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2008/11/02

ガンジー村通信 vol. 328

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     〜 自衛隊イラク派兵反対ハンスト・リレーマラソン 〜

                  2004年1月26日以来、本日で1743日目


          ≪ ガンジー村通信  2008/11/2  vol. 328  ≫


本誌HP http://www.h2.dion.ne.jp/~hansuto/
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                I N D E X
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    【1】文学は戦争をどう書いたか〔11〕       ・・・末延芳晴

        国木田独歩と日清・日露戦争(下)

    【2】第34回「9の日・9条・ハンスト・イン」のご案内

                                    ・・・「ガンジーの会」世話人会

     【3】ハンスト日記                 ・・・参加者



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【1】文学は戦争をどう書いたか〔11〕               末延芳晴

        国木田独歩と日清・日露戦争(下)

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「断乎、吾れ詩人たる可きのみ」

 1895(明治28)年3月、日清戦争従軍取材を終えて日本に帰国した国
木田独歩は、従軍取材という形で公的使命感を十分満たしきったことの反動と
してか、「文」によって立つことを熱烈に求めるようになる。すなわち、『欺
かざるの記』に明治28年4月10日、「我が詩人たる可き使令は已に決した
り。如何なる事ありとも変更すべきに非ず。嗚呼高潔にして自由なる哉、詩人
の職」と記し、5月6日には「国家多難なるが故に実際的活動を吾頻りに望め
ども、亦た一方を顧みて詩人の職を重んず。断乎、吾れ詩人たる可きのみ」と
記したように、詩人として生きる決意を、自らに言い聞かせるように何度も表
明している。

 しかし、日清戦争の前線取材から帰ってきたばかりの独歩から従軍記者とし
ての職業意識が完全に消えたわけでもなく、「露国干渉はいよいよ事実となり
ぬ。人心之れがために激昂せるが如し、国家の前途いよいよ多事ならんとはす
る也」(『欺かざるの記』4月29日)、「露国との形勢迫まれるが如し、若
し破裂して一大決戦を惹起し来らんか、実に世界史上の一大変動たらずんばあ
らず」(同5月1日)など、日清講和条約に対するロシアの不当な干渉に対し
て大いに愛国的義憤を募らせ、ここでも分裂した独歩を演じてみせている。

 さらにまた、日本政府が欧米列強の意向を受け入れ、遼東半島の返還を決定
すると、「これ吾国外交史上の大失策なり。欧州諸国が東洋に関渉するの端是
れより発せん。露国が日本を侮るも亦たこれよりせん。日本膨脹史もしばらく
は中止なるべし」(同上5月14日)と、激烈に日本政府の弱腰外交を批判し
ている。

 文学を取るべきか、政治を取るべきか、はたまた宗教を取るべきか、悩み苦
しむ多感の23歳の青年。5月22日、『欺かざるの記』に記された次の告白
的述懐は、己の進むべき道を決めかねて迷い、逡巡する独歩の内面を正直に記
したものといっていいだろう。

   心に平和なし、徒らに自苦しむ。曰く吾れ何を為す可きやと。之れ古る
  き疑問なり。幾度か決して已に幾度か打破りたるものなり。曰く吾れ全然
  美文を草する人、物語りを造る人、人情を説く人、自然を歌ふ人たる可き
  か。詩人たる可きか、一言以て言へば「文字の人」Men of letterたる可
  きか。曰く吾れ実際の政治界に縦横奔走して今日の吾国を政治的方面より
  救ふ可きか。曰く断然、伝道師たる可きか。

 こう書いたとき、独歩は、国家と個人の間に板ばさみとなってどちらを取る
べきか、最も誠実に苦しんだ詩人であった。だが、なぜこれほど烈しく、大仰
に悩み苦しまなければならなかったのだろうか。『欺かざるの記』の1894
(明治27)年9月13日の記述に、「今朝 天皇を宮城の前面にて其の新征
を送り奉りたり。帝者の壮!吾ナポレオンを羨みたり。嗚呼帝王!帝王!これ
を羨むの吾は亦山林の生活を羨む。吾は不思議の心を有す」とあるように、独
歩は、天皇に象徴される共同的な幻想と制度の頂点に立つものとしての「帝王
(国家)」と、それとはまったく逆の方向に広がる自由なる自然的世界の象徴
としての「山林(個人)」への憧憬と、二つの絶対に出合うことのない夢と願
望に決定的に引き裂かれ、しかもそのことを冷静に自覚していた。そのことが、
独歩をしてあれかこれかと逡巡させたのである。

