だったそうで、進化するにつれ頭が大きくなり、あごが小さくなり、
あごに合わない大きな歯を持ってしまったそうです。とくに黄色人種の頭は平
べったく、歯の収まる空間が狭く、このため歯並びが凸凹になりやすいようで
す。このような状態ですから日ごろから硬いものを噛む習慣を持たないと歳を
取るにつれて収まりが悪くなるようです。日ごろから硬いものを食べる工夫を
しましょう。

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【ウィーンからのニュース】
★ナチス支配下の"罪"見つめ直す ウィーン歌劇場で特別展示
6月23日
ナチス・ドイツによる1938年のオーストリア併合から70年の今年、ユダ
ヤ人音楽家らをウィーン歌劇場から追放した歴史に焦点を当てた特別展示が同
歌劇場で開催されている。ナチス支配の犠牲となりながらも、ユダヤ人迫害に
明確に加担した同国の"罪"を改めて見つめ直す機会にもなっている。
特別展示は「ウィーン歌劇場と併合−犠牲者、実行者、傍観者」と題して、ユ
ダヤ人音楽家ら92人の運命に焦点を当てている。
台本作家のフリッツ・レーナーベーダ氏は38年に逮捕された後、アウシュビ
ッツ収容所で死亡した。ドイツ帝国放送は同氏を殺害した当夜、同氏のオペレ
ッタ「ジュディッタ」を放送する非情さを見せた。
辛くも米国に逃れた歌手のアレキサンダー・キプニス氏は「私の契約はどうな
るのでしょう」と切々と尋ねる手紙を歌劇場に送った。ナチスににらまれた歌
劇場は再契約しなかった。
同歌劇場によれば、独裁者ヒトラーが好んだベートーベンのオペラ「フィデリ
オ」の公演は、32年〜併合前までの32回から、50回(43年末まで)に
激増した。露骨なナチス迎合といえる。一方、ヒトラーが愛したワーグナーの
「タンホイザー」の公演は、ワーグナー専門のユダヤ人歌手が不足したため、
激減するという皮肉の結果となった。

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【編集後記】
7月に入りました。梅雨はまだ明けそうにありませんね。
このマガジンも新しく『食育を考える・・・食・しょく・ショック』が始まり
ました。オーストリア関連とは少し違いますが食を語るには基本的なものをと
思い掲載しました。
今月からまた新しく『難じゃ問じゃ、まなー&えちけっと』は始まります。
これも少し違う切り口で書かせていただきますがちょっとした食の雑学だと思
ってください。お楽しみに。

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