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2008/12/07

ガンジー村通信 vol. 332

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     〜 自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレーマラソン 〜

                  2004年1月26日以来、本日で1778日目


          ≪ ガンジー村通信  2008/12/7  vol. 332  ≫


本誌HP http://www.h2.dion.ne.jp/~hansuto/
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       ◇======================◇
                I N D E X
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    【1】加藤周一さん、ありがとう!          ・・・末延芳晴

           文学は戦争をどう書いたか〔12〕

                  田山花袋と日露戦争(上)

    【2】第35回「9の日・9条・ハンスト・イン」のご案内

                    ・・・「ガンジーの会」世話人会

     【3】ハンスト日記                 ・・・参加者



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【1】加藤周一さん、ありがとう!

      文学は戦争をどう書いたか〔12〕                  末延芳晴

       田山花袋と日露戦争(上)

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■ 加藤周一さん、ありがとう!

 評論家で「九条の会」の呼びかけ人の一人、加藤周一さんが、多臓器不全の
ため、東京世田谷の病院で逝去された。享年89歳。天寿をまっとうされたと
いっていいだろう。

 加藤さんとは個人的に面識はない。森鴎外や永井荷風について書かれた評論
をいくつか読ませてもらい、朝日新聞で「夕陽妄語」を折々読み、「九条の会」
の最初の講演会で、講演を聴いたくらいで、文芸評論家としては、文学という
人間の暗く、重い内面世界を扱うには、余りに理知的に過ぎるといおうか、そ
の意味で一時代前の人という印象が強い。いい意味でも悪い意味でも個性的で、
灰汁の強い江藤淳の方が、同時代の評論家としてインパクトが強く、私は、親
近感(あるいは敵対心)を抱いてきた。

 にもかかわらず、私は、個人的に加藤さんに「羨ましい」という気持ちを抱
いてきた。理由は女性に持てたから(笑?)。最初に「羨ましい」と感じたの
は、30年以上も昔、コロンビア大学の大学院で日本の古典文学を研究してい
たBさんに、漢文を教えていたとき、加藤さんが来紐され、ジャパン・ソサエ
ティで講演されたことがあり、それを聞いて彼女が「素晴らしい人だ」と絶賛
していたから。最近では、「九条の会」の講演会で、加藤さんがステージ登場
すると、「いよー! 周ちゃん、待ってました!」と女性ファンから声がかか
って、「羨ましいな!」と思った。

 加藤さんが、このように女性に持てたのは、加藤さんが女性に優しかったか
らではないか。「ガンジーの会」のメルマガ『ガンジー村通信』の小冊子を、
「九条の会」の呼びかけ人に贈ったところ、加藤さんだけが、朝日新聞の「夕
陽妄語」で取り上げてくれ、藤森治子さんと三宅久美子さんの書かれたものを
紹介してくださり、孤独な思いでハンストを続けてきた私たちに励ましと勇気
を与えてくれたのである。

 もう一つ、加藤さんを「羨ましい」と思ったのは、加藤さんが、文芸評論家
として、文学のステータスがまだ十分高く、日本人が生きていく上で文学的素
養が不可欠であると思われ、それが当たり前のこととして受け入れられていた
時代に生きたことである。つまり、私が大学生だった頃は、文学部の学生でな
くても、森鴎外や夏目漱石や永井荷風、谷崎純一郎、太宰治らの主要な作品は
一通り読んでいることが当たり前のこととされ、読んでないことが「恥ずかし
い」と意識されていた。

 そういう時代、新聞や一般雑誌が文学に割く紙面は、今とは比較にならない
くらい大きく、文芸雑誌も多く、文学評論にも小説に劣らず誌面が十分与えら
れていた。そうした意味で、文芸批評のステータスは高く、間違いなく社会的
使命を果たしていた。そのため、加藤さんが書くような評論や小説は、新聞や
文芸雑誌で容易に活字になり、多くの人々に読まれ、単行本として刊行されて
いった。

 加藤さんは、そういう時代に、東京大学医学部卒業の文芸評論家として華々
しく活躍され、実績を残し、文芸評論家のみならず、政治や思想、哲学、文明
・文化にわたる評論家として不動のステータスを確立することができた。そう
いう時代を文芸評論家として生き抜いた加藤さんに、私は一種の「羨望」を抱
いてきたのである。

 加藤さんに対するそんな感情が消えたのは、3年半ほど前、加藤さんから送
られてきた一通のお便りだった。2005年2月9日、「9の日・9条・ハン
スト・イン」がスタートしたとき、運動の趣旨について知ってもらい、できれ
ば励ましの言葉を頂きたくて、「九条の会」の呼びかけ人と関係者の方々にお
手紙を差し上げたことがある。もちろん、大江健三郎さん始め、皆さんお忙し
い方たちなので、お返事をいただくことを期待していたわけではないが、加藤
さんと小田実さん、鶴見俊輔さん、奥平康弘さんと4人の方から励ましのお手
紙を頂いた。

 あのとき、鶴見さんは第一回目の「9の日・9条」の一斉ハンストに参加し
てくださったが、小田さんからのお便りには、「健康にすぐれず、ハンストに
は参加できなくて申し訳ない」と書かれていた。しかし、小田さんは、「市民
の運動には色々な形があっていいと思うので、頑張って続けてほしい」と書か
れていた。

 また、加藤さんのお便りにも、病気のせいで参加できずに残念に思う。ハン
ストもさることながら、「お仕事を大切に!」と書かれていた。加藤さんとし
ては、私のように雛(ひよこ)のような物書きが、ハンストに立ち上がって、
毎週3回も断食を続けていることが見ていられなかったのだろう。

 確かあの時、私は、文庫本として刊行されたばかりの『荷風のあめりか』を
手紙と一緒にお送りしたはずだ。それを読まれて、加藤さんは、私が荷風の研
究家だと思われたのだろう。荷風について書き、本を出し続けていくことで、
貴方は十分に九条を護る戦いに参加していることになる、仕事に本分を尽くす
ことが九条を護ることに繋がるはず・・・・という思いを伝えたくて、加藤さ
んはあのような文言を書き添えてくださったのだと思う。

 私は、加藤さんのお気持ちをありがたく受止め、それでも仕事とハンストを
両立させようとして、毎週3回の断食を続けていった。続けていくことで、私
はまだ見えていない、私自身のライフ・テーマのようなものが見えてくるよう
に思えていたからである。事実、私は、「文学は戦争をどう書いたか」という
テーマで、月刊誌「論座」で「日露戦争と文学者」の連載を書き始め、連載終
了後、3年近い悪戦苦闘の末、この夏ようやく『森鴎外と日清・日露戦争』を
書き上げ、刊行に漕ぎつけることができたのである。