 それならば、独歩はいかにしてこの蟻地獄のような堂々巡りから抜け出すこ
とができたのか?独歩自身の言葉を借りれば、行為であれ、思考であれ、感情、
あるいは祈りであれ何であれ、「シンセリテイ(誠実さ)」を獲得すること。
そう、日清戦争という国民的大フィーバーが終わり、独歩は、戦争に代わる何
かを半ば無意識の領域で求めていた。それは、戦争や政治といった共同的な幻
想でもなく、山林や詩文といった私的な幻想でもなく、己の分裂を乗り越え、
無我夢中で行為へと駆り立ててくれるる新しい幻想だった。すなわち独歩はそ
れまでの人生において一度もかなえられることのなかった幻想、つまり「恋」
あるいは「愛」という対幻想的関係を取り結んでくれる対象(女性)を心底探
し求めていた。そして、運命は、思わぬ形で、この八方塞がりに苦しむ青年を
救い出す一人の可憐な「エンジェル」を用意する。エンジェルの名は、後に有
島武郎の『或る女』のモデルとされ、多情奔放な人生を送った佐々城信子であ
る。


愛の成就と破綻、そして小説家へ

 独歩は、明治28年6月初旬、佐々城信子と初めて会った時、「年のころ十
六若くは七」の「可憐の少女」を恋愛の対象と見ていなかった。むしろこの時
期、独歩の最大の関心は、文学者として立つことで、「『佐伯に於ける一年の
生活』に就て熱血をそむる程に著作せんと決心す。此著作を以て吾旧生涯を閉
ぢ、直ちに北海風雪のうちに投ぜんことを期す」(『欺かざるの記』明治28
年7月20日)と、前々年の1893(明治26)年、徳富蘇峰の紹介で大分
県佐伯町の鶴谷学館で教頭を務めたときの体験を素材にして小説を書こうとい
う決意を固めている。

 しかし具体的に小説を「書く」仕事を進めていくことと並行するようにして、
独歩の心は信子に傾き、しかも信子への恋情を募らせるにしたがって、文学者
として立つことを強く意識し、小説を書くことを自らに義務づけていく。すな
わち、「国民之友」の編集記者として、徳富蘇峰の下で不本意な思いを抱えた
ままぐっと我慢を重ね働くことを余儀なくされていただけに、そしてまた、そ
の当時、新聞や雑誌記者の社会的地位が低く、やくざと同類に見なされ嫌われ
ていることを身に染みて知っていただけに、独歩としては、歳若く夢見がちな
少女のような恋人を前にして、多情多感、才能溢れる青年文学者として自らを
演じ、その将来性に信頼を抱かせる必要があった。

 その必要にかられて、独歩は『佐伯に於ける一年の生活』を書き始める一方、
信子を『武蔵野』の山林に連れ出し、愛を告白し、信子の両親の反対を押し切
って明治28年11月、結婚。独歩は「わが恋愛は遂に勝ちたり。われは遂に
信子を得たり」と、勝利の宣言を『欺かざるの記』に書きつける。しかし、そ
の結婚も半年で破綻を来し、信子の家出、失踪で、離婚することになる。わず
か1年の短い期間に、独歩は戦争、恋愛・結婚、そして離婚と、人生の上で三
つもの大事件を立て続けに経験したことになる。

 独歩は離婚の痛手を忘れ、立ち直る契機を掴み取るために、徳富蘇峰の勧め
で渡米を考え、内村鑑三に相談したりしているが、結局これも挫折。おそらく、
こうした打ち続く「負」の体験が、独歩に文学者として立つ気持ちを一層切実
にさせたのだろう、信子と離婚して1年後の1897(明治30)年5月、処
女小説『源叔父』を執筆、「文藝倶楽部」8月号に発表している。次いで、翌
年1、2月には「今の武蔵野」(後に『武蔵野』と改題)を「国民之友」に連
載、4月には『忘れえぬ人々』を同誌に発表するなど、作家としての地歩を固
めていくことになる。

 しかし、この程度の短編小説を雑誌に発表していたくらいでは、生活は到底
成り立っていかない。背に腹は代えられず、1898(明治31)年には、矢
野龍渓の弟、小栗貞雄の紹介で報知新聞に入社、政治外交問題を担当、霞倶楽
部のメンバーとして外務省に出入りするが、そこにも満足出来ず、星亨主宰の
民声新報社に入社。3年後には、星と諮って政界出馬を狙うが、星が暗殺され
たために断念、翌35年12月、再び矢野龍渓に招かれ、書肆敬業社、のちの
近事画報社に入社、写真雑誌の編集・発行の仕事に就く。そして、1904(
明治37)年、日露戦争が勃発すると、「近事画報」を「戦時画報」と改題し、
戦争グラビア雑誌の編集長として、存分に手腕をふるうことになる。


