<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rdf:RDF xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#" xmlns="http://purl.org/rss/1.0/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/">
  <channel rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/rss10.xml">
    <title>日中戦争の問題点を検証する</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/index.html</link>
    <description />
    <dc:date>2009-12-17T07:09:36+09:00</dc:date>
    <items>
      <rdf:Seq>
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20091217070936000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20090601051923000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20090227061025000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20081201223634000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20080729030024000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20080720091944000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20080622090148000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20080208120807000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20071125124000000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20070922093634000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20070808075711000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20070622070113000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20070420063702000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20070203171756000.html" />
        <rdf:li resource="http://archive.mag2.com/0000139973/20070103173041000.html" />
      </rdf:Seq>
    </items>
  </channel>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20091217070936000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する　第１１２話</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20091217070936000.html</link>
    <description>　　　　　　　　　　　　　　　　　　日中戦争の問題点を検証する　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　          　　　　 &lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　第１１２話　天皇の戦争責任　　その１０　大元帥への道&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１８８２年明治１５年１月「陸海軍人に賜りたる勅諭」が発布された。&lt;br /&gt;いわゆる「軍人勅諭」である。&lt;br /&gt;これの元になったものが、明治１１年１０月１２日、陸軍のボス・山県有朋によってださ&lt;br /&gt;れた「軍人訓戒」である。&lt;br /&gt;明治１１年８月２３日午後１１時３０分、竹橋西詰にあった近衛砲兵営から皇居に対して&lt;br /&gt;大砲を撃ち込むという信じられない事件が起きた。&lt;br /&gt;いわいる「竹橋事件」である。&lt;br /&gt;事件を起こした近衛兵の不満は西南戦争で激戦を戦ったのに他のものに比べて恩賞が少な&lt;br /&gt;いこと、俸給が減額されたことへの不満が爆発して武力の行使となった。&lt;br /&gt;天皇を護衛するべき近衛砲兵大隊の兵士ら３００人余が蜂起して、竹橋の兵営から、天皇&lt;br /&gt;に強訴するため、仮皇居になっていた赤坂離宮に迫ったのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;兵たちは大隊長・宇都宮少佐と週番士官・深沢巳吉大尉らを殺害し、行賞削減を企図した&lt;br /&gt;といわれた大蔵卿・大隈重信公邸&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20091217070936000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2009-12-17T07:09:36+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20090601051923000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する          第１１１話</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20090601051923000.html</link>