 本が刊行されたのが8月の末、私は、真っ先に加藤さんに献呈したく思った
が、すでに加藤さんの病状は相当悪化していると聞いていて、本を差し上げて
もかえって気持ちの上で負担をおかけしてはいけないという思いが強くして、
献呈を差し控えることにした。それから三ヶ月、昨日、加藤さんが亡くなられ
たことを思うと、本を手に取る体力も失われていたのでないか・・・・。今、
思うと、「お仕事を大切に」という加藤さんの言葉に支えられて、私はハンス
トを続けながら、本を書き上げることができたのではないか。ここまで書いて
きて、今、私は、「加藤さん、ありがとう!」という気持ちで一杯である。

 自衛隊がイラクに派遣され、小泉―安倍とタカ派内閣が続き、九条の改悪・
廃棄に向けて日本の政治が本格的に動き出そうとする時代の趨勢を見て、加藤
さんは加藤さんなりに、剣がペン(文)に優越し、軍が独占的に専制体制を敷
く時代が近く到来するのでないかという危機感に駆られて、「九条の会」を立
ち上げる決意を固められたのではないか。

 果たして、加藤さんの危惧が杞憂に終わるかどうか、それは私たちが今後、
九条を護る戦いをどう広げ、市民の防波堤をどこまで広げて行けるかにかかっ
ている。

 幸い、私たちのハンスト・リレーがスタートして五年近く、「九条の会」が
スタートして四年半、市民の防波は当初予想されていた以上に早く、全国的に
広がり、九条を巡る国民の意識は深化を見せている。そして、その具体的成果
として、昨年夏には、参議院選挙で与野党を逆転させ、安倍内閣を退陣させた
ことで、危機的事態は当面回避されたように思える。

 そうした意味で、加藤さんが失意・絶望の淵に追い落とされることなく、冥
界に旅立っていかれたことに、私は、少し救われた思いがしている。

 加藤さん、安らかにお休みください。合掌


        ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

■ 文学は戦争をどう書いたか〔12〕・田山花袋と日露戦争(上)

はじめに

 これまで、本連載「文学は戦争をどう書いたか」では、森鴎外、石川啄木、
国木田独歩と三人の明治・大正期の文学者が、日清・日露戦争と近代日本の命
運を決めた二つの近代的対外戦争とどう対峙し、何を、どう書き/書かなかっ
たかについて、彼らの書き残した小説や詩歌、評論、日記、書簡などを読みぬ
くことで検証してきた。

 11回の連載を通して見えてきたことは、日本の近代文学の礎を築き上げた
これら文学者が、それぞれの内面意識において、個人より国家を優越させてい
たことで、戦争そのものと批判的に対決しえなかったこと、そしてそれゆえに、
彼らの文学が本来の意味で20世紀文学性を、そして世界文学としての同時代
性を獲得できていなかったということである。

 連載第12回に当たる今回と13回に当たる次回と、2回にわたって、明治
40年、「新小説」に発表した『蒲団』一作によって、近代日本文学の進路を
「私小説」と呼ばれる「告白文学」に確定するうえで、決定的インパクトを及
ぼした田山花袋が、日露戦争をどう書いたか、検証していくことにしたい。

 ちなみに、本連載の原稿は、3年前月刊誌『論座』に連載した原稿をベース
に、近い将来単行本として刊行することを前提に、修正・加筆を加えたもので
ある。一度雑誌に掲載した論文を、あえて本メルマガに転載するのは、掲載時
期が3年以上離れていることと、本メルマガの読者人口が少なく、読者層が重
なる可能性が低いからで、少しでも多く平和や非戦にかかわる人に読んでもら
い、文学表現と国家、及び戦争の問題について考えて欲しいと願うからである。


森鴎外と共に従軍したもう一人の文学者

 明治37(1904)年4月21日、広島の軍港、宇品から奥保鞏司令官(
陸軍大将)ら陸軍第二軍の将官と兵士を乗せて、輸送船八幡丸は、宿敵ロシア
と戦うべく遼東半島の戦地に向けて出港していった。この船に二人のまったく
資質の違う文学者が乗っていたこと。一人は軍医部長として出征する森鴎外で
あり、もう一人は、従軍記者として第二軍に同行する田山花袋である。

 後に、小説『蒲団』で内弟子として同居させた小説家志望の女性に対する恋
情を赤裸々に告白して一大センセーションを巻き起こし、『破戒』の著者、島
崎藤村と並んで、日本近代文学史に、自然主義文学、私小説、あるいは告白文
学のパイオニアとして名を残した田山花袋。にもかかわらず、今ではほとんど
忘れられた存在に甘んじてきた花袋。このあまりに評価の低い小説家は、これ
より5年前、東京の出版社、博文館の編集局に入社し、日露両国が開戦するま
では、山崎直方・佐藤伝蔵編著の『大日本地誌』の編集に携わっていた。

 ところが、日露が戦端を交えるに至り、博文館は『日露戦争写真画報』を創
刊、その取材のために花袋は第二軍私設写真班の取材記者(ペン)として、八
幡丸に乗ってロシア兵が待ち受ける満州の戦地に向かうことになったのである。

 この時、宇品出港から、遼東半島先端部の塩大澳での困難を極めた上陸、そ
して金州、南山、得利寺、蓋平、大石橋などでの戦場取材を経て、9月13日、
帰国のため備後丸に搭乗して大連を出港するまで、従軍記者として体験・見聞
し、思い、感じたことを克明に記述したものが、『第二軍従征日記』である。

 「日記」というよりは、正確には戦争ドキュメンタリー、あるいは戦場レポ
ートと呼ぶべきこの長大なテキストは、花袋が日本に帰国して4カ月後、すな
わち、年が明けて1905(明治38)年1月、旅順陥落の報に日本全土に歓
呼の声が沸きあがる中、「西南の役に戦死せる父君の霊前に献ず」と題辞を付
した上で、博文館から刊行されている。「戦死せる父君に献ず」とあるのは、
花袋が7歳の時、警察官だった父親が西南戦争に出征し、戦死していたからで、
戦地に赴く花袋の心中に、戦死した父親の後を追い、その死を自分なりに追体
験してみたいという気持ちがあったとみていいだろう。

 ちなみに、日露開戦の時点で花袋は、『野の花』や『重右衛門の最後』など
いくつか短編小説を発表していたものの、小説家としての名はまだ上がってい
なかった。しかも、新しい文学は自分たち若い世代の書き手によって、という
志を熱く胸中に秘めながら、生活のため出版社に勤め、地誌の編集という不本
意な仕事に従わざるをえない。そんな鬱屈した生活と思いを晴らすべく、従軍
出征2カ月前の2月、まさに日露開戦とタイミングを合わせるようにして、花
袋は、雑誌「太陽」に「露骨なる描写」を発表し、鴎外や幸田露伴、尾崎紅葉、
坪内逍遥らの文学を「老成文学」とみなし、「一種特別なる形式に陥り、自ら
自己の筆を束縛して、(中略)空しく文章の奴隷と為つて居るもの多い」と厳
しく批判。それに代わる新時代の文学的描写として、「何事も隠さない大胆な
露骨な描写」を主張していた。

