2009/01/26
ガンジー村通信vol. 339-2
■■■ □□□ ■■■ □□□ ■■■ □□□ ■■■ □□□ ■■■ 〜 自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレーマラソン 〜 2004年1月26日以来、本日で1828日目 ≪ ガンジー村通信 2009/1/26 vol. 339-2 ≫ 本誌HP http://www.h2.dion.ne.jp/~hansuto/ ■■■ □□□ ■■■ □□□ ■■■ □□□ ■■■ □□□ ■■■ ◇======================◇ I N D E X ◇======================◇ 【4】5周年を迎えて ・・・相良和彦 【5】ハンストリレーを続けて ・・・どんぐり 【6】「対話」の大切さ ・・・安平淑子 【7】ガンジー村の「反逆児」 ・・・藤森治子 【8】ハンスト日記 ・・・参加者 ********************************************************************** 【4】5周年を迎えて 相良和彦(福岡・北九州市) ********************************************************************** 新宿の喫茶店で仲間が集まって、水の乾杯でスタートしたと言うガンジーの 会のハンスト・リレーは、イラク派遣の陸・空自衛隊がようやく撤退し、所期 の目的を見事達成して5周年を迎えた。 私にハンスト.リレーを教えてくれたのは、ある日の新聞である。2004 年12月15日の朝日新聞夕刊に『延べ750人が継続中、イラク派遣反対「 断食」リレー』の見出しの下、<日本が世界に誇る平和憲法が否定されてしま う。自衛隊の海外派遣は認めない。その為に断食をリレー方式で粘り強く行う。 これに賛同する人は誰でも自宅や仕事場で自由に参加出来る> と言う内容の 記事であった。 私は手術後の身で近所の散歩以外は外出を控えていたが、抗議活動が自宅で も自由に参加出来ると言う点に強く引き付けられた。幸い家に息子が置いて行 ったパソコンがあるので、その扱い方もよく分からないまま、オッカナ・ビッ クリで「ハンストに参加」をメールしてみた。ところが早速ガンジーの会代表 の末延さんから直々ご丁重な歓迎のメールを頂き痛く恐縮した。又同じ金曜日 担当の高橋さんからも「今まで一人で淋しかったが、これから二人になるので 心強い」とのメッセージを頂き、それ以来ずっと2人3脚を続け、色んな事も 教わった。 私はわたしの4年間ハンスト生活の中で、マスコミの不確かな報道などで喜 怒哀楽を繰り返し、時には気の滅入りそうな時もあったが、何時も末延さんと 藤森さんのご指導宜しきを得て、今日まで無事に継続する事が出来た。これか らもハンストは続けようと思っている。 ハンスト・リレーに参加していて一つだけ気になっていた事は、編成人員の 絶対数が少ない為に、一人で週に2度も3度も受け持たれたり、又伴走者も交 代員も無く一人で頑張ってこられた方もおられた。こんなギリギリ、いやギリ ギリ以上の厳しい状態で、よくも5年間、使命感とチームワークで必死に頑張 ってこられたものだと皆さんに対し、深く敬意を表します。 イラクへの参戦、自衛隊の派遣、インド洋給油などは皆、政府が国民の声を 聞かずに憲法を破って勝手に決めてきたことである。そのような場合日本の国 民は「お上が決めたことだから仕方が無い」“仕方が無い症候群”ですぐに諦 めてしまう。この時に黙っていれば、政府は国民がしぶしぶでも了解してくれ たものと勘違いする。 イスラエルの虐殺事変では、世界中の地で各国の人民たちが人道の問題とし て抗議行動を広げている。 ただ今の日本では、ソマリヤの海賊、アフガンの派遣問題、憲法改悪、改悪 が面倒なら解釈で憲法を如何に誤魔化すか等々、政府与党は国民に隠れてコソ コソと蠢いている。 日本の国民は今こそ腕組みの手を解いて、巨悪に向って抗議の声を挙げよう。 デモに参加しよう。そしてハンガー・ストライキに参加しよう! ********************************************************************** 【5】ハンストリレーを続けて どんぐり(北海道・帯広) ********************************************************************** 人間というのはつくづく習慣に縛られやすい存在だと思う。「食事は規則的 に摂る」、「朝飯を抜くなんてもっての他」というのが食事のスタイルだった 私は、年に1回の定期検診での「前日の夜8時以降飲食禁止」というのが結構 骨身にこたえる、ただの食い意地の張った酒飲みだった(もっとも酒飲みなの は今でもかわらないが・・・)。