2007/10/01
こころのともしび(第46号)
■─────────────────────────────────┐ ☆ ☆ ☆ 心のともしび【第46号】 ------仏教の教えより------- ☆ ☆ 2007.10.1 ☆ └─────────────────────────────────■ --------------------------------------------------------------------- ■鈍海のちょっとコラム 便利な物差し 山野鈍海遺稿集より ■献体中の祖父(故 山野鈍海)と最後の面会ご報告 徳行 ■徳行からの手紙 大好きなおじいちゃんへ ■編集後記 --------------------------------------------------------------------- 初めて登録して下さった皆様、有り難うございます。心より御礼 申し上げます。いつも心待ちにしていて下さる皆様、ご愛読に深 く感謝申し上げます。 --------------------------------------------------------------------- ■鈍海のちょっとコラム 便利な物差し --------------------------------------------------------------------- 今の時代に生活する私たちにとって、物差しというものはとても有 りがたいものです。 私たちは実際に毎日 物の長さ・重さ(目方)や升目(容量)をはか る場合、それに用いる物差しや升などに絶対の信頼をおいています。 これは世界にただ一つ基本になる物が作られていて、皆はそれと同 じに作られたものを使っているからです。 なので、メールや手紙で品物を注文するときに「縦10センチ、横 15センチの長方形」と指定すれば、その通りの長さ大きさのものが 送られてくるのです。 「そんなこと当たり前じゃん」と言われるかもしれません。でも、 つい四・五百年前位迄はそうは言えない時代があったのです。 そう 徳川時代、 封建制度のまっただ中、時の支配者は「農民は生 かさず殺さず 菜種の油を搾るように とことん搾り取れ」と言いま した。支配階級である武士は、農民に対して「生殺与奪の権」を持 っていました。 つまり、気に入らなければ農民の持ち物を勝手に取り上げてもよい、 又、都合によって殺しても差し支えない という無法な事が出来たの です。 当時は今のように科学技術も進んでおらず、又、肥料も自然のもの を用いるだけですから 収穫は今の50〜60%くらいで 農民の殆ど は貧しい小作農でした。年貢米(田の借り賃)と税金を払うと、後 には僅かな屑米しか残らなかったのです。その屑米と稗(ひえ)や 黍(きび)粟(あわ)などの雑穀を食べて、又、次の年の生産に励 むという繰り返しでした。 その頃は少々不作の年であっても年貢の量を減らすと言うことはな かなか聞き入れてもらえませんでした。 年貢納めは役人立合いで厳しい計量が行われました。米の質はもち ろんのこと、量についても一俵一俵を役所から持参した升で量った という事です。 ところが、一般に売っている升で四斗少し多い目に入れたはずなの に、役所の升で量ると足りないのです。言い訳は許されません。あ わてて家から米を運んで足して納めたという事です。 皆さんはもうおわかりでしょう。 役所の升は少し大きめに作られていたのです。余計な年貢米を取ら れた上に皆の前で恥をかかされたお百姓さんの気持ち、良くわかり ますね。今日とはずいぶん事情が違いますが、今でも正しい物差し がなかったら きっと色々な悲喜劇が起こる事でしょう。 「今はそんな事ないよ」と思われる方が多いと思います。でもね、 それがあまり遠くないところにあるんですよ。 地域とか仕事の関係などで会議に出られる事、皆さんおありですよ ね。 そんな場合に、色々な意見が出て参ります。いいなと思う意見、こ れはどうかなと思われる意見など様々です。 自分と仲の良い人とか、自分を大事にしてくれる人の意見には両手 を上げて賛成したくなるのに、その反対側の人の意見には「そうだ な」とうなずきながらも、何となく素直に賛成の手が上げられない。 もしも正しいひとつの物差しで測っていたらこんな事は出てこない はずなのです。 私たちは「自分は正しい物差しですべてを測っている」ように思っ ているのですが、その実はその時にその相手によって都合の良いよ うに物差しの長さを変えているのです。その都度変わる事は、仏教 の上から見ると差別なのです。 