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2009/01/26

ガンジー村通信 vol. 339-1

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     〜 自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレーマラソン 〜

                  2004年1月26日以来、本日で1828日目


          ≪ ガンジー村通信  2009/1/26  vol. 339-1  ≫


本誌HP http://www.h2.dion.ne.jp/~hansuto/
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                I N D E X
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    【1】「自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレー・マラソン」

            〜5年間の活動報告〜      ・・・「ガンジーの会」世話人会

    【2】失われた共同性を求めて                       ・・・末延芳晴

     【3】ガンジーの会について             ・・・香取俊介



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【1】「自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレー・マラソン」5年間の活動報告

                                          「ガンジーの会」世話人会

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■ 5年間の活動を振り返って

 「ガンジーの会」の主宰するハンスト・リレー・マラソンが、1月26日で
5周年を迎えることになりました。

 まる5年間、月数にして60カ月、総日数にして1828日間。1941年
12月8日、真珠湾攻撃で始まり45年8月15日に終った太平洋戦争より、
さらに1年と3ヶ月も長く、ハンスト・リレーは続いてきたわけです。

 陸上自衛隊にイラクへの派兵命令が下されたその日から、陸・空自衛隊の撤
収完了まで・・・・つまり最初から最後まで毎日、断食という具体的な行為に
よって、市民の「不承認」の意志を表明し続けた市民の運動は他にはないはず
で、その意味でも、1828日間、4万3872時間のハンスト・リレーとい
うのは史上最長記録といっていいでしょう。

 何事も諦めやすく、忘れやすいといわれる日本人の中にあって、ここまで粘
り強くリレーを続けることができたのは、ひとえに参加者一人ひとりの強い意
志の力によるものであり、同時にまた、平和を求め、憲法第九条を日本ために
だけでなく、世界の未来の平和のためにも守り抜かなければならないという、
広範な市民の強い願望と危機意識によるものといえましょう。

 5年前の2004年1月26日、私たち、文学評論や劇作やオペラ演出、作
曲、ピアニスト、写真など芸術的表現行為にかかわる仲間が集まって、自衛隊
のイラク派兵に反対するために、リレー式のハンスト・マラソンを立ち上げた
とき、ここまで続くとは誰も予想もしませんでした。参加者が減り、途中でリ
レーが途絶えそうになったことも何度かありました。ネット右翼からの猛烈な
バッシングにさらされたこともありました。そして、5年目に当たるこの一年
間は、九条を巡る危機的状況がとりあえず遠ざかったことを反映してか、参加
者の数は著しく減少、最終的には9人のレギュラー・メンバーが毎週1〜2回
参加することで、かろうじてリレーを続けてくることができました。

 この間、参加者の総数は、毎日行われているレギュラー・ハンスト・リレー
には延べ4,495人、毎月9日に行われる「9の日・9条・ハンスト・イン」
には1,295人が参加、トータルで5,790人となります。実際にはハンス
トに参加していながら、パソコンがないなど様々な事情で、「参加」・「終了」
報告を行ってない方が相当数あることを考えると、参加者総数は6,000人を
優に越えているはずです。

 さて、運動の質の面での変化について見てみると、5年間の紆余曲折を経て、
運動の主体は、発起人や世話人会のレベルを越えて、九条を守り抜こうという
意志とネットによってつながる市民の方々の方に移っていったということがで
きるでしょう。それはこの運動の最大の成果であり、私たちは率直にそのこと
を誇りにしたく思っております。

 ただ残念なことに、この運動が長く続けば続くほど、九条を守る私たちの戦
いが勝利していないことを逆に証明していたということも事実です。思えば、
この運動がスタートして以来、私たちは敗北を重ねてきました。自衛隊のイラ
ク派遣の再延長、防衛庁の「省」昇格、教育基本法の改悪、国民投票法案の成
立・・・・・小泉・安倍内閣と自民党が画策する憲法改正、九条の改悪・破棄
に向けて一つひとつ手が打たれ、私たち九条を守るための市民の戦いは、一方
的に守勢に立たされてしまっているように見えてきたからです。

 ところが、一昨年夏、そうした状勢を一気に逆転させる「革命」が起こりま
した。参議院選挙において自民党が歴史的大敗北を喫し、与野党の逆転が実現
した結果、安倍首相は辞任、イラク特措法の再延長は参議院で否決されて失効、
インド洋に派遣されていた自衛隊の補給艦が帰国してきことです。これは、日
本の市民が、これ以上憲法に違反する形で、自衛隊を海外に派遣し、戦争支援
させることを許してはならないという意志を、初めて選挙を通して表明したも
のであり、同時に小泉首相が自衛隊をイラクに派兵して以来、私たちが勝ち取
った最初の勝利でもあります。

 私たち日本人は、いまだかって一度も、市民自らの手で憲法を創り上げたこ
とはありません。そうした意味で、「九条の会」の活動や私たちのハンストを
含めて、今、日本全国で広がりつつある九条を「守る」ための市民の運動を、
単に受身的に「九条」を守るためだけの運動に限定してしまうことは許されま
せん。九条を「守る」ことは当たり前のこととし、その上で、「守る」レベル
を乗り越え、私たち自身の憲法として、さらには未来の人類共同体の憲法とし
て、九条を選び、鍛え上げ、広げていく戦いでもあることを胸に、はっきりと
銘記しておく必要があるといえるでしょう。

 そうした意味で、私たちにとって心強いのは、「九条の会」を中心として、
九条の問題を私たち自身の問題としてもう一度根底から考え直そうという動き
が、草の根のレベルで全国的に広がり、「九条文化」といったものがしっかり
と定着しつつあるように見えることです。

 どれほど辛く、長く、終わりの見えてこない戦いではあっても、この戦いを
戦い抜くことを通して、初めて九条は、私たち市民の憲法として選ばれ、鍛え
上げられていくのだということを、私たちはしっかりと胸に刻み込んだ上で、
様々な市民の生活のレベルで「九条文化」を広げ、深化させていく・・・・そ
こに九条の未来が、そして平和国家としての日本の未来がかかっているといえ
るでしょう。

 ただしかし、24時間のハンストはいえ、毎週1〜3回、4年も5年も継続
させることで、心身が受ける疲労とストレスは一方ならぬものがあります。特
に、ハンスト5年目に当たる昨年一年は、レギュラー・メンバーが9人に減り、
週2回の参加者を3人に増やし、辛うじてリレーをつないでいくという、綱渡
り的やり方で乗り切ってきただけに、メンバーの緊張と疲労は極限に達した観
があります。

 加えて、航空自衛隊がイラクから撤退したことで、「自衛隊のイラク派兵反
対」という運動の所期の目的が達成されたこともあり、ハンスト・リレーを5
周年に当たる1月26日を区切りに、ひとまず終結させることを、世話人会か
ら提案、レギュラーメンバー達の賛同を得たことで、以下のような方向でハン
スト・リレーを終結させるとが決まりました。

