2006/11/11
[TOEIC] いじめに関する一考察
めざせ TOEIC ハイスコアラー!
今まで私は英語をいくら勉強しても話すことができず、悩んでいました。
しかし今までの勉強法をすべてやめて, ある1つの方法に絞っただけで
あっという間に英語を話せるようになりました。
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「いじめ」について
どうしても文章を書きたくなった。
いじめをなんとかしなければという熱い思いが
心の奥底から,あふれ出してくるのを
どうにも抑えきれなくなってしまった。
小中学校の教師を17年間続け
現在も学習塾で生徒たちに教えている私にとって
この問題を看過するわけにはいかない。
独りよがりで自分勝手な思いかもしれないが
この思いを,言葉に綴る事を許してほしい。
「私は英語の勉強がしたくて
このメルマガを購読している。
いじめなんかに興味はない」
という方は
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そもそも, いじめる側の子どもたちは
なぜ「いじめ」という行為に走るのか。
まず,ここから考察を始めよう。
最近, 私が知った事例を一つ紹介する。
私の知り合いの娘さんであるM子(小6)が
同じクラスのS子にいじめられた。
最初は単なる個人的感情のもつれだったが
次第に集団からのいじめを受けるようになり
M子はクラスで完全に孤立してしまった。
実はM子とS子は5年生までは
とても仲のよい友人同士だった。
きっかけはM子がS子を助けたことに始まる。
S子は自己主張が強く, 気性も強かった。
そのため,5年生の頃になると
S子はクラスの中で浮いた存在になった。
そんな時, 孤立していたS子に
優しい声をかけてあげたのがM子だった。
しだいに二人は仲良くなり
友情を深め合っていった。
当時のS子はクラスで浮いていたとはいえ
とても社交的な性格で
M子の家に遊びに来た時なども
母親がびっくりするほど達者な口調で
挨拶や会話をする子だったという。
しかしS子には少し変わったところがあった。
M子を独占したいという気持ちが
異常なほど強かったのである。
この年代の女の子によく見られる
「私たち親友よね?」の押し付けは
M子には負担に感じることもあったことだろう。
ある時, ふとしたきっかけから
二人の間に誤解が生まれ
友情にひびが入り始めた。
やがてS子はM子の悪口を
クラス中に言いふらすようになった。
言われた方の子どもたちは
口達者のS子に逆らうこともできず
M子は完全に悪者のレッテルを貼られてしまった。
M子はやがて不登校となり
結局は他の学校へ転校することとなった。
S子はなぜこのような行動に出たのだろうか。
M子に助けられたにもかかわらず
恩を仇(あだ)で返したのはなぜなのだろうか。
実はS子の母親の養育態度に
問題の一端があった。
しつけが厳格すぎたのである。
時には娘を叩くこともあったという。
そのため娘は言いたいことも言えず
やり場のないストレスを
M子にぶつけるようになっていった。
だから,S子にしてみれば
いじめの相手は別にM子でなくてもよかった。
たまたま近くにいた優しいS子に
ささいな不満をもったことがきっかけで
日頃のストレスをぶつけるようになり
いじめをエスカレートさせていったのである。
いじめられる側に
特にこれといった原因がなくても
いじめる側の気分しだいで
実に簡単にいじめが起きてしまうことを
この事例は示している。
しかもS子は口が達者だったため
S子の言うことに対し,
クラスの他の子どもたちも
「それは違うよ」とは言えなかった。
S子に対して, 反対意見を述べれば
今度は自分がいじめの対象になるという不安も
多くの子どもたちにはあったことだろう。
この事例から言えることは次の3つである。
1) いじめる側も何らかのストレスを抱えている。
2) 特にこれといった理由がなくてもいじめの対象となり得る。
( いじめる側の気分しだいで, どうにでもなる )
3) 口達者な子に言いくるめられると,多くの子は反論できない。