    <description>&lt;br /&gt;                          日中戦争の問題点を検証する　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　          　　　　 第１１１話　天皇の戦争責任　　その９　現人神への道&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; 明治維新を迎えた時に権力を握った薩長の手によって朝廷は表舞台に出ることはできたが、&lt;br /&gt;お金は孝明天皇が蓄えていた２万石、今日のお金で言うと、約２億円程度しかなかった。&lt;br /&gt;明治天皇も皇后も好物がおから(椎茸、湯葉、揚豆腐、高野豆腐などを切って入れた)だった&lt;br /&gt;というのも質素な生活が偲ばれる。&lt;br /&gt;だがこの貯蓄は明治８年には５倍になった。&lt;br /&gt;皮肉にも明治６年５月５日皇居(旧江戸城・西の丸)が炎上し、その時に、金・銀製品が火事で&lt;br /&gt;溶けたのでこれを貨幣の鋳造に加えたとされる。&lt;br /&gt;紀州藩最後の藩主となった徳川茂承(とくがわもちつぐ)が旧紀州藩中屋敷(現・赤坂御用地)を&lt;br /&gt;皇室に献納したことにより、仮皇居として使用された。&lt;br /&gt;茂承は金２万円を賞賜された。&lt;br /&gt;明治２２年に旧西の丸に御常御殿(明治宮殿)が新築され、以後は宮城と呼ぶことにした。&lt;br /&gt;今上天皇は１９９３年(平成５)１２月から皇居内吹上地区の一角に建てられた新たな御所を&lt;br /&amp;gt&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20090601051923000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2009-06-01T05:19:23+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20090227061025000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する     　　おしらせ</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20090227061025000.html</link>
    <description>「日中戦争の問題点を検証する」の読者の皆様、岡崎です。&lt;br /&gt;現在、明治天皇と明治維新の宗教政策について書いていますが、信憑性の高い資料を求めて&lt;br /&gt;京都に出向いたり、古書を検証して取捨選択などをして手間がかかることです。&lt;br /&gt;少々時間がかかっていますが、次回はこれまでの歴史観とは違うものをご期待ください。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さて、私はまぐまぐから「救国の提言」を書いていますが、ご参考までに御一読くだされば幸いです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　救国の提言&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　　　　　　　第１４話　　定住外国人に選挙権を与えてはならない&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「在日韓国人・朝鮮人は強制的に日本に連れてこられたのだから参政権を認めるべきだ」&lt;br /&gt;という朝鮮人の大嘘を肯定しているのが、公明党、民主党、社民党、日本共産党である。&lt;br /&gt;なぜかというと、新しい選挙人が増え、自分たちの党の票田となるからだ。&lt;br /&gt;民主党が政権を取るのが時間の問題となっている現状では日本の緊急問題である。&lt;br /&gt;民主党のマニフェストでは外国人の地方参政権を認めている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これにそうように１９９８年６月、韓国は国籍法を変更し、２１歳までに外国国籍&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20090227061025000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2009-02-27T06:10:25+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20081201223634000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する            第１１０話</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20081201223634000.html</link>
    <description>&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;                               日中戦争の問題点を検証する　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　          　　　　 第１１０話　天皇の戦争責任　　その８　平安京の終焉&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　慶応２年１２月２６日の孝明天皇の崩御を受けて、翌２７日、睦仁(むつひと)親王が &lt;br /&gt;満１５歳で&lt;br /&gt;践祚(せんそ)し、天皇位についたがこれがのちの明治天皇である。&lt;br /&gt;親王時代の彼はどの資料からも「ひ弱で怖がり、おまけに泣き虫」である。&lt;br /&gt;睦仁親王は嘉永５年９月２２日午後１時、母・中山慶子(よしこ・１８歳)の実家で誕生した。&lt;br /&gt;孝明天皇２２歳の時の第２皇子で、幼少時の称号は祐宮(さちのみや)という。&lt;br /&gt;第１皇子は嘉永３年１２月１７日に孝明天皇と典侍(すけ)・坊城伸子との間に皇子が誕生&lt;br /&gt;したが、同日夭折し、２５日に葬儀が営まれ、「妙香華院(みょうこうかいん)」と諡された。&lt;br /&gt;その遺体は御所近くの浄土宗の清浄華院(しょうじょうけいん)に埋葬された。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;当時の宮廷の経費はすべて幕府から支給されており、宝永年間以後は年３万２６０石と &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;決め&lt;br /&gt;られてい&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20081201223634000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2008-12-01T22:36:34+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20080729030024000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する       暑中お見舞い</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20080729030024000.html</link>