「挙国一致」の共同性に生きがい

 日露戦争が始まる前、独歩は、「日の出」「第三者」「非凡なる凡人」「悪
魔」「馬上の友」「正直者」「髯漢」「女難」など短編ではあるものの、新作
の小説を立て続けに発表し、新時代の小説家として評価を確立しつつあった。
だが、戦争が始まると、「戦時画報」の編集に全力を注いだせいで、ほとんど
小説を書かなくなる。雑誌は飛ぶように売れ、独歩は、企画から編集まで雑誌
発行のすべてにかかわり、寝る時間も惜しんで陣頭指揮に立って働いた。そん
な独歩の仕事ぶりを、矢野龍渓が、「中央公論」の国木田独歩「追悼・特輯号」
に寄せた「近事画報社時代の独歩氏」で、次のように記している。

   国木田君の書いたものなど見ると、沈痛峭厳といふやうな処があつて沈
  鬱らしい人のやうにも思はれるが、実際はそれとは反対、極く快闊で、パ
  ツとして、なかなかの愛嬌者でした。それならば事業などに掛けては駄目
  かといふに決してさうでない。存外綿密な処があつて、一体の事なかなか
  よく気が付きました。私はホンの黒幕であつて、近事画報一切の事業も経
  画も殆どあの人一人でやつたといつてもよい位でした。第一可笑しいのは
  戦争中いろいろな写真を買ひ込む時に、売手はなかなか高ばるのを、ねぎ
  つて買ふ。なかなか安く経済的に買ふ。さういふ手腕もなかなかあつた。
  又表紙や挿画なども小杉君や満谷君などゝ相談して毎号細かく気をつけた
  ものだ。又戦地に居る通信者がいろいろ戦況を報ずるスケツチを送る。其
  れが五十も七十も来るや、是が読者が喜び相だとか、是れが受けがよから
  うといふような事も一々国木田君がやる。又原稿の選択は固より、印刷部
  数又は臨時増刊の如き事でも大抵国木田君がやつたもので、さうしてそれ
  がなかなかよく当る。

 こうした記述を読むと、キリスト教者であり同時に当代随一の散文芸術家で
あるというイメージとは裏腹に、独歩が実務的な経営の才覚に恵まれていたこ
と、そして日露戦争の最中、まさに水を得た魚のように生き生きとエネルギッ
シュに、そして独歩の言葉を借りれば「シンセリテイ」を尽くして、戦争グラ
ビア雑誌の編集と発行業務に専念していたことがわかる。

 日露戦争終結後の1906(明治39)年8月、独歩は自ら編集に当たって
いた「新古文林」に「号外」という短編を発表している。この中で独歩は、銀
座の正宗ホールに集まっては、酒を飲みながら世間話に興ずるのを楽しみとし
ている加藤という男爵に、「戦争が無いと生きて居る張合がない、あゝツマラ
無い、困つた事だ、何とか戦争を初める工夫はない者か知ら」と語らせ、「『
露西亜征伐』に於て初て彼は生活の意味を得た。と言はんよりも寧ろ、国家の
大難に当りてこれを挙国一致で喜憂する事に於て其生活の題目を得た。ポーツ
マウス以後、それが無くなつた」と記している。ここでの「加藤男爵」が、独
歩自身であることは間違いないだろう。故郷と村落共同体を喪ったまま、キリ
スト教者として、新聞言論家として、政治家志望者として、そして文学者とし
て生きてきた独歩は、実に、戦争という国家・民族の大難がもたらす国民意識
の「挙国一致」という共同性において、初めて己の生きる場と生きがいを見出
すことができたのである。

 だがそれにしても、あれほど「山林」の自由を愛し、透明感溢れる『武蔵野』
を書く一方で、熱烈なクリスチャンとして神に祈った独歩、そして佐々城信子
と烈しい恋に溺れた独歩が、なぜあれほど無批判に戦争を支持し、全身全霊を
傾けて戦争雑誌の編集に没頭できたのだろうか?