この原稿を書いている只今、イラクの査察で世界は大揺れ、我が国 も国内問題と北朝鮮問題で泥沼に足を突っ込んでいます。どちらも 自分の言うことが正しいとしか言わない。お互いに自分の物差しが 間違っていることに気がつくのは地球が破滅してからなのか。悲し い現実であります。 この、ものの見方の物差しの長さが 絶対変わらないのが如来さまで す。 教えを聞かせて頂くことによって、自分がいかに自分中心のご都合 次第で長さの変わる物差しで相手をはかり、事の善し悪しを論じて いるか。 正しい教えに当てはめて始めて、自らの物差しがいかに信用できな いものであるかに気づくことができるのです。 ここのところを、御開山親鸞聖人は「善悪のふたつ、総じてもって 存知せざるなり」とずばりと言い切っておられます。 この正しい物差しで生きる道は決して生易しいものではありません が、人間がお互いに拝み合い敬い合って平和に暮らす世界は、絶対 にこれ以外にないという事を心に留めたいと思います。 (山野鈍海 遺稿「法蔵寺報 原稿集」より) ------------------------------------------------------------------- ■献体中の祖父(山野鈍海)と最後の面会ご報告 徳行 ------------------------------------------------------------------- ご無沙汰しております、徳行です。 8月末から大学の集中講義等でバタバタしておりましたら、もう 10月になってしまいました。申し訳ありません。 去る7月18日に祖父に会いに行ってから、もう2ヶ月半も経った のかと思うと信じられません。 当日は、母と一緒に滋賀医科大学へ行きました。祖父が生前大変お 世話になっていた教授の方に偶然お会い出来てお話することができ ました。(「こころのともしび」を購読して頂いているということで、 大変嬉しく思います!) まさかお会い出来るとは思っていなかったので、私と母は感激し てしまい 何から話していいのやらわからず、あまり上手く話せま せんでしたが、これは祖父が巡り合わせてくれたに違いないと、 帰り道話しました。 そして祖父との面会ですが、最後のお別れをした時からみると少し 顔色が黒ずんでおり、アルコールのような匂い(せっかく教授に丁 寧に説明して頂いたのに、学がないものでド忘れしました…)がし ました。 しかし最後に別れたままの変わらぬ姿を見て、とても不思議な気持 ちになりました。触ると、少しひんやりしました。これは腐敗防止 の為に8℃程度に保つよう管理されている為だと聞きました。もう これで逢えないんだなと思うと少し寂しくなりましたが、お念仏の 中に祖父は居るという言葉を思い出し、泣くのを必死で堪えました。 また今回は無理をお願いして、遺体が安置されている大きな保冷庫 のようなものを拝見させて頂き、実際に医学部生の方が解剖実習さ れる部屋も見学させて頂きました。全く未知の世界だったので、見 るもの1つ1つが驚きの連続でした。 何も分からない私と母に 丁寧に説明してくださった教授の方々に 感謝の気持ちでいっぱいです。この場をお借りして、深くお礼を申 し上げます。本当に有り難うございました。 そして その時に祖父に渡した手紙を以下に掲載させて頂きます。原 文のままゆえ、表現がおかしい箇所が多々あるかもしれませんが、 流して読んでいただけたらと思います。 次回は、祖父がお浄土へ還る1ヶ月前くらいに『死』について話し てくれたことがありましたので、そのことを掲載させて頂く予定で す。 それでは、今月はこの辺で。秋風が吹きつつも残暑厳しいこの頃で すが、お体にはお気をつけてお過ごしくださいませ。 ------------------------------------------------------------------- ■■徳行からの手紙 ―― 大好きなおじいちゃんへ ―― ------------------------------------------------------------------- おじいちゃんへ 80歳のお誕生日、おめでとうございます。お浄土ではいかがお過ご しですか?こちらはおばあちゃんの作った夏野菜が最盛期を迎えて おります。ナス・トマト・トウモロコシ・枝豆と美味しく頂いてお ります。 おじいちゃんがお浄土へ行ってから、早、半年以上の月日が流れま した。私は今でも、病院や書斎におじいちゃんが居るような気がし てたまりません。 今更言っても仕方ないですが、もう一度、おじいちゃんと話がした いです。