〔1〕「自衛隊イラク派兵反対」ハンスト・リレーは5周年に当たる2009
   年1月26日をもって最終日とし、それ以降は、自由参加とする。

〔2〕毎月9日の「9の日・9条・ハンスト・イン」はこれまでどおり継続す
   る。

〔3〕ホーム・ページも継続する。

〔4〕将来再びハンスト・リレーを立ち上げる必要な事態が生じた場合は、速
   やかに再開する。

〔5〕メールマガジン「ガンジー村通信」は、毎月1回程度の発行にする。


 ちなみに、会員及び支援者のためのコミュニケーションの広場として、ホー
ムページは、1月26日以降も存続しますので、希望者が自由参加の形で、ハ
ンストを続けていくことになると思います。リレーそのものは、いつか途絶え
るときが来るかもしれません。しかし、ホームページが開かれ、いつでも参加
できるという意味で、「ガンジーの会」の灯火は点され続けていくことになり
ます。そして又、将来再び九条が危機的状況に立たされるような事態が生じた
場合は、直ちにハンスト・リレーを再開させる所存です。「今が再開のときだ
!」という声が、現参加者や支援者の中から湧き上がってくることを期待して
おります。

 さらにまた、毎月9日の「9の日・9条・ハンスト・イン」はこれまでどお
り継続されることになります。一人でも多く、皆様の参加をお待ちしておりま
す。


■ 5年間の活動報告

 最初はおぼつかない足取りでスタートし、途中メンバーが減少し途絶えそう
になったり、ネット右翼の攻撃に晒され、ホーム・ページの閉鎖寸前まで追い
込まれたり、正に波乱万丈、紆余曲折、試行錯誤の連続で、一日たりともHPの
管理は欠かせず、「これで大丈夫!」と思えた日のなかった5年間ではあった
が、この間の活動を一年ごとに区切って大きく要約すると、以下のようになる。

  1年目−試行錯誤の一年
  2年目−持続に向けて運動定着の一年
  3年目−試練の一年
  4年目−深化の一年
  5年目−終結の年


〔1〕一年目−試行錯誤の一年

 5年前に、ハンスト・リレーがスタートした当初は、自衛隊のイラク派兵に
反対する国民世論が強かったせいもあり、参加者の数は急速に増え、運動の輪
は全国的に広がっていくかにみえた。しかし、現実はそう甘くなく、夏が近づ
く辺りから、世論の関心は急速に薄れ、ハンスト参加者の数も激減、一時は継
続が危ぶまれたこともあったが、一般市民の方々で、何人かの方が毎週一回レ
ギュラー・ベースで参加してくれたことで、何とか一年目を乗り切ることがで
きた。

 今から振り返ると、最初の一年間は、運動の方向性をどこに見定め、どのよ
うに展開して行けばよいのか、暗中模索の時期だったように思われる。しかし、
世話人だけでなく、各地から参加される市民の方々も含めて、何とかこの運動
を持続させ、広げていこうと懸命に努力した一年でもあった。


〔2〕二年目−持続に向けて運動定着の一年

 二年目は、運動の方向性を、「拡大」から「持続」に切り替えることで、ハ
ンストを続けることの意義について考えを深め、思想的基盤を固めることがで
きた時期であった。つまり、毎曜日のハンスト参加者がほぼレギュラー・メン
バーとして定着し、自衛隊のイラク派兵に最後まで「ノン!」の声を上げ貫こ
うという意志を全員が共有し、黙々と、堅忍不抜の意志でハンストを続けた一
年であった。

 運動の輪こそ、当初予想していたようには広がらなかったものの、このよう
に不動のリレー体制が確立され、二年にわたってハンストを続けてきたことに
より、自衛隊のイラク派兵は憲法違反である、憲法第九条は日本の国家理念と
して、そしてまた将来戦争のない世界を実現させるための「世界平和憲法」の
理念として、永久護持されなければならないという私たちの主張は、より強い
インパクトを持って外に向かって発信されるようになった。会誌メールマガジ
ン「ガンジー村通信」を通じて、参加者のみならず、多くの読者や他団体とそ
の考えを共有することができた。その結果、ハンスト・リレーという前例のな
い市民の「不承認」運動に対する一般市民の認知度とクレディビリティ(信頼
性)が高まり、ある種の驚きと畏敬の念をもって外から見られ、語られるよう
になった。


〔3〕三年目−試練の一年

 3年目に当たる一年間は、小泉前内閣とその後を継いだ安倍新内閣及び政府
与党が、いわゆる「郵政総選挙」で大勝を収めたことの余勢を駆って、憲法改
正問題を具体的な政治課題に乗せるべく、アグレッシブに攻勢をかけて来た年
であり、九条を巡る状況が最も深刻化した一年でもあった。その結果、陸上自
衛隊のイラクからの撤退、教育基本法の改正、防衛庁の「省」昇格、国民投票
法案の成立などなど、私たちを取り囲む政治的環境が大きく変化したため、組
織の在り方や運動の目的、思想的基盤などの面で、以下の5点に要約されるよ
うに、いくつか新しい対応と取り組み、あるいは軌道修正をすることとなった。

1−「九条の会」など「九条を守る」ための市民の抵抗運動と連帯していく意
  志をより明確に表明するため、毎月最初の9日を「9の日・9条・ハンス
  ト・イン」と定め、参加自由の24時間一斉ハンストをスタートさせた。
  第一回目の24時間一斉ハンストは2006年2月9日午前0時を期して
  行われ、これには、「九条の会」の発起人の一人、鶴見俊輔氏をはじめ3
  9人が参加、また「九条の会」の発起人の一人である小田実氏から励まし
  の言葉を頂いた。

2−「9の日・9条・ハンスト・イン」は、2009年1月現在すでに36回
  行われ、トータルで1295人が全国各地から参加しているが、参加者の
  数は、初回の39人から、最高54人、その後30〜40人前後と減って
  きてはいるものの、毎回参加するレギュラー・メンバーの意識レベルはき
  わめて高く、運動の質的向上には目を見張るものがあった。その結果、「
  九条の会」を筆頭に、九条を守るための多様な市民組織の中にあって、持
  続させることを目的に「ノン」の意志を半永久的に表明し続ける「不承認」
  の運動として、「ガンジーの会」の一斉ハンストは、高い認知と位置を確
  保したといっていい。

3−だが、この年の2月9日に第一回目の「9の日・9条・ハンスト・イン」
  をスタートさせたことで、私たちの運動は全く予期せぬ形で、存亡の危機
  に立たされることになった。すなわち、2月9日の午前零時、第一回目の
  「9の日」の一斉ハンストがスタートする前後から、会のホームページが、
  ネット右翼と思われる人たちから猛烈な非難、誹謗・中傷、揶揄嘲笑の攻
  撃を受け、ほとんどホームページを閉鎖せざるを得ない事態においこまれ
  てしまったのである。この緊急事態に対して、私たちは、それがどれほど
  乱暴で暴力的な言葉であれ、匿名や変名の仮面を被り、正体を隠すことで
  自らを安全圏に置いた上でなされる、一方的、かつ安易な断罪や嘲笑であ
  れ、言葉によって表現される以上、そこにはコミュニケートしたいという
  願望と意志が秘められているはずだという前提に立って、答えるべき質問
  や答えるに値する批判や非難に対して、あたう限り誠意をもって対応する
  ことを基本姿勢に、丁寧に回答し反論していった。また、聞くべき意見は
  聞き入れることで、攻撃者たちと心のコミュニケーションを図ることで、
  事態の収拾を試みた。その結果、混乱は次第に収まりを見せ、同年秋口辺
  りからは、嫌がらせを目的とした書き込みはほとんど姿を見せなくなった。