そんな私が週に1回とはいえハンストを続け ることができたとは自分でも不思議な気がする。 掲示板をさかのぼってみると、2005年3月17日が最初のハンスト。1 年と少し遅れての参加だった。地元の北海道新聞に掲載された末延代表の記事 を読んでのことだ。デモや集会など従来型の運動に限界を感じながら、ともか く何かしなければという逼迫した気持ちだった私にとって、インターネットを 通じて簡単に参加できるハンストリレーは新鮮だった。またその頃、地球村代 表の高木善之氏の講演を聴く機会があった。第3世界への支援活動の中で飢え のため死んでいく人々に接した経験から、豊かな日本にあっても1日1食を実 践しておられる姿に感銘を受けていた。高木氏のようにはいかないまでも、週 に1回なら自分にもできるかもしれない。しかしながら完遂できる自信など全 くなかったので、いきなり参加という訳には行かず、2回予行演習を重ねてよ うやく参加に至ったという訳である。 一度経験してしまうと、1日のハンストはそれほど難しいことではない、と いうのが実感だった。むろんつらくなかったと言えば嘘になる。最初のころは 1週間のたつのがとても早く感じられ、もうまたハンストをせねばならぬかと なんともやりきれない気分になったりした。また失敗も多かった。ついうっか り食物を口に入れてしまうポカミスも何度かやってしまった。しかし回を重ね るうちに、この新たな習慣はすっかり体になじんでしまった。 ハンストを続けて来て考えることと言えば、私のように特に政治的意識が高 いわけでもなく、強固な意志を持つわけでもない普通の人間でも続けることが できる運動であるのに、思うような広がりがみられなかったことが何故なのか ということだ。新聞記事で知ったとき、1日1日何十人もの人々がハンストリ レーに参加していると想像した。自分のように考えている人は少なくないはず だと思ったからだ。だが実際に参加してみると、リレーは多い日でも3〜4人 の参加で細々と続けられているにすぎなかった。大きな広がりがあることが、 このような形態の運動には不可欠な条件であろうし、考えていかなければなら ないことだと思う。 ともあれ5年という短くはない時間の中で、一つのモデルは作られた。私個 人としても、自分の体を通して異議を表明し、見せかけの豊かな社会に流され ない部分を自分の中に持つことができたと考えている。この運動に少しばかり ではあるが関わらせていただき、本当によかったと思っている。末延代表をは じめ、世話人会の皆様方には感謝申し上げるとともに、その労を心よりねぎら いたいと思う。 ********************************************************************** 【6】「対話」の大切さ 安平淑子(長野) ********************************************************************** 5年余にわたって、活動を続けられたリレー・ハンストが、一区切りをつけ られると聞いて、感無量の思いに浸っている。長きに渡って、わが身を削って のハンストを留まることなくリレーしてこられた方々へ敬意を払うとともに、 「本当にご苦労うさまでした」といいたい。 それに比べて、私は、運動の途中から、その意義に魅了されて、参加させて いただいたが、途中で体調が振るわずやむなくリタイヤーせざるを得なかった ことを今も悔しく思っている。 しかし、3年あまりの活動で得たことは多かったと思っている。ガンジーの 会発起の精神、リレーハンストにかける願い、同じ思いを持った方々とのホー ムページをつうじての交流、自分自身への啓蒙など、学ばせていただいたこと は、本当に多い。 特に取り上げるほどのことではないが、日常の友人知人との会話や、テレビ 新聞のニュースなどの見方が変わってきたように思える。そして躊躇せずに自 分の思いを言葉にすることができるようになったこともあげられる。 暮れに、ちょっとした集いがあって、飲みながら、会話が弾んだ。50歳を 少し過ぎた働き盛りの男性たちである。憲法の話になった。「もし敵が攻めて きたら、どうする。」と問うてくる。 私は、「勿論戦わないで、逃げるわ。その前に、その敵と話し合って、攻撃 やめてよ。戦争したってなんの得にもならない。問題を話し合いで解決しよう と対話を申し込んでね。」 先日テレビを見ていて、同じような場面に直面した。一人の女性が「逃げる に決まっているわよ。」と答えていた。 昨年の秋、テレビで「東京大空襲」の番組を見た。