この3つは
多くのいじめに共通して見られる現象である。
母親から十分な愛情を受けていない子は
不自然なほどに社交的になる場合が多い。
この事例のS子もそうだが
口達者な社交家になることで
周囲の気を引きつけ, 自分の存在をアピールする。
母親から愛されない分を
第三者の気を引くことで紛らわそうとするのだ。
もちろん子ども自身が
そこまで計算して行動しているわけではない。
無意識のうちにそういう行動を取ることで
精神的なバランスを保っているのである。
このように, いじめる側もまた
心の中になんらかのストレスを抱えているのだ。
それを解消するために
必要以上に社交的な態度を見せたり
だれかの悪口を言ったりして
精神のバランスを保とうとしているのである。
自分のところにきたストレスを
自分だけでは処理しきれないため
そのストレスを誰かに回していると言えるだろう。
では,いじめられる側はどうか
一方的な非難,中傷をくり返されるうちに
どんどん自分の中にストレスをためこんでいく。
自分はダメな人間だと思い込んでいく。
自分を一つの方向しか見られなくなっていく。
他の面から見れば
自分のいいところは
数えきれないくらいたくさんあるはずなのに。
みんなから責められ, 孤立していく中で
そんな余裕は完全に失われていく。
集団から孤立するということは
ストレスを回す相手が誰もいなくなることを意味する。
この時期の多感な子どもたちにとっては
「みんなと同じ」であることが最優先事項だから
集団から孤立した存在である自分が許せない。
いじめる側の子から回ってきたストレスを
誰にも返す事ができなくなり
ストレスはその子の内部に
どんどん蓄積されていく。
やがてその量は許容範囲を超えてあふれだす。
そうなると, 完全に自分が失われてしまう。
自分という存在が完全になくなってしまうのだ。
しかし,いじめのストレスは
容赦なく次々と襲いかかる
言葉の暴力,
集団での無視,
殴る蹴るの暴行。
やがてそのストレスは
自分の身を滅ぼすほどに肥大化する。
取りうる選択肢は少しずつ失われていき
最後に,ある一つの選択肢だけが残る。
「死」という選択肢である。
話が重くなってきた。
少し話題を変えよう。
最近,「メダカの絶滅」が問題になっている。
あちこちでメダカを保護しようという声が
盛んに起きている。
解決方法は簡単だ。
メダカの大量養殖場を作り
そこで育てたメダカを
日本中の河川に放流すればいい。
だが, これで問題は解決するか?
メダカの数は元に戻るのか?
否 である。
すぐに多くのメダカが死に絶え
またたく間に以前と同じ状況に戻るだろう。
なぜメダカが減っているのか
地域の自然環境全体を冷静に分析しなければ
メダカ絶滅の問題は解決できない。
メダカが減るということは
メダカを取り巻く生活環境そのものに
変化が起きているということである。
えさ, 水質, 天敵, 水温…等々
さまざまな要因が複雑にからみあって
メダカの絶滅という結果が起こるのである。
その要因を一つ一つ冷静に分析し
地域の生態系全体の中で
原因をつきとめていかなければならない。
メダカだけに目を奪われていたのでは
何の解決にもならないのである。
いじめの問題も全く同じだ。
「ストレスの循環」という観点から
いじめの問題を考えていかないと
根本的な解決は見えてこない。
純粋な心の奥底に蓄積された
行き場のないストレスをどう処理するのか
ということを真剣に考えないと
結局は責任のなすり合いに終わってしまう。
「責任のなすり合い」ということで思い出すのが
いじめを巡る昨今のマスコミの報道姿勢である。
学校側が開いた状況説明の保護者会で
何人かの保護者が学校を激しく非難している様子が
連日,まことしやかにテレビで報道されている。
どのマスコミも
こぞって教育委員会や学校を非難している。
大声で彼らを非難すれば
それですべてが解決すると思っているかのようだ。
それを見た人たちは
「やっぱり学校が悪いんだ」と思う。
だがここに大きな問題が潜んでいる。
多くの人はこのことに気づかないでいる。
その問題とは何か?