 上州・館林藩の藩士の次男として生まれながら、父は西南戦争で戦死、10
歳で京橋の書店に丁稚奉公に出され・・・・・と、文字通り苦学・独学の積み
重ねで、ようやく文学者としての地歩を築きかけようとしていた花袋。もう一
方は、津和野藩主・亀井家の御典医の子として生まれ、幼くして神童の名をほ
しいままにし、11歳で東京医学校に入学、19歳で東京大学医学部を卒業、
22歳でドイツ留学、帰国後は軍医として帝国陸軍に出仕し、出世街道をひた
走るエリート軍医官僚。

 しかも、28歳の若さで『舞姫』を世に問い、堪能なドイツ語を駆使して、
『埋れ木』や『即興詩人』を翻訳、文学批評の面でも文芸雑誌「めさまし草」
を主宰するなど、明治中・後期の文壇においても重きをなしていた鴎外。生ま
れや生い立ち、教育・教養のバックグラウンド、その後のキャリア、文学的志
向性・・・・・すべての点において、従軍記者・田山花袋と軍医部長・森鴎外
とでは、天と地ほども違っていた。当然、花袋は、自身のよって立つ思想・感
性や文学的拠点も鴎外とははっきり違うこと、そして、鴎外が新しい時代の文
学にとって、「敵」の側に立っていることも認識していたはずである。

 しかし、だからこそといえばいいのか、花袋の中に、鴎外に対する羨望、憧
憬、畏敬の念があったとしても不自然ではない。事実、文学的回想録『東京の
三十年』の中で、花袋は、「鴎外氏は陰ながら一番尊敬してゐたし、その書ひ
たものからは、非常に利益を受けて居たので、この前から逢ひたい逢ひたいと
は思つて居た」と、鴎外に対して特別に畏敬の念を抱き、面識を得たいという
望みを持っていたことを明らかにしている。

 そうした思いがあっただけに、博文館が花袋を従軍記者として派遣すること
を決めたとき、同じ従軍するのなら、鴎外が軍医部長をしている第二軍にとい
う気持ちと、その方が戦地での取材に当たっていろいろ便宜を図ってもらえる
だろうという計算が働いていたとしてもおかしくない。もちろん、そうした計
算の裏に、鴎外に近づくことで西洋近代文学の新動向を知り、自身の文学的方
向性を見定めたい、さらには鴎外に認められることで、文壇における己の地位
を有利にしたいという思惑があったことも確かである。

 ところで、花袋ら従軍記者は、第二軍から正式の依頼を受け認可されたもの
ではなく、博文館から申し出て、「私設従軍記者」として同行を認められたも
のであった。そのため、事あるごとに花袋らは厄介者扱いされ、艱難辛苦を強
いられた。しかし、それでもほぼ4カ月間、遼陽の戦いまで同行し、取材をま
っとうできた背後には、鴎外の配慮が何がしか働いていたと考えても間違いで
はないだろう。

 人間は、優越する相手に対して引け目を感じるとき、乗り越えようと敵意を
燃やすと同時に、個人的に相手に近づき、認められたいという願望も持つはず
である。花袋にとって鴎外は、まさに乗り越えるべき「敵」であり、同時に、
近づき、認めてほしい「先達」、あるいは「父」でもあった。そうした意味で、
同じ船で戦地に渡り、同じ軍として、しかも前線で戦うことなく行動をともに
できるという従軍取材行は鴎外に近づく絶好のチャンスであったはずだ。

 事実、花袋は、広島で八幡丸の出港を待つ間、早くも鴎外の宿を訪れ、挨拶
をすませている。『東京の三十年』の中で、面識もなく、事前の打診もないま
ま突然訪れ、看護兵を通して名刺を通じただけで鴎外が会ってくれたことに対
して、「これも文芸のお陰だ」と感激している。このことからも、いかに花袋
が文学者としての森鴎外に頼みの綱を託そうとしていたかがうかがえよう。お
そらく、そのとき、鴎外から「時々遊びにきたまえ」などと声を掛けられたの
だろう、花袋は以後、何度か「森軍医監(鴎外先生)」を訪れ、文学談義に耽
っている。


文学に一番近づいた『第二軍従征日記』

 本連載ですでに記したように、日清戦争のときには、正岡子規や国木田独歩
が従軍記者として出征している。今、彼らが書き残したものと花袋の『第二軍
従征日記』を読みくらべてみて発見する大きな違いは、花袋のほうが記述がは
るかに具体的で克明であること、戦闘場面だけでなく、戦う前や後の第二軍の
将校や兵士の動き、彼らとの会話などを生き生きと記述していること、そして
戦争がもたらす「悪」、即ち、無惨な死や人間性の喪失の問題を見つめようと
していることである。こうした記述の直接性、具体性は、花袋が戦闘当事者に
最も近いところで、戦争の現実を体験したことで獲得されたもので、そうした
意味で、この日記は数多く書かれた日露戦争体験記やレポート記事、日記類の
中にあって、文学に一番近づいた作品といっていいだろう。

 さて、花袋が初めて、実際の戦闘場面を目の当たりにして取材したのは、塩
大澳に上陸してから19日後の5月26日、金州郊外の南山での闘いで、花袋
らは標高100メートルほどの高さの肖金山という小高い丘の上から戦場を見
下ろす形で取材している。そのとき第二軍は、前日から南山に立てこもったロ
シア軍を攻撃していたが、容易に決着がつかず、夜7時、日が暮れかかる頃、
すでに3千人もの死傷者が出たというのに、いまだ南山を落とすことができず、
第二軍首脳のみならず、花袋ら取材記者の間にも不安と焦燥が走る。このとき
の状況を花袋は次のように記述している。

   自分も少なからざる不安の念を抱いて、目瞬もせず戦況如何にと見て居
  つたが、依然たる砲烟、依然たる歩兵、更に其状勢が進歩しやうともせぬ。
  時計を見ると、もう七時、夕日は金州湾に閃々たる金色の波を画いて、理
  衣本島の影は黒く、金州盆地には空気が濃く光を失つて、顧ると、老虎山
  の上には十二日の月一輪。