    <description>&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;         　日中戦争の問題点を検証する　　暑中お見舞い申し上げます&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;                  愛猫の　ご飯を貰うか　　熱帯夜&lt;br /&gt;　　　　　　&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　                         溪水&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　私の住む浜松市の天竜地区では連日３７℃を越す猛暑が続いています。&lt;br /&gt;クーラーをつけていても汗がにじみ、暑さにまるで弱いデブ猫は、ただただ喘ぎ、&lt;br /&gt;あずきアイスをぺろぺろなめて過ごしています。&lt;br /&gt;シルクロードのトルファンの町は４６℃もあったんだからこれくらいの暑さはへっちゃら&lt;br /&gt;だと思いたいけれど、あれは幻であったのだろうか…。&lt;br /&gt;早く曼珠沙華の花が咲いて秋の涼風が来るのを願うばかりです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さて短い童話を書きました。&lt;br /&gt;私のホームページで読んでみてください。&lt;br /&gt;私は生来絵が下手で、猫を描くと豚に見えるので文章だけです。&lt;br /&gt;アルファポリスの童話コンテストに出品中です。&lt;br /&gt;投票はバナーをぷちっとクリックするだけで結構です。&lt;br /&gt;&amp;l&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20080729030024000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2008-07-29T03:00:24+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20080720091944000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20080720091944000.html</link>
    <description>&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;暑中お見舞い申し上げます。&lt;br /&gt;さて最近の日本国を見てだらしないなあ、と思われている人も多いのではないでしょうか？&lt;br /&gt;難問解決のため「永遠の不良少女」が立ち上がりました。&lt;br /&gt;御一読ください。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　救国の提言&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　２１世紀は危機との対決である。&lt;br /&gt;地球の危機、人間の心の危機をいかに早く察知して対応策を講じるか、それが&lt;br /&gt;日本国を含めた世界全体を救う。&lt;br /&gt;ただこれまでの智者とよばれる人々の発想は彼らが学んだテキストから脱却していないので悲しいかな、ユニークさに欠ける。&lt;br /&gt;私は６０年余の人生をいろんな仕事をしながらあらゆる階層の人々とお付き合いしてきた。&lt;br /&gt;また外国も２０カ国ぐらいではあるが、旅をして見聞してきた。&lt;br /&gt;現在はおもに東洋の歴史を書いている。&lt;br /&gt;日本政府の危機に対する場当たり的な対応をハラハラしながら見ているが、もう我慢の限界だ。&lt;br /&gt;まさに私は義憤に駆られて日本の「難問」に立ち向かおう。&lt;br /&gt;子供たちのために正しい指針を示すのは我々大人の義務である。&lt;br /&gt;それがひいて&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20080720091944000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2008-07-20T09:19:44+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20080622090148000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する          第１０９話</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20080622090148000.html</link>
    <description>&lt;br /&gt;         　　　　　　　&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　日中戦争の問題点を検証する　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　              第１０９話　天皇の戦争責任　　その７　天皇家の復権&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　孝明天皇の代になると、世情は外国との通商条約で騒然としていた。&lt;br /&gt;１８５３年(嘉永６)のアメリカ合衆国のペリー艦隊来航以来、幕府は海防掛をもうけて国防を&lt;br /&gt;強化し、この事態にどう対処するべきか、苦悩していた。&lt;br /&gt;未曾有の出来事である。まず正確な情報収集に時間がかかるのは仕方がない。&lt;br /&gt;時の老中首座・阿部正弘は開国について外様大名や有識者や漂流してアメリカで暮らした&lt;br /&gt;経験を持つジョン万次郎など、広く人材を登用した。&lt;br /&gt;しかし、幕閣の決定は急を要するのだ。&lt;br /&gt;ただ当時の老中たちの意見はほとんど開国で一致していた。