2008/06/01
「関学出て鞄職人」Vol:77 「つばめ <第四章:転換>」
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■【関学出て鞄職人?】
〜 魅力ある物作り、人が、私を変えていった 〜
Vol:7 「つばめ <第四章:転換>」
発行人:田村幸樹
隔週発行
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人は失敗して成長します。 人は体験して成長します。
そして人は人と出会い成長します。
このメルマガを読んで一人でも多くの方が、
物作りに興味を持っていただけたら幸せです。
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発行人プロフィール: 昭和53年 大阪府立泉陽高校卒
昭和59年 関西学院大学文学部卒
昭和60年 有限会社JOB設立
最初はメーカーに依頼して鞄を作っていたが
5年目ごろから独学で鞄を作り始め、現在にいたる
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◆6月1日号 menu
1.Vol:77 「つばめ <第四章:転換>」
2.私の愛読しているメルマガ!
【尼僧・妙慎〜ちょっとイイ話〜】
3.あとがき
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皆様!こんばんわ!
元気にしてました?私は元気です。
半年も発行せずにいてごめんなさい。
続きものの途中で、こんなに休んじゃいけないね・・・
ほんと、反省しています。
昨日、やっと6月展のサンプル作りが終って、
やっとこの春のピークを越えることが出来ました。
で、今日の日曜日、昼から会社に来て、この原稿を書いてます。
前置きはこれぐらいにして、今号も長いので、早速本文に行きますね。
前回までの続き、皆忘れちゃってると思うので簡単にあらすじを書いときますね。
【前回までのあらすじ】
1995年1月17日に起こった「阪神淡路大震災」により、
工房を焼失し行き場を失った私達夫婦は、
そのマンションの大家さんの計らいで、
自分達の手で焼け跡に自分達の工房を完成させました。
「ジョブさん。何があってもここで頑張るのよ!」
大家さんにそう言われた私達は、その地で頑張りつづけました。
その次の年の冬、お金に困った私達は毎年恒例にしていた、
工房前でのバーゲンをすることを決意します。
ところが災害時に、
水に濡れた商品を被災した街の人々に配った私達には売る商品がありません。
それに、被災した街は焼け野原となり以前の住民の姿もありませんでした。
それでも、昔取引していたメーカーの社長さん達が協力して商品を貸してくれたおかげで、
無事、バーゲンの準備を終えることができ、当日の朝を迎えることが出来ました。
「お客さん来てくれるやろか・・・」
そんな私達の不安をよそに、朝工房につくと黒山の人だかりができていました。
震災時に鞄を配った町の人たちが、避難所から次々と集まってくれたのでした。
「街は生きていた・・・」
そう実感した私達夫婦でしたが、そんな私たちに詐欺師が近づきます。
「信用調査会社のものですが・・・」
そう名乗った男は、震災後焼け跡で営業する私の不安をついてきました。
「依頼主様が、御社をこの先、もっと活用したいのだが、
御社がそれに見合う能力があるのかどうか見極めてほしい・・・というのが依頼内容です。
焼け跡で営業されているのですか?それはまずい・・・」
それならば、調査会社のメンバーになれば、
それ相応の調査報告をするという男の言葉に心がぐらついた私でしたが、
その依頼されたというS社の社員に電話を入れて目が覚めます。
「巨大企業のS社のFさんは会社の体裁など気にせず私の会社と付き合ってくれている。
焼け跡で営業していることを卑下していたのは自分自身だった」と気付きます。
工房の入り口に作られたつばめの巣から顔を出す雛たちを見つめ、
改めて、この焼け跡で頑張ると決意した私でしたが・・・
それでは、Vol:77「つばめ <第四章:転換>」
楽しんでください!