事実を基にしたドラマで はあるが、戦争が惨たらしく、非人道的殺戮そのものであることを映像で見せ 付けるものであった。 私自身の満州での抑留生活、原爆の被害など凄惨な戦争被害を十二分に知っ ていると思っていたが、東京大空襲の映像は強烈だった。ピンポイントで人が 人を狙って撃ち殺す。それも無防備の民間人を空から武装した軍人が。其の時、 撃ち殺す側には、其の対象が命ある人間と見えていたのだろうか、ただの虫け らにしか見えていなかったのではなかろうか。それが戦争というものであると。 イスラエル軍によるガザ地区の攻撃がテレビの画面を埋めている。「ガザに は、生と死の境が無かった。なぜイスラエルは無差別に攻撃をつづけ、市民を 殺したのか、わたしにはどうしてもわからない。」叫んでいる若者の声が残る。 この声がイスラエルに届かないのだろうか。せめて声を聞く、対話する状態で あったならと思う。対話とは少なくとも人間と人間の関係が維持された状態で ある。子供たちが喧嘩をして、殴り合いになったとき、親や大人は、「謝やま りなさい、そしてなぜ喧嘩になったのか、原因を取り除くよう、よく話し合い なさい」と諭す。決して相手を殴り返してきなさいとはいわない。同じことが 大人ではなぜ出来ないのだろうか。 非暴力の強みは、いつまでも人間であることを捨てないところにあると思う。 多くの生き物の中で、人間だけが勝ち得たこのコミュニケーションの手段対話 を最大限に利用しない手はない。折しも、オバマ新大統領も敵方とも対話する 姿勢が基本にあるといっている。わずかでもここに期待したい。 ********************************************************************** 【7】ガンジー村の「反逆児」 藤森治子(長野) ********************************************************************** 2004年1月26日から2009年1月26日まで、ハンスト・リレーの 続いたこの5年間は、後になってどのような年月であったと書かれることにな るでしょうか。ごく普通の人間がハンストをもって立ち上がらなければならな いほどの危機のピークで、以後、世界は、日本は、九条の精神に徐々に近づい ていくことになった、と書かれることになるのか、それとも、この5年間は破 滅に向かう終りの始まりであった、と書かれることになるのか、後の歴史に委 ねるより他はありません。希望の兆しはありますが、同じくらい悲観的な要素 もあり、私たちの未来は不透明です。ともかく、週に1〜2回24時間のハン ストを引き継ぎ、引き渡しながら、パソコンの前に座り、インターネットで情 報を集め、発信し続けた5年間でした。パソコンの前のお気に入りのリバティ ーのプリントの座布団地がぼろぼろに破れてしまうほどの年月ではありました。 2002年アフガン戦争の是非をめぐって生徒のディベートを指導したのを 最後に、私は38年に渡る教職を去りました。しばらく「命の洗濯」をしにイ ギリスに滞在しているうちに、今度はイラクがきな臭くなってきたのです。ハ イドパークでは連日集会やデモがあり、そのうち「ヒースロー空港も封鎖か」 という情報も入ってきたので帰国したのが2003年2月のことでした。3月 アメリカはイラクを侵略し始めました。 あのベトナム戦争の経緯を見てきた世代ですから、まさかアメリカが再びあ のような愚かな戦争をするとは思えませんでした。今日まで、イラクで展開さ れてきた戦闘と混乱状態は、開戦前からすべて予想されていたことばかりです。 気が狂ったとしか思えないアメリカのイラク攻撃の意味を知りたいと、連日、 各種の本を読み漁りました。春の大掃除で整理したら、そんな類の本が20冊 近く出てきました。なかでも、エマニュエル・トッドの『帝国以後』がアメリ カの過去と未来を考える上で最も納得のいくものでした。今、E.トッドの予言 通りに、時代は進みつつありますが・・・・・。 ところが、やがて、ついに日本の自衛隊がイラクに派遣されるとあって、我 慢もこれまでと思いました。幼年時に戦争の気配に脅え、「戦争はこりごり」 と思って、戦後を生きてきたのに、その根っこである憲法九条が蔑ろにされる ことは、私自身の人生を否定されるような思いでした。何かをしなければ、と 思いつつ、何をしてよいかわかりません。そのときインターネットで出合った のが、自衛隊のイラク派兵反対ハンスト・リレー・マラソンを掲げた「ガンジ ーの会」でした。私は自分自身のこれまで生きてきた道筋を、この時代から救 いたかったのかもしれません。 最初のハンストは、「ガンジーの会」スタート1週間後の2004年2月1 日でした。初めてのハンストは、それが完遂できるかどうかという不安と緊張 感とともに、厳粛な気持ちで始まりました。