&lt;br /&gt;「戦さになれば負けるので開国はしかたない」消極的な開国から「外国との貿易で幕府の&lt;br /&gt;財政再建をする」積極的開国まで意見は分かれたが、隣国の支那大陸でのアヘン戦争の情報を&lt;br /&gt;オランダから得ていたから鎖国のために外国との戦争となることだけは避けるべきだという点&lt;br /&gt;では一致していた。&lt;br /&amp;g&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20080622090148000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2008-06-22T09:01:48+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20080208120807000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する  第１０８話　天皇の戦争責任　　その６　御所人形の時代</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20080208120807000.html</link>
    <description>&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;                         日中戦争の問題点を検証する　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　              第１０８話　天皇の戦争責任　　その６　御所人形の時代&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;１５９０年(天正１８)４月、秀吉は小田原の北条氏を攻めた。&lt;br /&gt;この時、現在の岩手県を基盤としていた南部氏から独立して青森県地方に勢力を得ていた&lt;br /&gt;津軽為信が伊達政宗に先んじて秀吉の元を訪れ、参陣をした。&lt;br /&gt;そして北条氏が秀吉に降ると関東平定が成り、津軽為信は秀吉から領土を安堵された。&lt;br /&gt;秀吉は前田利家に命じてこの際奥州の検地をすべく、津軽まで足を運ばせた。&lt;br /&gt;この時、北海道の松前慶広(まつまえよしひろ・当時は蛎崎(かきざき))が津軽海峡を渡って&lt;br /&gt;津軽の利家に会いに来た。&lt;br /&gt;利家は蝦夷地の武将を秀吉に謁見させるべく、そのまま連れて京都に帰り、聚楽第で秀吉と&lt;br /&gt;会見させた。&lt;br /&gt;これによって松前氏は秀吉に認可された正式の大名となったし、北海道に大名が誕生したのである。&lt;br /&gt;松前慶広の軍はアイヌの部下をもち、毒矢を使って強力であった。&lt;br /&gt;秀吉が肥前名護屋に朝鮮出兵の陣を敷くと、わざわざ九州まで旅をし&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20080208120807000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2008-02-08T12:08:07+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20071125124000000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する 第１０７話</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20071125124000000.html</link>
    <description>&lt;br /&gt; 　　　　　　　　　　　 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;                         日中戦争の問題点を検証する&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　              第１０７話　天皇の戦争責任　　その５　どん底の天皇家の収支&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「戦国時代」はその名のとおり、各地で戦乱が相次ぎ、自然災害による飢餓や疫病が蔓延していた。&lt;br /&gt;こう書くといかにも生臭く、殺伐とした時代だと思いがちであるが、人々の身分が固定されず、&lt;br /&gt;混沌としており、すべてのひとに無限の可能性が秘められていた時代でもある。&lt;br /&gt;戦国大名が淘汰されてゆく時にも在地の農民の支持を得なかった者から脱落していくし、&lt;br /&gt;戦う相手も農民の主張に引きずられて決められたケースも多い。&lt;br /&gt;これは兵隊が農民であるから、農繁期には戦争を避ける暗黙の了解が領主たちの間にあったのだ。&lt;br /&gt;食料と農民の確保が領主たちにとっても必須である。&lt;br /&gt;飢饉や貧困、訴訟に敗れて村を去る者たちは、各地に比較的自由に転居できた。&lt;br /&gt;貨幣経済の発達で職業が増えたので大都市では人間が不足していたのである。&lt;br /&gt;そこで故郷を捨てる者たちはその地の統治者が良い政策を実行してい&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20071125124000000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2007-11-25T12:40:00+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20070922093634000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する           第１０６話</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20070922093634000.html</link>