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1.Vol:77 「つばめ <第四章:転換>」
工房前に作られた、つばめの巣から雛たちが飛び立つ時、
私達は「来年も来いよ!」と声を掛けました。
自分達が、来年もこの場所で営業していることを祈って・・・
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1996年秋・・・
震災後の神戸の企業は、「震災なんかに負けるな!」を合言葉に、
それぞれが、必死に立ち直ろうとしていました。
けれども、現実は過酷でした。
私のところで言えば、まず昔からお付き合いをせて頂いていた、
アパレルのB社が、売掛金を残したまま倒産してしまいました。
「田村君ごめんね・・・」
その会社の社長からの最後の電話がそれでした。
「いえ、これまでありがとうございました。」
私は、売掛金が残っていることよりも、
これまで仕事を頂いていた事を感謝し、電話を切りました。
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叉、年に一千万円近くの売上があった、
同じくアパレルのM社が銀行の管理化に置かれました。
M社は姉妹で起こされた会社で、
お姉さんのほうが経営者、妹さんがデザイナーで、急激に成長していた会社でした。
ところが、震災でたまたま実家に帰っていたお姉さんが被災し、
子供さんと共に帰らぬ人となりました。
経営は一気に悪化し、
ある日、取引業者全てが集められた席で、妹さんが社長に就任される事が報告され、
バッグなどの小物類の生産がストップされる事が告げられました。
妹さんの隣には見知らぬ銀行からの出向役員が座っていました。
M社はその数年後、無くなりました。
震災後、たった二年もたたないうちに、
私の会社を取り巻く状況は急激に変化していきました。
とにかく頑張らないといけない。自分で切り開くしかない。
でも、なにを頑張ればいい・・・
どうやって、切り開けばいい・・・
そんな自問自答が私の中で続きました。
私の出した答えは、‘自分の物作りを頑張る’ということでした。
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震災が起こる少し前から、
私の会社は起業まもないバッグメーカーのB社と取引をさせていただいていました。
「ジョブさん。自分の物作りをしようよ!」
B社のI社長から、そう誘われ、
私は自分のオリジナルバッグを製作し、
年に三度あるB社の展示会に出品させて頂いていました。
ところが、何度出品させて頂いても私のバッグには受注がつくことはありませんでした。
それは震災以前も、震災以後も同じでした。
「もう、ジョブさんの為の展示スペースを割くことは止めよう・・・」
私の知らないところで、B社内でそんな話題が挙がっていたのも丁度この頃でした。
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そんな、この年の11月展。
初日の展示会を終えた後、
B社のI社長、
いまや、カリスマデザイナーとなった、B社のKさん、とそのスタッフ。
B社の黎明期を支えたSハンプのSさん。
B社の隣で展示会を開いていた、T社のT社長とそのスタッフ。
そんな、大人数で展示会の反省会を兼ねた夕食会に、
私も同席させてもらうことが出来ました。
薄暗い居酒屋の四角いテーブルを取り巻いて私達は座り、
それぞれに、今日の展示会について話し合いがされていました。
私は、皆の意見を聞きながらも、
またしても、今日の展示会でも受注が付いていない事に落ち込んでいました。
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「煎餅屋の鞄になったらあかん・・・」
そんな声が少し離れた席から聞こえてきました。
私は隣の人との会話を止め、その声に聞き耳を立てました。
「創業何百年とかの煎餅の入った箱の蓋を開けてみい。
分厚い説明書がまず入ってるやろ。
客は煎餅食う前に、まずその説明書を読んで、それから煎餅食うやろ。
そしたら、その煎餅のほんまの味に気付かんと、煎餅食うてまう。
鞄もそうなったら、あかんちゅうこっちゃ。」
それは、T社のT社長の声でした。
T社長は病み上がりのため、アルコールを控えていましたが、
それでも、その口調は酔ったかのように激しいものでした。
私は、その話を聞きながら展示会中の自分の行動を思い出していました。
バイヤーが私の作った鞄を手にすると、
私は、その鞄へのこだわりや、
作るのに困難だった部分を説明するのに終始していました。
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「それは、僕の鞄のことですか?」
たまらず、私は声を荒げました。
私の、真剣なまなざしに窮したのか、T社長は慌てて否定しました。
「いや、あんたの鞄の事を言ったんやない・・・」
