ファンタジー長編小説「紅龍の夢」第205号
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┃フ┃ァ┃ン┃タ┃ジ┃ー┃長┃編┃小┃説
┃紅 ┃龍 ┃の ┃夢
┃第205号
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□ 巻の五
── 緑柱石(エメラルド)の記憶/The Memory of Emerald ──
◇第39回
*……*……*……*……*……*……*……*……*……*……*……*……*……*……
9.名前なき者(4)
「……一人では死なせない。私もすぐ後を追うから。
そのために、この剣を出したのだよ……」
サマエルは、つぶやくように言った。
「ええっ、だ、駄目です、そんな!」
“焔の眸”の化身は叫ぶ。
「暴れないで、痛い思いをするよ」
もがく少年を押さえつけたサマエルは、自分の眼を疑った。
何をしてもふさがらなかった傷が、治りかかっている。
頭をひねったとき、それらがすべて、自分が触れた場所だということに思い
当たった。
夢魔であるサマエルは、不用意に女性を虜(とりこ)にすることがないよう、
常時分厚いローブを着込み、精気も抑えている。
だが、直接肌が触れればどうしても、彼の精気は相手に影響を及ぼす。
ひょっとして、それがいい方向に作用したのではないか。
「そうか、やはり、血では強過ぎたのだな、今度こそ!」
「あっ!?」
王子は、いきなり少年のやせた体を抱き上げた。
そして、最後の望みを賭けて再び口づけると、思いの丈(たけ)を込めて精気
を送り込む。
化身は振りほどこうとするものの、拘束された体は、抵抗するには不向き
だった。
“いけません、あなたも弱っておいでなのに……”
少年が黒曜石の涙をこぼした刹那、その体が紅い輝きに包まれ、虚を突かれ
たサマエルは思わず唇を離した。
「もう精気は不要です、サマエル様」
光が消えた回廊には、名無しの化身が、王子の手を離れて立ち上がっていた。
全身を覆っていた痛ましい傷はすべて消え、潰された眼も回復し、本体と
同じく、紅の中に黄金色の炎が美しく煌(きらめ)き燃えていた。
そして少年は、長きに渡っておのれを拘束していた枷を無造作に外し、床に
投げ捨てた。
刹那、枷は崩れて砂鉄の山となり、一陣の風に運ばれて、窓の外へと消えて
いった。
その様子は、つい先ほど、ダイアデムが黄金の装身具を捨て去ったときと
そっくりだった。
「ようやく僕は解放されました。
これもサマエル様のお陰です、ありがとうございました」
少年は、深く頭を下げた。
サマエルは眼を伏せ、かぶりを振った。
「いや、私は、自分の望みを叶えるためにやっただけだ……感謝する必要は
ないよ」
「いいえ、どんな理由からでも、あなた様が恩人だということには変わりが
ありません」
「そうだ、服を着た方がいいな。
──ストーラ!」
はぐらかすように、王子は呪文を唱えた。
「ああ……」
回廊の壁にかけられた、巨大な装飾鏡に映る自分の姿に、化身の眼は釘付け
となった。
もつれていた黒髪はきちんと整えられ、白いシルクの襟つきシャツと、黒い
ベルベットのベスト、同素材の、七分丈で裾が絞られたズボンを身につけ、足
には白いハイソックスと柔らかい羊革の黒い靴を履いている。
そのどれもが、少年の貴族的な風貌を引き立てていた。
「さすがは魔界の至宝、気品のある服装が似合うね」
サマエルも眼を細めた。
それには答えず、鏡を凝視していた最後の化身は、頭を抱えた。
「……どんどん記憶が甦(よみがえ)って来ます……。
今まで、昔のことはあまり思い出せなくて……」
「辛い記憶だし、仕方がないよ」
サマエルが慰めると、少年は否定の身振りをした。
「いえ、そうではなく……僕は昔、氷剣公爵家の三男だったんです……」
魔族の王子は、紅い眼を見張った。
「えっ、ではお前も、元は生きていたのか?」
少年は、悲しげな顔でうなずく。
「ええ。僕も、昔はちゃんとした生き物でした……。
