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2008/07/31

【桜山倶楽部079】○桜山神社創建祭/櫻山の歌集出版記念会御案内●馬嶋春海○滝弥太郎○有吉熊次郎○村上卯七郎○小倉藩喧噪

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        下関維新史150周年記念企画 桜 山 倶 楽 部 メールマガジン

           ( 下関維新史ファン・鹿之弼 Presents )

           
____________    2008. 7.31 版  079号     ____________

  [140(維新零年)]  ○桜山神社創建祭/櫻山の歌集出版記念会 御案内
  [松下村塾塾生録(7)] ●馬嶋春海
               ○滝弥太郎
               ○有吉熊次郎
               ○村上卯七郎
  [電脳ネット]      ○小倉藩喧噪
              
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○桜山神社創建祭/櫻山の歌集出版記念会 御案内

 謹啓 盛夏の頃と相成り貴家益々御清祥の段大慶に存じます。
 兼々当神社に対しましては御高配を賜り厚く御礼申し上げます。
 当神社は高杉晋作の主唱により慶応元年八月に創建され、奇兵隊報国隊等維新の殉国の
士を祀る由緒ある神社であります。
 御神霊をなぐさめたく(御神徳発揚の為め)下記の通り創建祭と前日に「櫻山の歌集」
の出版記念パーティーを催したいと思いますので御多忙中誠に恐縮に存じますが、何卒御
誘い合わせの上御出席御参拝下さいます様御案内申し上げます。         敬具
                               平成二十年七月吉日

                   記

   出版記念パーティー / 創建143周年記念講演 櫻山歌集出版記念会
   一、日 時  八月二日(土曜日) 午後六時
   一、場 所  シーモールパレス エメラルドの間
   一、会 費  七〇〇〇円
   演題  櫻山の歌集について
   講演  皇學館大学名誉教授 恵良 宏 先生
   懇親会  七時〜

   創建祭 
   一、日 時  八月三日(日曜日) 午前十一時
   一、直会の儀 本殿祭終了直後 下社務所於
   一、神 賑  奉納 詩歌吟詠
           
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●馬嶋春海

春海は毛利藩医の子息である。松下村塾には医師の子も多く、久坂や赤根然りである。知
識と見聞を広めるため勉強の場を求め、松下村塾は人気と信頼があった。天保12年生ま
れ、入塾は安政4年(1857)の暮れの春海17歳の時、翌年9月には阿武郡須佐の育英館
に派遣される。育英館は萩藩永代家老・益田氏主催の郷校(領主が設立した教育機関)で
あり、松陰の兵学門下の益田弾正と塾生たちの交流を勧めた。奇兵隊入隊以降も実直な人
柄が評価されながら、戦火から身を引き、晩成堂や向山塾での教育に投じた。明治以降は
公務員として身を立て明治36年65歳で酒を愛しながら春海は生涯を終えた。明治41
年、萩の門下生により指月城址に顕彰碑が建てられる。「功名をもってこれを誘ふに足ら
ず、聲利をもってこれを移すに足らず、文を学び道を楽しみ、人を誨へて倦まざるは古其
の人を聞く。近時にありてはすなわち我が馬嶋先生に於て之を見る…」

○益田弾正

文久三年に上京し攘夷親征を建議、八月十八日政変にて解任され、三条実美ら七卿を伴っ
て帰国。翌年の禁門の変により帰国し、徳山藩預かりの後、幕府への謝罪のため切腹。

○育英館跡(萩市須佐町)

平成の大合併により萩市の一角となった須佐町は、戦後昭和に旧須佐と旧弥富村が合併し
て生まれた。須佐は北前船が萩の次に寄港する交易の町でもあり、郷校「育英館」は藩内
学館として享保20年(1735)に創設された。須佐の領主益田家は毛利一門八家に数えら
れ、「萩の土塀は”?”(須佐)で持つ」と言われ、長州藩の重要な戦略拠点でもあった。

○晩成堂(宇部市上宇部)

天保10年(1839)創設の晩成舎が、弘化元年(1844)晩成堂となり、弘化3年(1846)中尾の
福原邸に移り菁莪堂(せいがどう)となり、元治元年(1864)福原越後が福原邸にあった菁莪
堂を執事堂とし、萩の中屋敷を福原邸の南に移して維新館と命名し、今も「維新館跡」の
碑が建つ。

○福原越後
徳山藩主・毛利広鎮の六男。安政5年(1858)福原の家督を継承した後、藩主・毛利敬親を
補佐し、尊王攘夷運動を推進。禁門の変、長州征伐の責任を取り元治元年(1864)岩国の
龍護寺で自害。享年50歳。寡黙、果断、温厚として幕末初期の長州藩政の名臣として評価
されている。

○福原邸跡(宇部市上宇部)

毛利藩の永代家老・福原氏の屋敷跡。現在の門は萩の屋敷門(県指定文化財)を三分の二
の大きさで模造している。

○滝弥太郎

春海の友人、入塾、育英館派遣、奇兵隊参加など共にする。春海とは奇兵隊で道を違い、
弥太郎は高杉晋作が奇兵隊初代総督を退いた後の2代目総督に川上弥一と共に就任するな
ど幕末維新の戦火に身を投じることとなる。

○有吉熊次郎

長州藩士有吉家の次男として天保13年(1842)に生まれる。やはり安政4年の入塾であ
り、松陰により「才」岡部富太郎、「実直」有吉(子徳)、「沈毅」寺島忠三郎と評し、
3人組としての力を携えた。間部詮勝暗殺計画、御楯組結成血盟書、品川御殿山英国公使
館焼討、八幡隊結成など参加。後の池田屋事件の生き証人でもある。そして、禁門の変(
蛤御門の変)で重傷を負い、久坂・寺島と共に鷹司邸内で自刃。享年23。墓所は京都市の
霊山護国神社、山口市の朝日山招魂社(八幡隊招魂場)。贈正五位。作家・有吉佐和子の
曽祖父にあたる。

○村上卯七郎

やはり安政4年の入塾だが、その前後は定かでない。
              
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日常出会う風景を無料携帯や格安デジカメで撮影。切り取った風景から真都市を探検する
と、電脳ネットに更なる私の遊び心が生息する。

○小倉藩喧噪
関ヶ原の戦い(1600)にて、徳川東軍で勝利した細川家が中津城城主となり藩を治め、2
年後には小倉城と城下町が完成する。後に小笠原家が藩主となる。幕末維新にて、長州戦
争に幕府側として参戦。この騒動で小倉城は焼失する。

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