4−妨害書き込みは、インターネットが唯一の「手段」である運動体にとって、
  会員や支援者に不快感や不安を与え萎縮させ、会の運動の勢いを著しく阻
  喪させた。しかし、反面、ネット右翼との論争を通して、私たちは、なぜ
  自衛隊のイラク派遣に反対するのか、なぜハンストなのか、なぜ非暴力な
  のか、なぜ九条は守らなければならないのかなどについて、根本から考え
  直し、運動の思想的拠点を再構築し、思想的足場を強化することができた。
  また、激しい批判や非難を潜り抜け、論争を展開することで、会員同士の
  心の結合を一層深めることができたこと、さらには、砂漠のように殺伐不
  毛なネットの世界で、数人ではあるものの理論的思考と論議を進めること
  のできるネット右翼の方々と出会え、基本的立場の違いを認めつつ、心の
  つながりをもてたことも大きな収穫だったといえる。

5−次に、陸上自衛隊が撤退した以上、ハンスト・リレーをこれ以上続ける根
  拠がなくなったという理由で、運動発足当初から発起人としてまた副代表、
  あるいは世話人として、運動にかかわってきた人たち何人かが、会と運動
  の終結を求め、運動から身を引いていった。これに対して、残されたもの
  たちは、航空自衛隊がイラクに残り、米軍の支援活動を続けている限り、
  ハンストは続けるべきであるという理由で、会とハンストを継続させてい
  くことを決め、新しく世話人会の改選を行い、末延芳晴がこれまでどおり
  代表にとどまり、藤森治子が副代表兼メルマガ発行人に、さらに白岡順が
  会計に、横山紘一が無任所の世話人に選ばれて現在に至っている。


〔4〕四年目−状況変化の一年

 運動4年目に当たるこの年は、いい意味で、私たちの運動を取り巻く状況が
大きく変化し、九条を取り巻く危機的状況が一応遠ざかった年であった。その
要因として挙げられるのは

(1)年金問題や松岡農水大臣のスキャンダル発覚と自殺などによって、安倍
   内閣と自民・公明連立与党に対して国民の批判意識が一層高まった、
(2)あまりに前のめりの姿勢で憲法改正、九条廃棄に向かって突き進もうと
   する安倍ウルトラ・タカ派内閣の姿勢に、国民が不安感を感じ、夏の参
   院選で民主党はじめ野党に過半数を与えた。その結果、テロ特措法の延
   長阻止に向けて野党の共闘体制が確立、安倍首相を辞任に追い込んだ、

ことである。

 だがしかし、それだけで私たちの運動が勝利したとは言えないだろう。福田
首相は、国会を延長し、衆議院における3分の2議決条項という禁じ手を使っ
てまでして、テロ新法を成立させ、民主党もまた、自民党の新テロ法案に対抗
して、「新テロ対策法案」を国会に提出、アフガニスタンの復興支援は民生支
援に限定するなどより平和的な対応策を打ち出してはいるものの、自衛隊の海
外派遣恒久法の策定や国連の承認さえあれば、自衛隊の武力行使も認めるなど、
危険な側面を持っていることも見落としてはならない。

 こうした状況の変化を受けて、私たちの運動も、内面的に大きく変化し、質
的に深化した一年でもあった。先ず、運動の量的拡大ということでは、レギュ
ラー・ハンストは大きな変化はなかったものの、毎月9日に行われる「9の日
・9条・ハンスト・イン」には、高知県からの参加者を中心に、四国圏からの
参加者が増え、毎回40〜50人を越えるようなった。また、参院選で、国民
が、与野党を逆転させ、自民党の押し進める改憲プロジェクトに「ノン」を突
きつけたことで、私たちの運動が国民の側に立って、国民と共に歩んできたこ
とを再確認でき、それが一人一人の参加者を苦しめてきた「孤立感」を解消さ
せ、気持ちの上でゆとりを持たせてくれた。そしてそのことによって、会員同
士の心の絆が一層強化された一年といっていいだろう。


〔5〕五年目−終結の年

 ハンスト・リレー5年目に当たるこの一年は、レギュラー・ハンストのメン
バーが9人に減少、「9の日・9条・ハンスト・イン」の参加者も30人台に
減少、運動のモチヴェーションが減退した年であった。その原因として考えら
れるのは、航空自衛隊が撤退し、「自衛隊のイラク派兵反対」という運動の所
期の目的が達成されたこと、一昨年夏の参院選で与野党逆転が実現、安倍内閣、
福田内閣が相次いで瓦解したこと、名古屋高裁で自衛隊のイラク派遣に実質違
憲判決が確定したことなど、九条を巡る危機的状況がとりあえず解消され、「
九条の会」を筆頭に、九条を守ろうと立ち上がった市民の間にホッとしたムー
ドが広がり、わざわざハンストまでしなくてもというということで、参加者が
減った。

 しかし、それでも9人のメンバーが残り、うち3人が毎週2回ハンストに参
加することで、リレーを続けることができた。最後まで残ったメンバーを、ハ
ンスト継続年数とともに紹介すると、以下の通りである。


月曜日  藤森治子  長野 67歳 元高校英語教師 5年間毎週2回参加
火曜日  末延芳晴  京都 66歳 文芸評論家 5年間毎週2〜3回参加
     山川トモコ 兵庫 主婦 5年間毎週1回参加
     池宮正信  米国メイン州 63歳 ピアニスト 5年間毎週1回
           38時間参加
     池宮とも子 〔同上〕 主婦
水曜日  藤森治子  長野
木曜日  どんぐり  北海道・帯広 教師 4年間毎週1回参加
     燿山    岡山 65歳 元高校教師 3年年間毎週1〜2回参加
金曜日  相良和彦  福岡・北九州市 85歳 無職 4年間毎週1回参加
     高橋如安  埼玉 60歳 作曲家 5年間毎週1回参加
土曜日  末延芳晴  京都
日曜日  燿山    岡山


 このように、運動は縮小・終息に向かった一年であったが、同時にまた、こ
の一年間は、レギュラー・メンバー同士が、心を一つにして、ひたすら断食に
一筋にまい進した年でもあった。それはまた、ネットを介して、お互いに顔も
声も知らない人間同士が、ここまで深く、強く信頼しあえるかを証明した一年
でもあった。


■ ハンスト・リレーの意義

 ハンストとは、私たちにとって何だったのか?5年間のハンストを通して、
私たちは何を学び、掴み取ったのか、そして、リレー式のハンスト・マラソン
が、日本における市民の平和運動のなかにあって、新しく何をもたらしたのか
・・・・・リレーを終結させるに当たって、総括しておきたい。