でも、ある日突然、誘拐(ゆうかい)されてしまったんです……あの男に」
「あの男……ああ、魔界王ベリアルの弟だね? 名前は知らないが。
そいつがなぜ、お前を?」
伏目がちに、化身は首を横に振った。
「僕も名前は知りませんが、あの男は……気に入った少年を密かに捕えては、
酷いことをしたあげく殺していたんです。
僕も入れて、十三人」
「十三人!?」
サマエルは思わず声を上げた。
「まさか、お前の前に殺された化身達というのは……!?」
少年は、こくんとうなずく。
「ええ、全員、僕と同じように、生きていた子達でした。
でも、召使いやお小姓(こしょう)だったので、仕事が嫌になって逃げたと
思われていて……。
それに、“焔の眸”の盗難事件で大騒ぎになっていましたから……」
「なるほど。現魔界王の弟が誘拐犯だなんて、誰も思わないからね。
まったく……恥ずかしいよ、魔界王家にそんな男がいたなんて!」
魔族の王子は、端正な顔をしかめた。
少年は、辛そうに話を続ける。
「あの日、いきなり殴られて、気づいたときには、僕は暗くて寒い地下室に
いました……。
恐ろしい道具がいっぱいあり、嫌な臭いがして、死体や骨がごろごろ……。
縛られた手が痛いのと、何より怖くて泣いていると、檻の中からライオンが
話しかけてきて、慰めてくれたんです」
「シンハだね」
「はい。……それから僕は、あの男に、色々……酷いことをされて……。
そして……もう死ぬんだな、って思ったとき……。
あの男は、シンハに命じました、『魔力をすべて奪い、姿を盗め』と。
シンハが嫌がったら、男はものすごく怒って、鞭を振り回したり、剣で斬り
つけたり……。
僕はシンハが可哀想になって、『どうせ僕はもう死ぬんだから、そうして』
と言いました……。
でもそれが、長い長い苦しみの始まりになるなんて、そのときは思いもしま
せんでした……」
“焔の眸”の化身を作り出す方法には、二種類ある。
一つは、魔力の強い者が思いを込めて念を送り、新しい姿を形作らせる方法。
そしてもう一つは、“焔の眸”自身が、相手の魔力をすべて吸い取ることで、
姿形、思考形態や記憶までもそっくり写し取り、複製を作り出す方法だった。
後者の場合、魔力を奪われた元の生物は、当然死んでしまう。
サマエルは歯を食いしばり、紅い瞳に、暗い炎を燃え上がらせた。
「……酷い話だね。もしその男が今も生きていたら、私がこの手で、八つ裂き
にしてやったのに!
ベリアル王の気持がよく分かるよ……!」
「ええ、ベリアル様も、出来心で“焔の眸”を盗んだだけなら、許してやった
と仰ってました。
でも、あれが弟だなどとは、虫唾(むしず)が走ると……」
サマエルも、当時のベリアル王同様、抑えがたい怒りを感じていた。
だが、それはもう、遥かな過去に終わってしまったことだった。
彼は心を落ち着かせ、瞳の炎を消して、少年にねぎらいの言葉をかけた。
「お前も大変だったね。
だが……頑張って生きていれば、ちゃんと良いこともあるのだな……」
言葉の最後は、自分に言い聞かせるように。
少年は心からの笑みを浮かべ、同意した。
「そうですね。本当に、生きてて良かった……」
「それはさて置き、お前のことを教えておくれ。
本当の名前は何と言うのかな?」
サマエルは改めて尋ねたが、化身は困った顔をし、額に手を当てた。
「……すみません、思い出せないんです。
記憶が所々、抜け落ちているような感じで……。
ずっとずっと、生きていることを……自分の存在を呪ってきましたから、
そのせいかも知れません……」
「そうか、では、無理しなくていいよ。
お前が生きていた頃から、もう五十万年以上経ったのだしね。
氷剣公爵家はまだ存続しているから、いつか魔界に行く機会があったら、今
の公爵、プロケルや息子のカッツに会わせてあげよう。
同族に会えば、自然と思い出すかもしれない」
サマエルは微笑んだ。
「いえ、もう思い出さなくてもいいんです」
少年は首を横に振り、真剣な眼差しを彼に注ぐ。
「それより、もしよかったら、僕の名付け親になって頂けませんか?