鹿を撃ち殺した少年

 小説家が小説を書く上で、言語的表現能力と並んで、絶対に不可欠な条件が
もう一つある。プロットの源泉ともいうべき想像力の特権的な働きである。あ
る小説家の書いた小説が、固有の文学的表現領域を主張しうるのは、その想像
力の働き方が他の小説家にはない独自の個性を獲得しているからに他ならない。
そして作家の想像力の独自性は、おおむね彼、彼女の体験の独自性に根ざして
いる。特に、幼児や少年少女期における原初的な体験は、作家の想像力の働き
方を根底において規定するものとして、作家が意識するしないにかかわらず、
作家が成長し、「書く」ことにたどり着くまで、その内面に生き続け、多くは
処女作や初期の作品に何らかの形で書き込まれていくことになる。

 例えば、夏目漱石が幼児のころ、古道具屋をしていた夫婦の元に養子に出さ
れ、祭りの縁日に籠に入れられ路傍に置かれ、夜風に曝されていたところを、
たまたま通りかかった姉がそれを見つけ、かわいそうだからと実家に連れ帰っ
たところ、幼い漱石(本名は金之助)は泣きに泣いたという話が、『硝子戸の
中』に漱石の回想として書かれている。いわば生まれてすぐに生みの親から放
棄され、本来そこに所属し、いるべきところから引き剥がされたという感覚・
意識、そしてそれゆえに自分が本来いるべき場所を探し求めるという本能的願
望は、処女作『吾輩は猫である』の冒頭、生まれてすぐに捨てられ、本能的に
自分の居場所(暖かく、飢えを満たすことができる母の懐、あるいはそれに代
わる場)を探し求め、苦沙彌先生の家に入り込んでくる「猫」に始まり、漱石
のすべての小説を貫く基調音として流れていくことになる。

 あるいはまた、永井荷風の場合は、短編『狐』において回想した、幼いころ、
父親が弓矢やつるはしといった武器を手に、庭に隠れ棲んでいた狐を駆り出し
て殺してしまった時の恐怖の体験こそが、荷風を小説家たらしめた最も原初的
体験といっていいであろう。その時、幼い荷風(本名は壮吉)は、不思議にな
まめかしく、神秘的な自然的生としての「狐」を理不尽に打ち殺す父親を半ば
恐れ、半ば怒りながら、女性的なるものが優越する世界、すなわち母親の部屋
に引きこもり、そこで母親の着物の袖越しにおそるおそる顔をのぞかせ、頭を
割られ血染めになって運び込まれた狐の死体を見届けることで、「非戦」の作
家として、自身の作家的原点を見定めていくことになる。

 それなら、国木田独歩の場合はどうか。小説家・国木田独歩にとって、へそ
の緒ともいうべき作品は何か?私の見立てでは、興味深いことに、それは、漱
石の『猫』、荷風の『狐』と同じように動物の名をタイトルに持つ短編で、明
治31年8月「家庭雑誌」に発表した「鹿狩」という小説である。この小説で、
独歩は、少年期の「僕」(ほぼ独歩と見なしていいだろう)が、「鹿狩に連れ
て行かうか」と「中根の叔父」に誘われ「山賊か一揆の夜討」のような出で立
ちで鹿狩りに行き、一頭の大きな鹿を撃ち殺した時の体験を描いている。

 船に乗って狩り場に着いた「僕」は、「今井の叔父」と一緒に持ち場につい
て鹿を見張るがなかなか現れない。昼時になって弁当を食べ終わると、「今井
の叔父」は、握り飯と一緒にお茶代わりに飲んだ酒に酔って「グーグー」とい
びきを立てて寝てしまう。「僕」もまた、小春日和のうらうらと照る日差しを
受け、美しい周囲の海や島の景色を眺めているうちに眠くなる。うつらうつら
してフッと何かの気配に目を醒ますと、大きな鹿が1頭近づいてくる。

 「僕」は「叔父さん」を起こそうとするが、起こせば、「何だ?」と大きな
声を出し、鹿が逃げてしまう。どうしよう、どうしようと思っているうちに鹿
はつい目と鼻の先まで来て立ち止まる。「僕」は、胸をわくわくさせ、猟銃を
手に取り構える。「何故叔父さんを起こさなかったのか」と、一瞬悔やんだが
もはや遅い。「僕は慄える手に力を入れて引き金を引いた。ズドンの音と共に
僕自身が後ろに倒れた」

 こうして、12歳の少年は、自ら猟銃の引き金を引き、鹿を撃ち殺したので
ある。果たして独歩自身が、少年のころ鹿を撃ち殺す体験をしたかどうか・・
・・・。私は、たぶんそれに近い体験をしたことはあると思うが、今、そのこ
とを詮索することはさほど重要でない。この短編を書いたとき、独歩は26歳。
それより以前には、処女小説『源叔父』と後に『武蔵野』として知られること
になる「今の武蔵野」、『忘れえぬ人々』、そして『河霧』など数編の短編小
説しか書いていない。重要なことは、いわば小説家としてスタートを切ったば
かりの26歳の青年小説家が、12歳の少年に託して鹿を撃ち殺す小説を書い
たということなのだ。

