関学出て鞄職人?  RSSを登録する

バギーポートの鞄を作っている鞄職人の私が、様々な魅力ある物作り人と出会い成長して行く様を時におかしく、時に悲しく思いつくままに綴っています。物作り人必読!

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2007/07/01

「関学出て鞄職人」Vol:72 「憧憬」

 
  
 
 
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                            ■【関学出て鞄職人?】
        
                〜 魅力ある物作り、人が、私を変えていった 〜
 
     Vol:72  「憧憬」
 
                         発行人:田村幸樹
                                                   隔週発行
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人は失敗して成長します。 人は体験して成長します。
 
そして人は人と出会い成長します。
 
このメルマガを読んで一人でも多くの方が、
 
物作りに興味を持っていただけたら幸せです。
 
 
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発行人プロフィール: 昭和53年 大阪府立泉陽高校卒
             昭和59年  関西学院大学文学部卒
             昭和60年  有限会社JOB設立
             最初はメーカーに依頼して鞄を作っていたが
             5年目ごろから独学で鞄を作り始め、現在にいたる
 
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◆7月1日号 menu    
 
1.Vol:72   「憧憬」

2.∽∽〜かおりん、たむたむの裁断したろかーー〜∽∽

3.あとがき

 
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皆様!

おはようございます!

私の我儘で休刊していたにも関わらず、先号を発行した後、

たっくさんのお祝いメールを頂きました。

本当に、嬉しかったです。

この場をお借りして改めてお礼を申し上げます。

「ありがとう!」


さて、今日は、

少し前テレビで「博士の愛した数式」という映画が放映されていましたね。

皆様ご覧になりました?

映画もとってもよかったですが、

小川洋子氏の原作もとっても良いです。


原作では映画よりも、

主人公の博士と野球選手の江夏豊氏との関わりが詳しく書かれています。


江夏豊。現在59歳の元阪神タイガースのエース。

実は、私が子供の頃憧れた野球選手です。

私は、原作を読み終えた後も、先日映画を見終えた後も、

私が江夏に憧れたあの頃のあの時代のあの出来事を思い出していました。

今日も、とっても長いのでお暇な時にじっくりと読んでください。

それでは、Vol:72「憧憬」
 
楽しんでください!
 
 
 
 
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1.Vol:72 「憧憬」


今から四十年ほど前、

まだ幼稚園児だった私は野球シーズンになると、

年に何度か、大阪は難波にある大阪球場に観戦に行っていました。

誰に連れて行ってもらっていたかはあの日の夜まで、記憶にありませんでした。


その頃、私は自宅が南海電車の沿線にあるということで、

「南海ホークス友の会」の会員でした。

会員だったと言っても、現在のようにリトルリーグもまだそんなに発展していなかった時代、

友達同士で草野球を楽しむ程度の野球少年でした。

南海ホークスにも、とりわけ夢中になった記憶はなく、

当時、ホークスのスターだった現、楽天監督の野村克也氏も好きにはなれませんでした。

かろうじて、桜井という二塁手が、

自分と同じように身体が小さいのにがんばっているということで、私の興味の対象でした。



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1960年代後半の大阪ミナミは、まだ安保闘争の影を引きずり混沌としていました。

街角のいたるところに、非常線が張られ、

街のあちこちで機動隊とデモ隊が衝突を繰り返していました。


大阪球場は擂鉢状のとても狭く汚い球場でした。

グランドを照らすカクテル光線の華々しさが、

かえってスタンドのみすぼらしさを際立たせているように私には思われました。

スタンドには酔っぱらいがたくさんいて、

子供の私が顔を赤らめるような野次が、平気で飛び交っていました。

けれど、それより何より、球場に向かうまでのその時代の都会の街の異様な光景が、

私に南海ホークスのファンである事を拒ませていたのかもしれません。

正直、私はミナミに行くのが恐かったのでした。


その為か、次第に私の興味の対象は南海ホークスではなく、

同じ関西の地方球団、近鉄バッファローズに移って行きました。



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近鉄バッファローズの本拠地は、私が住んでいた堺市に近い藤井寺市にありました。