小雪の舞う寒い日でした。そんな 中で、同日一緒にハンストをしていた埼玉の高橋如安さんと千葉のベテスダ柏 さんが「頑張りましょう!」というエールのメールを送ってくれました。これ が、心細く独りでハンストに加わったものにとっては、何よりの激励でした。 そして、不安定なインターネットの世界にも信頼が築けるかもしれないと思え た最初のときでもありました。2〜3回目から24時間のハンストはそれほど 苦痛なくできるようになってきました。掲示板には多くの人が出たり入ったり し、今からは考えられないほど活発で率直なおしゃべりで盛り上がっておりま した。そのころ活躍したTuttiさんや柴田さんは今どうされているでしょうか。 5年間ハンスト・リレーに関わってきましたが、最初の1年間に「やめよう」 と思ったことが2度ありました。この頃、「ガンジーの会」はインターネット の遥かかなたにあり、私は週1回片手間にハンストをする一般参加者に過ぎま せんでした。ところが、この年(2004年)7月参議院選挙があり、無党派 ・無宗派を掲げている「ガンジーの会」の掲示板が発起人たちを始めとし、民 主党支持の書き込みで満ち溢れるようになったのです。民主党支持一辺倒のな かで、民主党の安全保障政策の危ない側面を指摘し、「無党派なのではないの ?」と異議申し立てをしたのは、名古屋のMaedaさんと私でした。「うん?ちょ っと違うんじゃないか?民主党を支持するためにハンストをしているのではな くて、九条を守り、自衛隊の海外派兵に反対するためにハンストに参加してい るのですが・・・・」 やめる覚悟で、そういう疑問を掲示板に投げかけたのですから、「ガンジー 村」は大騒ぎになってしまいました。いわば「ガンジー村」に爆弾を投げ込ん だようなものでした。その当時のことをご存知なのは、末延代表、高橋如安さ ん、山川トモコさんぐらいになってしまいました。ただ、そのとき、発起人の 方々は真摯に問題を考え、共に悩み、軌道修正し、やめるという私を説得して くれたのでした。その言葉の端々に誠意と熱意を感じ、もう少しインターネッ トの世界を信じてみようと思ったのでした。しかし、今思えば、この「事件」 が、5年間という長きに渡って「ガンジーの会」に深く関わるきっかけになっ たのでした。 その夏「世話人になってもらえないか」という要請を受け、異議申し立てを したものは、自分でその後始末をしなければならないという思いから、さんざ ん迷った末にお引き受けし、初めて発起人の方々と東京でお会いしました。異 議のなかに、地方の一般参加者の意向をどうハンストの運動に反映させていく のかということもあったからでした。情熱と意気は溢れるほどあるけれども、 世間知らずで、展望や計画性に欠け、事務能力にもやや問題ありと思える芸術 家タイプの発起人たちと「あなた任せ」で依存性の高いの地方参加者をつなぐ 役割ができればという思いもありました。 インターネットの向こうの「ガンジーの会」はとても大きく見えましたが、 何度か世話人会に出席して内情を知るにつれ、非常に脆いいわば「同好会」的 な要素が強く、一つの市民の平和運動として組織的に運営していくためには、 幾つかの弱点があると思いました。それでもその時は、既成の労働組合や平和 団体の限界を超える何ものかが、そのようなリベラルで緩やかなグループの中 から生まれるかもしれないという期待感があったのです。しかし、実際の「ガ ンジーの会」は実務に当たれる人数が少なく、ほとんど「零細家内業」といっ てよいことが間もなくわかりました。とんでもないところに参加してしまった かもしれない、という思いが頭をかすめたものでした。 秋頃からハンストの参加者が減り、組織的にもう少し参加者を増やしていか なければという思いから、それを提言したのですが、この辺がまた一論争にな りました。この件に関しては、末延代表と熾烈なメール・バトルを繰り返した ものです。2度目にやめたいと思ったのはこのときでした。「拡大」より「持 続」に意味があるという論理は、直ちには納得できないものがありましたが、 現実問題として、マスコミやインターネットを通じて広く知らせても、なかな か浸透していかず、参加しても短期間で止めていく人がほとんどでした。ハン ストという政治的抗議行動の激しさと特殊性を思い知らされたのでした。 当初、政治情勢もありましたが、自衛隊のイラク派兵反対のために、24時 間のハンスト・リレーは、インターネットを通じて「燎原の火」のように日本 中に広まっていくかに思えましたが、イラク派兵が常態化してしまうと、反対 運動は沈静化していきました。こうなれば、ゼロより持続させていく方がまし と腹を決めたのもこの頃です。