 さてそれなら、独歩はこの「鹿殺し」の小説で一体何をいおうとしているの
か?あるいは、少年が撃ち殺した「鹿」が象徴的に意味するものは何なのか?
ここで思い起こさなければならないのは、「中原に鹿を逐う」という中国の古
い言葉であり、独歩が強い政治志向を持っていたことを思い合わせると、ここ
での「鹿」が政治的な意味での最高権力としての帝位、あるいは政治的統治権
の隠喩として使われていることが明らかになる。つまり独歩は、12歳の少年
が自分ひとりの決断で大きな「鹿」を撃ち殺したことを書くことによって、ほ
とんど無意識のレベルで、喪われた愛の代償として、政治的な、あるいは現実
的なビジネスの世界で、何か大きな成果を上げたいという願望・野心を語ろう
としていた。そして、その密かではあるが、強い願望に駆られて、独歩は「鹿
狩」を書いたのではないだろうか。

 だが、この小説が象徴的に意味するところは、それだけではない。私たちが
読み落としてはならないのは、荷風の『狐』では、狐を打ち殺したことで、少
年の荷風が父親と父親に象徴される明治の軍国主義的国家体制を憎悪し、否定
する感情を決定的にしているのに対して、「鹿狩」では、鹿を撃ち殺したこと
で、「叔父さん」は、「何とも形容のしやうの無い妙な笑ひを目元に浮かべて
僕に抱き付いた。そして眼のうちには涙を浮かべてゐた」と、動物を殺すとい
う暴力行為が結果として12歳の少年と「叔父さん」との間の親愛の情を一層
深くさせ、さらにそのことが縁となって、その後「僕」が「叔父さん」の養子
にもらわれることになるなど、父と子をつなげる媒体、あるいは絆として肯定
的に意味づけられていることである。

 日本のために為すことあらんと願う愛国の士であり、「山林に自由存す」と
歌った詩人であると同時に、神に祈りを捧げる敬虔なキリスト教者でもあった
独歩は、内村鑑三の著作を共感をもって読んでいた。だが、日清戦争では日本
軍の勝利に快哉を叫んだ内村が、日露戦争では絶対非戦論を唱えるに至ったの
に対して、独歩は、戦争翼賛的な写真雑誌の編集に従事するなど、非戦的発想
や思想とは全く無縁のまま、むしろ徹底した戦争翼賛者として振る舞い通して
いる。何故、文学者でありキリスト教者でありながら、独歩は非戦論に立ち得
なかったのか?

 私見では、その謎を解く鍵は、「鹿狩」に書かれたように、独歩が少年のこ
ろ鉄砲で鹿を撃ち殺してしまった体験にあった。つまり、鹿を撃ち殺す行為が
本質的にはらむ「暴力性」、あるいは「攻撃性」を、独歩が生得的な資質とし
て持っていたということである。


20世紀日本近代文学の先駆けとして

 1905(明治38)年9月、ポーツマス条約の締結をもって日露戦争が終
結すると、「戦時画報」は再び「近事画報」と名を戻し、独歩はその編集に当
たる。だが雑誌の売れ行きは急減し、経営が苦しくなると、独歩は近事画報社
のあとを受けて独歩社を起こし、「近事画報」の発行を続ける。しかし、翌年
の4月、独歩社は倒産、同年6月、肺結核の病勢が進み湯河原で静養、それで
も短編「疲労」「窮死」「暴風」など暗い色調を帯びた作品を発表し続けるが、
1908(明治41)年2月、病勢は一層進み、湘南は茅ケ崎の南湖院に入院、
同年6月23日午後8時40分に絶命、あまりに烈しく、あまりに早く、あま
りに分裂しすぎた生の幕を閉じたのである。

 夏目漱石の『吾輩は猫である』が明治38年1月、島崎藤村の『破戒』が明
治39年3月、田山花袋の『蒲団』が1907(明治40)年9月、永井荷風
の『あめりか物語』が明治41年8月と、日本の20世紀近代文学の冒頭を飾
る作品のほとんどは、日露戦争終結後に書かれている。そうした意味で、私た
ちの近代文学は、日露戦争後の戦後文学としてスタートしたといってもいい。
しかし、その中で国木田独歩は、長編小説こそ書かなかったものの、日露戦争
が始まるまでの時点で、近代小説と呼ばれるにふさわしい小説を書いていたほ
とんどただ一人の小説家であった。