 ここで、花袋が戦況のなりゆきに不安を感じる一方、「老虎山」の頂にあっ
て静かに地上で繰り広げられている殺戮の地獄図を見下ろす「十二日の月」に
もまなざしを向けていることを見落としてはならないだろう。花袋は確かに、
生まれて初めての戦場取材で、ロシア撃つべし、という全国民的情念を共有し、
日本軍の勝利を望み、早く実際の戦闘場面が見たいと焦り、戦闘が始まるとま
るでスポーツでも楽しむように、近くの丘の上から観戦を決め込み、日本軍の
勝利を見届けては「万歳万歳!」を叫び・・・・・と、愛国的従軍記者として
振る舞っている。つまりそのことでは、花袋も、日清戦争のとき従軍取材して
愛国意識と戦意高揚を激しく謳って『愛弟通信』を書いた国木田独歩と、基本
的にそう遠からぬところに立っていた。

 しかし、近代の日本文学が持った数少ない戦争のテキストとして花袋の記述
が、そうしたレベルを突き抜け、文学的表現のレベルに届こうとしているのは、
人事に対する自然、生に対する死、争いに対する平和、闇に対する光、動に対
する静・・・・・と、目前に繰り広げられる一つの主題的事実あるいは現象(
この場合は日本軍の勝利とロシア兵の敗走)のレベルにとどまらず、極めて対
照的で、一見主題的テーマとは無関係に見え、それゆえに見落とされがちな副
次的事物や光景を、その持ち前の複眼的まなざしの働きを通して見据え、記述
に差しはさんでいること。そして、そのことによって、描写された世界に一層
の広がりと奥行き、そして意味の重層性と批判性を持ち込み、より構造的に戦
争の「悪」を浮かび上がらせることに成功していることである。そこに、私た
ちは、戦場レポート記事を文学作品のレベルにまで引き上げたいという花袋の
文学的意図を読み取るべきであろう。

 ところで、南山の戦いで花袋たち従軍記者は、勝敗が決する前に夕食の準備
をしておこうと、いったん山を下りている。と、突然、山を揺るがす万歳の声。
見ると、南山の敵塁の一角に日章旗が翻り、ロシア兵がクモの子を散らしたよ
うに逃げていく。夕暮れ迫る中、ようやく目にすることができた勝利の光景に、
花袋は「万歳!」を絶叫し、「自然の美、人工の美の巧に織り合はせられたる
絶大なる壮観」と、酔ったように見入る。

 だが、その複眼的まなざしは、いつまでも勝利の感激に酔い、浮かれること
を許してはおかない。やがて、花袋のまなざしは、周囲の興奮とは打って変わ
って、一人無言のまま、沈着冷静に沈み行く西日に向かって立ち尽くす第二軍
司令官・奥大将の姿をとらえていく。そして、その姿を「戦勝つて驕らざる古
の名将」にたとえ、「実にすぐれた絵画の題目である」と賛辞を惜しもうとし
ない。

 しかし、このシーンでも、花袋のまなざしは、老虎山上に懸かる月を仰ぎ、
「顧ると、老虎山上の月、これはまた此の戦争の修羅の巷の上に超然と達観し
て居るかのごとく蒼い白いさびしい光を投げて・・・・・」と、自軍の勝利に
沸き返る地上の興奮を、さめた目で他人事のように見下ろす自然というもう一
つのまなざし(月)をとらえることを忘れていない。そのもう一つのまなざし
が、自然主義文学者として現実や事実を客観的に見つめようとする花袋のもう
一つの心の「目」であることはいうまでもない。


「戦争其ものゝ罪悪」を見据えて

 だが、それでも、花袋の筆の働きがここにとどまる限り、描写は一幅の古典
的戦争絵画の複写のレベルを超えることはできないだろう。花袋の筆がその限
界を突き抜けようとするのは、その翌日、金州の南門付近で戦場を取材し、自
軍の勝利とは裏腹の見るに堪えない無残、醜悪な現実、即ち、路傍いたるとこ
ろ「其処にも一箇、彼処にも一箇」と、際限なく転がる日本兵の死体を目にし
てしまった時だ。

 うろたえ、思わず目をそむけようとする花袋。だが、「露骨なる描写」を書
いた文学者としての良心がそれを許さない。花袋は、かろうじて踏みとどまり、
その複眼的まなざしで死体を見据える一方、そのかたわらに咲く可憐な菖蒲の
花や朝の風に吹かれて揺れる緑の楊柳をとらえる。そして、「朝の平和は言ひ
知らず静かに穏かにあたりに充ち渡つて居る」と、残酷なほど平和な朝の静け
さを強調していく。一方の無惨な「死」、もう一方の光溢れた平和な「生」・
・・・・。世界そのものに内在する不条理。この著しく対照的な二つの世界を
前にして花袋の眼は初めて、輝かしい日本軍勝利の栄光から、死という戦争が
もたらした「悪」の現実へと転化されていく。

  「南山の敵塁を一つ一つ見て行つた。掩濠、掩蓋、其傍には、鼠色の外套
  の血に染つたのや、白い腹を出して口の周囲を砲弾に裂かれて死んで居る
  のや、後頭部を微塵に打砕かれてすツとも言はずに斃れたらしいのや、二
  人折重つて、無惨なる最期を遂げて居るのや、砲を打たうとしてその姿勢
  のまゝで絶命したのや、それは実に眼が当てられぬ。孰れも昨日の午前午
  後、其悲鳴の声はわが砲弾の炸裂せる下に聞えて、救ふべからざる四苦八
  苦の苦痛は此附近の到る処に満ち渡つて居つたであらう。流れ出づる血汐、
  其を拭はん為めに裂かれたる手巾、繃帯の片々、人間最終の恐るべき悲劇
  は此の狭く暗く長い掩濠の中に演ぜられて、それは悪魔の神の猛悪を以て
  しても猶ほ見ることを咀つたであらうと想像せられる」

 しかし、このとき、花袋のまなざしは、戦争の「悪」そのものを暴き、撃つ
ところまではまだ届いていない。なぜなら、敵弾の飛んでこない安全圏にあっ
て、眼下の戦闘を見下ろしていたことで、花袋に当事者性が決定的に欠落して
いたからであり、さらに花袋の外側と内側から働く検閲の力が、花袋に見るべ
きものをとことん見抜き、書くべきものを書き抜くことを禁止しているからで
ある。すなわち、外的な検閲としては、花袋らが書く記事はすべて第二軍の検
閲を受けていた。そのため、無残に破戒された日本兵の死体を見て「戦争の悪」
などと書くわけにいかなかったからであり、内的検閲としては、戦争という非
常時にあって、個人より国家を優越させようとする花袋の意識のなかで自己規
制に力が働き、それが戦争の「悪」を直視し、ありのままに書くことにブレー
キをかけていたからである。