どのようにしたら多くの人に参加してもらえる かという課題は、どのような組織でも大きな問題であり、この5年間考え続け てきたことでしたが、今だ「正解」は見出せないままです。 世話人になるまで、私は週1回ハンストをしながら創刊間もない「ガンジー 村通信」を読んでいる普通の読者でした。当時は週3回も発行しており、これ は並大抵なことではないなと思われましたが、それは誰かその道のプロがやる ものと思っておりました。私は、「誰か」が作ってくれるものを「読む人」で した。私にとって「ガンジー村通信」も遥か遠くにありました。 それが夏以降、末延代表のかなり強力な要請で、コラム「父たちのいなかっ た戦後」を連載するにわか書き手になっていました。原稿用紙で10枚ほどの コラムを、週1回書き続けるということは、素人にとってはかなりハードな日 々でした。素材を求めて、沖縄や広島まで出かけたりもしました。「ガンジー 村通信」は、私を包囲し、身動きできない状態にしました。ケーキを焼くこと も忘れてパソコンに向かう日々となりました。いま月に1回コラムを書き、毎 号編集後記という駄文を平気で書いているのも、このスタート時で、末延さん や香取さんが、反逆児で素人の私を対等に扱って下さり、何かと助言して背中 を押して下さったおかげと感謝しております。 更に驚くべきことに、1周年を迎えた頃、最初にホームページを立ち上げ、 「ガンジー村通信」を編集・発行されていた功労者山下美樹さんが仕事の都合 でそれが出来なくなり、窮状をみかねて、「ガンジー村通信」の編集・発行を お引き受けすることになりました。「ガンジーの会」それ自体が小さく、更に その中で自由に動けるメンバーが少ないわけですから、勢い機械音痴の田舎の 小母さんも白髪頭をふりたて、白内障で霞んだ目で、パソコンに向かい、一役 果たさざるを得ない気持ちになったのです。車がなぜ動くかわからなくて運転 するように、パソコンについてほとんど無知な私が、週2回(2006年6月 より週1回)の「ガンジー村通信」を編集し、配信手続きをするという自分で も信じがたいことをするようになっていました。「ガンジー村通信」は、つい に私のなかに居座るようになってしまいました。 38年にわたる「宮仕え」を終えて、「ヤレヤレ、これでやっと自由になれ る」と思い、未来は幸福に輝いているように思えました。しかし、私は、イラ ク戦争というきな臭いにおいのなかで、悠々自適などしているときではないぞ と思い、あとの人生は、これを食い止めるために使ってもいいとさえ思ったの でした。そのために出来ることは何でもしようとも思いました。今までにない ほどの危険な時代を直感したのでした。身のほど知らずにも書くことを引き受 け、編集作業まで背負ってしまった私を根底で支えているのは、この思いです。 夜、送られてくる原稿を待ちながらパソコンに向かって「ガンジー村通信」 を編集している時、ヴォランティアとして、忙しい時間を割いて、睡眠を削っ て、ぎりぎりまで原稿を書いているレギュラー・コラムニストたちの姿がパソ コンの向こうに見えてくるような気がしました。香取俊介さん、箱石桂子さん、 横山紘一さん、藤崎康さん、などなど本当にお世話になりました。そうして送 られてきた原稿を編集し、発信するのは、我が子をインターネットという荒海 に送り出す母親のような気持ちでした。自信をもって送り出せる時もあれば、 不安とともに送り出す時もあります。幾つかのサイトから転載を求められるよ うな評判の号もあれば、空振りになることもありました。 以来5年間、339号を数え、読者数は常時250人前後で増えませんでし たが、優れた読者に恵まれ、その中で多くの人たちとのインターネット上の交 流もありました。長い論文を書いて下さった町田市のSophiaさん、若々しいお 便りを下さった奈良の乾言子さん、共感を持って投稿下さった青英権さん、熱 心に読み続けて下さった伊豆利彦さん、市民意見広告の乾喜美子さん、山登り と音楽を愛される小屋番さん、ガザの悲劇を伝えてくださった浜口かつみさん、 その他大勢お便りを寄せて下さり、励まし時には叱って下さった皆さまにお礼 を申し上げます。 1周年記念に発行した小冊子によれば、メールマガジン「ガンジー村通信」 発行の意義は「一つは、インターネットを介してハンスト運動を続け、発展さ せていく上で、政治的な抗議運動としてのハンストの思想的根拠、あるいは基 盤をより一層強化し、深めること。もう一つは、Face To Face のレヴェル で、顔も声も、生きてきたバックグラウンドも考え方も知ることができないも の同士が、ネットを介してハンストという一点でつながっていく上で、お互い がどこまで信頼しあえるか、書くことを通して確かめたかったということ。