 日露戦争前後に書かれた「帰去来」(1901〈明治34〉年5月)、「運
命論者」(1903〈明治36〉年3月)、「正直者」(明治36年10月)、
「暴風」(明治40年8月)など、独歩の作品を読み返してみて、新たな驚き
と共に発見するのは、自己の出生の謎を解き明かそうとして、運命のいたずら
で自分が実の妹と結婚していることを知ってしまった男の悲劇、下宿先の娘と
肉体関係を持ち結婚の約束までしながら裏切って逃げ出した男の背徳、友人の
妹を愛しまた周囲の誰もが結婚を勧めながら、突然姿を消してしまった男の隠
された存在の秘密・・・・・など、テーマや人物の設定などで、『こゝろ』や
『彼岸過迄』など夏目漱石のいくつかの小説と共通する何かが読み取れること。
そして、それぞれの作品が優に長編小説としても書きうるだけの素材の強さと
濃度を兼ね備えているということであった。

 もし、独歩が日露戦争にあのような形でかかわり、結果として独歩社を起こ
すなどという無謀なことをせず、もう10年長く生きていたなら、漱石とは違
った形で実り豊かな長編小説を書き残していたかもしれない。その意味で、国
木田独歩は、日露戦争の犠牲となった、最初で最後の小説家といっていいかも
しれない。

 日本の近代文学の歴史において、独歩ほど早く未完のまま夭逝し、独歩ほど
忘れられ、不当に無視されてきた文学者はいない。


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【2】第34回「9の日・9条・ハンスト・イン」のご案内 

                                        「ガンジーの会」世話人会

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         日本と世界の未来のために九条を護り

    その基本精神を実現していくべきだと考えるすべての皆さまへ


 秋深まり、夜の冷え込み厳しい今日この頃、皆さまにはご健勝にお過ごしの
ことお慶び申し上げます。

 さて、毎月恒例の「9の日・9条・ハンスト・イン」が近づいてまいりまし
た。今月も、下記の通り、9日の午前0時から一斉ハンストがスタートします
ので、皆様ふるってご参加のほど、お願い致します。


     ★第34回「9の日・9条・ハンスト・イン」実施要領★

1.日時   :11月9日(日)0時から24時間ハンスト(水、白湯は可)

2.参加方法:参加希望者は、本ホームページの「参加申込」の欄に、11月
              9日午前0時までに、名前(ハンドルネームも可)、年代、参
              加する都道府県名、簡単なコメントなどを書き込んで下さい。
              このハンスト・インの運動は、インターネッの意志表明が、他
              の参加者や全国で志を同じくする人々を励まし、九条を護る運
              動の輪を広げていくことになることをお忘れなく。

3.終了報告:折角24時間断食したのに、終了報告を怠ると、あなたが自衛
              隊のイラク派兵や九条の改悪・廃棄に反対してハンストを行な
              ったことが誰にも伝わりません。あなた自身の意志を明確に表
              明し、あなたが終了報告を書き込んで初めて、ハンストという
              行為が政治的抗議行動になることを忘れず、終了したら、必ず
              終了報告を書き込んでください。

4.実施方法:初めて参加される方は、ホームページの実施要項を必ずお読み
              の上、ご参加下さい。また、24時間のハンストができるかど
              うか自信がなくても心配はいりません。まずはじめてみましょ
              う。出来る人が、出来るところまでやる。それであなたの意志
              は十分に参加する人たちに伝わります。

5.その他 :パソコンを使えない方の分は、まとめ役の方が、一括して参加
              者名をご報告下さいますようお願いします。

◎参加に当たって、分からない事などありましたら下記へご連絡ください。

                      v.gandhi@dia.janis.or.jp 

         ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 アメリカの大統領選挙が愈々迫ってきました。最近の世論調査では、オバマ
民主党大統領候補の優勢が伝えられ、史上初の黒人大統領の誕生が確実視され
ています。一時は接戦を伝えられた大統領選挙で、終盤に入ってオバマ候補が
かなりの差を付けて優位に立つにいたった背景に、アメリカ国民のこのままの
アメリカではいけない、二期続いたブッシュ政権の「負」の遺産を払拭して、
アメリカは再生しなければならないという思いが強く働いたことは疑いないで
しょう。

 翻って日本はどうでしょう。選挙管理内閣として登場したはずの麻生内閣は、
「政治的空白は許されない」、「百年に一度の危機を乗り切るために景気対策
を講じる必要がある」を理由に未だに居座りを続けています。