 おそらくそのせいだろう、花袋は、従軍記者としての職業意識を働かせ、「
けれどこの暗黒にも猶人間の光明がある」と留保を付けた上で、「それは何?
曰く活動の光明、曰く勇気の光明、曰く犠牲の光明」「砲烟の眼前に炸裂する
時、機関砲の凄じい響の流るゝ時、わが同胞の血に悶へ最期に苦しむ時、死の
影の恐ろしく近く人を壓する時、猶恐れずして前進し、或は防禦するこの心、
この勇気、この犠牲、これは人間の神に近き刹那にはあらざるか」と、「死」
の現実以上に、弾丸雨あられと飛び交う中、死の恐怖をものともせずに突撃し、
敵を攻め落とした日本兵の勇気を上に置き、「神」にも等しいと称えざるを得
なかったのである。

 だが、それでも花袋のまなざしは、西日が傾く頃、旅順街道に出て、ロシア
兵のおびただしい死体を見たとき、戦争の「悪」そのものに届こうとする。

  「悲惨の極、酸鼻の極。如何にして此路を過ぎて行かうかと思はるゝので、
  一間二間と隔てず、数多の死屍は或は伏し或は仰向になりつゝ横つて居る
  のを見ては、戦争其ものゝ罪悪を認識せずには何うしても居られぬ。殊に、
  砲弾に斃れたるものゝ惨状は一層見るに忍びんので、或は頭脳骨を粉韲せ
  られ、或は頷骨を奪ひ去られ、或は膓を潰裂せしめ、或は胸部を貫通する
  等、一つとして悲惨の極を呈して居らぬは無い」

 おそらく、ここにおいて花袋は、日本近代文学史上初めて、戦争のもたらす
現実を「戦争其ものゝ罪悪」という言葉で書き表わしたといっていいだろう。
それは、正岡子規も森鴎外も夏目漱石も獲得し得なかった、戦争の「悪」を見
抜く視座でもあった。だが、戦争の「悪」は、死体のむごたらしさだけにある
のではない。本人の意思とかかわりなく、一瞬にして命の流れを断ち切ってし
まうこと、人を殺すための訓練を重ねること、あるいは戦地で眦を決して戦う
ことで、人間本来の善なる資質をゆがめてしまうこともまた、戦争が必然的に
かかえ持つ「悪」である。花袋は、大石橋での戦闘の跡を取材したときのこと
として、こうした戦争の「悪」について、次のように記述していく。

  「逢ふ兵士、皆な面に一種険しい面影をとゞめて、一度死生の間に出入し
  たかれ等の胸には、最早人の世に対する平和などは全く喪ひ尽したかと思
  はるゝのであつた。これも理である、手を取りし友は半は戦死し、机を同
  うせし同僚も亦多を失つたのであるものを・・・・・。誰か人として平生
  の沈着なる態度を保つことが出来やうぞ。これが戦争の悲劇である。(中
  略)死は人間にありて、或時はその生命でありその権利であることがある。
  死は人間の当然甘受せねばならぬこともまた明々白々のことである。けれ
  ど・・・・・精神上何等の衝動、何等の煩悶を受くることなしに、一銃丸、
  一銃槍の為めに頃刻にして死し了す。この不自然なる死、猶悲むに足らぬ
  であらうか。否、否、否――」

 戦争がもたらした死を「名誉」の死でなく、「不自然なる死」と言い切った
ところに、田山花袋の自然主義文学としてのまなざしとハートが生きていると
いっていいだろう。


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【2】第35回「9の日・9条・ハンスト・イン」のご案内

                      「ガンジーの会」世話人会

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         日本と世界の未来のために九条を護り

    その基本精神を実現していくべきだと考えるすべての皆さまへ


 師走を迎え、初冬の趣いよいよ日ごとに加わる今日この頃、皆さまにはご健
勝にお過ごしのことお慶び申し上げます。

 さて、毎月恒例の「9の日・9条・ハンスト・イン」が近づいてまいりまし
た。今年最後の一斉ハンストは、いつもの通り、9日の午前0時からスタート
します。皆様ふるってご参加のほど、お願い致します。


     ★第35回「9の日・9条・ハンスト・イン」実施要領★

1.日時    :12月9日(火)0時から24時間ハンスト(水、白湯は可)

2.参加方法 :参加希望者は、本ホームページの「参加申込」のサイトに、
                12月9日午前0時までに、名前(ハンドルネームも可)、
                年代、参加する都道府県名、簡単なコメントなどを書き込ん
                で下さい。
                このハンスト・インの運動は、インターネットでの意志表明
         が、他の参加者や全国で志を同じくする人々を励まし、九条
                を護る運動の輪を広げていくことになることをお忘れなく。

3.終了報告  :折角24時間断食したのに、終了報告を怠ると、あなたが自
                衛隊のイラク派兵や九条の改悪・廃棄に反対してハンストを
                行なったことが誰にも伝わりません。あなた自身の意志を明
                確に表明し、あなたが終了報告を書き込んで初めて、ハンス
                トという行為が政治的抗議行動になることを忘れず、終了し
                たら、必ず終了報告を書き込んでください。

4.実施方法  :初めて参加される方は、ホームページの実施要項を必ずお読
                みの上、ご参加下さい。また、24時間のハンストができる
                かどうか自信がなくても心配はいりません。まずはじめてみ
                ましょう。出来る人が、出来るところまでやる。それであな
                たの意志は十分に参加する人たちに伝わります。

5.その他   :パソコンを使えない方の分は、まとめ役の方が、一括して参
                加者名をご報告下さいますようお願いします。

◎参加に当たって、分からない事などありましたら下記へご連絡ください。
                v.gandhi@dia.janis.or.jp 

         ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 イラクに派遣されていた航空自衛隊の撤退が決まり、年内に撤収することに
なりました。思えば、私たちが、2004年1月26日、陸上自衛隊のイラク
派兵に反対してリレー式のハンスト・マラソンを立ち上げて以来、4年と11
ヶ月もの長きにわたって、憲法の第九条が自衛隊によって犯され、蹂躙され続
けるという異常事態が続いてきたたわけです。

 この間、私たちは、一日、一時間も途絶えることなく、ハンスト・リレーを
続けることで、自衛隊の即時撤退を求めてきたわけですが、私たち市民の声と
行為の直接的結果として撤退が実現したわけではありません。そのことを思う
と、本当に空しいという気がしてなりません。