1−市民の「不承認」の意志を、ハンストという自己犠牲的行為を伴いつつ、
  持続的、かつ長期的に表明しうることを、身をもって証明できた。

2−ガンジーの精神に則り、従来宗教的修行者や一部の抵抗運動家のヒロイッ
  クな抗議・抵抗行動として行われてきたハンストを、リレー式に改め、党
  派や宗派の違いを問わず、誰もが参加できる形にしたことで、一般市民に
  解放した。

3−特に、デモや抗議集会に参加できない、家庭の主婦や高齢者、地方に住む
  人たちが、家庭や職場で参加できる、ニュータイプの「不承認」の運動ス
  タイルを提示した。

4−24時間断食することで、過分なエネルギー消費によって成り立つ現代社
  会や文明、文化のあり方に対して根源的疑念を抱き、私たち自身の生き方
  を見つめ、考え直すきっかけを与えた。

5−自衛隊がイラクに派兵されたときから、そして小泉―安倍と続く自民党右
  派内閣の画策する改憲プロジェクトが、政治日程に乗せられ具体的に動き
  始めたそのときから、一貫して反対の意志を表明し続けてきたことで、や
  やもすれば一過性の出来事で終わりがちな日本の抵抗運動の欠陥を克服し
  うる道を、言葉だけのレベルでなく、行動によって示しえた。

6−ガンジーの「非暴力」の精神と憲法第九条の根本理念である「戦争放棄」
  と「絶対平和主義」をタイアップさせ、運動を組織・展開してきたことで、
  九条を守る市民の戦いに新たな戦術的地平を切り開いた。

7−大江健三郎氏らを発起人とする「九条の会」やその他種々の市民運動と連
  帯することで、自民党の改憲法案が通るかどうかぎりぎり瀬戸際の状況に
  至り、大江氏や鶴見俊輔氏などが国会前の座り込みやハンストを行い、体
  を張って抗議行動に入ったとき、私たちのハンスト・リレーを、「日本の
  ガンジー」たるべき人たちにバトンタッチすることで、一層、運動の歴史
  的持続性を高め、抗議行動のインパクトを強くすることができる。

8−インターネットを介して、運動を進め、参加者の輪を広げてきたことで、
  ネット社会における市民の抵抗運動に新しい可能性を切り開いた。


■ 今後の展望と活動

 最後に、以上のような活動と問題点を踏まえ、私たちは、この先、運動をど
のように展開していけばいいのか、5周年という節目を迎えた今、もう一度見
つめ直してみたい。

 2001年の『9・11』以降、アメリカのブッシュ大統領が取った武力に
よるテロリスト掃討作戦は完全に破綻を来たしています。先づ第一に、フセイ
ン統治下のイラクに大量破壊兵器が所有されており、それを廃棄するためにと
いう戦争の「大義」が崩れ去ったこと。第二に、アメリカの武力によるイラク
やアフガニスタンへの治安回復、テロリスト掃討作戦が行きづまりを見せ、ア
メリカはベトナム戦争末期におけるように、引くに引けない状況に追い込まれ
ているからです。

 こうした状況にあって、アメリカ国民は、中間選挙で民主党に勝利を与え、
去年秋の大統領選挙では民主党のオバマ氏を次期大統領に選びました。こうし
た変化への兆しをみるにつけ、予断はゆるされませんが、今、アメリカは、間
違いなく、脱ブッシュ、脱武力の方向に歩みだそうとしているように見えます。

 翻って、私たちは、この運動をスタートさせたときから、アメリカは間違っ
ている、そのアメリカに追随し、憲法違反を犯してまでして自衛隊をイラクに
派兵した小泉−安倍内閣は間違っていると主張してきました。そうした主張に
対して、「現実を見ていない」、「ブッシュ大統領の選択は正しい」、「アメ
リカを支援するのは日本の当然の義務である」などなど、批判が浴びせられま
した。しかし、結果は、私たちが正しかったことが証明されました。アメリカ
人自身の手で「大量破壊兵器」が存在しなかったことが検証され、ブッシュ大
統領の掲げた「戦争の大義」が崩れ去り、アメリカの武力政策が日々破綻を呈
していることは、新聞やテレビの報道が伝えているとおりです。

 大義のない戦争によって多くの兵士や一般市民の命が失われ、傷つきました。
戦争が、そして暴力がもたらすものは、破壊と不幸でしかない。悲しいことで
すが、歴史は再びそのことを証明してくれました。

 にもかかわらず、小泉首相・安倍首相の後を継いだ福田首相と麻生首相は、
何が何でも自衛隊の補給艦を再びインド洋に派遣させることに執念を燃やし、
大方の国民が反対しているにもかかわらず、衆議院で3分の2以上の賛成をも
って、新テロ法案を再可決させてしまいました。その背景に、自衛隊の海外派
遣を既成事実化し、恒久化し、以て九条の改変・廃棄に向けて足場固めをした
いという自民党の本音が透けて見えることは確かです。現在政府が検討中とい
うソマリア沖の「海賊退治」についても、同じことが言えます。

 昨年夏の参議院選挙で、国民が、自民党の考える改憲案にたいして「ノン!」
を突きつけたのにもかかわらず、自民党は「憲法改正」という結党以来の悲願
を捨てたわけではありません。さらにまた、民主党も、新テロ特措法の延長に
は反対したものの、対案として国会に提出した「新テロ対策法案」では、自衛
隊の海外派遣の恒久化と国連の承認さえあれば、自衛隊の武力行使も認めるな
ど、大変危険な側面を持っていることを見落とすわけにはいきません。

 小泉−安倍内閣に象徴される、自民党内のウルトラ・タカ派による高圧的な
改憲攻勢は、一応頓挫を来たし、終息したとは言うものの、九条の改悪・廃棄
を望む勢力が、自民・公明・民主党のなかで、依然として隠然たる勢力を持ち、
カンバックのチャンスをうかがっていることは間違いありません。そういう意
味において、九条を巡る危機的状況は依然として変っていないし、特に国民投
票法が成立している現在は、憲法改正の水位は上がっているとさえいえます。

 しかし、その一方で、「九条の会」を中心に、私たち市民の「九条を日本の
ためだけでなく、世界のために守り抜こう」という意識が、全国民的レベルで
広がり、「九条文化」ともいうべきものが九条を護る市民の防波堤として、私
たちの生活の中に深く、強く根付こうとしていることも確かです。

 以上を踏まえて、私たちは、九条を巡る潜在的危機が確実に存在し続けてい
ることを十分認識したうえで、事態の推移を注意深く見守る一方、「九条文化」
を一層広く、深くグラス・ルーツのレベルで広げていく必要があると思ってお
ります。にもかかわらず、今、矢折れ、力尽きる形で5周年をもってハンスト
・リレーを一時休止せざるを得ないことは、残念の極みでなりません。しかし、
今は、しばらくお休みをいただき、体力と気力の充実に努めたく思います。