 しかし、それは国民を欺く詭弁であり、到底納得できるものではありません。
なぜなら、日本を「百年の危機」に落とし込んだ世界的な金融不安と株価急落
の原因がアメリカにあるにもかかわらず、アメリカでは大統領選挙が堂々と行
われており、政治的空白を理由に選挙の中止あるいは延期を求める声は聞こえ
てこないからです。国会が解散しても、総理大臣は国務を遂行する責務を負っ
ているわけで、麻生首相の「国政の空白は許されない」という言い分は、まっ
たく理屈が通りません。

 政権担当能力を完全に失い、いまや責任政党として責務を果たせないことが
明々白々であるにもかかわらず、政権にしがみついている、そしてそのことこ
そが「政治的空白」を生み出している。麻生首相は、そのことを速やかに認め、
国会を解散させ、今後の政権運営を自民、民主どちらの党に委ねるのか、国民
の意志を問うべきであると、私たちは考えます。

 しかし、あろうことか、麻生首相は、その場しのぎでしかない「景気対策」
を餌に国民の歓心を買い、世論の支持を取り付けることで新テロ法案を成立さ
せ、あわせて自民・公明に有利なタイミングを見計らって、国会を解散させよ
うと狙っています。

 さらにまた、早期の解散総選挙のカードをちらつかせて民主党を懐柔し、対
米協力、国際協調を口実にインド洋における自衛艦による給油活動を延期する
法案を強引に成立させようとしています。私たちは、民主党及び野党に対して、
この法案を参議院において徹底審議し、廃案に追い込むことを強く求めるもの
であります。

 あわせてもう一つ、防衛省の田母神航空幕僚長が、日本は侵略国家ではなか
った、日本は蒋介石によって日中戦争に引きずり込まれた被害者であるなど、
日中・太平洋戦争で日本が取った侵略戦争を擁護する論文を発表し、更迭され
ました。防衛省の最高幹部の一人がこのような誤った歴史認識を平然と公にし、
悪びれた風もない。そのことに私たちは強い危機感を抱くものであります。

 以上から、私たちは、麻生首相の国政をもてあそぶような姿勢に強く抗議し、
新テロ法案の廃案と田母神航空幕僚長の解雇、さらには国会の即時解散を求め
て、9日の午前0時から24時間一斉ハンストを行いたく思います。

 一人でも多くの方の参加をお待ちしております。

        2008年11月1日
                    「ガンジーの会」代表:末延芳晴


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【3】ハンスト日記  〜参加・終了報告などから〜      参加者

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 |先週のリレー・ハンスト参加者(原則として正午から翌正午の24時間)|
 |                                                                  |
 |10月26日(日) 燿山(岡山)                            |
 |   27日(月)  藤森(長野)                                |
 |   28日(火)  末延(京都) 山川(兵庫)           |
 |   29日(水) 藤森(長野)                  |
 |   30日(木) どんぐり(北海道・帯広) 燿山(岡山)       |
 |   31日(金) 相良(北九州市)                             |
  |11月 1日(土) 末延(京都)                       |
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◆死刑制度を別の視点から見る小説&映画『休暇』    藤森治子(長野)

10月27日(月)正午から、燿山さんを引き継いでハンストに参加していま
す。

久しぶりに車にガソリンを入れました。つかの間のガソリン暫定税率復活直前
の4月末に満タンにして以来です。この調子ですと年2回の給油ですみそうで
す。暫定税率を含んでも4月末の時とほぼ同じ値段でしたから、ガソリンその
ものはかなり安くなってきているということでしょうね。


10月28日(火)正午、山川さん、末延さんに引き継いでハンスト終了しま
した。

先日『休暇』という映画をみました。吉村昭の『休暇』という短編小説の映画
化されたものでした。絞首刑された直後の死刑囚の「支え役」をする刑務官の
話です。死刑制度をちがった視点から考えさせられました。

国連の国際人権規約委員会において、日本の死刑制度について10年ぶりに審
査が行われ、委員から死刑廃止を求める厳しい批判がなされたばかりですのに、
今日また仙台と福岡で2名の死刑が執行されました。今日も「支え役」の刑務
官の言いようもない一日があったにちがいありません。


◆「誰のおかげで総理大臣になれたと思っているのだ」! 末延芳晴(京都)

10月28日(火)正午、藤森さんから引継ぎ参加しています。

総選挙が先送りになったことで、民主党は愈々国会で与党とガチンコ対決する
ことになったようですね。こうなったら、インド洋派兵給油新法の是非だけで
なく、池田大作創価学会名誉会長の喚問も含めて、徹底的にやったらいいと思
います。


10月29日(水)正午終了、藤森さんに引き継ぎました。

新聞報道によると、麻生首相が解散延長を決めたことで、公明党が腹を立て、
首相を呼び出し、大田・公明党代表が、「誰のおかげで総理大臣になれたと思
っているのだ!」と脅したそうです。本当だとすれば、暴力団の親分みたいで
すね。