 しかし、だからといって、ほぼ5年に及ぶハンスト・リレーと2年10ヶ月
に及ぶ「9の日・9条・ハンスト・イン」がまったく無駄であったというわけ
ではありません。今回、政府が空自撤退を決めた要因の一つに、与野党が逆転
した参議院で、これ以上の派遣延長が認められそうにないことが挙げられてい
るからです。つまり、昨年7月の参院選で、自民党を敗北させたことが、今回
の撤退に繋がっているわけで、その意味で、私たちの運動は、自衛隊を撤退さ
せ、九条を本来の姿に戻すべきだという市民・国民の声と行動に連帯していた
わけで、正直に言って、ここまでつらい思いを乗り越え、続けてきたからこそ、
今この時点での撤退が実現したのだという気もしております。

 とはいっても、これで安心することはできません。政府与党は、インド洋で
の海上自衛隊による給油活動の延長を目的に、新テロ特措法の成立に向けてな
りふり構わず攻勢をかけようとしており、オバマ米新大統領の要請で、アフガ
ニスタンに再び自衛隊を派兵させることを狙っているからです。

 こうした動きを封じ込めるためには、速やかに衆議院を解散し、総選挙を通
して与野党を逆転させ、新しい政権のもと、これまでのような対米追従外交を
許さないような体制を作り上げることが急務といえるでしょう。そのためにも、
私たちは、一日も早い衆議院の解散と総選挙を求めるものであります。

 さらにまた、自衛隊の海外派兵を許さないという国民世論を一層確固不動の
ものにするために、国際貢献を理由に強引に行われてきた陸・海・空自衛隊の
派遣が、どれほど実効性があったか、国会やメディアを通して、検証される必
要があるでしょう。例えば、サマワに派遣され給水活動を行った陸上自衛隊が、
377億円もの費用をかけて現地で提供した水の総量8800万トンの内、半
分近くが自衛隊用に使われたといわれています。もしそれが事実だとすれば、
それほどのコストをかけて派遣し、長期間滞在させる意味が果たしてあったの
か。こうした疑問を含めて、国際貢献の実態が徹底的に解明される必要がある
でしょう。

 以上から、私たちは、4年と11ヶ月もの長きにわたって、憲法第九条に違
反し、自衛隊をイラクに派兵し続けた小泉、安倍、福田元首相、特に憲法違反
行為を「誇りに思うと」とまで言い切った麻生現首相とこれらタカ派首相を支
えてきた自民党・公明党に対して、以下の5点を求めて35回目のハンスト・
インを行いたく思います。


1−新テロ特措法の廃棄とインド洋で補給活動に当たっている海自艦艇の即時
  撤退。

2−陸上自衛隊・航空自衛隊がイラクの現地でいかなる活動を行っていたのか、
  可及的速やかに検証し、その結果を国民の前に明らかにする。

3−麻生内閣の総辞職と衆議院解散・総選挙。

4−アメリカのオバマ新大統領から自衛隊をアフガンに派遣することを要請さ
  れても、応じないことを内外に明らかにする。

5−今後、いかなる形であれ、自衛隊の海外派遣には応じないことを、日本政
  府の立場として内外に宣言する。

          2008年12月2日

                    「ガンジーの会」代表:末延芳晴 


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【3】ハンスト日記  〜参加・終了報告などから〜      参加者

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 ☆____________________________________
 |                                                                  |
 |先々週・先週のリレー・ハンスト参加者(原則として正午から24時間)|
 |                                                                  |
 |11月23日(日) 燿山(岡山)                            |
 |    24日(月)  藤森(長野)                                |
 |    25日(火) 山川(兵庫) 白岡順(千葉)         |
 |    26日(水) 藤森(長野) 池宮正信・とも子(米メーン州)  |
 |    27日(木) どんぐり(北海道・帯広) 燿山(岡山)       |
 |    28日(金) 相良(北九州市) 如安(埼玉)        |
  |    29日(土) 末延(京都)                       |
 |   30日(日) 燿山(岡山)                 |
 |12月 1日(月) 藤森(長野)                                  |
 |    2日(火) 末延(京都) 山川(兵庫)                    |
 |    3日(水) 藤森(長野)                                  |
 |    4日(木) どんぐり(北海道・帯広) 燿山(岡山)        |
 |    5日(金) 相良(北九州市) 如安(埼玉)                |
 |    6日(土) 末延(京都)                                  |
  |__________________________________________________________________|


◆毎日新聞に川本三郎氏の書評が            末延芳晴(京都)

11月23日(日)正午、終了。燿山さんに引継ぎました。

私事で恐縮ですが、嬉しいお知らせを一つ。今日の毎日新聞書評欄に、拙著『
森鴎外と日清・日露戦争』の書評が載りました。評者は川本三郎さんで、僕の
書きたかったこと、言いたいことを正面から受止めてくれ、文学者として川本
さんのハートが伝わってくるような書評で、読んでいて涙が出てきそうになる
ほど嬉しく思いました。興味のある方は、ご一読ください。


◆政府、空自イラク撤退の正式決定           藤森治子(長野)

11月24日(月)正午から、燿山さんを引き継いでハンストに参加中です。
外出していて報告が遅くなりました。

時事通信によれば、政府は28日にも空自のイラク撤退を正式決定する方針を
固めたとのこと。残るはインド洋の海自の撤退・延長なし、まで追いつめるこ
とですね。


11月25日(火)正午、山川さん、池宮さん、白岡さんに引き継いでハンス
ト終了しました。

昨夜の雨が、今朝は山裾まで白い雪になりました。街はまだ雪は降りませんが、
例年になく早い冬の到来で慌ててしまいます。寒い冬になるとの予報です。皆
さま風邪など召しませんように・・・。


◆実家の父の看護に里帰り              山川トモコ(兵庫)

11月25日(火) 正午〜 参加しています。

県外に住む実家の父が9月から調子が悪く、おしめを買っての里帰り。畑の草
はぼうぼうの中、そこを耕しては玉葱の苗を植えつけてきました。往復6時間
の強行で、どっと疲れて寝てしまいました。報告が遅れてすみません。


11月26日(水) 正午に終了しました。

昨夜から喉が痛くなり、今夜はもっとひどくなっています。
皆様お風邪などひかれませんように。


◆第3回九条の会・全国交流集会の報告から       藤森治子(長野)

11月27日(木)午後1時、どんぐりさんと燿山さんにバトンタッチして、
ハンスト終了しました。

「九条ニュース」118号に先日行われた第3回九条の会・全国交流集会の報
告が要約されています。当日は、鶴見俊輔、澤地久枝、奥平康弘、大江健三郎
の諸氏がそれぞれ貴重な体験と今後の展望を語っています。

http://www.9-jo.jp/news/9jouNews/081127news118.doc 

大江健三郎氏の挨拶:沖縄戦の集団死について書いた本の第二審の判決につい
て、質問に答えるときに気付いたことがありました。それは、原告側は第二審
の最終弁論にあたって、「これは名誉棄損の裁判だが、むしろ自分たちは政治
的に大きな目的を持っている」と明言しました。しかし、私の方は政治的目的
はあまり考えず、38年前に書いた本を守り続けようと考え、この裁判が自分
の日常生活の中に深く入り込んでいたという事実です。そういう態度が浸み付
いたのは、「九条の会」のおかげだと思います。