そ して最後が、メール・マガジンの発行を通して、私たちの運動の存在をより広 く認知してもらい、ハンスト参加者の増加を図ること。」とあります。 その目的が実現できたでしょうか。少なくとも2つの目的は、毎号の「ハン スト日記」におけるハンスト参加者の記述がそれを証明しているように思いま す。コラムもお知らせもみんな大事だけれども、日々この運動を記録してきた 「ハンスト日記」こそが、「ガンジー村通信」の核であり、リレー・ハンスト の軌跡が辿れるものです。ユーモラスな記述の中でいつも挫けそうになる私た ちを励まして下さった相良和彦さん、行動を伴ったハンストから鋭い文章を書 かれる燿山さん、北海道から、時には出身の水俣から、送ってこられたどんぐ りさん、律儀に日常を記された山川さん、登場すればほっとした気持ちにさせ てくれる高橋如安さん、その他書ききれないほど過去に参加してくださった皆 さま、本当に有難うございました。 ハンストに参加された皆さま、「ガンジー村通信」を読んで下さった皆さま、 本当に、本当に有難うございました。そして、お疲れさまでした。 さて、「ガンジー村」はこれからも存続し続け、「9の日・9条・ハンスト ・イン」と自由参加のハンストを続けていくはずです。そしてガンジー村の「 反逆児」も健在で、発行回数は減りますが、「ガンジー村通信」のあり方を模 索していくことになると思います。 ********************************************************************** 【8】ハンスト日記 〜参加・終了報告などから〜 参加者 ********************************************************************** ☆____________________________________ | | |先週のリレー・ハンスト参加者(原則として正午から翌正午の24時間)| | | |1月18日(日) 燿山(岡山) | | 19日(月) 藤森(長野) | | 20日(火) 末延(京都) 山川(兵庫) | | 21日(水) 藤森(長野) | | 22日(木) どんぐり(北海道・帯広) 燿山(岡山) | | 23日(金) 相良(北九州市) 如安(埼玉) | | 24日(土) 末延(京都) | | 25日(日) 燿山(岡山) | | 26日(月) 5周年記念一斉ハンスト | |__________________________________________________________________| ◆ガザからの映像 〜 耐えられない子どもの眼差し 燿山(岡山) 1月18日正午、末延さんを受けてハンストに入ります。 ガザからの映像が入ってきました。注視するにはしのびない写真ばかりです。 特に子どもの眼差しには耐えられません。 http://www.elfarra.org/gallery/gaza.htm ガザの現実は限りない悲しさと戦争悪への怒りです。この感情の叫びを彼らの 叫びに重ね合わせます。戦争という人間の愚かな仕業とその結果を一人でも多 くの人に知らせます。 広島では、16日夜、原爆ドーム前でイスラエルのガザ攻撃に抗議するキャン ドルメッセージがおこなわれ、200人の市民が参加しました。 広島宗教者九条の和からもカラーキャンドル持参で参加しました。 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200901170003.html 死者:1133人 うち 子供:346 女性:100 負傷者:5200 重傷:500 ◆ガザへの攻撃、これが「人道的攻撃」? 藤森治子(長野) 1月19日(月)正午から、燿山さんを引き継いでハンストに参加中です。 燿山さんから教えていただいた映像見ました。HomePageに入れておきましたの で、クリックして見て下さい。これがイスラエルの言う「人道的攻撃」なので しょうか。写真を見れば一目でわかります。「人道的攻撃」などというものは ありえないのです。ガザは、毎日埋葬が続き、もう墓場には遺体を埋葬する場 所もないとのこと。 昨日燿山さんが書かれたときより更に犠牲者は増えました。子どもの犠牲者が 多いのには胸が痛みます。 死者 1300人(うち子ども410人) 負傷者 5300人 今日現在イスラエルもハマスも「一方的に停戦」ということですが、まず空爆 や砲弾が止まって、市民を傷つけないことを喜びたいと思いますが、イスラエ ル軍の撤退、ガザの封鎖解除がなければ、この停戦も危ういものではないかと 思います。 それにしても、このようなガザの実態をマスコミはイスラエル側にいてしか報 道できないのですね。