「他者を責める体質」である。
悪いのは学校や教育委員会であって
自分はこの問題には関係がない。
あいつが悪い, こいつが悪いと
他者を非難し, 責めたてるだけ。
だから,それ以上考えることができない。
完全な思考停止だ。
昨今のマスコミ報道は
ほとんどすべてがこのパターンに終始している。
誰かを悪者にし, 問題を単純化することで
マスコミはその役割を果たしたと
思い込んでいるのである。
他者を非難するのではなく
自分に何ができるのかを考える。
これがいじめ問題を解決する唯一の方法だ。
ある知り合いの市議会議員が
先日, こんなことを言っていた。
「今度の議会では, いじめ問題解決のため
“ 「道徳の時間」を充実させよう ”
という提案をしようと思っている」
学校に対する一方的な非難よりは
かなり前向きな行動である。
自分にできることを自覚しているという点で
しかも「道徳の時間」に論点を絞っているという点で
大いにに評価すべきだろう。
だが,これも残念ながら期待薄である。
小学校ならともかく
中学校で道徳の授業を
まともにやっている教師が何人いるだろうか。
私は今までに17年間の教師生活を送ってきたから
自信を持って言える。
「道徳の時間」に過剰な期待は禁物であると。
それを示す最も端的な例がこれだ。
「道徳の研究指定校になると学校は荒れる」
誠にもって皮肉な言明である。
その理由を以下に述べる。
道徳の副読本には
たくさんの「資料」が掲載されているが
そのすべてに価値項目というものが設定されている。
この資料では, 思いやりを
この資料では, 郷土愛を
この資料では, 男女の平等を
とういうふうに,
資料ごとに教える内容が決まっているのである。
これはどういうことを意味するのか。
生徒たちは教師が期待していることを
言わなければならないということだ。
資料の中から読み取るべき「答え」が初めから存在し
そこから,模範的な「答え」を引き出すわけだから
優等生的解答を出す生徒が
「道徳的である」と評価されるわけだ。
これでは,教える側も教わる側も,
どこかしらけたものを感じてしまうのは当然である。
現状の「道徳の時間」をいくら充実させても
結局は,教師の期待( =建て前)通りの答えを
先回りして言う人間を育てるだけに終わるのがオチだ。
そのへんの事情は
現場の教師たちが一番よく理解している。
だから,実際には
中学校における「道徳の時間」というものは
受験勉強の時間になったり
進度が遅れている教科の学習になったり
読書の時間になったりして
日々のストレスをゆるめるための
貴重な息抜きタイムとなっている。
皮肉な表現だが,
文字通り「道徳の時間」として
ちゃんと機能しているのだ。
もちろん書類上には「きちんと授業を実施しました」
と記録されてはいるが…
そんな中, 仮に議会で
「道徳教育をもっと充実させよう」という提案が
可決されたとしよう。
その結果, どうなるか。
各学校への圧力が高まり
「道徳の時間」が,今以上に重くのしかかってくる。
教師も生徒もやりたくないものを
むりやり強制されるわけだから
いい結果が生まれるはずがない。
今まで, 息抜きタイムとして
ガス抜きの役割を果たしてきた「道徳の時間」が
逆に教師にも生徒にもストレスとなってしまう。
本当の道徳教育をやろうというのなら
資料の価値に関係なく
生徒が言いたいことを言い合って
教師はその整理役に徹するという
そういう方向に行くのがベストであると
私は考える。
だが, 生徒が「言いたいことを言い合う」という
そういう環境を作ること自体が
非常に難しいことでもある。
そういう環境がもし実現できれば
いじめは激減するだろう。
なぜなら
言いたいことを言い合うということは
お互いのストレスを
お互いにパスしあうということを意味するからだ。
そうすれば, 個々のストレスは常に循環し
一人一人が余計なストレスをためこむことはなくなる。
だが, 問題はそう簡単ではない。
中学生くらいになると
公の場では自分の意見など,
誰も言わなくなる。
そんなことをすれば
「あいつ, カッコつけやがって」と
白い目で見られるからだ。
ここにもう一つの大きな問題が存在する。
中1の後半から中2にかけて
多くの生徒が「ワル」にあこがれる。
ちょっとワルぶった生徒が人気を集め
優等生的な生徒は煙たがられる。
だが,一人一人の内面はまだまだ純粋だ。
その証拠に, 彼らと1対1で話をすると
驚くほど彼らは素直である。
しかし, そこに友人が一人加わるだけで
彼らの態度はとたんに一変する。
言葉づかいが荒くなり
態度が大きくなる。
友人といる時の人格。
一人でいる時の人格。
親や教師といる時の人格。
この3つの人格のギャップが
非常に大きいというのが
この年代の子どもたちの特徴だ。
しかも,この3つの人格は
決して他の場面では出てこない。
まるで多重人格者のように
場面場面に応じて
その役割を見事に演じきってしまうのだ。
友人といるときには
ちょっとワルぶった子になり
親や教師の前には
素直でいい子になり
一人でいる時には
劣等感にさいなまれる自分になる。
いじめたり, いじめられている時の人格や
劣等感にさいなまれている人格は
親や教師の前では絶対に出てこない。
だから親や教師がそれを察知するのは
至難の業といってもよい。
教育委員会や学校が
いじめ対策マニュアルをちょっと作ったぐらいでは
とても太刀打ちできるようなものではないのだ。
子どもは自分の内面については
絶対に親や教師には言わない。
その理由は何か?
「よけいなことで親を心配させたくない」と
ほとんどの子どもたちは思っているからである。
それは大人に対する子どもたちの優しさであり
気遣いなのである。
ここで,あなたに質問しよう。
あなたが中学生の頃,
好きな異性のことについて
親や教師に相談したことがあったか?