 その間、自由参加のハンストと月1回の「9の日・9条・ハンスト・イン」
によってささやかでも「平和への灯」を点し続けていきたいと思っております。
そして、いつか再スタートしなければならないときがくれば、私たちは速やか
にハンスト・リレーを再開させたく思っております。そのときには、1億2千
万の日本人の中から、私たちと一緒にハンスト・リレーの旗を掲げてくださる
方が一人でも多くなることを願っております。

           2009年1月17日

                 ンジーの会」世話人会
                            代表:末延芳晴


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【2】失われた共同性を求めて                                末延芳晴

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 本日1月26日で、「ガンジーの会」の主催する自衛隊イラク派兵反対ハン
スト・リレーが5周年を迎えることになる。長いようで、短く、短いようで、
長い5年間ではあった。

 月数にして60カ月、総日数にして1828日間。私個人に照らして言えば、
今66歳だから、人生のほぼ13分の1。25年に及ぶニューヨーク生活の5
分の一、1998年に帰国してから、10年になる日本での生活の半分・・・
・決して短い年月とはいえない。

 さらにまた、1941年12月8日、真珠湾攻撃で始まり45年8月15日
に終った太平洋戦争より、さらに1年と3ヶ月も長く、ハンスト・リレーが続
いたことを考えると、我ながら、「よくぞここまで続けられた」と、感慨一入
であることも確かである。

 思い返せば、5年前の2004年1月26日、自衛隊本隊に派遣命令が下っ
た日の午前11時、私たち「ガンジーの会」の発起人5人は、新宿歌舞伎町の
喫茶室ルノアールの会議室に集り、正午から始まるハンスト・リレーのスター
ト宣言とそのあとに開かれることになっていた記者会見の準備を進めていた。

 集ったのは、私のほか、脚本家・ノン・フィクション・ライターの香取俊介
さん、オペラ演出家でバリトン歌手の飯村孝彦さん、作曲家の高橋如安さん、
元英語教師でエディターの山下美樹さん、そしてオブザーバー兼公式フォトグ
ラファーとして参加した写真家の後藤善臣さんで、いづれも私と付き合いの長
い悪友、あるいは肝胆相照らす仲の友人であった。

 集ってくれた新聞・テレビ記者に配布するための資料をコピーしたり、椅子
や机の位置を決めたり、グラスと水と氷の入ったピッチを用意したり、マスコ
ットのミッキーマウス目覚まし時計が12時きっかりに鳴るようにセットした
りで、時間は瞬く間に過ぎ去り、時計を見ると早くも12時15分前。記者は
まだ一人も現われない。前日、日本経済新聞から電話が入り、取材に行きたい
という申し出があったものの、このような政治的抗議行為を立ち上げ、記者会
見という形で、報道メディアに呼びかけたのは初めてのことであり、正直に言
って、何人記者が集ってくれるか不安はあった。

 それでも、10分前に「週刊朝日」の記者が1人、5分前には毎日新聞と赤
旗から2人・・・・・と集り、1月26日正午、ミッキーマウス目覚まし時計
が鳴り出したのを合図に、発起人4人が立ち上がり、代表の私が「ただ今から
自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレーをスタートさせます」と宣言、4人が
グラスに注いだ水を飲み干し、ハンスト・リレーはスタートしたのだ。

 あのとき、このリレーが5年間も続くとは、誰も思わなかったはずである。
インターネットを介して、参加希望者が参加を申し込み、終了後に終了報告を
行うことでリレーをつなげていく、持続に重点を置いたこのような市民の抵抗
運動は前例がなかったし、賛同者がどれほど集り、うちどれだけがハンストに
参加してくれるか、そしてどこまで運動の輪が広がるか、皆目検討がつかなか
ったからである。事実、一般市民からの参加者は、思っていたようには集らず、
発起人と意志強固な一般参加の方々が毎週1回ずつ参加、私は1回から2回、
2回から3回に増やし、辛うじてリレーを継続させるという、綱渡り的やり方
で、辛うじて5年間繋いできたというのが、正直なところである。

 それでも、なぜ5年間も続けてこれたのか、そしてハンストを続けることを
通して掴んだものは何なのか・・・・・昨年の暮れ、世話人会で終結を決め、
会員及び支援者の方々に提案、意見を募って以来、私はこの問題について考え
続けており、5周年を迎えた今の時点で、わかって来たことは以下の4点であ
る。

 1−顔も知らない、声を聞いたこともない人々と、インターネットを介して、
   「九条を守らなければならない!」という気持ちの一点で絶対の信頼関
   係を築くことができたから。

 2−断食という平和的・非暴力的抗議の方法が、自分の気質・体質に合って
   いた。

   特に、時間の流れのなかで、耐えることを通して意志や情念を持続的に
   表出させていくことが、私自身の意識の古層に流れる日本の伝統的な文
   化の表現特性、特に能や文楽などに見られる持続志向的時間の表出特性
   と見合っていた。つまり、我慢強く忍耐することを通して、持続的時間
   の流れに乗って意志や情念の強度を増幅させ、表出させていくという方
   法が、私の資質に合っていたということなのだろう。

 3−さらにもう一つ、25年間、日本を不在にしていたことで、放棄してい
   た日本人としての責務を果たしたいという思い。

   先日、NHKで、ローマで司祭の叙階を受けながら、「祖国日本を見捨
   てることはできない」という思いに駆られて、受難を覚悟で日本に帰り、
   殉教したペトロ岐部(1587〜1639)の生涯を紹介するドキュメンタリー
   を放映していましたが、そのなかで、岐部の生涯を追及しているある女
   性作家が、岐部が殉教を覚悟して日本に帰国した理由について、「愛と
   は見捨てないことで、岐部はキリスト者の愛として、日本を見捨てられ
   なかったからだ」という趣旨のことを語っていた。

   私は、どう逆立ちしても、岐部のように勇気ある行動は取れない臆病で、
   小さな人間だが、それでも日本帰国を決意したときは、「日本との絆を
   断ち切ることはできない」という思いが強くあった。なぜ、断ち切るこ
   とができないのか。それは、私が、自身の精神を表現する手段として、
   言語共同体としての日本語を「断ち切る」ことができなかったからであ
   り、日本語によって自分を表現することが、自分にとって生涯の「仕事」
   だという思いが強くあったからである。

 4−日本を「断ち切る」ことができなかったもう一つの理由は、日本に平和
   憲法、特に九条があったからである。

   40歳を過ぎて生まれた息子が5歳のときに、湾岸戦争が始まりました。
   その時、私はアメリカ市民でなかったのにもかかわらず、国家が戦争を
   始めていく時の恐ろしさをまざまざと体験させられた。こういう風にし
   て戦争が始まり、戦争が長引き、戦線が拡大し、世界戦争に拡大してい
   けば、アメリカは必ず徴兵制を復活させる。そうなれば、息子は兵役に
   取られる。ならば、それを避けるにはどうすればよいか・・・・。私の
   頭に浮かんできたのは、いざというときには、九条によって戦争権を放
   棄し、徴兵制の存在しない日本に帰るしかないということであった。そ
   の思いは、息子が現地の小学校を卒業するまで続き、中学校に進むかど
   うかというとき頂点に達し、「これ以上アメリカで生活させたら、英語
   が母国語になってしまう、帰るなら今だ!」と、帰国を決意したわけで
   ある。