何年か前から、18歳の4番打者として土井正博選手が入団し、注目を浴びていました。

私も土井選手目当てに藤井寺球場に足を運びました。


藤井寺球場も大阪球場に負けず劣らず小さな球場でした。

それどころか、ナイター設備さえなく、

試合はいつもデーゲームで行なわれていました。

昼間の試合ということで、大阪球場のような陰鬱な暗さはありませんでしたが、

設備としては、草野球場と何ら差異はありませんでした。


この小さな田舎の野球場で私はベンチの上のコンクリートに陣取り、

近鉄の応援をしました。

時折、そこから顔を逆さにしてベンチの中を覗き込んだりもしました。

子供ということもあって許されていたのかもしれません。

私のそんな行動も、係員から大きく注意を受ける事はありませんでした。

藤井寺球場は私にとって居心地のいい球場でした。



--------



私が小学生になった、1967年のある日、

その近鉄とのオープン戦で、一人の男が私の前に彗星のごとく現れました。

その男は、肩をいからせマウンドに向かい、

今まで見たことのないスピードボールを私の前で投げ続けました。


四番、土井正博さえ、きりきりまいさせると、

叉肩をいからせ、揚揚と自分のベンチへと引き上げて行きます。

私は近鉄のベンチの上で目を白黒させ、

マウンドから引き上げていくその男の背中を見つめました。

その男の背中には、私の誕生日と同じ28がありました。


高校を卒業したばかりの阪神タイガースの背番号28。

それが、江夏豊でした。


それから私の中で、28という数字と江夏豊という存在が結びついて離れなくなりました。

銭湯の下駄箱を選ぶのも28。

脱衣所のロッカーも28。

学校の傘立ても28。

何を選ぶのも28を意識するようになりました。

その年の誕生日、私は親にねだってタイガースのユニフォームを買って貰いました。

背番号はもちろん28。


私は、江夏のファンになっていました。



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ファンになった私に江夏は次々と最高のパフォーマンスを見せてくれました。


入団一年目のこの年、12勝をあげ最多奪三振のタイトルを獲得。

入団二年目には、25勝で最多勝、そしてシーズン401奪三振の世界記録を樹立。

最多奪三振はその後6年連続して獲得。

1969年は最優秀防御率のタイトルを獲得。

1971年には、オールスターゲームで、打者9人に対し、

9者連続三振という離れ業を見せてくれました。


ところが、そんな素晴らしい成績とは裏腹に、

世間の江夏自身への評価は芳しい物ではありませんでした。

そのマウンド上のふてぶてしい態度から、

’傲慢’’我儘’’生意気’・・・

それが江夏の代名詞となっていきました。

叉、この頃江夏は記録を見ても分かるように、

奪三振に異様なほどのこだわりを持っていました。

それも、読売ジャイアンツの王貞治選手へのライバル心は、相当な物で、

401奪三振の世界記録を作った年、これまでの稲尾選手の持つ日本記録の353個目、

そして、新記録の354個目も王選手から奪いました。

叉、自身の1000奪三振の記録も公言して王選手から奪いました。

決め球は必ず渾身のストレートでした。


マスコミは、チームの勝利より個人記録にこだわる江夏を批判しました。

いつしか、江夏は’一匹狼のアウトロー’というレッテルを貼られるようになりました。

それでも、江夏は王選手に対する決め球はストレートしか投げませんでした。


私はそんな江夏が好きでした。

私が小学生だった6年間、江夏は私の中で輝きを増していきました。

そして、江夏に憧れた私はその6年間を意気揚揚と過ごしたのでした。



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私が小学校6年の夏休みにアメリカに言っている間に、

両親が堺の新興住宅地に建売住宅を購入したことは以前にも述べました。

必然的に、中学から私は私のことを誰も知らない、

新興住宅地のマンモス中学校に入学する事になりました。


旧堺の小さな小学校で目立つ存在だった私は、

一学年で五百人以上いる生徒の中の一人となりました。

全員が、お互い何も知らない私立の中学にでも進んでいたのなら、

叉違った雰囲気だったかもしれません。

もしくは、ひとつのグループの中に放り込まれる転校生のような立場だったとしたら、

それも叉、変っていたかもしれません。


そのマンモス中学校は近隣の三つの小学校の生徒が卒業して、入学してきていました。

学校が始まると、そこには既に三つつのグループが出来ていました。

入学したばかりの私はどのグループに属したらよいのか分からず、

暫く、誰とも話をしないで過ごしていました。

そして、この頃少し大人びて虚無的になっていた私は、

小学校の頃の’私らしさ’を失っていました。

私は自分から、みんなの中に溶け込もうとする努力を怠りました。


中学生になって、3ヶ月もすると、

私には、‘おとなしいやつ’’真面目なやつ’‘目立たないやつ’