◆頭痛に悩まされて・・・・・            山川トモコ(兵庫)

10月29日(水)正午に終了しました。

今回も、頭痛(鈍痛)が続き、辛いハンストとなりました。


◆「逃げるな!麻生首相・・・」−〔リベラル21〕から 藤森治子(長野)

10月29日(水)正午から、山川さん、末延さんを引き継いでハンストに参
加中です。

今日の〔リベラル21〕は、ジャーナリストの田畑光永氏が、今の政治・経済
状況を分かりやすく解説してくれていますので、ご紹介します。

〔リベラル21〕2008.10.29 
◇ 逃げるな!麻生首相・・・いったい政治になにが出来るのか◇ 
                     (ジャーナリスト・田畑光永)

http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-537.html#more


10月30日(木)午後1時、どんぐりさん、燿山さんに引き継いでハンスト
終了しました。

11月4日のアメリカ大統領選挙は、「あと1週間で米国は変化する」と宣言
しているオバマ氏が優勢のようです。米史上最低の大統領ブッシュの負の遺産
−イラク・アフガン戦争や金融危機など−を解決していくのは並大抵ではない
と思いますが、期待したいと思います。選挙もできない日本は情けないです。


◆一瞬ハンストの鎖を切ってしまったか!?・・・と     燿山(岡山)

31日(金)定例ハンストを午後1時に終了しました。

どんぐりさんがいるので、木曜日断食は研修会の食事の関係で午後1時に入り
ましたが、安心していましたらどんぐりさんは12時40分に入ると知りハン
ストの鎖を切ってしまったかと大慌てしました。藤森さんの報告を見てホッと
しています。

当の研修会は中国山地の蒜山の麓で行いましたが、合間に上蒜山(かみひるぜ
ん)中蒜山二つの尾根を歩きました。尾根から見る山肌の紅葉は言葉を絶する
見事さで、生きている嬉しさ・素晴らしさがこみ上げてきました。

日曜日定例断食は責任を持って致します。


◆ 相良和彦(福岡・北九州市)

10月31日(金)正午、北九州市で、どんぐりさんと燿山さんから引き継い
でハンストに参加します。

来るアメリカ大統領選挙で、オバマ候補の勝利を祈る。


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  編 集 後 記

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 <今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与え
たと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯
定的に評価していることを認識しておく必要がある。(中略)日本軍に直接接
していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人
たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければ
ならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人
の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。>

 ネット右翼の戯言かと思えば、さにあらず、これが自衛隊航空幕僚長・田母
神俊雄の論文の一部です。論文は「アパグループ」(土地開発会社)主催の懸
賞論文で、最優秀賞(懸賞金300万円)を受賞したのだそうです。審査委員
長が90年代から右傾化を推進してきた保守派の渡部昇一と聞けばさもありな
んと思います。

 航空幕僚長といえば思い出したことがあります。今年4月17日名古屋高裁
が自衛隊のイラク派兵違憲判決を下した時、「私が(自衛隊員の)心境を代弁
すれば大多数は『そんなの関係ねえ』という状況だ」と発言したあの人物です。
そのことは、この編集後記4月20日号にも記しました。札付きの憲法違反者
であり、国家公務員としても失格者だったのです。

 浜田靖一防衛大臣は更迭を発表しましたが、このような発言・行動を考える
と、石破前防衛大臣にも責任があるのです。このような人物を、制服組のトッ
プといわれる航空幕僚長に任命していた責任です。現職制服組のトップに明ら
かに逸脱したこうした幼稚な政治的発言を許しているようでは、シビリアン・
コントロールなどできるはずはないと思われます。自衛隊のトップがこのよう
な時代錯誤の考えをもっているとしたら、日中戦争の再来さえ懸念されて恐ろ
しくなります。中国、韓国、その他のアジアの国々が、この論文を読んだらど
う感ずるでしょうか。

 このところ、単純思考のタカ派の自滅行為が目立ちます。教育基本法改悪で
「活躍」した中山成彬前国交相(元文科大臣)の自爆行為といい、今回の田母
神航空幕僚長の更迭に至る言動といい、自壊した安部元首相に代表されるよう
な好戦的タカ派が、国民の反発と時代の流れの中で、最後の悪あがきをしてい
るのでしょうか。それは、とりもなおさず、政権担当能力を失って迷走を続け
ている自民党の衰退と焦りを象徴しているように思えます。


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【発   行】    ガンジー村通信 編集部
【発 行 人】    末延芳晴
【編   集】    藤森治子

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