最近、物理学者フリーマン・ダイソンの本を読み、同じ論文を20年前に読ん
だ時とは違う感銘を覚えました。それは非暴力抵抗の概念を一国の国家政策に
する国が必要だという内容です。私は去年から今年にかけて何度か「九条の会」
の地方の会に出していただき、そこで個人が生きていく規範として「九条の会」
の人間であることを続けている人たちにあい、静かな、確信に満ちた規範を感
じてきました。ある地方では、お子さん、お孫さん、ひ孫さんの代まで「九条
の会」に入っている方がおられる。4代にもわたる平和主義の個人的な規範と
しての伝統が国家の伝統になれば、日本が国際的に平和主義を本当に樹立する
大きな手がかりになるのではないでしょうか。


◆米国産ブラックユーモア                 燿山(岡山)

11/28(金)正午、定例ハンスト終了。相良さん、如安さんへ引き継ぎます。

米国産ブラックユーモアに現我が国を揶揄する逸品を見つけました。

「大統領、大統領夫人、副大統領、下院議長、4人の乗った大統領専用機エア
フォースが米国上空を飛んでいたときの事。

大統領がポケットから百ドルを1枚取り出し、夫人に言った。この百ドルを窓
から放って誰かをハッピーにさせようと思うが、どうかね? 
夫人が答えた。素敵なアイデアだわ、でもどうせなら十ドル札十枚にして十人
の人をハッピーにしたらどうかしら? 
副大統領が口を挟んだ。それなら一ドル札百枚にして百人をハッピーにしてや
ったらどうですか? 
下院議長がおずおず言った。大統領、あんたが窓から飛び出して米国民全てを
ハッピーにしてやったらどうでしょう?」


◆喜んでばかりはいられない         相良和彦(福岡・北九州市)

11月29日(土)正午ハンスト終了し末延さんに引き継ぎました。

イラクの航空自衛隊もやっとこさ撤収命令が出て、年内には全員が帰って来る
事になりました。しかし喜んでばかりはいられません。

ブッシュ大統領が始めた大義なきイラク戦争について、何処の国も間違いと認
めているのに、日本だけが未だ検証も反省もしていません。自衛隊の海外派兵
も憲法違反の判決が出たのに、「そんなのカンケイない」と全く無頓着!

アメリカの属国として盲従した頭のまま、真近かに迫ったインド洋給油継続?
問題や、オバマ新大統領による新時代を迎えようとしています。


◆政権側が望む好戦的空気を生む貧困層拡大         燿山(岡山)

12月1日(月)正午、定例ハンスト終了、藤森さんへ引き継ぎます。

空自は撤収しますが、改憲策動は権力制度を利用して意識構造の草の根で広げ
ていますから、ハンスト抵抗はまだまだ続くのでしょうね。

政権側が望む好戦的空気を生む貧困層拡大、への根源的抵抗にも断食は有効と
実感します。

インフルエンザの季節です。高齢者は生命に関わるとの事、まだまだ抗いの生
を終焉したくはないので自戒しています。


◆九条維持・自衛隊容認・日米安保条約維持が6割    藤森治子(長野)

12月1日(月)正午から、燿山さんを引き継いでハンストに参加中です。

いよいよ師走ですね。今日は雲一つなくよく晴れた暖かい小春日和でした。前
山の向こうに雪を冠った北アルプスの稜線が見えました。

如安さん、風邪は如何ですか?お大事に。


12月2日(火)正午、山川さん、末延さんに引き継いでハンスト終了しまし
た。

先日久しぶりに「朝まで生テレビ」を真夜中に見ました。田母神問題だったの
で・・・・・。討論はなかなか充実していましたが、それでも、アンケートの
結果は、組織的な投票があったのかもしれませんが、61%が田母神発言を支
持するという結果で、ショックを受けました。司会の田原氏によれば、九条維
持・自衛隊容認・日米安保条約維持、というこの3つの相矛盾した事項がそれ
ぞれ日本人の6割を占めているとのことでした。

田母神発言は、稚拙とはいえ、この相矛盾した間をぬって噴出してきたもので、
無視はできないと痛切に感じました。


◆いつかこの運動が報われる日がくることを願いつつ  山川トモコ(兵庫)

12月2日(火)正午〜 参加しています。

冬が近づくこの時期になりますと、実家や知人の畑で育った大きな大根や白菜
やほうれん草が届きます。昨夜も・・・。いま、大根を大きな鍋で炊いている
最中ですが、明日のお昼まで食べれないんですよね。くんくんといい匂いなの
に。

12月3日(水) 正午に終了しました。

先週はそうでもなかったのですが、今日は、鈍痛で目覚め、ようやく体調がま
しになったのが午後3時をまわっていました。日頃からの年齢に見合わない無
理や無茶が、空腹時にはより大きな疲労感となって表れる気がします。

いつかこの運動が報われる日がくることを願いつつ、終了しました。


◆考える暇あるの?「首相の一日」           末延芳晴(京都)

11月3日(水)正午終了、藤森さんに引き継ぎました。

今日の京都新聞の「首相の一日」によると、昨日12月2日、麻生首相は朝の
9時1分からの閣議に始まり、29分、宇宙開発戦略本部、52分、国家公務
員制度改革推進本部など会議に出席、10時2分、金子一義国土交通相、14
分、二階俊博経済産業相と面談、36分、元赤坂の御用地で三笠宮誕生日お祝
いの記帳、49分、父太賀吉の墓参、午後0時3分、福岡飯塚市の女性後援会
会員と面会・・・・・と、文字通り分刻みのスケジュールで動いています。ざ
っと数えて、政財界人合わせて20人近くに会い、会議には10回近く出席、
夜は、6時31分から、ホテル・ニューオータニで東京電力の勝俣恒久会長、
清水正孝社長らと会食となっています。

「100年に一度」といわれる金融危機に直面し、内憂外患を抱える日本を間
違いなく舵取りしていくには何をどうすればいいのか、麻生首相に一番求めら
れているのはこのことを全身全霊を傾けて考え抜くことのはず。

にもかかわらず、こんなに忙しく人と会い、会議に出席していて、じっくり考
える時間など果たしてあるのでしょうか。発言がクルクル変わるのも、自分の
思考をまとめる時間がないせいじゃないか・・・・。そもそも、アメリカやイ
ギリス、フランスの首相が、こんな忙しく人に会い、会議に出席し、財界人と
食事を共にしているのでしょうか? 新聞やテレビの外国特派員は、この辺の
ことも報道してほしいですよね。