    <description>&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;                            日中戦争の問題点を検証する　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　                     　　　　&lt;br /&gt;              第１０６話　天皇の戦争責任　　その４　凋落の時代&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; 足利尊氏は鷹揚な性格で、お金に執着しないで、御家人たちに土地も分け与えたので人気は&lt;br /&gt;あがって味方も増えた。&lt;br /&gt;しかし、我が子・直冬(ただふゆ)を異常なまでに嫌って長い間認知もせず、ついには&lt;br /&gt;弟の&lt;br /&gt;直義の養子に出してしまう。&lt;br /&gt;これは直冬の母である越前の局が嫌いなのだ。&lt;br /&gt;高氏が２０歳のとき、幼な馴染の北条氏の一族である赤橋久時の娘・登子(さだこ)と結婚した。&lt;br /&gt;その登子に仕えていた女房の一人が「越前」と呼ばれる女であった。&lt;br /&gt;氏素性も定かでなく、色好みと噂されている越前と結ばれたのはまったくの過ちで、新妻&lt;br /&gt;と間違えて抱いてしまい、できた子が直冬である。&lt;br /&gt;幼名を「今熊野」と名づけられた子は僧侶にすべく４歳になるとすぐに寺に入れた。母の&lt;br /&gt;越前も死んで、厄介払いをしたつもりであった。&lt;br /&gt;ところが愛妻の登子との間に&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20070922093634000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2007-09-22T09:36:34+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20070808075711000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20070808075711000.html</link>
    <description>&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;                          日中戦争の問題点を検証する　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　                第１０５話　天皇の戦争責任　　その３　三種の神器&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; １１５６年（保元元年）の保元(ほうげん)の乱は崇徳上皇と後白河天皇との戦いであるが、&lt;br /&gt;これに武士たちが加担したことで貴族政治に風穴をあけた。&lt;br /&gt;乱の平定後政治的ブレーンである藤原通憲(みちのり・出家後は信西)は博学の人物であった。&lt;br /&gt;記録荘園券契所を再興して荘園の整理をおこない、摂関家の弱体化と天皇親政を進めて寺院&lt;br /&gt;勢力から多くの荘園を取り戻した。&lt;br /&gt;ところが今度は美福門院得子が養子にしていた後白河天皇の第一子・守仁親王との対立が&lt;br /&gt;起こったが、守仁親王(のちの二条天皇)側の勢力に負けて譲位して上皇となった。&lt;br /&gt;院政を敷いて権力を手中に収めたい後白河上皇は息子との権力を争う。&lt;br /&gt;こうして平治の乱が勃発し、後白河上皇側が勝利する。&lt;br /&gt;二条天皇は病弱であったので、わずか７ヶ月の実子・順仁(のぶひと)親王(のちの六条天皇)&lt;br /&gt;に譲位して病死した。&lt;br /&gt;六条天皇は歴代天皇のうち最年少で天皇位に&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20070808075711000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2007-08-08T07:57:11+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20070622070113000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する 　　第１０４話</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20070622070113000.html</link>
    <description>&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　日中戦争の問題点を検証する　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　                  第１０４話　天皇の戦争責任　　その２　帝王の時代&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　天皇の権力強化を目指した天武天皇の目指す国家像は律令制の制定による法治国家である。&lt;br /&gt;その根底には税の徴収と兵隊を組織するための戸籍が必要で、大化の改新の折に作られた&lt;br /&gt;庚午年籍(こうごねんじゃく)の徹底を指示した。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;租税の徴収基盤となる『班田収授法』は、簡単に言うと、「日本の土地はすべて天皇のもの。&lt;br /&gt;それを国民にタダで貸すから収穫物の一部を税金として払いなさい。また労働の無償奉仕と&lt;br /&gt;兵役もあります」ということだ。これは社会主義経済である。&lt;br /&gt;班田収授は６年に１度行われた。同様に戸籍も同様に６年に１度作成されており、戸籍作成に&lt;br /&gt;併せて班田収授も実施されていた。&lt;br /&gt;戸籍において、新たに６歳になると受田資格を得て、田が班給されるとともに、死亡者の田は&lt;br /&gt;国に返還された。 &lt;br /&gt;戸籍作成の翌年から班田収授の手続きが開始する。戸籍作成翌年の１０月１日〜１１月１日&lt;br /&gt;までの間に、都または国府の官司が帳簿を作成し、&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20070622070113000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2007-06-22T07:01:13+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20070420063702000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する   第１０３話</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20070420063702000.html</link>