 日本に帰国してから10年。その半分に当たる5年間を、毎週3回のハンス
トを3年間、2回のハンストを2年近く続けてきたことで、失ったものは少な
くない。特に、毎週3回のハンストが3年目に入ってからの、体力の消耗と疲
労はただならぬものがあり、半年ほど鴎外の原稿が全く書けなくなってしまっ
た。しかし、それが過度の断食行為によるものとわかっていなかった私は、な
ぜだろう、なぜだろうと疑い、自分を責め、蟻地獄に陥っていった。それを、
ワイフがさすがに見かねて、週2回に減らしたらとアドバイスしてくれたのが、
2007年の秋。渋々2回に減らして、ようやく体調が回復、苦境を脱出し、
半年後の昨年春、原稿を完成させることができた。

 単純な計算で、トータルに見て、ハンストを続けたことで、少なくとも単行
本2冊はミスしているはずだ。だが、ハンストを続けてきたことで、得たもの
も少なくない。とりわけ「非戦」、あるいは「非武装」という視点から、鴎外
から子規、漱石、荷風、花袋、啄木など明治の近代文学者の作品を読み直し、
彼らの国家意識を検証することで、なぜ日本の近代文学者たちが戦争翼賛体制
に巻き込まれていったか、その謎を解明することは私にとって、ハンストを続
け、鴎外の本を悪戦苦闘しながら書き抜いたことで、初めて見えてきたライフ
・ワークであるといっていい。

 そうした意味で、ハンストを通して得たものは失ったものより遥かに大きく、
私は、今、「書く」ことに向けた次のプロジェクトとして、『石川啄木と日露
戦争』の刊行を考えおり、その後、『従軍記者・正岡子規』、『漱石と戦争』、
『自然主義文学と戦争』、『小林秀雄と日中・太平洋戦争』、『三島由紀夫−
「文」から「武」へ』などを書き継いで行きたいと思っている。

 さて、最後に5年間ハンストを続けたことの意味を総括しておくと、一つに
は、私の中で見失われてきた本来の私と出会うための一種の「通過儀礼」、あ
るいは「審問」としてこの5年間があったのではないかということ。上述した
ように、私は、この「審問」を潜り抜けることで、初めて自分が何を、誰を対
象に書くべきかが見えてきたように思う。別の言い方をすれば、文学について
(ということは人間について)書く人間として鍛えられたということになる。

 と同時に、それは、25年間、アメリカで生活することで、私の中で失われ
ていた「共同性」を回復するために潜り抜けなければならなかった「審問」で
あり、この「審問」を潜り抜けることで、私は、九条を掲げることで世界に向
けて平和国家宣言をした「日本」及び「日本人」と出会うことができた、そん
な風に感じている。

 振り返って見れば、私の生涯は、国家が要求してくる共同性に対する違和の
感覚と抵抗、拒否の反応で貫かれていたように思う。これまでに何度か書いて
きたように、私の父親は帝国陸軍将校で、終戦を大尉として朝鮮で迎えている。
戦後、日本に引揚げてきてからは東京に出て、大手の建設会社に勤務、戦後の
日本の復興ブームに乗って、一家は典型的な中産階級として東京の郊外に一戸
建ての家を建て、私を含めて兄弟3人を大学に通わせ、53歳の若さで胃がん
が原因であっという間に死んでしまった。

 父の生涯は、戦前は「天皇万歳」、「万世一系」、「大東亜共栄」、「英米
鬼畜」、「一億総玉砕」などなど、軍国日本を支えた共同意識や願望、志向性
に自らの生を重ね合わせ、戦後は経済復興という共同願望に重ねて生きた人生
であった。そうした父を身近に見て、私は、どうしても父が父の生のアイデン
ティティとした、国家を常に優越させたることで成立してきた近代日本の共同
性を受け入れることができなかった。

 それだけでない、子供ころ、家の近くにあった米軍キャンプからアメリカ兵
がジープに乗ってきて、村の子供たちにキャンディやチョコレートをばら撒き、
愛嬌を振りまく。それに弟や友達が群がるさまを見ながら、私はどうしてもそ
の仲間(子供共同体)に入ることができなかった。国際基督教大学がオープン
して、毎日曜日、子供たちを集めてサンディ・スクールというのを開いていて、
弟達は嬉々として参加し、賛美歌を歌っていたが、私は断固その仲に入ること
を拒否し続けていた。

 そんな私が、唯一つ、自分を委ねることができると感じた共同性は、言語共
同体としての日本語と日本語によって美的に表現された文学であった。私は、
高校生のころから、夏目漱石や島崎藤村、谷崎純一郎など明治以降の近代文学
を読み漁り、『平家物語』や『徒然草』など古典を読み通していた。だが、そ
れでも、大学で専攻を選んだときは、中国語と中国文学を選んでいる。当時の
アメリカ一辺倒の日本の共同意識に逆らってのことであった。

 こうして戦後日本を支えてきた共同意識・願望に逆らうようにして、私自身
の生を貫いてきた私が、これこそが私を重ね合わせることができる本物の共同
性であると、はっきり自覚できたのは、1973年夏、ニューヨークに渡った
ときであった。お金がなく、ひもじい思いをしながら、突き抜けるように真っ
青な青空から降り注ぐ真夏の灼熱の太陽光を浴び、マンハッタンのストリート
を南に北に、西に東にただひたすらに歩きぬいた私は、心身の内側から、言葉
ではとても言い表せないような、それまでの人生で初めて体験したような一体
感と解放感に刺し貫かれていた。

 思い思いのカラフルなファッションでストリート練り歩き、音楽のリズムに
乗って踊る人々。そこにみなぎる自由と解放の感覚・・・・人種や言語、宗教、
文化的バックグランドの差異を認め、受け入れながら、異なった価値の世界に
クロスオーバーし、そこから新しい価値の体系を作り出すことで、社会的差別
や文壇、亀裂の壁を乗り越え、一つのアメリカに統合していこうする理念やエ
ネルギッシュなライフスタイル。そして、その根底に流れる共同性、正にアメ
リカをアメリカたらしめている共同感覚・意識・願望・・・・。それこそは、
私が心から私の生を重ね、委ねていいと生まれて初めて思った共同性であった。
それから25年間、私は、ニューヨークの街路に充満するアメリカ的共同性に
自らを重ねて「アメリカ人」として生きてきたのだ。

 それにもかかわらず、私が最後まで見捨てることのできなかった日本の共同
性が一つだけあった。「言語共同体」としての日本語と日本語によって表現さ
れた美的伝統(古典文学や能や文楽などの芸術)だった。1998年、日本に
帰国を決意するまえの年、私は、『永井荷風の見たあめりか』(中央公論社)
という単行本を上梓した。それは、ニューヨーク生活を通して調査・研究を進
めてきた永井荷風のアメリカ生活時代について、評伝風にまとめたもので、私
にとって最初の文芸評論の分野での仕事であった。