今日が、僕の新しい誕生の日ですから……」
「私が名前を?」
王子は首をかしげた。
「はい。……駄目でしょうか」
「いや、私でよければ考えるよ」
「よろしくお願いしま……」
お辞儀をしようとした化身は、ふらりと倒れかかった。
「危ない」
間一髪、サマエルは少年を支えたが、彼はぐったりと体を預けたままだった。
「大丈夫か? まだ具合が……?」
「いえ、そうではなくて……済みません、僕は……僕らは、疲れました。
少し、休んでもよろしいでしょうか……?」
かすれた声で尋ね、黒髪の少年の体は紅く輝き始める。
「あ、まだ行かないでくれ、“ゼーン”!」
無意識に、サマエルはその名を叫んでいた。
「“ゼーン”……それが、僕の新しい名前、ですか……?」
光の中から、問い掛ける少年の声がする。
「……え?」
王子は一瞬戸惑い、それから答えた。
「あ……ああ、そうだ。“生きる”という意味だよ」
「生きる……?」
「そうだよ、私と共に生きてくれ、ゼーン!」
王子は、願いを込めて呼びかける。
「いい名前ですね……ありがとうございます……でも……時間を下さい……
ほんの少し……」
声の余韻(よいん)を残して光が消えると、サマエルの手には、美しく輝く
その内部に、揺らぐ黄金の炎を宿した紅い貴石が乗っていた。
大人の握り拳二つ分もある巨大な結晶は、おのれの意思で王子の手から浮き
上がり、そのまま下へと降りていく。
そして、まるでそこだけが液体で出来てでもいるかのように、硬い大理石の
床に、ゆるゆると沈んで行き始めた。
「ま、待っておくれ、“焔の眸”、私との約束は!
忘れたのかい、ダイアデム、最後の化身を解放できたら、私の妻になって
くれると言ったろう!?」
サマエルは、なりふり構わず床に膝をつき、宝石に手を差し伸べる。
『案ずるでない、ルキフェル。我らは一時、休息を取るのみ。
童子(どうじ)らはすでに、眠りについておる』
彼の問いに答えたのは、シンハの声だった。
それを聞いたサマエルは、紅毛と黒髪の少年が寄り添い、猫のように体を
丸めてぐっすりと眠り込んでいる情景を思い浮かべた。
化身と本体は無関係だと彼らは言っていたが、長年のトラウマから解放され
たのだ、やはり調整が必要なのだろうと王子は思った。
「……そうか。シンハ、お前も眠るのか?」
『左様。その間に汝も休んでおくがいい。身心共、疲労困憊(こんぱい)して
おるのであろう』
指摘されて初めてサマエルは、自分が疲れ切っていることに気づいた。
「ああ、そうしよう。お休み、シンハ」
『心よりの謝罪と感謝を汝に、ルキフェル。良き夢を』
そして“焔の眸”は、床の中に吸い込まれて消えた。
だが王子の魔眼は、至宝が地下の空洞に浮かび上がり、紅く輝きながら、
ゆっくりと回転しているのを見ることができた。
いつの間に道連れにしたのか、その下には黄金の剣が刺さっている。
眼も眩(くら)むような安堵感と共に、急速に眠気が襲って来る。
回廊の壁にもたれて、眠り込んでしまいそうになったとき、周囲の様子が
変わり、彼は自分のベッドに倒れ込んでいた。
「“焔の眸”が運んでくれたのか。
……ああ、私はついに手に入れた……これからは何もかも上手くいく……」
これ以上ないほどの幸福感に満たされて、サマエルは一瞬で眠りに落ちた。
to be continued...
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◆ 後記 ◆
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すみません、ホントは昨日、配信する日だったんですが、地震に気を取られ
て忘れてました……(汗)。
昨日の朝、まだ夢の中にいるうちに、いきなり揺れ出して。
割と地震の多い地域に住んでるので、「あ、またか」って寝てたんですが、
揺れが半端ない感じになってきて、「こりゃヤバイ」って慌ててパジャマの
まま、外に出ましたよ。
いつもの横揺れじゃなくて、小刻みな縦揺れで、窓とかガタガタ鳴って……。
それでも、ウチんとこは震度4で、何も物とか落ちなかったんですけど、
山間部ではかなりの被害だったみたいで、ずっとテレビに釘付けでした。
今も時々、余震がありますが、まあ、本震よりは強くならないだろうと。
でも、入浴中に揺れるのはごめんですけどね。
ところでこの「“名無し”の化身」の話は、本編に入れるかどうか迷って、
原稿を別にしていたら、行方不明になっちゃったんですよ(汗)。
やむなく書き直しましたが、前より悲惨になった気が……。
ま、いつものことですが(笑)。
名前も散々迷って、「ゼーン」(ギリシア語の「生きる」)に行き着いた
ときには、ほっとしました。
初めは、英語でsolace(ソラス=慰め)を考えていたんですが、「生きる」
の方が、前向きでいいかな、と(笑)。
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■発行者 :流河 晶
■マガジン名:紅龍の夢
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