「いえ、僕のことのように聞こえました。
なんで、煎餅屋の鞄じゃあかんのですか?」
場に、険悪な空気が流れ、皆が静まりかえったあと、
SハンプのSさんが、静かに口を開きました。
「ふむ。あながちそうじゃないかもしれない・・・」
Sさんは、ビールをグイと飲み干すと言葉を続けました。
「田村、あんたの鞄は一生懸命すぎる。
一生懸命するのは大事な事だ。
でも、一所懸命が鞄に見えちゃいけない。
お客さんは、あんたの大変さやこだわりなんか望んじゃいない。
お客さんがなんで鞄を買うかというと、楽しみたいからだ。
お客さんは、鞄を買ってどの服に合わせようかとか、なにを入れようかとか、
楽しみたくて鞄を買うんだ。
T社長が言ってる煎餅屋の鞄とはそういうことだ・・・」
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私は、Sさんの話を聞きながら、
自分が鞄を作る上でずっと悩んでいるあることを思い出しました。
「僕は、鞄が好きじゃないんです・・・」
私は皆を見渡して、そう言いました。
鞄が好きでもない私が鞄を作るには一生懸命作るしかない・・・
ずっと、そう思っていたし、
そうする事が唯一の自分の鞄作りのモチベーションでした。
場が再び沈黙したあと、
「ジョブさん!」
甲高い声が私を呼びました。
B社のKさんでした。
Kさんは無精髭の生えた口元をニタッとほこぼらせ、私を見つめるとこう言いました。
「僕も、鞄好きやない!」
「俺だって、好きじゃねえよ。見るのも嫌だよ!」
Sさんも笑ってそう言いました。
「ワシも好きやない!」
T社長もそう言って初めて顔を崩しました。
「仕事やからね・・・」
I社長が、身体を揺すって皆を見渡しながらそう言いました。
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「鞄が好きに超した事は無いんだけどね・・・
でも、好きになりすぎちゃいけない。
好きになりすぎると、大事な事が見えなくなっちゃう。」
Sさんが私を見つめてそう続けると、
間髪をいれず、I社長が叉身体を揺らし、こう答えました。
「お客さんやね・・・」
それを受けて、再びSさんが話しを続けます。
「そう、お客さんが見えてないとお客さんを楽しませることなんてできっこない。
そして、自分が楽しんでなきゃ、お客さんを楽しませることもできっこない。
田村!物を作る人間は自分が楽しめなきゃ、駄目だ。」
Sさんがそう話し終えると、
それまで皆を見渡しながら言葉を発していたI社長が、
私の方に身体を向けてこう言いました。
「ジョブさん!最初はサザンよ!」
「はぁ・・・」
私はぼんやりとそう返事をしました。
「サザンのデビューは一見奇をてらったものに見えるけど、
自分達も楽しみ、それが観客も楽しませてたよね。」
「『勝手にシンドバット』?」
「そう、ジョブさん。最初はあれでいいいのよ・・・」
I社長はそう言って私を再び見つめました。
「よし!ジョブさん。最初はサザン!それでいこ!」
I社長の言葉を受け取り、この話はこれで終わりとばかりに、
Kさんが自分のジョッキを私のそれにカンと打ちつけました。
「最初は、サザンか・・・」
場が再び喧騒に包まれる中、私は一人その言葉を繰り返していました。
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それから、二ヵ月後の1997年の1月展・・・
私は、初めて革の素材でないバッグを展示会に出品しました。
高架下の生地屋街を歩き回り、ツイードの生地を探し回り、
それでバッグを作りました。
それは、とても奇をてらったものでした。
カブセのショルダーのフラップ部分に背広のポケットのような蓋のついたポケットを付け、
そのフラップと別に、
ボタンが三つ付いた背広の裾のような細いフラップをもう一つ付けました。
それは、遠目に見るとまるで鞄を持っているというよりも、
畳んだ背広を脇で抱えていると見まちがうようなバッグでした。
このバッグを作っている間、私は「どうすれば背広を抱えているように見えるか?」
そんなことばかり考えていました。
でも、それは、とても楽しい作業でした。
‘ジャケットショルダー’と名づけられたそれは、初めて受注が付きました。
それも、一気に何百本も・・・
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次の6月展、私は今度はフラップ部分がウエスタンハットになっている、
麻素材のリュックを作りました。
取り外せば、もちろん帽子としても使用できます。
‘帽子リュック’と名づけられたそのバッグは名古屋のある店で、
テレビにも取り上げられました。
そして、その展示会の最中、
一人の年配のバイヤーの方が私に近づいてきて、こう言ってくれました。
「いやー、ジョブさんが今度どんなバッグを作るか楽しみでね・・・」
それは、たった一人のバイヤーさんの何気ない一言でしたが、
私にとっては、初めての最高の誉め言葉でした。
うれしかった!!!