 それまで私は、アメリカの現代音楽や美術などの評論の仕事を主にしてきて
いて、それなりに実績も作って来てはいたが、それが私の生涯を賭けるに値す
る仕事とは思っていなかった。いつか、文学について書く仕事したい、それが
自分の本来の仕事であるという思いは、ニューヨーク生活を重ねるにつれて大
きくなり、その思いを最初に結実させたのが、『永井荷風の見たあめりか』だ
った。そして、この本を刊行して一年後に、私は、文学について書くことに残
りの人生を捧げようという決意を抱いて、家族と共に日本に帰国してきたので
ある。

 言い換えれば、私は、息子を日本語という「言語共同体」の中で生きていけ
るようにするため、そしてまた私の中に最後まで残された日本語と日本語によ
って書かれた日本文学という「共同性」に、私の残された生を重ねるために日
本に帰国したのである。

 ところが、帰国して6年目の2004年の年の暮れ、自衛隊がイラクに派兵
されることによって、日本語共同体のなかで、私自身と息子の生を再構築させ
ようという私の願いは、大きな危機に直面させられることになってしまったの
である。海外の武装地域に武装自衛隊が派遣されることで、憲法の第九条の基
本精神が踏みにじられ、九条が書き換えられたり、廃棄されたりすることで、
自衛隊は軍隊として認められ、日本は戦争権を有する武装国家として再生し、
徴兵制が復活するだろう。そうなれば、息子は兵役に採られるかもしれない。
そして、彼は軍隊で人を殺す訓練を受け、結果として彼が本来人間として持っ
ている美しい可能性は抹殺されてしまうかもしれない。

 それだけではない。軍隊が復活すれば、そして日本が再び戦争をするような
ことになれば、私が、私の生の最後の拠りどころとした言語や文学も、歴史が
証明するように、存亡の危機に立たされることになる。国家と批判的に対峙し、
感性や思想、精神、情念の世界からいかに脱国家を貫徹させるかによって成り
立つ文学こそは、軍隊や軍隊の上に立つ国家が真っ先に抹殺しようとするもの
だからである。それまでに人生で、一度も政治的問題で動かされたことのなか
った私が、初めて動き、「ガンジーの会」を立ち上げた理由がそこにあるとい
っていい。

 5年間、ハンスト・リレーを続けたことの意味を総括すると、私は、私のな
かで失われ続けてきた日本語と文学という共同性を守り抜くため、そしてもう
一つ、理念としての九条とその理念を守り、世界に広げていくためにハンスト
・リレーに参加された人々とのつながりと絆、さらには「九条の会」はじめ草
の根のレベルで広がり、深まった市民の「心の防波堤」、言い換えれば九条を
守り、世界に広げて行こうという意志と決意の「共同性」と出会うためにハン
ストを行ってきたことになる。

 最後に忘れてならないのは、私の失われていた「共同性」を回復するために
必要とされていた船出を、ハンスト・リレーという形で可能にしてくれた11
人の発起人の方々と、5年に及ぶロング・ジャーニーをハンストに参加し、リ
レーをすることによってつなぐことで最後まで乗り切ることを可能にしてくれ
た「ガンジーの会」の会員及び支援者の方々、とりわけ、私が「9人の侍」と
呼んでいる、レギュラー・メンバーとして最後までハンストに参加くださった
方々の存在である。

 リレー・スタート直後から長野から参加され、途中で副代表を引き受けて頂
き、運動の思想的基盤を固める上で貴重な提言を頂き、かたわら300号を超
える「ガンジー村通信」の編集にかかわり、文字通り「ガンジーの会」の屋台
骨を背負ってくださった藤森治子さん、85歳の高齢であるにかかわらず、毎
週金曜日、元気溌剌、矍鑠(カクシャク)としてハンストに参加、会の長老と
して、ややもすればくじけがちなとき、メンバーを励ましてくれた北九州市の
相良和彦さん、ニューヨーク以来の友人で、毎週月曜日の夜から38時間断食
に参加くださった、心優しきピアニストの池宮正信と奥様のとも子さん、発起
人の1人として5年間、毎週金曜日に参加、キリスト者として慈善活動を続け
ながら、時々ひょっこり独特のユーモアのセンスにあふれた書き込みをして、
メンバーの緊張感を解き解してくれた埼玉の高橋如安さん、藤森さんとほぼ同
じ時期に参加、お仕事と主婦業を続けながら、見事に最後まで完走された兵庫
の山川トモコさん、北海道を代表してただ1人帯広から毎週木曜日に参加、寡
黙な書き込みながら、「大地の意志」といったものを感じ取らせてくれたどん
ぐりさん、そして社会奉仕活動に粉骨砕身の活動を続けながら、毎日曜日と木
曜日に参加、いつも凛として精神の張り詰めた書き込みで、メンバーの士気を
鼓舞してくれた岡山の燿山さん・・・・これら9名の方々には、ただただひた
すら「感謝!感謝!」の言葉しかない。

 さらにまた、こうした長期間の、苦しい運動を持続していくには、メンバー
を支える家族や友人からの理解や暖かい支援が不可欠である。そうした意味で
も、メンバーの方々の家族や友人の皆さまに、この場を借りて深くお礼を申し
上げたい。そしてまた、私の家でも、家族、とりわけワイフの理解と献身なく
しては、私は到底これだけ長いハンスト・リレーを続けることはできなかった
であろう。心から感謝の気持ちを伝えたい。

 ハンスト・リレーを閉じるに当たって、私は、今、ハンストという「審問」
を潜り抜けることで、人生66歳にしてようやく回復された、あるいは見出す
ことのできた本来の私自身と私の全てを託すことのできる、九条に象徴される
未来に向かって開かれた平和日本の「共同性」をしっかりと見据え、これから
先の人生を「書く」ことを通して生き抜いていきたいと、改めて思いを強くし
ている。

 最後に、もう一度、皆様、5年間、本当にご苦労さまでした!


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【3】ガンジーの会について                 香取俊介

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 アフリカ系アメリカ人のバラク・オバマ氏がアメリカの大統領に就任した。
その就任演説をCNNのテレビ中継で見た。日本にいてリアルタイムでテレビ
中継を見ることができるのも、ウェブ時代ならではのことである。オバマ演説
は「100年に一度」といわれる経済危機に陥っているアメリカを、救い変え
ようという強い決意に満ちたものだった。

 27歳のスピーチライターの書いた原稿であったようだが、オバマ新大統領
は19分の間、まるで「名役者」のように、力強く、よどみなく、説得力のあ
る演説をし、これからの難局への対処を、国内ばかりでなく世界に訴えた。も
ちろん、スピーチライターはオバマ氏と話し合いながら、多くの人にアピール
するよう修辞の面で協力したのだろうが。

 オバマ氏は長期間にわたる大統領選挙を戦いぬくプロセスで、表現力や思考
力が徹底的に鍛えられたにちがいなく、歴戦を戦いぬいた「勇者」の趣さえあ
った。
 「市場原理主義」を基本路線において8年間にわたってアメリカを指導して
きたブッシュ政権とは、大きくちがう。ブッシュ前大統領に欠けている「知力」
を、オバマ大統領はもっている。ブッシュ政権によって崩壊してしまった社会
の基盤をどう回復させるか、新大統領の前途は多難そのものだが、とりあえず
期待をかけたいものだ。