そんなレッテルがまわりから貼られていました。


いつのまにか私は、

そんな自分の評価を変える努力ができない自分に苦しんでいました。


一学期が終わり、夏休みが始まりました。

卓球部に入部していた私は夏休みをクラブ活動で過ごしていました。

そこでも、私はやはり目立たない存在となっていました。


そして1973年の夏の終わりのあの夜・・・

私の心に今も刻まれている、あの江夏の試合があったのです。



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夏休みも終わろうとする8月30日、その日は朝から曇り空でした。

いつものようにクラブ活動から帰宅していた私を、

明日仕事が休みの父が夜釣りに誘いました。


それは、私が中学生になって初めてのことでした。

私は、大好きな阪神の試合があるので、あまり気乗りはしなかったものの

何故か、父が盛んに誘うので同行する事にしました。


釣り場の泉大津漁港は私と父以外は誰もいませんでした。

私は、船着場のコンクリートの上に父と並んで腰をおろし、

傍らに置いたトランジスタラジオのスイッチを入れました。


ラジオから、阪神対中日戦の実況中継が流れてきました。

この日の先発は江夏と松本の両サウスポー対決でした。

中日の先発松本はサウスポーからテンポよく投げるタイガースキラー。

一方江夏は剛速球でいつものように三振の山を築いていきます。


私が野球中継に耳を澄ましていると、

暫くはじっと釣り竿を見つめていた父が、ポツリポツリと話しかけてきました。

普段はめったに口をきかない父でしたが、

私と二人っきりになる、この夜釣りの時だけは昔からよく喋りました。


「中学はどうや?」

「楽しいで!」

「クラブはおもしろいんか?」

「おもしろいよ!」

じっと海を見つめて聞く父に、私も海を見つめて、そう気の無い返事をしました。

明らかに嘘でしたが、父は黙って聞いていました。


ラジオが、江夏と松本の投手戦の様子を伝えてきました。

私は話題を変えました。

「お父さんは野球選手で誰が好きなん?」

「野球は好かん・・・」

父は、そう言うと叉黙り込みました。


私が幼い時、一度だけ父が市場の野球大会に参加した事をがありました。

父はセカンドを守り、何度もエラーを繰り返しました。

私は、応援席で母と、がっくりと肩を落としました。

それから、父は二度と野球大会には参加する事は無く、

野球の話題さえしなくなりました。



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日が完全に落ち、あたりが暗闇に染まる頃、

ラジオが江夏が一本のヒットもホームランも打たれていないことを何度も伝えてきました。

一方、阪神のほうも松本にテンポ良く押さえられ無得点が続きました。



「お父さん!江夏がノーヒット・ノーラン続けとるで!」

私はラジオの実況をそのまま父に伝えました。

「江夏か。幸樹は、小さい時から何でも28やったな・・・」

私がその答えに少し驚いていると、

「学校はおもしろないんか?」

初めて父は海から視線を逸らし私を見つめて再びそう聞いてきました。


「いや、おもしろいで・・・」

私も再びそう答えると、父は、

「そうか・・・」

それだけ言って、叉海を見つめました。



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試合はその後延長戦に突入しました。

中日がピッチャーを変える中、

江夏は一人黙々とノーヒット・ノーランを続けました。



「あの時見た江夏はすごかったな!」

既に釣りどころではなく、ラジオを耳の傍で抱えて聞きいっている私をちらりと見やり、

父は初めて野球の話題を口にしました。


「あの時?」

「ああ、藤井寺でや。」


途切れていた、記憶の糸がはっきりと繋がりました。

私は、大阪球場からの帰り道、

必ず「北極のアイスキャンディー」を買ってくれた父の笑顔を思い出しました。

幼い私を、大阪球場にも、藤井寺球場にも連れて行ってくれていたのは父でした。



--------



試合は、十回裏の阪神の攻撃も無得点に終わりました。

そして十一回の表の中日も無得点に終わり、

いよいよその裏の阪神の最後の攻撃となりました。

この回、阪神に得点が入らないと、

江夏のノーヒット・ノーランの記録はなくなり、只の引き分け試合となります。

けれども阪神の攻撃は下位打線から。

空からは、夏に似合わない冷たい雨がポツリ、ポツリと落ちてきました。


「雨降ってきたな。そろそろ帰ろうか・・・」

父はそう言って静かに立ち上がり竿を仕舞い始めました。

私も父に従い、竿を片づけ始めました。


その時、ラジオのアナウンサーが、絶叫しているのが聞こえました。

「このまま終わるのか!誰か打ってくれ!誰か江夏を助けてやってくれ!」


私は、アナウンサーの言葉を引き継ぎ、クーラーを片付けている父に言いました。

「お父さん!」

「なんや?」

「結局、誰も江夏を助けてくれへんかったな・・・」

「そやな・・・」 


誰もがあきらめかけたその時でした。

抱えていたラジオから物凄い歓声が聞こえてきました。

アナウンサーが何度も「バンザイ」を絶叫しました。


「お父さん!江夏が、江夏がサヨナラホームランや!」

私はその場にうずくまり、ラジオを耳に押し付けました。

生まれて初めて身体が震えました。

心が熱くなり、自分でも解らない位に涙がポロポロこぼれてきました。


「凄い!やっぱり凄い!