    <description>　　　　　　　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;                      　日中戦争の問題点を検証する　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　              第１０３話　　天皇の戦争責任　　その１　天皇への道&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　１８００万年前、東アフリカで類人猿の祖先『プロコンスル』が誕生し、７００万年前&lt;br /&gt;になると直立２足歩行を始め、人類(原人)が誕生した。&lt;br /&gt;その後、１７０万年前頃になると原人の脳が発達し、道具や火を使うことを覚えた。&lt;br /&gt;１１０万年前、原人はアフリカを出て新しい土地へと旅立ったが３０万年前に原人は絶滅に&lt;br /&gt;近い状態であった。&lt;br /&gt;２０万年前、原人から進化した新人『ホモ・サピエンス』がアフリカで誕生した。&lt;br /&gt;「アフリカのイブ」と呼ばれる女性のミトコンドリアDNAが現代人(新人)にもみられることからの発見である。&lt;br /&gt;食料を獲ることに困らなくなった新人は再びアフリカを出ていわゆる「ロングジャーニー」を&lt;br /&gt;して世界に広がった。&lt;br /&gt;５万キロの旅の果てに１万年前に南アメリカ南端(パタゴニア)にたどり着く。&lt;br /&gt;もちろん、その途中に気に入った土地があれば定住し、さらに西に北にと散らばっていく。&lt;br /&gt;&lt;br /&amp;gt&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20070420063702000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2007-04-20T06:37:02+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20070203171756000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20070203171756000.html</link>
    <description>&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;                            日中戦争の問題点を検証する　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　              　　　　第１０２話　　覇王・毛沢東　その２&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;世界の屋根の秘密国チベットに挑んだ日本人はおもに僧侶である。&lt;br /&gt;仏教の経本を得たい、特にチベット大蔵経はインドで仏教が死滅する以前にサンスクリット語の&lt;br /&gt;経典を忠実に翻訳した貴重品である。&lt;br /&gt;日本の仏教が中国経由であったことは、もたらされた経本が各王朝によって改ざんされた恐れがある。&lt;br /&gt;中国で最初に仏教を信奉したのは鮮卑族の北魏であるが、これは漢人の思想の支柱とする道教と&lt;br /&gt;儒教に対抗するための新思想であった。&lt;br /&gt;ところが歴史が下がるにつれて仏教は漢民族にも受け入れられ大いに広まった。&lt;br /&gt;しかし基本的に官僚の信奉するのは儒教であり、道教は庶民や文化人に「超俗」の夢を与えた。&lt;br /&gt;それで中国の仏教は常に儒教と道教の影響を受けている。&lt;br /&gt;明治になって廃仏毀釈の嵐が吹き、日本の仏教の経本に疑いを持った僧たちが出現したのは当然で、&lt;br /&gt;彼らは釈迦の思想を忠実に伝えるというチベット大蔵経を得たいと、チベットに向かっていった。&amp;l&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20070203171756000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2007-02-03T17:17:56+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://archive.mag2.com/0000139973/20070103173041000.html">
    <title>日中戦争の問題点を検証する</title>
    <link>http://archive.mag2.com/0000139973/20070103173041000.html</link>
    <description>&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;                         日中戦争の問題点を検証する　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　              　　　　　　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;                        第１０１話　　覇王・毛沢東  その１&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ソ連兵の暴虐は日本人のみならず、満洲で暮らす住民たちすべてに及んだ。&lt;br /&gt;八路軍がソ連の応援を得ており、ソ連のご機嫌取りにどんな無法も許しているのを見て、&lt;br /&gt;共産党は人々から支持されなかった。&lt;br /&gt;日本が満洲に君臨していたときには少なくとも仕事があり、収入があった。&lt;br /&gt;学校にも子供たちを入れられたし、満洲は平和で暮らしよかった。&lt;br /&gt;ところがソ連が企業を破壊して機械類を強奪したので、失業者が街に溢れた。&lt;br /&gt;１９４６年６月にソ連が満洲から引き揚げを完了すると人々はホッと胸をなでおろした。&lt;br /&gt;しかし八路軍には日本がつくりあげた高度な技術を継承できる能力はない。&lt;br /&gt;農民たちは日本人開拓者が開墾した農地をタダで手に入れて喜んだが、ぬか喜びとなる。&lt;br /&gt;共産党はソ連に日本軍の武器を貰う見返りに食料をソ連に献納するため、農民から過酷な&lt;br /&gt;搾取を行った。&lt;br /&gt;関東軍&lt;br /&gt;&lt;a href="http://archive.mag2.com/0000139973/20070103173041000.html"&gt;続きを読む&lt;/a&gt;</description>
    <dc:date>2007-01-03T17:30:41+09:00</dc:date>
  </item>
</rdf:RDF>