 ひるがえって、日本の指導者を見ると、みんな悲しくなるほど「知力」に欠
ける。世界にむかって強く発信するメッセージがないのである。知力の差、言
語能力の差、つまり思考能力の差は歴然としている。「はじめに言葉ありき」
といわれるが、人が人となった理由の最大のものは、言語をもったことである。
豊かな言語があったからこそ、「体験」「経験」が次世代に継承され、そこに
「文化」が生まれる。文化とは「記憶」の蓄積の中にある、といっても過言で
はない。

 さて、イラク戦争に反対する意思表明のひとつとして始められたハンスト・
リレーも5周年をむかえ、一応の終止符をうつという。ものごとには始めがあ
れば、かならず終わりがあるので、主宰者および発案者の末延氏には「愚直に
よくやったね」という言葉を捧げたい。

 学生時代からの友人の末延氏から、「イラク戦争に反対するため、なにかし
なくてはといろいろ考えたのだが、ハンガーストをリレーしてやるのはどうだ
ろう。賛同してくれないか」といわれたとき、「そんなことをやって意味があ
るのかな」とまず思った。しかし、イラク戦争にはまったく賛成できず、こん
なことをしたら将来に禍根を残すと思っていたので、発起人に名をつらねた。

 「学生運動」にも「市民運動」にも無縁の生活をしてきたので、正直いって
面映ゆいものもあった。ただ、人類の過剰な「欲望」をこのまま放置すると、
地上は人の住めない状態になってしまうと、日頃思っていたし、暖衣飽食の社
会に批判的であったので、参加することにした。

 当初は、ホームページなどもなく、ウェブ上で表現するという発想はなかっ
た。ただ発起人がリレーハンストを行い、定期的にあつまって語り合うといっ
た程度であったと記憶する。マスコミにアピールしてとりあげてもらうことを
当初はもくろんでいたが、仲間内でいくらハンストリレーをつづけても自己満
足で終わってしまう。

 こういう時代なのだから、やはりウェブ上で発表しないと世界に伝わらない
のでは、と確かぼくが言い出したのではないか。パソコンを嫌い、これにさわ
ったこともないという人もいて、当初は必ずしも賛意を得られなかった。そも
そも主宰者の末延氏がパソコンを手にしたこともなかった。好き嫌いは別にし
て時代の趨勢だからと、彼にパソコンを買うようすすめた。

 発起人の一人がホームページをつくり、そこにリレー・ハンスト・マラソン
の実施の書き込みをするようになって、今の形ができあがった。ウェブを利用
しなかったら、まったく別の形になったか、あるいは途中でやめることになっ
ていたかもしれない。
 ともあれ、ウェブ上でリレー・ハンスト・マラソンという「意思表示」の手
段を現実化した「初めての人」として末延氏は「市民運動史」に残る人、とい
っていいかと思う。

 ぼくは、毎週、日曜に24時間ハンストをすることになっていた。ひごろか
ら暖衣飽食の世の中に批判的スタンスをとっていたので、健康のためにもいい
と思ってつづけたのだが、次第に負担になってきた。日曜日が近づくと、ハン
ストがストレスになるのである。仕事がらいろいろな人と会うことが多く、水
以外飲まず食わずとなると、人に会いにくくなるし、第一脳がうまく機能しな
い。

 脳は案外、エネルギーを使うものである。6、7年前、一過性の健忘症のよ
うな症状もあり、脳について強く意識するようになっていた。脳こそすべてな
ので、この機能が衰えたら何にもならない。それやこれやで、ハンストはやめ
ることにし、月一回のガンジー村通信にコラムを書くというだけになった。

 ぼくは運命論者ではないが、歴史には個人などではどうすることも出来ない
「流れ」というものがあって、それを押しとどめることはできない、と思って
いる。歴史を読むと、ある時期、互いに交流などのないまったく異なった地域
に、同時発生的に同じような発明や発見、事象などが生まれる。

 不思議なことである。生命の誕生や脳の機能などについても、まだ未知のこ
とばかりで、「人はなぜ、なんのために生きるのか」という素朴な問いにも、
人はいまだ明確な答えをだせていない。自らの「幸福」のため、他の多くの動
植物を絶滅に追い込んだ「人類」という存在。他の動植物からみたら、どんな
に心地よいヒューマニズムを提唱し、実践している人でも、「最大の敵」であ
り「悪魔」の存在である。そういう視点から地上に「のさばる」人類というも
のを考えたほうがよさそうだ――というのがぼくの基本的スタンスである。

 アメリカ発の「金融危機」「経済危機」は、今後世界に深刻な影響をあたえ
ていくだろう。「近代文明」というものを、もういちど根底から考えさせるも
のを含んでいる。70億になろうとする地上の人間のひとりひとりが「(物質
的な)幸福」をもとめて努力をすればするほど、みんなが生きられない環境を
もたらすことに貢献することになる――。そんな皮肉な世界に、いまわれわれ
は生きているのである。

 短い間ではあったが、ハンスト・リレー・マラソンに参加して、日頃漠然と
考えていたことを、より深く考えるようになった。動物は「飢え」が普通の状
態であり、人類も長い間「飢え」のなかで生き抜いてきた。だからこそ「飢え」
に強い仕組みになっているのだが、現代人はどうも、このことを忘れている。
どうやら、今回の世界規模での経済危機は、先進国の人間にも「飢え」の恐怖
を思い起こさせる契機になるかもしれない。やはり「欲望」はほどほどにして、
「中庸」や「足るを知る」東洋の旧来の価値観をもとりいれた「リサイクル」
社会が必要のようだ。

 そのことに多くの人間がようやく気づきはじめた。ここに「希望」があるか
もしれない。ともあれ、長期間にわたって愚直に真摯にハンスト・リレー・マ
ラソンを続けてきたガンジー村の皆さん、ご苦労さまでした。きっと、「人」
ばかりでなく動植物にとって、何が大事であるか、いろいろと考えるヨスガを
与えられたのではないでしょうか。


**********************************************************************

  編 集 後 記

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 本号は、「自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレー・マラソン」5周年を記
念して編集・発行されております。このvol.339-1に続いて vol.339-2もお読
みいただきたいと思います。vol.339-2は以下のような内容です。

     【4】5周年を迎えて               ・・・相良和彦
    【5】ハンストリレーを続けて           ・・・どんぐり
   【6】「対話」の大切さ                  ・・・安平淑子
     【7】ガンジー村の「反逆児」           ・・・藤森治子
     【8】ハンスト日記                ・・・参加者


===================================================================
【発   行】    ガンジー村通信 編集部
【発 行 人】    末延芳晴
【編   集】    藤森治子

             ◆◇◆ お願い ◆◇◆ 

1.本メールマガジンやHP「自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレー・マラ
  ソン」に関するご意見・ご感想をお聞かせ下さい。また、投稿も大歓迎で
  す。下のアドレスまでご寄稿ください。

   v.gandhi@dia.janis.or.jp

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