そして、それ以後、私は元の革のノーマルな鞄を作っていくのですが、
不思議なことに、それは、あっさりと受注がつくようになったのでした。
あんなに悩んだのに・・・
あんなに苦しんだのに・・・
私は、自分の中で何かが変わっているのがやっと分かりました。
「一生懸命するのは大事な事だ。
でも、一所懸命が見えちゃいけない・・・」
私が今も大切にしている言葉です。
次回に続く・・・
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2.私の愛読しているメルマガ!
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【尼僧・妙慎〜ちょっとイイ話〜】
古来より日本をはじめ世界各地には様々な、
ことわざ・故事・名言などがたくさんあります。
そのような「ことば」や「一節」を妙慎があなたのもとへお届け致します。
お茶を片手にサラリとお読みいただける内容にまとめてみました。
・・→ http://www.mag2.com/m/0000264855.html
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発行者の妙慎さんこと、ミィ〜♪ちゃんとは大の仲良し。
彼女と何度目かに会ったときの事・・・
確か、名古屋のメルマガ仲間が大阪に来てカラオケ大会をした日だった。
私は、ご先祖様を大切にすることよりも、
現実の世界を生きることのほうがもっと大切だと思ってた・・・
その日、メンバーが皆帰った後、改札で彼女と別れるとき、
「たむたむさん。年下の私が言うのもなんだけど・・・」
と、私を諭してくれたんだ。
その時、何故だか涙がポロポロこぼれてね。
ああ、この子は菩薩さんみたいだ・・・って本気で思ったんだ。
そんな彼女が、毎朝平日日刊で届けてくれるメルマガ。
読むと、ほんのり心が温まります。
超お勧め! → http://www.mag2.com/m/0000264855.html
こんな、私でも彼女と出会ってから毎朝仏壇に手を合わせています!!!
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3.あとがき
今メルマガで書いている震災後の何年か・・・
今思うと、私の人生でいろんなことが一気に湧き上がった時期だったと思います。
それは、生きている上で何度か訪れる時期で、
ここ数年も、そんな時期かな・・・って考えています。
これから、自分はどうするのか。
何をしたいのか。
出逢ったいろんな人の刺激を受けて日々考えさせられています。
それを整理するために、この「つばめ」を書き始めたんだけど、
答えはなかなか出てきません。
只ね、
この前も中国で大きな地震が起こったけど、
生き残った人は、死んだ人の分まで頑張って生きてほしいと思うんだ。
あたりまえだけど・・・
すると、きっとその先に何かがあると思うんだ。
きっと、何かがね。
それが、答かな・・・
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発行人:田村幸樹
JOB inc.
発行者WEBサイト
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たむたむブログ あそびにきてね!
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最後までお読みいただいて本当に有難うございます
Vol.78 頑張って書きます! まっててね!
乞うご期待!
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