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2009/12/26

マーヤ大先生の人生コーチング塾

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           ■マーヤ大先生の人生コーチング塾 280号■
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                        ■本日の講義■
                      「クリスマスに思う」

塾生諸君! 

昨日は12月25日、イエス様がお生まれになった日です。
キリスト教徒にとっては一番大切な日でしょう。

私は、クリスチャンの家庭で育ちました。
幼稚園のときには、羊飼いの役をしたのを覚えています。
生まれたときにすでに他界していた祖父はアメリカで牧師をしていたそ
うですし、祖母は何かあるたびに「天のお父様が何とかしてくださる」
が口癖のような人だったそうです。

戦後間もないころ、食料がなくみんな空腹で飢えていたときも「天のお
父様が、、、」と言っていたそうですから、筋金入りのクリスチャンで
しょう。

母もまた、今年、生誕100年を迎える賀川豊彦から洗礼を受けており、
私も何も分からないままに「いつくしみふか~き、ともなるエスは~♪」
などと歌っておりました。

ですので、キリスト教徒の神に対する愛や、信者の皆さまの温かい雰囲
気には今でも親近感をもっております。

しかし、長じて振り返りますと、イエス様が我々に示されたことと、現
在のキリスト教の御教えの間には誤謬があるのではないかと思えるので
す。(間違っていたらお許しください)

このことは拙著「経営者よ愛に針路を取れ」にも書いたことがあるので
すが、2000年のときの流れに、イエス様の示されたことも、受けての解
釈により段々と変容していったのかも知れません。

この「情報発信者の意図」と「情報受信者の解釈」の乖離の問題は、仏
教でも起こっている可能性があります。仏教では無明を脱し、悟りに達
するためには「八正道の道」が方法論として提示されていますが、近年、
超越瞑想の伝道者マハリシマヘーシュヨーギによれば、これは時の流れ
にブッダの御教えが正しく伝わらず、原因と結果の順序が逆になってし
まっているとのことです。

つまり、「正しい行動とは、自由の境地に確立された意識状態の結果で
ある、というのが真理なのですが正しい行動がニルヴァーナを得るため
の手段であると見なされるようになってしまったのです。」
(超越瞑想と悟りより)

まあ真偽はともかく、伝言ゲームを見れば、伝言は正しく伝わらないのが
分かりますので、宗教でもその可能性はあるのではないでしょうか?

で、キリスト教の何がその可能性があるのかといいますと、「原罪」と
いう訳の元になった文言「ORIGINAL SIGN」の解釈の問題です。

イエス様が十字架に架けられて、処刑されるその時に、「神よ、彼らは何
をしているのか分からないのですから、どうぞ彼らをお許してください」
と言われたそうですが、これはまさに仏教的な言い方をすれば、人は「無
明」のなかにあるということと同義語だと思われます。

すべての人は「無明」の中に生きています。
つまり、自分を肉体的な個別の存在だと解釈し、すべての存在はただ一
つの存在から生まれており、不二一元であるという真実から離れていま
す。その真実に帰ることを悟りといいます。

「エデンの園」とは「真実」を表しており、エデンの園を追放されたと
いうのは、自我意識が芽生え、真実から離れたという意味ではないでし
ょうか?

神話は真実を分かりやすく伝えるためのものであり、物語をそのまま解
釈するのは表面的すぎます。大切なことは、その意味しているところを
解釈することでしょう。

実際に「SIGN」には「誤解」や「正しく理解していない」のような意味
合いもあり、決して、神を忘れたことや、誰かを傷つけたことを「sign」
などと言っているようには思われません。

イエス様が一番伝えたかったことは、「神は愛」であるということでは
ないでしょうか?キリスト教はバクティヨーガ的であり、仏教はギャーナ
ヨーガ的ですが、すべての宗教は神への愛という帰依心がベースだと感
じます。

百歩譲って、我々が罪人としても、それは行為や思いの話であって、本
質の話ではありません。本質としては、キリスト教でも人は「神の子」
であり、そうであるならば、罪人というような言い方はいかがなものかと
思うのですが、、、。

では塾生諸君、ごきげんよう!

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  塾長: マーヤ大先生
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  発行周期: 毎週 土曜日
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