「あの人が好きだ」という自分の心の内面を
親や教師にさらけ出す勇気が
当時のあなたにはあったか?
この質問に対して
ほとんどの人が
Noと答えることだろう。
いじめの問題も全く同じである。
いじめる側にとっても
いじめられる側にとっても
自分の心の内面にかかわる問題である。
そういう意味では,
恋愛感情と大変よく似た側面を
持っている問題だと言える
そういう内面的な問題を
そう簡単に第三者に話すことなど
できないのが普通ではないか?
ここで私の体験を少し聞いて欲しい。
私は中学3年生の時,
あることでものすごく悩んでいた。
それは, 好きな女の子のことだった。
私は中2から中3にかけて
ある一人の女の子とつきあっていた。
いわゆる「両思い」というやつで
毎日電話しあったり,
公園で会ったりして
親や教師も公認の仲だった。
だが,ふとしたことがきっかけで
その女の子に対する恋愛感情が
なくなってしまったのである。
「今まであんなに好きだったのに, なぜ?」
私は死ぬほど悩んだ。
今まで通りに普通に接すればよいのだが
体と心が言う事をきかない。
だが,彼女は相変わらずやさしい笑顔を送ってくれる。
それが当時の自分にはよけいに苦しかった。
彼女には絶対に言えないと思った。
友人にも, 親にも,教師にも
誰にも相談できなかった。
そんなことは恥ずかしくてできなかった。
結局, 私はその苦しみを1年以上も抱え続けた。
結局は, 彼女に正直にその思いを話したのだが
電話口で泣いていた彼女の声が
今でも耳元によみがえってくる。
あの時のつらさは
とても言葉では表現できるものではなかった。
大人になった今なら思う。
なぜもっと早く言わなかったのだろう,
なぜ誰かに相談しなかったのだろうと。
だが, それはあくまで大人の側の発想なのだ。
思春期の子どもたちの多くは
自分の内面を人に話す勇気など
持ち合わせていないのである。
一人で問題を抱え込み
一人で問題を大きくし
自分自身がどうにも耐えられなくなるまで
我慢してしまうのだ。
当時の私は,
半分ノイローゼのような状態に
なっていたと思う。
周囲の友人からも
「お前, 最近おかしいぞ」とか
「最近の○○君, ちょっと変よね」と
友人たちに言われた事を思い出す。
誰にも言えない苦しみ
相談する人のいない心細さ。
そういうものと日々闘いながら
心身共に疲弊しきっていた。
とても勉強どころではなかった。
そんな私だったが
一度だけ「悩み相談室」みたいなところに
相談の手紙を書いた覚えがある。
本屋でふと手にした文庫本から
悩みを聞いてくれる人の存在を知り
苦しい胸のうちを手紙にしたためたことがある。
結局, 返事は来なかったが
手紙を書いたというそれだけのことで
心がふっと軽くなったのを覚えている。
だから,
いじめられる側の子が
誰にも相談できない苦しみというのは
ものすごくよく理解できる。
教育委員会や学校が
「恋愛問題解決マニュアル」を作ったと言えば
誰もが笑うだろう。
いじめの問題もそれと同じである。
彼らに過剰な期待を抱いてはいけないである。
ではどうすればよいのだろうか?
解決の方法はあるのだろうか?
答えは簡単である。
今のあなたに何ができるのか?
それを問い続けることだ。
いじめは決してなくならない。
それは, 犯罪が決してなくならないのと同じである。
世の中は犯罪があることを前提として成り立っている。
いじめも同じである。
人の集まるところには必ずいじめが存在する。
だから,発想を変えることが必要だ。
いじめをなくそうなって思っちゃいけない。
いじめを解決しようなんて思っちゃいけない。
いじめがあることを前提に
どうすればいいのかを考えなければいけない。
誰かを悪者にしたり
誰かに責任をなすりつけたり
そういう無駄なことはもうやめよう。
今の私にできることは
いじめられている子が
その悩みを打ち明けることのできる場を
提供することである。
いじめられている子が
自分の抱えているストレスを
憚ることなく吐き出すことのできる場を
提供することだ。
そのために,私はこれから
「いじめ避難所ブログ」を作ろうと思っている。
自分の中学生時代の経験を綴り
苦しんでいるのは自分だけではないのだということを
世の中のたくさんの中学生たちに知って欲しいと思う。
いじめをなくす事はできないが
いじめられた子どもたちの思いを受け止めることはできる。
そんなブログを私は絶対に作ろうと思う。
最後にもう一度あなたに問いかけたい。
いじめ問題に向けて
あなたは今, 何をしますか?