私が一人暮らしをせずに実家に居たら、もっと沢山の時間 を共に過ごせたのだと思うと今でも涙が溢れてきます。 おじいちゃんの去年の日記の今日の所に『お互いに「お誕生日おめ でとう」を言った。不思議な気持ちだった。』という文章があるのを 覚えています。 幼い頃は丸いケーキに2人の名前をチョコレートのプレートに書い てもらったことを覚えています。 私にとっての誕生日は、おじいちゃんとの特別な日でした。そして それは、これからも変わることなく続いていくと思います。 欲を言えば来年の成人式の晴れ姿を見て欲しかったです。でもおじ いちゃんは必ず、お浄土から見ていてくれると信じています。 亡くして、初めてその大切さに気づく───本当にそうだと思いま した。 私の中でのおじいちゃんの存在は思ったよりも大きく、大切な人で した。 もっともっと、いろんな事を教えてもらったり話したりして、いっ ぱい吸収しておけば良かった。近くに居るから…と後回しにしたこ とを非常に後悔しています。たまに夢におじいちゃんが出てきてく れると、何ともいえず感無量になります。ありがとう。 今、僧侶の資格を取得する為、僅かながらではありますが仏教に励 んでいます。分からないことがほとんどですが、少しずつ知ってい き、在学中には教師資格と得度を終えたいと考えています。 おじいちゃんが基本を教えておいてくれたおかげで、これといった 不自由もなく講義に参加しています。おじいちゃんには感謝の気持 ち・尊敬の気持ち・いとおしい気持ち等々、沢山の気持ちが混ざり 合い うまく言葉にできません。 私もおじいちゃん・おばあちゃんを見習い、献体の登録をすること にしました。今はまだ順番待ちですが、登録し 将来医者を志す学生 さん達のために ささやか乍ら貢献出来ればと思います。 おじいちゃん、本当にありがとう。 色んなきっかけやヒントをくれてありがとう。 ──お念仏の中に私は居る──と残してくれたおじいちゃんの言葉 を胸に、これからの長い人生を歩んでいきます。 あと お願いですが、おばあちゃんのことを見守ってて下さい ずっ とずっと。お願いします。長くなりましたが、久々に自分の気持ち を素直に書けた気がします。 ありがとう、おじいちゃん。ずっと大好きです。 2007年7月18日( 水) おじいちゃん 80歳 徳行 20歳 ------------------------------------------------------------------ ■編集後記 ぱせり(記) ------------------------------------------------------------------ 相変わらずのマイペース発行になり、お許し下さい。 体調を崩されている方はいらっしゃいませんでしょうか。今年の夏 は猛暑を通り越して酷暑、言葉では表し尽くせないほど苦しい夏に なりました。10月に入りなんとか平年並みの気温になる日も出てき ましたが、天気予報ではまだ日中が30度近くになる日があるので、 衣替えは今しばらく待って下さいとの事です。 我が家のお嫁さんも夏にはめっぽう強いと自負しておりましたが、 今年ばかりはクーラー無しでは過ごせなかったと言って嘆いており ました。 私もとことん我慢して出来るだけつけずに暮らしておりましたが、 悲しいかな2月生まれの夏に弱い人間で、敢えなくどっぷりクーラ ー漬けの毎日となってしまいました。短い時間のクーラーの使用は 堪えないのですが、一日中となると あの金属的な冷たさはどうにも 苦手です。 こんな事を書いたら勤務先からクビになりそうですので、ここだけ の話にしておいて下さいね。(実はうちはエアコン関連会社)。 熱中症でお年寄りが自宅で亡くなられた事を見ても、やはり年代的 にクーラーが苦手という理由や、電気代が高くつくだろうからとい う、慎ましく生きてこられた昔の方ならではの考え方が裏目に出て しまい、悲しい結果につながってしまったのではと推察致します。 ぱせりはつい先日、風邪で38°の熱を出して寝込んでしまいました。 水鼻が止まらない、のどが焼け付くように痛い…。薬局に行って、 「今の風邪は伝染が早い」と言ったら、「気温が急に下がったからで すよ」と一蹴されてしまいましたが、うちの会社では実に五割が風 邪引き。のどの痛みは取れましたが、未だに水鼻が止まらない。。今 も二ヶ所にティッシュで栓をしつつ打っております(人様に見せら れた話ではありませぬ。お恥ずかしい) 秋風が吹き出すと夏の疲れが出て参ります。皆様もくれぐれも御身 おだいじになさって下さいませ。 ずいぶん日が経ってしまいましたが、参議院議員選挙の投票、お疲 れ様でした。