2009/06/24
60の手習い…4.最愛の人を連れて日本にやってきた
60の手習い…4.最愛の人を連れて日本にやってきた 1998年後半はお互いに「一人旅」。 間もなく、リーから絵葉書が相次いで届いた。最初はアフリカ、ケニアの ナイロビから、「自然を満喫している」と。続いてイタリア、ローマ、 フィレンツエ、ミラノと 舞台は移った。 「ここはルネッサンスの発信地、あなたもまだなら、ぜひいらっしゃい」 と見所などが細かく記されていた。 結局私もそれから一人旅でイギリス、スイスからイタリアへ足を伸ばし 彼女の推薦した絵や彫刻はほとんど見て回った。 リーはその後アメリカ大陸へ、つまり彼女はほぼ世界一周旅行をしたこと になる。 「それなのに日本を素通りするとは」と手紙で言ったら、 「日本は物価が高いし為替の関係もあって」といってきたので、 「ホームステイすれば宿代は要らない。任せておきなさい」と返事を出した。 明けて1999年。何とリーから「日本へ行きたい」と言う便りがあった。 私は「東京、東日本は私たちにまかせてもらっていいが、西日本、特に京都へも ぜひ行きなさい」とアドバイスした。関西はかねてから知り合いの牧さんに ホームステイして、案内してもらえるかどうか打診しておいた。牧さんは もともと絵の先生で、イギリスへも長期留学した女性だったからである。牧さんは 快く引き受けてくれた。ところが、しばらくして、見知らぬ人から一通の手紙が 舞い込んだ。 「私はリーのパートナーでJENS(日本読みでエン¥?)と申します。 今度リーと一緒にお世話になります」というのである。 リーはこの一年に「最愛の人」を見つけ結ばれたのだった。 私はホッとしたような少しがっかりしたような複雑な心境だった。さあ それからが大変。私たちはリー一人の来日と思って準備していたからだ。 それが彼を同伴して、となると受け入れも大分勝手が違う。牧さんにもその ことを知らせると彼女も女性一人のつもりだったらしく、二人と聞いて さすがにびっくりしたようすで戸惑いは隠せなかった。が、結局は快く お引き受けいただくことになった。ただし、京都の案内は彼女の友達の北川 さんにお願いする、ということだった。彼らは6月に日本にやってくるという。 私は「この時期は梅雨で日本では一番良くない季節だから、もし来るなら 北海道へ行きなさい」とアドバイスしたのだが、結局は予定通り、東京経由で 私たちのいる那須へやって来た。 リーは荷物の中から自作のブロンズの裸婦の彫刻を出して「この世に 2つしかないもの、私の大事な2人の人にプレゼントする。一人はJENSに、 もう一人はあなたよ」と言った。なんだか、くすぐったいような見え透いた ような言葉だが、でも、何となく嬉しかった。 一生懸命制作し、重いのを厭わずに持ってきてくれたことが嬉しい。 もっとも、荷物を持たされたのはエンだが。このときつくづく、リーの ナイトにはなれなかったな。外国の男性は大変だ、自分は日本の男でよかった と思った。 幸いなことにこの年は空梅雨で比較的天気のいい日が多かった。エンは 2メートル近い大男、かつてシドニーで検事を務め、今は弁護士を開業 している「気はやさしくて力持ち」。那須の山荘では1.8メートルの鴨居 にしばしば頭をぶつけて悩まされていた。私たちは那須の山荘を1週間彼らに 開放し、日光への1泊旅行もプレゼントした。妻もリーを「素敵な人、 同性の私も魅力を感じる」と手放しでほめた。東日本滞在の最終日妻は 鯛尽くしの手料理でもてなした。 関西でも牧さんらの歓迎を受け予定外の神戸まで足を伸ばし、日本の 初めての旅を満喫して、リーとエンは無事に帰国した。