停電の中、自家発電で、空爆の中を命がけで、これらの 映像や文章をインターネットで送ってくれたガザの人たちがいなければ、私た ちは真実を知ることができなかったのです。 ガザの悲劇 http://www.elfarra.org/gallery/gaza.htm 1月20日(火)正午、山川さん、末延さんに引き継いでハンスト終了しまし た。 イスラエルの新聞ハーレツが、以下のようにガザへの攻撃について伝えていま す。イスラエルの新聞でこのような記事が書かれていると知って、どこにも人 間の良心はいると、ほっとします。 「ガザ地区への攻撃により、国際世論に対するイスラエルのイメージが損なわ れ、面目が失われた。・・・ガザでの軍事行動は、ハマスに圧力を加えること ができても、イスラエルを破滅に追い込むものである。・・・人口密集都市へ の攻撃は完全な誤りである。国連のバン事務総長がエルサレムを訪問していた ときに、ガザにある国連関連施設を攻撃したのは、狂気の沙汰である。・・・ 破壊と虐殺の映像が洪水のように世界中に流出し、近い将来、ガザ攻撃の悲劇 の深刻さが明らかになるだろう。そしてその後、イスラエルの政府高官らはガ ザ攻撃の代償を支払うことになる。」 ◆5年という月日は長かったです! 山川トモコ(兵庫) 1月20日(火)正午〜 参加しています。 レギュラー参加としての最後の日が、オバマ新大統領の就任日なのが不思議な 気がしています。 私は、5年前の2月の途中からの参加でしたので、主催者の皆さんよりは遅れ ての参加でしたが、それでも、よくもまあがんばれたものと、自分で感じてい ます。5年という月日は長かったです。それなのに、世界は依然として不安定 なのに不満を感じます。 今後は、月一回9の日のハンストを持続させようかと考え中です。 1月21日(水) 正午過ぎに終了しました。 昨夜は、オバマ大統領の演説を聴きたく、深夜の2時半まで起きていました。 空腹感がピークになる中で、冷静沈着でしかも詩心に溢れた言葉の数々とハー ドパワーではなく具体的名ソフトパワーによるアメリカの再起への並みではな い新大統領の決意を感じました。大変な苦労にはなると思います。でも、今後 アメリカは、良い方向に変わっていくに違いないという希望を抱きたいです。 ◆オバマ氏を選んだアメリカ市民に対して敬意を払いつつ 末延芳晴(京都) 報告が遅れましたが、1月20日(火)正午、藤森さんから引継ぎ参加、山川 さんに最後の伴走をつとめています。 1月21日(水)正午、史上初の黒人大統領就任を祝福し、オバマ氏を大統領 に選んだアメリカ市民に対して敬意を払いつつ、24時間のハンストを終了、 藤森さんに引き継ぎました。 ◆ソマリア沖への自衛艦派遣について 藤森治子(長野) 1月21日(水)正午、山川さん、末延さんを引き継いで、「イラク派兵反対 ハンスト・リレー・マラソン」の最後の単独ハンストをしています。 26日(月)正午からの5周年記念一斉ハンストにも参加します。 1月22日(木)午後1時、どんぐりさん、燿山さんに引き継いで、最後のレ ギュラー・ハンスト終了しました。 イラク派兵が終わってやれやれと思ったのもつかの間、どうやらまた自衛隊に 赤ランプがつきそうです。国民にも知らせず、国会でも何も論議しないまま、 政府自・公与党はソマリア沖に海賊対策で海上自衛艦を派遣するもようです。 「海上警備行動」といっていますが、詳細な行動の内容は明らかにしないまま 麻生首相の命令で派遣するとのこと。 それを追認するかのように、自公与党はプロジェクト・チームを作ってまた派 遣のための新法をつくるようです。民主党も対案を作っているという情報もあ ります。九条改憲が難しいので、自衛隊の海外派遣をなし崩しにしていこうと いう意図が窺われます。 5年前「何でイラクへ?」と思ったように、ソマリア沖は遥かに遠く、自衛隊 はそんなところへ派遣するためにあるわけではないはずです。これは明らかに イラク以上に憲法違反な行動です。 ソマリアについて少し調べてみましたので、URLを紹介します。ここはなかなか 難しい土地で、「第2のイラク・アフガン」になりかねない要素をもっている と思います。 ★マスコミに載らない海外記事 「限りなき残虐行為ーソマリアをグローバルな自由発砲地帯にするのが アメリカの狙い」(2008/12/11) http://eigokiji.justblog.jp/blog/2009/01/--7bf1.html ★ソマリアの和平を壊す米軍の「戦場探し」(2001年12月24日 田中 宇) http://tanakanews.com/b1224somalia.htm ★神浦元彰:ソマリア沖海賊 米海軍、海賊逮捕命令へ武器押収 ・解放から方針転換(2009/1/17) http://www.kamiura.com/new.html ◆重圧から解かれたような感じ どんぐり(北海道・帯広) 1月23日(金)12時40分、最後のハンストリレーを終わりました。 