 お父さん!江夏はやっぱり凄い!自分で決めよった!」


父を仰ぎ見ると、父はにっこりと微笑んで私を見つめてくれていました。




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追記:    その後、江夏は、

       南海、広島、日本ハム、西武と球団を渡り歩き活躍し続けます。

       私も、その後を追うように江夏を見つづけました。

       江夏の背番号は、球団が変る度変って行きました。

       けれども、背番号がいくら変っても、私の中での江夏は28でした。


       そして、私のほうは中学生活の中で、

       徐々に‘私らしさ’を取り戻して行きます。

       この、江夏のノーヒット・ノーランの試合が、

       きっかけだったかどうかは私には分かりません。

       私は江夏に憧れた一ファンであって、

       これからも、私の人生と江夏の人生が交わる事はきっと無いでしょう。

       けれども、大人の階段を上る思春期の一時期、

       この、江夏豊という投手に憧れを抱いていなければ、

       今の私の性格は形成されていなかったでしょう。


       家内と結婚した時、母が一通の手紙を私にくれました。

       そこには、

       「子供の頃から自分で何でも決めて行動していく幸樹に、

       お父さんもお母さんも寂しさを感じていた。けれどもそれが嬉しくもあった。」

       そういう旨の事が書かれていました。

       今になって振り返ると、

       この夜が私と父が一緒にどこかに出かけた最後の日となっていました。

 
       憧憬が、私の心の中で昇華した一夜でした。


      


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2. ∽∽〜かおりん、たむたむの裁断したろかあーー〜∽∽
 
|このコーナーでは、わが愛妻かおりんが、世の風俗世相を
|油圧裁断機のごとくたった一言で、がつんと切り落とします!! 
     
    ■ 今回のかおりんは・・・
     身体のゆがみが一発でわかる方法をラジオで言っていたので、
     お昼に試してみたかおりん。
 
 
 
   かおりん :「真っ直ぐ立って〜、足の真中の床にしるしをつけて
          目を閉じて、太ももを高く上げて、
          その場所から動かないように意識して50回足踏みをするねんて。」
 
          かおりん、やってみる。右に前進・・・目を開けて驚く。
  
   かおりん :「Aちゃんもやってみて!」
    
          Aちゃんやってみる・・・
     
   Aちゃん  :「私は右後ろにさがりました!」
 
 
       かおりん :「身体がどちらにいがんでるかによって、
          右前進、左前進、右後退、左後退するんよ!」
 
          きんちゃんもやってみて!」
   
   きんちゃん:「はい。」
 
          きんちゃんやってみる・・・
   
    
   かおりん :「き、きんちゃん・・・・、直角に曲がった・・・・。」
 
 
         データーにない動きをした新人ミラクルボーイ。
         きんちゃん、おそるべし!
 
 
 
 
   かおりんへの応援メッセージはこちらへ ↓
 
            perfume289@hotmail.com
 
  かおりんブログはこちら ↓ (本当のかおりんがここにいます)
 
            http://blog.goo.ne.jp/perfume289/2.      



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3.あとがき


先週の6月28日、おかげさまで47歳の誕生日を迎える事ができました。


メルマガをお休みさせて頂いている三ヶ月の間に、

私は雑誌「神戸ウオーカー」さんと、こんなことをしていました。

↓ ↓ ↓

http://www.k-o-s.jp/special/kb/

で、このときの取材で私は記者さんに歳を聞かれ、47歳と答えていました。

ですから、誕生日を迎えても47歳・・・

なんか得した気分と思っていましたが、

上には上がいたことを思い出しました。


かおりんは、私と付き合っているとき定期券の歳が何年も一緒でした。


えっ、「28という数字は今でも特別な数字か?」って。

もちろんです!

そんな彼女と出会ったのが、

私が28歳の時だったんです。




□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 
 
発行人:田村幸樹
 
JOB inc.
 
発行者WEBサイト 
 
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最後までお読みいただいて本当に有難うございます
 
 
 
Vol.73予定は7月15日です。
 
 
 
 
 
乞うご期待!
 
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