ちなみに、この日、麻生首相が最後に会ったのは、産経新聞の社長の住田良能
氏。場所は、同じホテル・ニューオークラのバー「カトーズダイニング&バー」
。最近の産経新聞の世論調査で、内閣支持率が27%に急落したことは、メデ
ィアで大きく報じられてきたところです。常に自民党べったりの報道を行い、
歴代無能首相を弁護してきたウルトラ右翼新聞からも見放されてきつつあるこ
とを感じ取って、買収のために一席設けた?・・・・。

それにしても、権力に対して批判的であるはずの新聞社の社長が、ホテルのバ
ーで一国の総理大臣と盃を組み交わす。そのことをどのメディアも批判的に報
道しない。何か、おかしな話ですね。国民の不幸の源泉がそこにあるような気
がしてなりません。


◆玉村豊男氏の「時事問題を斬る」           藤森治子(長野)

12月3日(水)正午から、山川さん、末延さんを引き継いでハンストに参加
中です。

夕焼けがあまりにきれいで見とれているうちにすっかり冷えきってしまいまし
た。金星、木星も見え、数日前には眉のようだった三日月も少しふっくらして
きました。


12月4日(木)午後1時、どんぐりさん、燿山さんに引き継いでハンスト終
了しました。

玉村豊男さんが、いよいよインターネットで時事問題を語り始めました。下の
URLで読むことが出来ます。↓ 

「玉さんが時事問題を斬る」不定期新連載 玉さんキャスター 
http://www.villadest.com/miscellanea/tamasan/caster/newest.html 

この頃はぶどう畑に忙しく、また政治の話は避けているかに見えたのですが、
むかし愛読した『アルマジロ私想録』などから、いつか必ず何か書き始めるだ
ろうと期待していました。

3年ほど前に、友だちとヴィラディストへ食事にいったことがありました。そ
の時、「九条の会」のポスターをお土産に置いてきたのでした。この政治の混
迷に、玉村さんも黙っていられなくなったのでしょうか。


◆お互い平和の為に大事な身体        相良和彦(福岡・北九州市)

12月5日(金)正午北九州市で、どんぐりさんと燿山さんから引き継いで、
ハンストに参加します。

9の日・9条・ハンスト・イン にも参加します。

夕方から寒波が来るとの知らせ。 お互い平和の為に大事な身体。 風邪など
には、充分気を付けましよう。


◆我が家の娘婿はまた来年はイラク?          高橋如安(埼玉)

12月5日(金)正午から参加します。

「9の日」参加します。この日はちょうど草津のハンセン病国立療養所です。
草津は厳しい寒さでしょうがまだチェーンはいらないでしょう。ここには「重
監房跡」があります。ここで何人ものハンセン病者が凍死したりで、日本人に
大きな権限を与えると、いつの世も弱い者が犠牲になると言うことでしょうか。
我が家の娘婿はイラクから一年帰還し孫も幸せです。が、また来年はイラクで
しょうね。


6日(土)正午、ハンスト終了。

昨日の5日、21才で同期の女子大生と結婚して苦節の道のり29年でした。
今日はこれから、デイサービスの訪問演奏クリスマス会の運転手兼カメラマン
です。そのあと、一つ下の楽友を見舞に行きます。末期です。


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  編 集 後 記

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 加藤周一氏が亡くなられました。昨年の小田実氏に続いて、「九条の会」の
呼びかけ人9人のうち、2人が旅立たれ、2004年6月10日に発足して以
来4年半という年月の重みをひしと感じております。発足時、「僕が最年少で
・・・・・」と言われた大江健三郎氏が、そのときすでに69歳だったそうで
すから、高齢の9人それぞれに4年半という年月が流れていたわけです。歳を
とるということは、知っている人が一人、二人と亡くなり、次第に寂しくなっ
て、やがては自分の「時」が来ることを予感するということなのでしょうか。

 加藤周一氏は、「九条の会」発足のとき、「9条を護ろうという人たちの運
動がいろいろとあり、小さな会もあれば大きな会もあるのですが、その人たち
の横の運動がほとんどないのですね。たとえばどれぐらいの団体があってどれ
ぐらいの人たちが活動をしているのか、推定どれぐらいの数なのかということ
もわからないのですね。そういう意味で、お互いの横の連絡、ネットワークを
作りたい。」と述べられ、そのことに深く共鳴しました。先日の「九条の会ニ
ュース」によれば、現在全国で7294の会が出来ているそうです。加藤周一
氏の願ったネットワークは広がりつつあります。

 特に「小さな会」も引き立てて下さったことは大変勇気を与えられました。
2005年9月に「ガンジーの会」が「ガンジー村通信」の特集号を小冊子に
してお送りした時、この「小さな会」の「小さな人間」の書いたことを拾い上
げ、朝日新聞・夕刊のコラム「夕陽妄語」(2006/2/22)で取り上げて下さったこ
とは忘れられません。その経緯は「ガンジー村通信」vol.185(2006/3/9号)で
もう一度お読みいただけたらと思います。↓

http://archive.mag2.com/0000131341/20060309060000000.html?start=140

 今読み直してみると、その頃、「ガンジーの会」のHPは、「9の日・9条・
ハンスト・イン」を立ち上げたばかりで、中国脅威論やハンストという方法を
めぐって、討論やら「あらし」やらが吹き荒れていたころでした。世話人会は
その対応に忙殺されていて、加藤周一氏が「ガンジーの会」について書かれた
コラムについては、読者に教えられて初めて知るという有様でしたが、とても
励まされたことを覚えています。大きなネットワークをつくる大切さと同時に、
「小さな会」を大切にすることもよくご存知であったのだと思います。

 その少し前でしたか、地元の「九条の会」で、加藤周一氏の講演会を聴いた
ことがありました。「昨日中国から帰ってきたばかりです」という加藤周一氏
は、86歳とは思えないほどまだまだお元気そうに見えたのですが・・・・・。
そして、「僕らのような戦争を体験したものたちが生きているうちに、早く国
民投票をしてくれればいいのに。必ず九条改憲は否定されますから。」などと、
護憲派が聴いたら驚くような大胆なことも言われていました。とうとうその「
九条改憲 NO」の投票も出来なくなってしまいましたね、加藤さん!そのこと
を悲しむべきか、喜ぶべきか、思いは複雑ですが、お心遣い有難うございまし
た。ご冥福をお祈りします。


===================================================================
【発   行】    ガンジー村通信 編集部
【発 行 人】    末延芳晴
【編   集】    藤森治子

             ◆◇◆ お願い ◆◇◆ 

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