何か重圧から解かれたような感じです。駅伝走者のように、自分一人の都合で 棄権できない緊張感があったんでしょうね。この背景がなくなってしまったら 続けていけるかどうか、少し心配になってしまいました。 ともかく、ハンストリレーに参加された皆様。ご苦労様でした。 ◆この理念のハンストリレーを続けたいですね 燿山(岡山) 1月23日(金)正午、定例断食終了。相良さん、如安さんへ引き継ぎます。 末延さんへ 折角ですから、この理念のハンストリレーを続けたいですね。ただ負担になら ぬよう、また個人で責任を持って継続できるよう、ハンスト内容を1食を断つ か全食を断つか個人の力量と都合に合わせて、リレーを続けたら如何でしょう か。この条件なら私たちの方で4人は担当できます。 平和崩壊の原因は貧困にあるということですから、日頃から空腹の連帯を身に おいて体験したいと私は望んでいます。 いよいよ9条の命が危うくなったら、いざ鎌倉で再び完全断食に戻ればよいの ではないかと考えますが、如何でしょうか。 ◆26日は一時お別れ遠足 相良和彦(福岡・北九州市) 1月24日(土)正午、ハンスト終了し末延さんに引き継ぎました。 明後26日(月)は、ハンスト・リレー全員参加の一時お別れ遠足です。 楽しみにしています。 ◆5年間の断食行を振り返りつつ 末延芳晴(京都) 1月24日(土)正午、相良さんと如安さんから引継ぎ、ハンスト・リレー最 後のハンストに参加しています。 今日の京都は、この冬一番の寒さ。しびれるような寒さのなか、5年間の断食 行を振り返りつつ、最後の行を勤め上げたく思います。 尚、明日の朝日新聞の関西版と京都新聞の社会面に、小生のインタビュー記事 が載ります。 1月25日(日)正午、ハンスト・リレー最後のハンストを終了、最終ランナ ー燿山さんに引き継ぎました。 ********************************************************************** 編 集 後 記 ********************************************************************** 「自衛隊のイラク派兵反対ハンスト・リレー・マラソン」の最後の日を迎え ることになりました。「ガンジー村通信」もとりあえず今日で一区切りになり ます。長い間ご愛読いただき有難うございました。 「自衛隊のイラク派兵反対ハンスト・リレー・マラソン」は終わりますが、 九条や自衛隊をめぐる情勢は変わったわけではありません。「ガンジーの会」 はこれからも存続し、自由参加のハンストや「9の日・9条・ハンスト・イン」 は継続し、それに伴って「ガンジー村通信」も月1回程度の発行をしてゆく予 定でおります。少し間遠の発行となりますが、今後ともお読みいただきますよ うにお願い申し上げます。今のところ次号の予告はできませんが、だいたい月 初めと思っております。 毎週毎週の締め切りに追われ、切羽詰って書いてきた編集後記でしたが、当 初ののんびりした調子が、政治情勢とともに悲鳴にも似た絶叫に近くなり、随 分お見苦しいところもあったのではないかと思います。最後にあたって、その ような文章を許容して頂けたことを深く感謝申し上げます。 =================================================================== 【発 行】 ガンジー村通信 編集部 【発 行 人】 末延芳晴 【編 集】 藤森治子 ◆◇◆ お願い ◆◇◆ 1.本メールマガジンやHP「自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレー・マラ ソン」に関するご意見・ご感想をお聞かせ下さい。また、投稿も大歓迎で す。下のアドレスまでご寄稿ください。 v.gandhi@dia.janis.or.jp 2.「ガンジーの会」・メールマガジン「ガンジー村通信」の趣旨を理解し、 この運動を応援してくださる方は、ご友人・知人へのご紹介をお願い致し ます。 本メ−ルマガジンは、下記のHP「自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレ ー・マラソン」のトップページから申し込むことができます。(メルマガ 配信停止も同URLにて手続きができます。) http://www.h2.dion.ne.jp/~hansuto/ 注)このメルマガは固定ピッチフォントでの閲覧を想定してます。フォント設 定を「MS ゴシック」等としていただければきれいにご覧いただけます