安部内閣に代わり福田内閣が発足しましたが、国民の 総意はどこに行ってしまったのでしょうか。韓国のように一国の主 を選ぶときには国民投票をと考えるのは私だけでしょうか。 今はただ、福田氏の手腕に望みをつなぐのみです。 -------------------------------------------------------------------- ■筆者について -------------------------------------------------------------------- 山野鈍海、本名は西澤祥英。昭和2年滋賀県生まれ。鈴鹿山脈の 山懐の貧しい農家の長男に生まれ、田んぼや山仕事をしながら育つ。 時は戦争の真最中で、志願して軍隊勤めもする。 仏法の盛んな土地で、子供の時から教えに親しむが 今一つ本当に 「わかった」と言う思いはなかった。鈍海が43才の時、次姉が交通 事故に遭い、一週間の植物状態の末、意識不明のまま他界。 10年後、西本願寺の中央仏教学院通信教育で貪るように教えを学ぶ。 その2年後に僧侶の、3年後に教師の資格取得の後は、勤めながら同 じ志を持って通信教育に学ぶ人たちの勉学の手助けや地域の日曜学 校にと、多忙に明け暮れる日々を送っていた。 2004年1月より「こころのともしび」発行。長年の夢が叶い、胸が 躍って眠れないほどの喜びで希望に胸をふくらませる。 2005年秋、図らずも皮膚癌(パジェット癌)の宣告。ガン家系でな かっただけにショックも大。かなり悪性で進行が早い癌と聞く。 自宅での療養中に、なるだけ東洋医学の教えを取り入れた食生活を し、必ず打ち勝ってみせるという強い意志のもとに家族一致団結で ガンと闘うも、力尽きて2006年12月に他界(79歳)。ガン宣告か らわずか一年後の事。 現在は鈍海の遺志を継ぐべく、遺稿集より法話をお届けしています。 -------------------------------------------------------------------- □□ 次号(第47号)発行予定日 2007年11月頃 -------------------------------------------------------------------- ◆バックナンバー<http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000124366> -------------------------------------------------------------------- □□ 著者:(故)山野鈍海 <http://www.eonet.ne.jp/~panacee/> □□ 著者兼発行スタッフ:徳行(とくぎょう) □□ 発行責任者:ぱせり http://plaza.rakuten.co.jp/maywind/ □□ 叱咤・激励のお便りはこのメールマガジンに「返信」して下さい。 -------------------------------------------------------------------- □□ mag2ID:0000124366 『こころのともしび』不定期発行 -------------------------------------------------------------------- □□ 読者登録解除は下記のホームページからお願いします。 http://www.eonet.ne.jp/~panacee/ -------------------------------------------------------------------- □□ 『まぐまぐ』を利用して発行しています。 http://www.mag2.com/ -------------------------------------------------------------------- Copyright (C) 2004-2007 Donkai Yamano All Rights Reserved. ******************************************************************** ど素人の百合おばさんがネット商人のたまご?になるまでの苦労談や 耳寄りなお話が満載! 百合おばさんのネット奮戦記 <http://www.onlinenikki.com/> ********************************************************************



